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昭和48年出版の本にも係わらず、食生活に大いに参考になる本
■汚染食時代の食生活(P59)
魚は汚染され、農産物は農薬によって危険視され、牛、豚、ニワトリは有害配合飼料、薬品により、その安全性に疑問が投げかけられている。安心して食べられる食品は日本列島から姿を消したようである。
だが、現在、せめてもの対策を示せ、といわれるなら、私は"多種少量の食生活"をすすめるほかはない。なるべく多種類の食物を少量ずつ食べることで危険を分散することである。
■北海道の奥尻島(P72)
明治時代初期に無人島だった島に十部落の人たちが移り住み、ニシン漁業を中心とした漁村となった。もともと耕地のない村であったので、いきおい人々の食生活は魚肉と米に編重し、心臓病による若死が多い島だったが、珠浦という部落だけは、リーダーの意見によって山林を切り開き、畑を作って野菜を自給自足していたため、長寿者が多かったのである。男はみんな漁業に従事しているから、畑仕事は女の仕事であった。あとから珠浦に来た女性たちは、他の部落にはない畑仕事という重労働を委せられて、口々に畑のない他の部落を羨んだ。
しかし、彼女たちの苦労は長寿という結実によって報いられていたのである。私がこの島を訪れた昭和34年には、珠浦の長寿者は男6人、女4人、計10人であった。しかし、隣りの部落では、人口が珠浦の二倍以上もありながら、70歳以上は男女合わせてわずか3人しかいなかった。魚肉と白米に片寄った食生活が、珠浦以外の部落では、心臓病となって若死を招いていたのである。肝臓病も多かった。
この例でも判るように、耕地に適さない荒地であっても、やる気さえあれば食生活に必要な野菜の栽培くらいはできるということである。畑作業を業とするのではなく、自給ていどの目的なら、地理的環境は克服できるということである。
■三重県志摩半島の国崎部落で7、80代の海女を発見したときは、少なからず驚いた。国崎では70歳以上の老女でも、海にもぐって働いている海女がざらにいた。
海女の日課は、おおむね次の通りであった。
午前五時起床、すぐに畑にでかけ野良仕事を1〜2時間、帰って朝の支度をする。
午前七時すぎ、海にでる。一回の潜水は1分以内、これを一日に7〜80回行う。昼食は浜で弁当をつかう。
午後3時半、帰宅、すぐに野良に出て畑の手入れ、暗くなるまで続ける。夕食の支度。
午後8時、就寝。客がいても夜おそくまで相手をするようなことはしない。明日の仕事があるからと断って、マイペースをくずさない。睡眠時間8時間以上。
潜水業と農業と主婦業、一人三役をこなしていた。潜水は一年中、真冬でも行なっていた。12月、1月がナマコのシーズンだからであるが、いくら温暖な志摩半島とはいえ、その水は私には身をきるような冷たさであった。7、80代の海女が敢然とこの冬の海に飛び込んでいる姿を目にしたとき、私はいたく感動した。(P88)
■能登半島、輪島の海土町に住む海女たちは、志摩の海女たちとは対照的に若死である。彼女たちは、毎年6月から10月までの5ケ月間、48キロ沖の舳倉島に渡って共同生活し、ここを足場にアワビ採りを行うのである。志摩の海女のように畑仕事はないし、労働はずっと軽いものである。それにもかかわらず短命で、40歳くらいになると引退を考えはじめ長くても50歳どまりであった。
彼女らの主食は、栄養価の高い胚芽が完全になくなっている精白しすぎた白米と魚ばかりで、野菜はほとんど食べない。
彼女たちは舳倉島での共同生活から解放されて帰ってくると、町の食堂などに入ってビフテキやトンカツを腹いっぱい食べるという。肉好きなのである。窮屈な共同生活で男勝りの仕事を5ケ月間も続け、うっせきした気分を解放するために、平常食べれないご馳走をたらふく食べて、憂さ晴らしをするのである。
輪島の海女は、このように動物性たんぱくを充分にとっているから、志摩の海女より一見して判るほど体格がよい。だが、海女としての生命も、人間としての寿命も志摩の海女よりははるかに短いのである。(P94)
■魚はハラワタまでたべよう(P102)
一般的にいって日本の漁村では、魚肉と米にのみ片寄った食事をしているところが多く短命の村が多い。石川県の塩屋村は典型的な漁村であるが、付近の漁村と比較すると群を抜いて長寿者が多かった。
この村では大きくて美味しい金になる魚はすべて商いに出してしまうので、あとはくずの小魚しか残らなかった。したがって食事にはくず魚しかでないので、やむをえずそれをハラワタごと頭から食べていた。
同じような例が他にもあった。伊豆大島に5つの村があって、野増村だけが魚の内臓を捨てないで食べていた。野増村だけがは長寿者率8.2%という高率だったのである。
■動物性たんぱくは摂りすぎると、野菜の不足と相まって心臓病の因となるが、大豆たんぱくの摂りすぎは、何ら健康に悪い影響はない。大豆たんぱくの唯一の欠点は、成長期において身長を伸ばす効果のないことだけである。したがて、成長期には動物たんぱくを中心に食べて、成人後は動物たんぱくよりも大豆たんぱく中心生活に切りかえた方が、心臓病の防止という面では安全性が高いともいえるだろう。(P116)
■果物は野菜の役目を果たすか(P116)
青森リンゴの名産地を調べていくと、どの村もみな例外なく短命村だった。
リンゴ村の食生活を調べてみると、りんごはよく食べているのに比べて、野菜は極端なほど不足しているのだった。畑があってもそれが全部リンゴ畑なのであるから、野菜がないのは当然だった。江戸時代には野菜畑があったのだが、リンゴが輸入され、それが経済的に有利であることを知ったため、明治のころから野菜畑をすべてリンゴ畑に作りかえてしまったのである。したがって農村でありながら、野菜はまったくといってよいほど食べていないのであった。加えてリンゴ村はおしなべて米どころであった。米だくさんの野菜不足、その結果が若死となってあらわれたのである。
ミカン村も同様にみかんばかりを食べて、野菜類を食べない村は短命村だった。時には長寿村があったが、そういう村は野菜畑もあって野菜もたくさん作ってたべていた。
■"酒のみ短命"は事実か(P119)
秋田県と高知県を調査し結果、酒は長寿や脳卒中とは関係なく、大酒を飲んでいても長生きはできる。酒が命を縮めるのでなく、酒によって偏食がおこり、それが肝硬変等の病気をもたらすのであろう。だからといって私は酒は大いに飲みなさいとすすめるつもりはない。酒飲み短命説は否定するが"酒は百薬の長"であるというデータもないからである。
■隠岐の島の黒木村(現・西島町)は日本一の長寿村でもあった。(P123)
私は黒木村を訪れたのは昭和26年であった。その直前に訪ねた秋田の短命村では人口5600人のうち80歳以上の老人は2人しかいなかったが、黒木村では人口3800人と少ないのに80歳以上の老人が82人もいたのである。82人の老人のうち働けない人はわずか3人だけしかいなかった。
黒木村の食生活は、海の幸は豊富であったが、肉と卵はなかった。水田がないので主食は米でなくて麦とさつまいもだった。平地の少ない島だったが、せまい斜面を利用して野菜がつくられており、意外に畑が多かったのである。野菜はニンジン・カボチャから大豆もあった。魚介類はたっぷり食べる上に海草もあった。ワカメのみそ汁を毎日常食していた。まことにバランスのよい食生活が行われていたのであった。
このような恵まれた生活をしていながら、島の人には大きな不満があった。「この島では、食べようと思えば何でもあるけど、ただひとつ米のないことが残念でならない。」
日本一の長寿村にも、やはり米に対する憧憬があったのである。しかし、結果的に米のないことが幸いしたのである。もし米があったらきっと米ばかりを多く食し、他のいろいろなものを食べる量が少なくなっていたであろう。
■大豆でも筋肉は増強する(P153)
わたしは学童の発育のスピードも研究していた。昭和15年ごろから食糧事情が悪くなり、16年には身長、体重ともに低下しはじめた。また、動物性たんぱくの不足で筋力も低下していた。そこで植物性たんぱくを与えたらどうなるかと思いつき、納豆給食を行うクラスと無食クラスにわけ調査した。半年の間ではっきりとした差があらわれた。背筋力も握力も肩腕力も、給食クラスの学童はそろって強くなり戦前並みの筋力を回復したが、一方、与えられなかったクラスの学童は、半年前よりさらにおとろえていたのである。
大豆のもつ植物性たんぱくは身長の発育に何ら効果はないが、筋力の発達には動物性たんぱくに劣らない効力があることが証明された。
■沖縄の食生活(昭和15年頃)P163
沖縄県人の平均身長が内地の人より4センチ低いので、昭和15年に実調査にでかけた。小学校でクラスに一人が二人ずば抜けて大きな子どもがいて、尋ねると、それらの子どもは小さい時からブラジル、ハワイ、香港等の海外で育っていた。食生活の違いが身長に関係していのではと思い食事を調べた。
沖縄では、海に近いが魚は昔から食べていなかった。豚肉は食べるが、旧暦の正月の1ケ月だけ食べていたが平常はまったく食べていなかった。ただし、父親だけは、会食や宴会などで、豚肉料理をかなり食べていた。
成人になって豚肉を常食しても体位には関係ない。成長期に動物性たんぱくを摂取しないことが、身長を貧弱なものにしていたのである。ただし、植物性たんぱくは、よく豆腐を常食していたので、それが筋力を支え「身体は小さいが力は強い」という定説の原因になっていた。
■若死しない食事法七ヵ条(P53)
@米を偏食、大食すべからず
主食は米、麦に限らず芋でもパンでも麺でも何でもよいが、それだけを大食してはならない。米そのものに寿命を縮めるような成分が入っているわけではない。米を大食し満腹すると、他の栄養物が不足する。
A肉、魚、卵または大豆を毎日食すべし
動物性たんぱくを毎日摂取すること。しかし、食べすぎは有害。動物性たんぱくが不足の場合には、大豆を充分に摂れば長寿は可能である。
B野菜を毎日たっぷりと食すべし
とくに、にんじん、かぼちゃ、芋類をわすれないように
C油を少量、毎日食すべし
野菜の油いためなどが好適。ただし食べすぎは有害
D海藻を常食すべし
E好んで牛乳を飲むべし
F小魚を頭から食すべし
■私の食生活覚え書(P60)
@にんじんはおろしが最適である
Aいつもとろろ昆布を携帯している
昼食時にお吸い物代わりに食べている
B牛乳は一日に三本飲む
原則だから飲めないことがあっても構わない
C卵は一日2個で充分
ただしこれは他の動物性たんぱくを食べない場合である。私の場合動物性たんぱくは主に魚肉である
D色つき食品をなるべくさける
E暴飲暴食をさける
F食事時間はルーズでよい
G所要時間はたっぷりとる
歯がわるいせいもあるが、40分以上かけている
H食事回数は何回でもよい
別に二回だろうが四回だろうがかまわない
鵜呑みにする必要はない、何をどれだけ食べたらよいかを工夫し、自分に合った食事をとるのが一番よい
■わたしの健康十則(P66)
@正しい姿勢で
本を読むときに頭をさげすぎない
Aじゅうぶん明るいところで
Bつねによい空気
Cある程度よい気温
あまり寒すぎたり、暑すぎたりしないこと
D日光に親しむ
E毎日身体を動かす
F十分な休養をとること、特に安眠を
G訓練をわすれないこと
小学校のとき、腫れの日の日曜日には三里(1里=3.927:明治時代)はなれたとなりの町まで遊びながら歩いて往復した。
H科学的清潔さを
I正しい食生活
日本の長寿村・短命村: 近藤正二著
近藤式(食べない生き方)
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