元気に下山 毎日を愉しむ48のヒント (宝島社新書) [ 五木寛之 ] 価格:814円 |
■「元気」とは
道教の思想では、「元気」とは天地万物を生み出した根元の力を意味します。根元の「元気」がひとつあり、そこから2つの気が生まれる。それが「陽の気」と「陰の気」であり、この「陽」と「陰」がすべての世界の基本パターンとなります。
江戸時代の貝原益軒が書いた「養生訓」の中には、元気について「人の元気は、もと是、天地の万物を生ずる気なり。是、人身の根本なり」と書かれています。
元気という言葉がでてくる資料は山のように存在し、膨大な資料を読み、私なりに考えた元気のイメージが徐々にかたちづくられていきました。
「元気」とは、根元の「気」であり、すべてのエネルギーの始原のかたちである。あらゆる生命も事物も、その「元気」から生み出されます。
そして、生きることは、「元気」の中からこの世に送りだされ、与えられたエネルギーを各人各様のやり方で消費していくことではないか。そんな心身をめぐるエネルギーの流れが調和のとれたスムーズなものである状態を俗に「元気がある」と表現する。逆に、その流れが滞ったり、乱れたり、つかえたりして、スムーズさを失った状態を「病気」と言う。
たとえ100歳まで長生きしたとしても、与えられたエネルギーを100%使って行き切ることができなければ、「元気に生きられた」とは言えません。逆に、若くして大病を患い40歳の生涯だったとしても、その天寿をしっかりと行き切ることができた人は「元気に生きた」ということができるのではないでしょうか。(P104)
■そもそもお金は、あてにならないものの代表のような存在です。戦時中、私たちが朝鮮で使っていた朝鮮銀行券は、ソ連軍の進駐とともに紙屑になりました。ひとたびインフレが起きれば、その価値は一気に下がります。また、国家は預金封鎖という強攻策をとることがあります。そんなことは戦後間もない時代や国家の体制が不安定な途上国の話だ、とおっしゃる方いるかももしれません。
私はそうは思いません。たしかに戦争が終わり、その後の半世紀以上は、お金の価値が根本から揺らぐような出来事は少なくとも日本では起こっていません。では、これからの時代も同じだと言えるでしょうか。私はむしろ、環境問題や国際情勢、世界経済はこれかたさらに激変し、お金のあり方も劇的に変わっていくのではないか、という予感がしているのです。
ファイナンシャルプランナーに言わせれば、何千万円の預金があれば老後は安心、ということになりますが、私の考えはちがいます。たしかにお金があるに越したことはありませんが、それで絶対に大丈夫、死ぬまで安心ということはないと思います。
お金はあくまで予備的なものとして考える。仮に十分な貯蓄がないとしても、それで人生のすべてが決まるわけではないので気にする必要はない、ということになります。(P152)
■私は日本の敗戦を朝鮮半島の平壌で迎えました。8月15日の、天皇の玉音放送がある前から、現地の日本人社会の上層部の家族たちは、インサイダーの情報としてポツダム宣言の受諾を知っていたのでしょう。平壌駅は南下する日本人家族でごった返したといいます。しかし、一般市民には、お上の声として、次のような情報が繰返しラジオ放送で流され続けられました。
「治安は維持される。一般人は軽挙妄動することなく、現地に留まるように」情報を持っていた政府要人の家族や利口なグループが「ここにいては危ない」とさっさと列車にのって南下する一方で、「政府の指示に従っていれば間違いはない」と愚直に信じた一般市民はそのまま現地にとり残され、侵攻してきたソ連軍により、地獄のような日々を送ることになりました。言うなれば、われわれは国家によって棄てられたのです。その時の体験によって、私は、国家は国民を守ってくれない。むしろ一部の人間のために大多数を平気で見殺しにする、という現実を否応なく思い知らされました。
戦後、日本は民主国家となり、国民主義が打ち立てられました。国家は国民のためにある。学校でも子供たちにそう教えています。しかし、私の中に根を下ろした不信感はずっと消えなかったし、戦後の歴史を振り返ってみても国や企業が国民を蔑(ナイガシ)ろにする出来事は幾度となく起こってきました。(P160)
■日本はエキゾチックな国です。エキゾチックとは「異国情緒がある」という意味です。
たとえば、京都の祇園祭の「山」や「鉾」を飾るのは、中国製の緞通や綴錦、ペルシャやトルコの緞通、ヨーロッパ諸国のタペストリー、インド製の刺繍です。
また、高野山は真言密教の総本山であり、古くから日本仏教の聖地のひとつとされてきましたが、そこで祀られる大日如来をはじめとした諸仏の多くは、インド起源の神様です。寅さんの故郷、柴又に祀ってある帝釈天もインドの神様です。
われわれがつい誤解してしまうのは、古きもの、歴史あるものを訪ねれば、そこに日本固有のものがあると思ってしまうことです。しかし、実際は違います。「日本古来」「日本の伝統」の表皮をむいていくと、現れるのはインターナショナルでエキゾチックな異国の姿なのです。(P166)
無財の七施(シチセ)