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■アメリカに暮らしていると、パールハーバーの定説を、テレビやラジオ、新聞等で何度も何度も刷り込まれる。その定説とは「大日本帝国は予告もなく一方的にアメリカのハワイ州真珠湾に卑怯な奇襲攻撃を加え、多くの貴い命が奪われ、太平洋戦争の正義の戦いはそこから始まって、すべて当然のお返しだった」といったところ。思考停止のまま生活していると、とても頑丈な史実に見える。が、一歩立ち位置をズラして世の中をとらえることができるようになると、今度は定説の頑丈さが、かえって胡散臭さを醸し出し始める。
2013年に初めてハワイへ出かけ、オワフ島の真珠湾を見学した。現地を巡ったらサプライズ・アタック・ストーリーの化けの皮が一気にはがれた。そもそも巧妙なプロパガンダとして作られ、アメリカ政府と御用歴史家たちがそのメンテナンスにアリゾナ記念館を使って発信しつづけているわけだ。
1941年12月の時点で、米軍はすでにレーダーを開発していたので、日本艦隊の動きをとらえ、特別な地位にいた一部の人間は、事前に把握できていたはずだ。「人的ミスによって現場への情報伝達が遅れた」というエクスキューズは、あまりにも白々しく響き、本当はルーズベルト政権が血眼になってさがしていた「対日対独宣戦布告」の口実に、もってこいの軍事行動だった。戦力的に価値が低く、すぐ代わりを用意できるアリゾナ号のような戦艦は、そのままパールハーバーに無防備に並べられていた。けれども、撃沈されたら困る大事な航空母艦はすべて前もって、みごとなタイミングでハワイから遠い海域へ避難させたのだ。
もちろん公式には「避難」じゃなしに、たまたま「演習中」だったというが。
真珠湾攻撃を詳細に見つめれば、偶然と思えない「偶然」が多すぎて、米国政府にとって好都合なディテールばかり重なている。ただ、現場で死亡したアメリカ軍の2345名を思うと、歴史の実態は過酷すぎる。彼らにとっては日本軍の攻撃はサプライズだったに違いない。
ホワイトハウスとアメリカ陸軍省のインサイダーたちが、壮大な罠をしかけ、兵卒をネズミ捕りのエサのように利用して、「開戦」のシナリオが整ったと考えられる。
プロのカメラマンがロケハンまでしてばっちり撮った真珠湾攻撃の実写フィルムが、またたく間に全米に広まり、その宣伝効果もあって参戦に否定的だったアメリカの世論が、戦争賛成にがらりと変わった。その点もどうも「奇襲」の説とズレる。(P20~)
■「悪人のジャップと善人のチャイニーズと、どう見分けたらいいか」日本人男性の顔と中国人男性の顔を上下に並べ特徴のポイントを示す。
1941年12月、真珠湾攻撃直後に発行された雑誌「ライフ」に「ジャップの見分け方」が写真入りで掲載された。「ジャップとチャイニーズをどう見分けたらいいか--敵に怒りをぶつける際、味方を巻き込んでしまう可能性がある」と一見もっともらしく情報を読者に伝えているように見えるが、実は日系人に対する差別と憎悪をあおっているだけ。
ひょっとしたらあの特集記事はパールハーバーの前からばっちり用意されていたんじゃないか・・・・
ちなみに同じ1941年12月に発行された「タイム」という雑誌にも、やはり「悪人のジャップと善人のチャイニーズと、どう見分けたらいいか」と題した特集記事がでかでかと掲載されていた。(P43〜)
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