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■魂はあるのでしょうか。あるとしたらどういうものでしょうか(P24)
最先端の科学である量子力学の観点から見てみましょう。素粒子には二つの面があって、粒子という物質であるという面と、波というエネルギーであるという面があることがわかっています。素粒子は観測しているときには粒子に見えます。つまり、そこにあるという意識を置いたら、そこにあるのです。でも、観測していないときには粒子ではなくて波になるのです。もともとは波だということがわかっています。物質というのは低い次元です。波という高い次元から来たエネルギーが、観測する意識のもとで物質に変化しているだけだといえるのです。
高い次元というのは、波であるエネルギーで、それは私が言う螺旋振動波なのです。
螺旋振動波というのは、まだ物質を作っていません。そして螺旋振動する振動数が減ってくると、物質化するのです。
水には、個体、液体、気体があって、振動数が高いのが気体です。液体になるとすこし下がって個体になるとものすごく下がるのです。個体は氷です。
人間も同じです。細胞を持っているのは固体です。これは、振動数がもっとも低いものです。でも私たちには気体というか目に見えない状態というものがあります。これは螺旋振動数がもっと高い状態です。これが魂なのです。つまり身体という地球の乗りものから降りた状態が魂なのです。
皆さんは魂が、体の中に入っていると思われていますが、魂にあなたが包まれているというのが正しい考え方です。
つまり魂とは、あなたのエネルギーの大本。そして、そのエネルギーの大本というのは、意識なのです。つまり螺旋振動というのは、体はないけれど意識だけはあるのです。ですから魂の意識エネルギーと私は呼んでいます。魂の意識エネルギーはあなた自身で、永久不滅です。魂は、生まれたときから死ぬということはありません。
量子力学と私たちの暮らし | くらしの良品研究所 | 無印良品
上記リンク元より抜粋
「量子力学」とか「量子論」っていうと、なにやら難しそうな科学の匂いがして、聞くだけで頭が痛くなってきそうですね。でも、量子力学から生まれた技術は、もはや私たちの暮らしに欠くことのできない重要なものになっているのです。今回はとっても難解で、奇妙で、不思議に満ちた「量子」の世界に光を当ててみました。
物質の最小単位は?
机でもリンゴでも岩石でも、なんでもいいのですが、この世にある物質は何からできているのだろうと考えた人がいました。ギリシャの哲学者「デモクリトス」です。デモクリトスは、万物はこれ以上分解できない最小単位の運動と結合によって成立していると考え、その最小のものを「アトム(原子)」と名づけました。この推論は正しく、現代の科学においてもさまざまな原子の結合によって物質が構成されていると考えられています。
もっとも、原子は最小ではなく、さらに小さな原子核と電子によって構成されていることが分かりました。また、原子核も最小ではなく、陽子と中性子によって構成され、その陽子や中性子もクオークという極小の粒子からできていることが分かってきました。そして、もはやこれ以上分解できないだろうと思われる「クオーク」や「電子」などの最小の粒子を「素粒子」と呼ぶようになりました。
粒なの、波なの、どっちなの
いま上の段落で「粒子」という言葉を使いましたが、これだと「粒状」の固いものがイメージされますね。ところが、こういう極小世界の物質は「粒」であると同時に「波」でもあるということが分かってきたのです。ここが量子力学の不思議な部分で、分かりにくいのですが、「光」のことを思い浮かべると少し理解できるかもしれません。
私たちが目にしている「光」の正体は、ラジオ放送で使われている「電波」と同じもの。光と電波は周波数が違うだけで、どちらも「電磁波」の一種です。そして「電磁波」というぐらいだから、光は音と同じような「波」としての性質を有しています。
ところが、20世紀のはじめになって、光の正体は「波」ではなく「粒子」だと唱える学者が出てきました。ドイツのマックス・プランクや、アルバート・アインシュタインです。プランクはこの光の粒子を「エネルギー量子」と呼び、アインシュタインは「光量子(光子)」と呼びました。いったい光は「波」なのか「粒」なのか、科学者たちの間でも激論が交わされました。
粒であり、波である
そして、科学者たちが導き出した結論は、私たち一般人にはとうてい受け入れ難い不思議なものでした。光は「粒」であると同時に「波」の性質もあわせ持つというのです。いや、光だけではなく、電子やクオークなどの素粒子も同じように「粒」であり「波」である性質を有しています。こういった「粒」であり「波」でもある極小のものを「量子」と呼ぶようになったのです。
さらに、この量子が不思議なのは、それが「波」の状態にあるときは目に見えない「物質波」として空間に広がり、人間が観測したとたんに波としての性質を消し、目に見える「粒子」となって姿を現すことです。つまり、人が見ていないときは姿のない「波」であり、人が見たとたんに「粒」として出現する。人間の「見る」「見ない」という行為が量子の状態を変えてしまうというのです。こんな不思議なことがあっていいものでしょうか。
天才科学者アインシュタインも、さすがに量子のこの奇妙な振る舞いは受け入れ難く、「私が見ていなくても、月はそこにあるはずだ」と言って拒否したそうです。ところが後年、さまざまな実験によって、量子が持つこの不思議な性質は立証されました。
誰も理解できない
他にも、極小世界の「量子」は私たちの常識では計り知れない不思議な振る舞いをします。たとえば、ひとつの量子が、まるで忍者の分身の術のように違う場所に同時に存在したり、テレパシーのようにはるか遠方へ一瞬のうちに情報を伝達できたりするのです。私たちがこの難解な理論を理解できないのは当然のことで、ノーベル物理学賞を受賞したアメリカの科学者、リチャード・ファインマンですら、「誰も量子力学は理解できない」と公言したほどです。
しかし、この奇妙さとは裏腹に、量子力学はすでに私たちの身近な生活に欠かせないものとなってきました。コンピュータに使われる半導体は量子力学の理論にもとづいて作られているし、DVD、レーザー、デジカメ、スマホなども量子力学の理論なしには存在しえません。イギリスのある科学ライターの著書によると、「2014年時点で先進国のGDPの35%は量子力学にもとづく技術を利用して生みだされている」とか。もはや量子力学なしには、現代人の生活は成り立たないといっていいほどです。
リニア新幹線に使われる「超伝導モーター」や「量子コンピュータ」など、今後も「量子力学」にもとづく先端技術は次々と生まれ、暮らしの中に入ってくることでしょう。不思議は不思議のまま置いとくとして、「量子力学」が今後の私たちの暮らしを大きく変えていくことだけは間違いなさそうです。