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■ソーラーパネルで日本の土壌が「死ぬ」(P83)
・パネルの中にはセレン、カドミウム、鉛といった有害物質も含まれているので、管理者や地権者がそのまま逃げてしまって、誰も撤去する費用を出さなければ、周辺の自然環境と生態系に悪影響を及ぼす「瓦礫の山」として放置され続けることになるに違いない。(鬼怒川温泉の廃墟ホテルと同様のことになるかも)
・ソーラパネルの下の地面には、太陽エネルギーが届かない。それまで生きていた生物は光合成ができないので、死にたえる。当然それを食べて生物も影響がでる。周辺の生態系も壊されていく。一度ソーラーパネルを設置した土地を再び農地として使うことは、かなり難しいのだ。土壌のなかにいる微生物などにも悪影響があり、農作物を育てる栄養素もなくなってしまう。その土地はいわば「死んだ」ことになる。
・そもそもソーラーパネルなんて置かないで、空いてる土地があるなら、そこにたくさん木を植えておけば、その分だけCO2を吸収するわけだし生物の多様性だって守れる。太陽光発電が地球に優しくてCO2を減らすなんていうのはどう考えてもインチキだな。
■アサリ偽装問題が示す'水産大国'の事実(P41)
1986年の日本の漁獲量は約1280万トンで世界一だった。だが、33年後の2019年の漁獲量は417万トンまで減少して、世界10位になっている。漁業人口が減っているなどの要素もあるが、何より大きいのは日本周辺の水産資源が激減していることだ。
水産資源の減少でわかりやすいのが、注目を集めた熊本産アサリの偽装問題である。本来騒ぐべきは「偽装」ではなく「もはや日本ではアサリをとることができない」という厳しい現実なのだ。昔、アサリは熊本だけでなく、全国各地でたくさんとれていた。国産アサリはもはや絶滅危惧種となっているのだ。
■SDGSは地球のためでなくEUのため?(P74)
EUは全体として化石燃料にとぼしいのだ。「資源を持たざる国」が「資源を大量に持ているに国」に対して立場が弱くならず、むしろ優位になるためには、「ゲームのルールを自分たちの有利なものへ変えることだ」。
エネルギーでいえば、石油や石炭、シェールガス・オイルをたくさん持っている国はもう時代おくれで、他のエネルギーに力を入れている国のほうが将来有望だというふうに「世界の常識」を変えてしまう。それこそが、ヨーロッパが勧めている太陽光、風力、水力という再生可能エネルギーへのシフトへの価値をたかめていく戦略なのだ。
つまり、EUやイギリスが近年になって「エコ」や「脱炭素社会の実現」を叫んで、ガソリン車を規制して電気自動車の普及に力を入れているのは、純粋に「地球環境のため」よりは「自分たちのため」という側面が大きい。これを後押しするのがSDGSだ。
■江戸は当時世界的にみても。先進的でサステナブルな都市だった。人間の糞尿を活用していた点だ。こんな都市は同時代のヨーロッパなどには存在していない。人間は消化吸収能力が高くないので、人糞の中にはまだかなりの栄養が残っているびだ。それを発酵させたものが、「下肥」である。江戸の中心部のまわりには畑や田んぼなど広大な農地が広がっていた。(今の日本は糞尿はすべて下水に流して終わりなのでもったいない。現代の技術があれば、糞尿をカチカチに圧縮して、煮沸消毒すれば非常にいい肥料ができるだろうに)
江戸の人は、牛、鶏、豚など食わない(山間部に住んでいた一部のる人は獣の肉を食べたりすることもあった。)近郊の農地と目の前の海から、そこで暮らす人が生きていくのに必要なだけの野菜や魚がとれればいいというシンプルな自給自足システムだが、肉食中心のヨーロッパの都市の場合は、農地に加え、肉を安定的に供給するだけの牧草地が必要で、単位面積当たりの人口は江戸ほど大きくできない
江戸が理想的なSDGSを実現できたのは、たまたま当時の人に肉を食べる習慣がなかったのでたくさんの人口を養えたからだ。(P161)