また、ポリネシア人の原住民たちは以前は菜食だったが、その当時酋長の家族だけは肉食もとり、病人が多く、短命だったことをブーゲンビルは伝えている。肉食過多は腸内腐敗によって毒素(プトマイン)をだす腐敗バクテリアが発生し、砂糖の多食と共に血液のアシドーシスを起こし、各種の病気のな原因になることはよく知られている。
血液と健康の知恵(千島喜久男著)より抜粋
■昭和40年頃から、山梨県の棡原で、老人たちは皆元気に農業に励んでいるのに、大正ひとけた生まれの中年層の多くが親より先に成人病で死んだりした。明治生まれの老親が子や孫に先立たれることを棡原では「逆さ仏」という。
陸の孤島・棡原に村人待望のバスが開通したのは昭和29年であった。時あたかも神武景気、岩戸景気と未曾有の経済成長に直面した村人は、零細農業や養蚕、炭焼きでは生活できず、農業を捨て東京、神奈川方面に競って出稼ぎに行った。その日々得た現金収入で近代型加工食品を買って帰った。
食生活も従来の麦を中心とした雑穀、イモ類、豆類、豊富な野菜から、白米一辺倒となり、パンを中心とした肉、卵、牛乳、ハム、ソーセージなどインスタント食品、精製加工食品となった。酒は焼酎からビール、日本酒、ウイスキーとなった。また、菓子、ケーキなど糖分の過剰摂取となった。ここに「身土不二」の伝統的食習慣は完全に崩壊した。
長寿村の秘食より抜粋
■長い間、日本人の食事というのは、朝はご飯に味噌汁、納豆と漬物、焼いためざし、昼はご飯と竹輪の煮つけに漬物と味噌汁、夜は飯と煮魚とホウレンソウのおひたしと味噌汁などが定番だった。
こうして日本食を繰り返し食べ継いできたために、私たち日本人は、体も心もそのような食べ物に対応してつくられてきたのである。そして、その情報が遺伝子に刷り込まれて現代の日本人に受け継がれてきた。たとえば、日本人の大腸が、繊維分の多い食事に適応して長くなってきたというのも、その長い食習慣から固定された遺伝子によるものである。
そんなところに、自分の体に適応していない外国式の食事ばかりをとっていれば、体や心に微妙な歪が生ずるのは当然の成り行きというものである。--日本人はここ数十年という、あまりにも速いペースで食生活を変化させてきた(P26)
食の堕落と日本人(小泉 武夫著)より抜粋
■体質は生まれた時に受け継いだものと我々が日々創っているものとがある。この作るものは、環境であり、食物である。食物はその住んでいる土地に密接な関係がある。特に日本のごとく特殊な島嶼国、モンスーン地帯とシベリア寒大陸の中間にある稀な風土は、なおその食生活に特殊性と伝統を持っている。
ここに民族の伝承ということがある。長御食、遠御食という語がある。先祖代々長く続いた食物は、それだけに尊いものがある。民族の知恵、先人の知恵がこもっている。科学的に証明する、しないは、この後の問題、私達の責任である。科学的に証明できないからといって捨てて省みないのは逆の順である。五穀、味噌汁、これらの食品は日本人の血であり肉である。
言いかえると、この五穀と味噌を尊重して、生命の親として、今まで伝えてきたからこそ、日本人はこの島嶼国に数千年繁栄してきたのである。何故この味噌が科学的に立証されず、また尊重もされなかったのか。それは、私達の学んでいる医学は、日本で近々百年に充たないもので、しかも戦前はドイツ、戦後は米国を師として、学ぶに急であったためである。(P56)
体質と食物(秋月 辰一郎著)より抜粋
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