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■便利は人を退化、不便は人を進化
洗濯機を捨てたら、タオル等の量も各段に減りました。
量だけじゃなくて中身も変わりました。
手で洗ったり絞ったりできないものは、文字通り「手に負えない」からです。だからバスタオルは躊躇なく処分。改めて考えてみれば小さなタオルが一枚あれば体を洗うのも拭くのも十分。それもね、ホテルにあるみたいなフカフカの高級タオルはいらない。そりゃ確かにふわっとした高級感に一瞬癒されるかもしれませんが、あの分厚い布を手で絞る手間と労力を考えたらそんな一瞬の癒しなどナンボのもんじゃと思わざるをえません。梅雨の時期とか全然乾かないし。
そう思うと、昔ながらの温泉旅館のペラペラタオルで十分なんです。つまりはああいう高級タオルっ、て洗濯機とか乾燥機とかの存在が前提なんですよね。・・・
それにね、よく考えたら、そもそも真冬の寒い時期、汗もかかないのにシャツとか毎日洗わなくてもいいじゃないかと。汚れたら洗う、でいいじゃん。というわけで、毎日脱いだものを「クンクン」とかぐことが習慣になりました(笑)。そもそも冬は洗濯物が乾きにくいから、考えてみたらこれっすごくて合理的です。でも洗濯機があるとそんなこと考えもしない。汚れたかどうかに関係なく、とにかく着たら洗う。でも手で洗うとそんなことも根本から考え直さざるをえません。で、案外とそれで十分だったりするわけだったりするわけです。
とはいえ「あの人、なんか臭うよね」などと噂されていけないので、もう真剣に「クンクン」としています。なので私の人生はすでに後半戦に突入しましたが、きっと嗅覚はこれからまだ発達していくのではないかと期待しています。いやこれは冗談じゃなく、実際のところ便利なものを手放したら自分の生物としての能力が次々の「復活」しているのに気づいて驚くことが少なくありません。・・・便利は人を退化させ、不便は人を進化させるのであります。(P259)
■原発と深夜電力の関係
オール電化住宅の電気料がそれほど高くならないのは、午後11時から午前7時までの「夜間電力」が激安に設定されているからだ。最も莫大な電力を消費するのが「湯沸かし」なのだが、これを自動的に激安の深夜電力で行うよう設定されているのである、
深夜のうちにまとめて湯をわかし、それを昼の間タンクに入れて保管しておき、夕方から夜にかけて風呂に入る。夜中にいったん沸かした湯を次の夜まで取っておくのだから、エレルギー効率から言えば大いに矛盾した仕組みと言えよう。
それなのになぜこのようなことが行われたかと言えば、それは原発の存在を抜きにしては語れない。
原発は安定した電源と言われるが、それはいったん発電を始めると、常に一定の電力を発電し続けるからだ。安定しているとも言えるが、融通が利かないとも言える。人が活動を止め、したがって電力需要もぐっと減る夜中の時間帯も、原発は律儀にせっせと発電を続けるのである。電気をためておくことができればいいのだが、現代の技術ではそれも難しく、誰も使わない電気は捨てるしかない。
この、どうせ捨てられてしまう電気を使ってもらおうというのが電気温水器の発想である。・・・
だが、原発事故で、事態は一変した。
全国の原発は次々と止まり、深夜電力を激安にする根拠は薄まり、しかしいったんそれを売り文句にオール電化住宅なるものを売り出してしまったから今さら割引をなくすこともできず、なんだかおかしなことになってきたのである。
震災後、全国の電力会社は原発が止まっていることを理由に電気代を次々と値上げした。しかし電気を使わなければ風呂にも入れないし、料理もできないのだとすれば、否も応もなく高い電気代を払うしかないのである。
それが嫌なら原発の再稼働を願うしかない。この世は実にこんがらがっている。ただただ便利な暮らしを求めただけなのに、いつの間にか大きなものにからめ取られて身動きが取れなっていたりする。(P115)
■冷凍ごはんはレンチンより蒸
(冷凍ごはんを電子レンジなしで、どのように解凍すればよいかあれこれやってみて、翌日たべるご飯を夜のうちに冷凍庫から出しておいて、それを蒸すっていう方法に辿りついた。この方法は、レンチン解凍に比べ各段に美味い。)
自分の目でみて、自分の頭で考えて、自分の手足でやってみるということ。もしやそのことを、今の世の中は「不便」と呼んでいるんじゃないだろうか。
だとすれば、不便って「生きる」ってことです。
だとすれば、便利ってもしや「死んでる」ってことだったのかもしれない。(P71)
■面倒くさいことは楽しいことかも
改めて、面倒くさいことはなんだろうと考えてみる。
お金にならないこと、評価れないこと。楽しくないこと。
そうやって考えていくと、どんどんわからなくなってくる。
お金になれば面倒なことじゃなくなるのか。
そもそも面倒くさいことは、楽しくないのだるうか。
例えばみんなが夢中になってやっているゲームだって、いろいろな落とし穴や強力な対戦相手がいるから面白いんですよね。つまりは「面倒くさい」ことがたくさんあるからこそ、楽しいんじゃないだろうか。
そう考えたら、「家事は楽しい」って考える人がいたってなんの不思議もないはずです。難しいからこそ。失敗するからこそ、そう面倒くさいからこそ、やりがいがある。で。「楽しい」って思ってしまえば、家電があろうがなかろうが、家事を巡る論争なんて必要なくなってしまう。(P285)
生きるってね、面倒くさい。
でも面倒くさいからこそね、素晴らしいんだ。(P294)
■笑顔、言葉もお金と同じくらい大切
「同じものなら少しで安く手にいれるほうがトク」。これまでずっとそう思ってきた。でも本当にそうだったのか?もしそうなら、自分はトクするけど相手は損をすることになる。いつもそんな行動を取っていると、トクをしたつもりがふと気づけば損をして暗い目をした人たちに囲まれて生きることになる。つまりは友達のいない世界を生きることになる。
それで自分は幸せになれるのか?
そうじゃなくて、自分にとって大切なものを提供してくれる人にはむしろ多めに払う位の気持ちでちょうどいいんじゃないか?つまりお金を「応援券」として使うのだ。自分じゃなくて、相手にトクをしてもらう。そう考えれば「払う」のはお金じゃなくたっていいことに気づく。笑顔だったり、お礼の言葉だったり、ちょっとしたおすそ分けだったり。そうすると結局のところ、自分の暮らしを豊かにしてくれる人たちがどんどん元気になって強化されて、友達も増えて、自分も豊かになる。それが本当のおトクってことじゃなかったのか?(P116)
■冷蔵庫の巨大化は欲望の拡大の姿
スーパーへ行くと、多くの人が目につくままに、「お買い得」とか「特売」とかの言葉につられてどんどん商品をカゴの中に入れていく。「いつか」食べればよいのだから。しかしもちろん、その「いつか」は容易に忘れ去れれていく。冷蔵庫の中は「いつか食べる食品」で溢れ返り、もはや管理不能である。というよりも、今や、誰もそれを管理しようとすらしなくなってしまった。
冷蔵庫は「食べる」というを「生きていくための軸」ではなくしてしまったのだ。
冷蔵庫の中には買いたいとい欲と、食べたいという欲がパンパンに詰まっている。人の欲はとどまることを知らず、その食べ物の多くは実際には食べられることはない。もはやそれは食べ物ではない「何か」なのだ。
冷蔵庫はその誕生期から比べれば信じられない大きくなっている。それは、人々の欲望の拡大の姿そのものである。
冷蔵庫は私が小さい頃から家にあったが、本当に小さなもので、4人家族の食事は賄われていた。
それが今では、都会では24時間営業のスーパーだって珍しくない。つまりは外の冷蔵庫もいつだって使用可能なのである。それなのに、どの家庭にもある巨大化した冷蔵庫もパンパンなのだ。(P144)
■電通の戦略10訓
もっと使わせろ
捨てさせろ
無駄使いさせろ
季節を忘れさせろ
贈り物をさせろ
組み合わせで買わせろ
きっかけを投じろ
流行遅れにさせろ
気安く買わせろ
混乱をつくり出せ
この標語が作られたのは1970年代だそうですから、まさに経済成長の真っ只中です。1970年といえば、ほとんどの人が「ものを手に入れたら幸せになれる」と単純に信じていたと思います。
それでも、ものを売り込むプロにはその限界が冷徹に見えていたのでしょう。
人が生きていくのに必要なものなんで、本当はそんなに多くない。でもそれでは、みんなが必要なものを手に入れてしまったらものが売れなくなってしまう。それでは困る。だからこそ、人々に「まだ足りない」と際限なく思わせ続けなければならない。
つまりは、欲をどこまでも拡大させる。それこそが経済を活性化させる重要な鍵なのだという事実を、これほどまでにわかりやすく表現したものがあるでしょうか.(P252)
電通の戦略10訓