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■人間は自然の一部、宇宙の一部ですから、自然の法則、宇宙の法則に反したことをすると、消耗してしまいます。いろいろなことがうまくいかなくなって、それが体に来ると病気になってしまいます。(P25)
■心の奥深くには神秘な力があります。見えないあなたを生かしている存在です。それが魂です。それを本当の自分といいます。あなたは魂につながると、そこからの平和な満ちたエネルギーを感じ、そこに幸福を見つけることができます。(P29)
■私たちの中に、魂という名の「太陽」があり、その光で力をいただいています。肉体は「大地」、血流や神経などは「川の流れ」で、光から力を得て、活発に生きるのに必要なものを創り出しているのです。人間の体は小さな宇宙そのものであることに思いを馳せてみましょう。(P32)
■成長のために高い目標を持つことは、間違いではありません。しかし、常にだれかに勝つためにがんばり続けることは、あなたをひどく消耗させているのです。じつは「成長」のための各種の努力も、「健康」のための摂生も、こだわりとなり消耗になってしまうことが多いのです。(P35)
■仕事の技術などのセミナー」や勉強会に参加してみても、そこで得た「知識」は他人の体験や考え方です。本質からの「智慧」ではありません。やがて変化して忘れられ、新しい知識に取って代わられるのです。
多くの人は、そのことに敏感で、「最新の情報」が出ると、すぐにそれに飛びつかないと不安で仕方がなくなってしまいます。それは執着であり、一種の依存心なのです。これは、他人の考え方に翻弄され、依存しているということです。
あなたが本当に成長したいと思うなら、外側のテクニックの追求のみでなく、まず内側から智慧が涌く回路を目覚めさせるのです。(P36)
■「親のため」「夫のため」「子供のため」「部下のため」「会社のため」と思っていたことの多くは、じつは自分のエゴを満足させるためのものだったのではないでしょうか。立ち止まって顧みることは、とても大切です。(P45)
■人間の心はクリエイティブで、素晴らしい文明、文化を築いてきました。人を助け、人を育て、人間的にも成長していきます。しかし、ときにその心が苦しむこともあります。心が痛み、嫌悪感が涌いてきます。その一方で心があるからこそ「楽しい」「嬉しい」、それに「好き」だと感じることもあります。心は喜びと苦しみを繰り返すのです。
心に翻弄されています。そうした心を支える見えない存在があります。それは不動のエネルギーです。心を浄化すると、そうしたエネルギーが現れます。
いつも安定して純粋で、高いエネルギーを保つ方法があります。それは、源の最高のエネルギーにつながることです。(P57)
■瞑想は人の内面を浄化して気づきを与え、成長させてくれます。瞑想で心の浄化が進むと、自分の心の動きが見えてきます。そして、人間関係から生じるストレスを浄化します。心の中には、いろいろな体験の記憶があります。さらにその奥には、人の本質の神聖なクオリティがあります。瞑想は心身を浄化して、究極には心の源、さらにはそれを超え、創造の源まで遡っていくものです。(P68)
■執着は、好きなもの、欲しいものに限って起こるものではありません。嫌だと思うことにかかわり続けていることも、執着であり、とらわれです。
病気の人は、病気にとらわれているのです。心が不信感を持つと、エネルギーの回路にブロックをつくることになります。自分を愛し、神を愛することで、無限の愛の回路が開きます。(P80)
■人は思い込みで「自分の能力」「得意」「不得意」を限定しています。本当は得意も不得意もない、根源に何でもできる見えない存在、神がいて、そこに力があるのです。(P89)
■自分の不完全性に対しても、他人の不完全性に対しても、厳しくなりすぎないでください。自分にも相手にも、期待しすぎる気持ちはジャッジになり、お互いを追い詰めてしまいます。自他ともに消耗させるだけで、いいことはありません。そういうときは、まず落ち着いて深呼吸をし、「まあいいか」と思います。
日常の中で自分を見つめなおします。また瞑想を行い、自分を見つめましょう。(P93)
■怒り、後悔、憎しみが、どうしても湧き上がてくるときには、少しずつでも無心になれるように、瞑想する時間を持って下さい。憎しみのカルマにとらわれていると、必ず同じことを繰り返すことになります。よい行為をし、よい種をまき、悪いカルマを自分で浄めていくことで、あなたに本当の幸福が訪れるでしょう。(P110)
■(初めて究極のサマディに入ったときのこと)思考が次第になくなり、空っぽになりました。体を超え、そしてマインドを超えたのです。私は光となり、それを楽しみ、さらに私は神と一体になり、超意識になったのです。宇宙となっていったのです。
やがて私の隣にはブッダがいます。そしてキリストもいます。そして、まわりにはすべての偉大な神聖な悟りの魂が座っています。私とともに「いま」にいるのです。そこには距離がなくなって、時間がなくなり、「いま」があるのです。(P135)
*サマディ=「同じとき」という意味