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昭和10年(1935年)から36年間の間に、北海道から沖縄まで全国990カ町村を歩いて回り、長生きの村と短命な村を実地調査し、同じ地域でも食生活の違いにより大きな差があることを解析された。
流通が発展し、地域の特性が薄れた現代では出来ない稀有で貴重な研究。
(近藤正二博士:1893年〜1977年:東北大学名誉教授)
長生きは「遺伝だ」とか「気候がいいところが長生きする」「重労働のところは早く老化して長生きしない」「酒を飲むところは短命で、秋田県が日本一短命なのは、ドブロクを飲むからだ」とみんなが言うものだからそうだろうと思ったものですが、それを説く人が、実地調査をやっていないのです。物事は机上で考えて、結論をだしてはなりません。実地に、実例を集めてみなければ結論を出してはいけないという気持ちで、長生き村と短命村を次から次へ回り、実地にとらえて、一つの結論がでてきたのです。
【短命な食生活】
・白いごはんの大食
・野菜、豆をあまり食べない。
・魚ばかり食べて、野菜の食べ方が極めて少ない。(魚でも魚の切り身と小魚を食べるところでは、小魚のほうが長生き。)
・りんごやみかんの産地では果物は食べるが、野菜が少ないので短命(果物は野菜のかわりをしない)
【長寿の食生活】
・大食いでなく、さかなか大豆で作ったもの(豆腐や納豆など)を毎日を食べる
・海藻を毎日食べる(海藻を常食している人は脳卒中がすくない)
・人参、大豆、いも、かぼちゃも一度にたくさん食べるのでなく、少量でも毎日食べることが大切
■志摩の海女(P49)長寿が多い
「男は働いではならない」という土地柄で、よく働く。
甘い菓子を差し出すと一つ口にいれておいしいと言うが、二つ、三つと手をつけない。「じつはのどから手が出るようにほしいのだが、これを食べたら、水に潜ってアワビをとるとき、おなかが重苦しくとれないから」といわれた。
「人参を食べるか」と聞いたところ、「じつは好きではないのだが、海に深く潜って、アワビをみつけて、いざ、というときの全身を力をいれる、人参を食べていると、そのとき力がでるから止めれません」という話をきかせてくれた。
睡眠の心がけていて、夜8時すぎには床につく
同じ海女でも伊勢湾に浮かぶ神島の海女は野菜をつくっていないため、野菜不足で長生きしていない。
〇輪島の海女は魚と白米の大食で長生きの人が少ない。長寿者は魚か大豆を常食にし、しかも野菜をたくさん食べているところ
■塩焼きを生業として平家部落(P57)
三重県南島町に、新桑竈、栃木竈、小方竈、赤崎竈、道行竈、大方竈という竈のついた小さな部落が点在し、その間に古和浦、神前浦、贄浦、慥柄浦などという浦がついた部落がある。竈とついたほうが平家部落で、浦のほうが先住の漁民部落。平家部落の人は、むかし、先住の人との間で魚はとらないという約束でこの地に住むことを許されたので、魚をとらず、ときどき買って食べる程度で、崖のすそに畑をつくり、いもや青い野菜をつくって自給していて、海藻は常食している。それにひきかえ、先住の漁村の食生活は、漁業で得た金銭で米を買い、魚ばかり食べていて、畑をもたない。したがって長寿者率が平家部部落にくらべたら低い。
■沖伊良部島の部落での長寿の違い(P80)
国頭という部落など長寿の部落が多いが、後蘭部落は、他部部落に比べると長寿者が少ない(短命でなく普通の部落)。その原因は、他の部落は水田をやっていない。いも、雑穀を主に、小魚、海藻を食べているのに、後蘭部落だけは水田があって、昔から米を偏食していた。
国頭で、96歳のおばあちゃんに会って話をした。その要点は、「海藻は、若い頃から好きで、毎日食べてきた。魚や豚も好き、お茶は少ししか飲まない。野菜も好き。病気もしたことなく、今でも芭蕉布を織る工場へ毎日仕事に出る。焼酎が大好きで、仕事が終わると焼酎の中に黒砂糖を入れて二合飲む。」
この島の住民は豆腐、みそをたくさん食べている。これも長生きに大変役立っている。
■長寿の少ない西表島の租納地区(P86)
畑がなく、沖縄にはめずしく水田が開かれ米をつくっている。また11月からは、猪を取って食べる。冬の肉食、夏秋の米食が大変極端で、野菜はほとんどたらない習慣で、長寿者率が低い。
■竹富島(八重山群島)は周辺の島に比べ長寿(P88)
「沖縄で大豆は珍しいですね」と聞いてみますと「昔は大豆などつくっていなかったのですが、前我名釜多(マエガマカナタ)という人が、大豆を食べなければいけない、といって、島にはじめて大豆を持ちこみ、島人に奨励したからです」という話でした。
米を全然作っていない竹富島は、甘藷(さつまいも)が主食で、粟、稗も食べています。野菜は人参、大根などいろいろで豊富に食膳に供します、豆類は大豆の他にうずら豆も作っています。(うずら豆も前我名釜多の指導)
普通の野菜の他に、テノリアとかタプナー(長命草)という野草を摘み取って常食する習慣がある。
魚は自分でとってきて食べるから小魚で、海藻はアオサなどをよく食べている。豚肉はほとんど食べない。酒は飲むようですが、深酒はしない風でした。
島がきれい。約470年前に西塘(ニシトウ)という人が、家の内外、道路までもきれいにするようにすすめ、汚水や水溜りをなくさせたそうです。戦前の八重山はマラリヤに悩まされ廃村も出たくらいですが、この竹富島だけは西塘の教えを忠実に守ったために蚊の発生もなくマラリヤが発生しませんでした。
竹富町の島々と長寿者率(1967年)
島名 居住人口 70歳以上 長寿者率
竹富 425 68 16%
黒島 657 33 5%
小浜 728 42 5.7%
新城 102 3 3%
鳩間 194 7 3.5%
西表 585 24 4.1%
波照間 1313 32 2.4%
■大山のふもとの西伯郡高麗村(P93)
高麗村の調査に行くとき、鳥取大学衛生学の村江通之教授の所によって「高麗村というところが、県下でも長生きの人が多いのでこれから調査にいくんです」といったところ「あそこは鳥取県のなかでも有名な米どころです。米ばかり食べている人は、みな短命だと発表してこられた先生の論を改めなければならないかもしれませんね」と言われた。
しかし、現地に行くと、米は売るために作っているので、きめられたわずかな日しか食べないとのことだった。なぜ食べないのかを現地の人に聞くと理由はその時はわからないが、後にわかった。
明治の中頃、10年以上も村長をやった諸遊(モロユウ)弥九郎という「高麗村是」という村の規則の本があり、次のように記されていた。「近頃は村民が皆ぜいたくになってきている、そして米がたくさんあるからと今まで昔から麦を食べてきた人たちまでが、お米ばかり食べるようになってきた。わが高麗村だけは、そういうぜいたくなまねをしてはならぬ。米はたくさんあっても売り物にし、村民は麦とイモを主食にせよ。そのかわり、一年のうち次にかかげる日だけは米のごはんを食べてもよろしい。その時には一家の主人だけが食べるのではなく、やとい人にまで全部お米のごはんを食べさせること」その特定の日は一年に約十日しがあげられていませんでしたが、質実・勤倹の風を養なおうとしたのでしょうが、それが子や孫の長生きに通じたのでした。
■豆腐だけで長生きする岩手県の有芸村(岩泉町に合併)P110
宿で、「仙台からわざわざおいでになったお客様ですから、お刺身でもあげればいいのですが、山の魚でがまんして頂きます。どうぞごゆっくり」とあいさつされた。しかし膳には魚がない。「山の魚はどれですか」ときくと、大きな二丁の豆腐のことだった。「ほほう、豆腐屋は大繁盛でしょうね」とういうと、「豆腐屋はありません。この地方では、自分の家でつくって毎日食べます」とのことだった。
魚をはじめ動物食品を食べないのに長生きしているのは、この豆腐を豊富に食べてきたおかげだとわかった。
周囲の村も大豆を作ってはいるが、みそを作る以外の大豆はお金に換えており、有芸村のように自分たちで毎日食べるということをしていないために、同じ産物を作りながら長寿者率が低くなっている。
■西山大豆で有名な長野市の西にある西山地方(P113)
大豆と新潟からくる海藻を毎日食べるので、長生き。
■長寿者の多い鳴沢村(富士五湖のひとつである西湖の近くの村)P114
とうもろこしを主食にしてきた村で、大豆の名産地。動物性食品は煮干以外ほとんどたべない。豆気の多い塩気の少ないみそを作って朝、昼、晩必ず食べる。みそ汁の中に野菜をたくさん入れる。
「みそ汁は何杯ぐらい飲みますか」と聞くと「ここではむかしから、みそ汁は一回に六杯ときまっていますよ」との答えにはびっくりしました。
■宮崎県の西米良村(熊本県との県境近く)周辺の村は短命でないのにこの村だけ短命(P116)
「ここではむかしからの習慣で、かぼちゃを絶対に植えてはいけない。屋敷内にかぼちゃがなると、その家の身上が潰れるというので、恐れて誰もつくらないのです。」かぼちゃは熊本県の名産ですが、西米良村だけは作ろうとしないので短命でした。
■人参を食べる村食べない村(P118)
岩手県の水沢に近い真城村、南都田村は米どころで有名で、岩手県一番の短命村。しかし、真城村の「安久戸」という部落だけ一つ長生きの部落がある。他の部落は人参を作っていないのに、安久戸だけはつくっている。
新潟の米どころにも、これとよく似た例がある。東頚城郡の巣本という村は、周辺の村は短命だが、この村だけ長生き。この村だけしか、大豆、人参をつくっていない。食べ物は大事でとくに人参などは欠かしてはならない。
■若死にするハワイの日系二世、三世(P126)
一世は肉をあまり食べずに野菜や海藻、豆腐を食べるが、二世、三世は肉ばかり食べている。肉を食べているので、体格はいいが、40を過ぎると、心臓をおかされ、冠不全のため親よりも早く死んでいく。
■結語(P140)
隠岐島は12カ町村があるが、米の足りない部分が大部分で長寿村。その中で米を多く産する中条村が一番長寿者が少なく、隠岐で海を持たないのはこの村だけです。隠岐の食生活の内容を調べるとカロリーとかたんぱく質でなく物についていうならば、
@魚も大豆も豊富
A野菜(特に人参、かぼちゃ、長芋等)が豊富
B米が少ない(麦が主で、甘露も多い。現在は米も摂っている)
C山菜に富む
D海藻の常食(ワカメを豊富に食べる)
E胡麻をよく食べる
この食生活は健康長寿にかなっています。
伊豆の大島も隠岐の島に次いで長命な島です。大豆ができない点が隠岐に劣りますが、食生活はよく似ています。中でも野増村は特に長寿者が多いので、他村と何か違った特徴がないかと調べると、この村だけは魚の贓物を食べる習慣があることがわかりました。
魚のわたを塩辛のようにして食べ、また味噌汁がわりにして食べています。他の五村はこの贓物を軽蔑して食べていません。この野増村が他村にくらべ、特に長寿なのは偶然ではありません。
私も米作地である新潟県の生まれで、米にかたよった食生活を長年つづけてきたのですが、前に述べたような健康長寿のために望ましいと思われる食生活に改めたのです。(戦後:50代になって)
特に毎食、大豆製品と魚を少量ずつ必ず食べるようにつとめ、また、油も毎日必ず摂るようにしました。すると自然に米の食べ方が少なくても十分満足するようになりました。それとともに疲労しやすい体がいつとはなしに疲れを感じない、根気のつづくような体に変わってきました。
私は生来弱いからだで、疲れやすく、以前は二時間の講義が終わって教授室にもどると、まずソファーに体を横たえて煙草を一本喫うあいだ、体を休ませたものです。
それが近年、いつの間にかソファーを忘れるようになり、現在そのソファーは書類を積み重ねる台に化してしまいました。仕事はますます忙しくなりましたが、全然疲れを感ぜず、昔よりも元気に愉快に勉強できるようになりました。
食生活が私たちの活動力にこのように強く響くことは、日本人として重視しなければならない問題です。
私の研究は全て理屈は抜きにして、もっぱら実際にたしかめて知りえた体験ばかりです。どうかひろく役立てて、元気に長寿を得られるように願ってやみません。
その食生活では若死する 近藤正二著 叢文社
近藤式(食べない生き方)
「日本の長寿村短命村」島根県立大学 出雲キャンパス
P.S. 日本の漁村で、魚肉と米に片寄った食生活をしているところは短命な人が多い。ナチュラルハイジーンにも「タンパク質と炭水化物は正しくない食事の組み合わせなので避ける」とされている。(タンパク質と炭水化物過多になり他の栄養素が不足するのでよくないとも言える。)
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