「がんばれば幸せになれる」を唯一の「正解」として、日本で生きてきた。
発展途上国の貧しい子供達が「ぼく達は幸せ」と、
豊かになった日本の子供達よりも、目を輝かせている光景を見た。
本当に、がんばれば幸せになれるのか。唯一の「正解」に不信感が芽生えた。
がんばるという「正解」を、日本人が好きなのは知っている。
でも、がんばらないという「別解」もある。
がんばらないというのは、がんばることを否定しない。
相変わらず、がんばらないと言いながら、ぼくは、がんばっている。
がんばったり、がんばらなかったりが大事。
働きすぎのあなたに、「がんばる」いっぺんとうではない。
〇でもない、〇に近い△の生き方があることに気付いてほしい。
いい子と悪い子。勝ちと負け。
ぼく達は勝手にそれに〇と×をつけてきた。
〇と×のレッテルを貼る生き方はお手軽だ。
ぼく達はレッテルを貼るのが好きな動物。
勝ちが〇で負けが×、本当だろうか。
子育てに苦労しているお父さん、お母さん、気付いてほしい。
勝ちのような負けがあったり、負けのような勝ちがあったりすることを。
「現実」は「正解」を超えている。
〇と×の発想法は堅苦しくて不自由でおもしろみがない。
〇と×の間にある無数の△=「別解」に、
限りない自由や魅力を感じる。
〇に近い△の生き方は、柔らかな生き方だ。このことを理解できない人は、何をしても成功しないだろう。
組織の中で潰されそうなあなたに、
無数の△の生き方があることに気づいてほしい。
「正解」や「正論」にこだわらなくなると、考え方が自由になることを。
若い人には気づいてほしい。
「正解」に囚われないと、多様な価値観がわかってくるようになる。
他の人の生き方に共感したり、拍手を送ることもできるようになる。
唯一の「正解」を信じる生き方は、時代遅れで窮屈だ。
生きるということは、たくさんの△の中で、
「別解」を探していくということ。
〇に近い△を生きるということは、
「別解力」をつけるということだ。まだまだ人がやっていない新しい△はいっぱいあるはず、
フロンティアは残っている。
そろそろ、ぼく達はこの国を変えなければならない。
若い人の力で、この国の生き方を変える時期がきている。
淀んだ空気のなかで空気を読みあうのではなく、
子供や若者のために中高年の人は、
空気をかき回したり、空気を入れ替えたりする、勇気を持ってほしい。
がんばれば豊かになれる、という古ぼけた「正解」から離れて、
〇に近い△=「別解」を見つけていこう。
×でも〇でもない、無数の新しい△を信じて、生きてみよう。
人生が輝いてくるだろう、きっと、
生きるのがまちがいなく、おもしろくなる、信じていい。(P3)
ぼくが行った茅野市は脳卒中が全国でも屈指に多い地域でした。
ぼくが大学の医学部で教わったのは、医者というのは、救急車で運ばれてきた患者を救命するという「正解」でした。
ただ、脳卒中というのは障がいが残るので、悲劇なんですよ。
医者は救命することを教授から教えこまれて病院に送りこまれているんだけど、助ければ助けるほど障がいのための大変な生活が持っている。
重い障がいくを抱えて生きていくことの大変さを見ていると、助けることが本当にいいことなのかという疑問に悩まされました。
倒れないための健康づくりの運動を年間80回行いました。これも「別解」です。今は日本一の健康長寿県・長野になりました。
それでも、どんなに倒れないようにしても脳卒中で倒れる人はわずかにいます。そこで24時間体制の在宅ケアをしました。これも「別解」です。
ぼく達はひたすら「正解」を教えこまれて生きてきました。日本がもう一度元気を取り戻すためには、「正解」とされているものを信じないことがすごく大事なんじゃないかと思う。
「正解」が〇で、それ以外×と考えるのではなく、〇と×の間に△があって、そこに「別解」があるんじゃないか。
たとえば原発はないほうがいいという解が〇で、あったほうがいいという解が×だとしたら、この二項対立でもう議論にならなくなる。
そうではなく〇に近い△を探そうという話だったら、もう一回議論だできるんじゃないか。お互い何度も何度も議論をしあって、〇に近い△を探すのが、日本の生きる道なんじゃないかと思う。
これは原発だけの問題ではなく、経済のあり方にしてもTTPなんか、ものすごく大事な問題なのに建設的な議論がなされていない。残念です。
〇や×かの議論をするとヒステリックになって、相手を全面否定して意見がすれ違っているまんまで、最後はにせものの民主主義が多数決というやつで決めてしまいます。本当の民主主義は、〇と×の間にお互いが納得できる「別解」を探すことなんです。(P68)
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