白秋期 地図のない明日への旅立ち (日経プレミアシリーズ) [ 五木 寛之 ] 価格:858円 |
■欧米人と日本人では、感動する仕方が根底的にちがう。そのことを、私たちはしだいに理解するようになりましたが、そこには深い溝があります。
たとえば、外資系投資家につけられた「ハゲタカ・ファンド」という呼称には、一種の嫌悪感が含まれていますが、彼らの行動原理には、やはり神への信頼と、神からのクレジットがあります。自由経済、自由競争、規制撤廃、市場原理の背景にあるのも、神の存在です。
市場は、ほっておくと弱肉強食の場になりかねませんが、大きく秤が傾いてしまったときには「invisible hand of God」、すなわち、アダム・スミス以来の「見えざる神の御手」が働くはずだという考え方が根底にあります。
その確信があればその自由競争、錦の御旗を背負った市場原理なのであって、日本がそれを抜きにして、形だけ取り入れることが、はたして正しいのか。
ハゲタカよばりされる外国資本の背景にも、神の力が働いており、日本型企業に乗りこんできて、大胆な合理化をしたカルロス・ゴーン氏も、敬虔なクリスチャンを自称していました。(P85)
■孤独死や単独死は悲劇でない(P195)
孤独死や単独死を、私たちの社会はマイナスのものととらえます。しかし、私は必ずしも、遺骨の引取人もないというような人の死を、それほど哀れだとも思わないし、悲惨だとも思いません。
社会学者の上野千鶴子さんが、ある講演で、「最後の時、誰かに手を握ってもらってお別れしたいと思いますか?」と聞いても、みんな首を横にふったそうです。それには衝撃を受けたと上野さんは語っておられたそうです。
孤独死や単独死が悲劇的なような形で語られるけれども、実際には一人で死ぬことのほうが、みんなが心の中で望んでいることではないか。
メディアをとおし、人とのコミュニケーションの輪をひろげようとすることばかりが、強調されています。なにかのボランティアに入ったり、みんなでいろいろ勉強ごとをやりましょうというようなすすめがあります。そうではなく、どんどん独りになっていくべきだ、というのが私の説です。人間は、最後は一人で物をじっくり考えたり、感じたりしながら、自然の移ろいのなかでおだやかに去っていくべきだ、と思うのです。
■生物学者の本川達雄さんは、「ゾウの時間 ネズミの時間」で、哺乳類はその生涯を無事に生き抜いたとして、だいたい一生に五億回呼吸する。そして、吸って、吐く一呼吸のあいだに、心臓は四回打つというのです。これはネズミのような小さな動物でも、すべての哺乳類に共通しているという。もちろん人間も例外ではありません。つまり深い呼吸が大事だということでしょう。
座禅、ヨガ、気功、太極拳など、どれもみな、ゆっくりと臍下丹田に息を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。そうすることで心拍数も低下することは言うまでもありません。
この、よい呼吸法について、ブッダは、教えています。
アーナ・パーナ・サティ・スートラというもので、アーナは「入る息」で、パーナは「出る息」、「入息」と「出息」です。サティは「気づく」、スートラは「教え・経」という意味です。
私は呼吸法を、自分なりに実践・体験してきましたが、何十年もそれをやってきて、出る息、出息、つまり呼吸の呼である吐く息に意識を置いて、ていねいに長くするのがいい、と考えるようになって、いまもそうやっています。(P124)