2021年01月09日
「ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる」小出由紀子 (著, 編集)
おそらく最も有名なアウトサイダー・アーティストであるヘンリー・ダーガー。
「アーティスト」というが彼は生前に一切作品を外に出していない。彼を知る誰もが「孤独で貧しい気難しげな老人」で「会話と言えば天気の話ばかり」と言う事から考えれば、一切誰にも作品を見せていない、どころか存在すら知らせたことがない可能性すらある。
彼の死後に片づけに入ったアパートの大家が偶然にも写真家でもあり、審美眼のある人であったので幸か不幸か世界に彼の作品が披露されたのだ。
多くの人がここまでは知っている。
そしてあのインパクトのある絵、特に少女に男性器がついている、カラフルでファンタジックでありながら内臓などを細かく描く残虐性などで強いインパクトを受けるあの絵。それに対して、物語自体はザックリとした「ヴィヴィアン・ガールズが戦争を云々」程度の概要しか知らない。
私も似たようなもので、デカくて高い画集なども買ったりしたし、彼の人生にはとてつもない影響を受けたがその作品については細かく説明できる気はしなかった。
実はこれは当たり前と言えば当たり前でもあって、「1万5千ページを超える世界最長の長編小説」なんて事も言われるが、まぁ「こち亀」とかね、「グイン・サーガ」とか考えると全然読める範囲ではあると思うんですよ、古文書とかではないんで。ヘンリー・ダーガーともなると熱心な研究者もいますからね。
でも全文が刊行された事が無いっていうのはやはり理由があるわけですよ。
内容的には先程も書いた「ヴィヴィアンガールズとグランデリニアの戦争で〜」みたいな概要以上のものはほぼ無く、それも彼が好んだ少年少女向けの空想小説からインスパイアされたものが多かったりもするんですね。研究者によると、膨大な長さの小説だが丸々他の小説を写した部分や、彼が偏執的にこだわった天気や戦争描写に急に千ページ単位で費やされていたりと、読んで得られるものは多くなく、概要が全てだったりするとの事なんです。
絵に関しても、2〜3メートルあるものもあったりするそのサイズには驚かされるし、切り取った広告や新聞の写真を頼りに、それを参考にしたり、足したり、最後にはコピーしてサイズを変えることを覚えたりと、その変換や、異なる手法やクオリティのものが交じり合う異様さはあるが、いわゆる「絵画」としての価値があるとはいえない。
彼の人生、そして死後に見つかった誰にも見せる事のなかった膨大な小説と絵という事から受ける初めの印象というのが、実の所その全てだったりする。
孤独だった彼の人生は謎に包まれている、という伝説が長く信じられてきたんだけど、実は彼は「非現実の王国で」だけでなく、自伝も書いていれば日記をつけていた時期もあるので、彼の視点のみではあるが、彼の人生を追う事はそれほど難しくない。
一番特徴的な点である「少女に男声器が」という部分も、最近の研究では納得できる説明もついてしまっているようだ。端的に言うと彼は抑圧されたゲイで、彼の住む貧しい地域では女装した少年が売春していた、という。
答え合わせというのはあまり意味が無いが、確かに腑に落ちる説明だ。
同様に、彼は孤独で貧しかったが知的障害は無かったようだ。
伝説は全て否定されたし、その膨大な作品群は引用の塊でもある。
孤独な老人の中に秘められた豊潤なイマジネーション、という幻想は消えうせ、荒涼とした世界が浮かぶ。
丹生谷貴志氏の評論でも象徴的に出てくるが、大きな「空白」である。
「アウトサイダー・アート」「アール・ブリュット」というのは随分曖昧で、些かロマンチックに過ぎる定義ではあるのだけど、ヘンリー・ダーガーとその作品はその響きに含まれる幻想というのを全て引き受けえる存在と分量だったんだな、というのは今改めて感じる。
この本は画集にも収録されていなかった絵も収録されているので、すでに画集を持ってた私にも新鮮だったが、とにかく最後に出てくる丹生谷貴志氏の評論だけでも読む価値があると思う。
「もはや壁は無い けれど深い空白が閉じている 世界の結び目はつんつるてんに滑る」
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