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青木雄二/青木雄二プロダクション「ナニワ金融道 全巻」「新ナニワ金融道 1〜8巻」




昔、無印の方は全部読んでいたが、「新」の方は初めて読んだ。調べてみたらまだ続いていたのには驚いた。
元々、伊集院光のラジオで「肉欲棒太郎」という名前が出てきて、なんてインパクトのある名前だろうと思って手に取ったのがきっかけだ。
なんとなく、その前から存在は知っていたが、おっさん向けの漫画だろうと触れずにいたのだが、当然だろう、小中高生が金融もないだろうし。
とにかく名作で面白いので読めばいいと思うのだが、今回「新 ナニワ金融道」も読んだことによって、青木雄二という人の凄さがハッキリとわかって興味深かった。
まずドキュメンタリー番組の中でも語られていたが、異常なまでの細かい書き込みは誰にも真似できない。「あんなもん手抜きや」と言ってスクリーントーンをほとんど使わずに、背景のビルから畳の目から作中の新聞の活字からとにかくビッシリと書き込んである。そして、汚れてるべきところはキチンと汚れているという徹底っぷり。これは作風として青木雄二亡き後も、「新」の方で「青木雄二プロダクション」という会社名義になったあとも続いているのだが、やはり全然違う。
単純に、不合理ともいえるほどの書き込みと言うのは本来は不必要なのだ。漫画という、一種の記号で表現するモノの中で、細かく書く、という事はそこまで必要では無い。「Hunter×Hunter」の下書きレベルの絵でも面白く読めてしまうくらい、優秀な漫画読みが多い日本ではなおさらだ。
でもやる、というのが表現で、そこを徹底したせいで腱鞘炎に悩まされてもやるのだ。
それは、作風としてトレースしただけではやはり違うものになってしまう。若い時に何十種類も職を転々とし、裏の汚い部分も数多く見てきた人間でなければ、「ここもここも本当は汚れている」という視点が持てないのだ。例えば、値段の安い飲食店で働いたことのある人間なら、厨房でどんな事があるかがわかっている。ゴキブリ、ネズミ、スピード重視の調理、大量の廃棄、それを知ってる人間じゃないと書けないモノがある。それがあるから上手いとは言えないあの絵なのにリアルだという評価になるのだ。
細密だが、山野一のような情念を感じさせるわけでは無く、温かみのある絵だ。例えるなら、真冬に乗る終電みたいなもんで、電車の中には酔っ払ったおっさんの酒くさい息と加齢臭が充満しているが、外より全然暖かく慣れてしまえば、快適ではないにせよどこか許せてしまうような感覚がある。蛭子さんの漫画にも近いかな。あっちはあくまで空想の世界なのだが、こっちはあくまで現実主義というか、さすがマルクス主義者という感じ。
現実主義なのは当然話にも表れており、最終的に救われるような、希望が残っているような話はほとんど無い。それこそ「肉欲棒太郎」のような物凄いバイタリティや頭の良さが無いと、再びまともな生活には戻れない。
そのあたりも「新」になって変わってしまったようだ。法律というのは毎年少しづつマイナーチェンジがされていくもので、特に金融業などは社会的な問題になって大幅に法律が変わってしまったし、時代も変わってしまったので同じようには行かないのはわかるのだが、どうもピンとこない。甘い、とかでもないのだ。だいぶ法律で規制されてるのにいまだに借金で転落していく人は、むしろ昔より酷い事になったりするのだが、どうも話に乗れない。

そして一番違いを感じるのがユーモアのセンスだ。私が知るきっかけになった「肉欲棒太郎」もその1つだが、とにかくネーミングが最高なのだ。最初は普通のものも多かったのだが、だんだん一種の芸のようになっていく。だいたい、漫画の中の街にある看板や企業の名前は架空のものにする事が多く、テキトウな名前や身内ネタ、パロディなどが多いのだが、飛びぬけておもしろい。そして、ほとんど全てがド下ネタと軽い悪意とおふざけだ。
「ハッタリ不動産」「ソープランドMEKO」「マタグラヨーナルドハンバーガー」「お好み焼き・鉄板焼きMANKO」「あそこそこ薬局」「総合結婚式場 MEKO殿」「地主銀行 偽造支店」「吸血ファイナンス」「泥沼亀之助」「おけら荘」「SNACK 早漏」「VAGINAレジャービル」「軽薄企画」「墜落航空」書いててきりがないから止めますが、こんな感じ。
背景すげーなー、びっちり書いてんジャン、なんて思ってたらこんな看板ばっかりっていう。
そこらへんの感覚も、引き継いでいるようで引き継げていないんだよね、こればっかりはしょうがないんだけど、スベッてんなぁ、っていう。

というわけで、「新」の方はお世辞にもいいとは言えない作品だったな。まだ続いてるけど、8巻まで読んでつまんなかったらさすがに切るよ。もうこの先は読まないわ。

絵が上手くなくても「手抜きはあかん」とできる範囲でのマックスをやって抜きん出て、表面的には酒と煙草と女しか無いようで、マルクス主義者であり、政治経済に詳しくて勉強を絶やさず、人生経験豊富で話も作れるという、実は物凄く努力の人なんだと改めてわかったな。作者の自画像の下のスペースの普通2、3言ギャグか近況報告で終わらせるような所まで、経済コラムみたいなのビッチリ書いてるし、しかもそれおもしろくてためになるっていう凄さ。そして、それでいてやっぱり表面的にはメチャメチャ俗っぽいあまり、そこでも抜きん出てしまい個性となっている。水商売系の店のネーミングは完全に酔ったおっさんの口走るような名前だけど、もう突き抜けすぎて面白いわ。

ウシジマ君も好きなんだけど、やっぱりこっちを皆読むべきだわ。あ、無印の方ね。

今回読んで、一番頷いた所を抜粋してみよう。


「アホやのー、正しないのにコブシ振り上げる連中の方がゴネるに決まってるやないか」
「そういうことや。オイ 吉村、もしお前がそういう立場になったらどないする?」
「僕だったら相手の些細なことにインネンつけて話を本筋からずらして攻撃すると思います」
「ようわかっとるやないか、その通りや」

                                 〜ナニワ金融道 6巻より〜


ホンマその通りやで。


オモシロいなぁ。こういうオッサンいたよなぁ、大阪住んでた時。

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コミックマーケット83 2012/12/29





完全に野次馬。気分的には散歩の延長みたいな気分で行きました。意外と池袋から1本でいける電車を発見したので、初めて行く気になったんだよね。
サブカルの1ジャンルとして、「オタク論」みたいな事を考えていて、岡田斗司夫のトークライブまで行くようになっていたのも今や昔の話、数年前から完全に興味を無くしてしまっていた。
夏と冬には、「いよいよコミケ!」みたいなスレッドを見つけるたびに迷いはするんだけど行かない、というのを繰り返し、いい加減いい機会だから行ってみようと思っていたのだった。
ちなみに一切情報なし、カタログも買わず、好きなアニメありません。けいおんとエヴァくらいです。今年観たの。誰か好きな人が出展するとかも一切知らないし。
コミケは混むというイメージが強く、いつも二の足を踏んでいたのだが、転売業者や本気の人達はともかくとして、ビッグサイトのHPを観てみると昼頃に行けば待ち時間ゼロで入れるようだったので、それなら、と。入場料いらないし、と。
11時過ぎに家を出る、池袋に到着してもまだそれらしき人はたまーにくらい。しかし、会場が近づくにつれどんどん明らかにコミケに行くであろう人が増えていく。電車がりんかい線に入ったくらいから明らかに車両にいる人全員コミケ。座れたので全然楽だったのだが、やはりまだこの時間でも電車がパンパンになる。
昼頃に国際展示場駅到着。家を出た時には雨が降りそうだったが、ここにきて気持ちよく晴れていて、ポカポカとしたとてもいい陽気だ。
駅構内からすでに毎年画像で見ていたのと同じ光景が広がる、とにかく人がいっぱいで、駅も完全にコミケ仕様。警備員もコミケスタッフもいっぱいいる。
駅出てすぐのローソンが完全にコミケ仕様、というかほとんど企業ブースの1つとして機能している事に驚く。献血でポスターもらえるって凄いわ。でも頭いいやり方だ。
なんとなく人の群れにまぎれて流されるまま歩いていると、この場限定だと言うポストカードやクリアファイルを配っている人達が。一番の宣伝の場だもんなぁ、なんて思いながら貰ったりする。
駅を出てからそのまま、たしかに人は多いが一度も立ち止まったり待ったりせずにスンナリと会場へ入れた。
この時間になると、もう戦利品を抱えて落ち着いて飯食いながら座ってる人や帰る人も多く、ギッチギチで行進させられるような事はない。ゆったり歩いて会場の中へ。
なんとなく会場をブラブラするが、事前情報の無い私がいきなりこの場に来て、自分に興味のあるおもしろそうなモノを探すのは至難の業、というか不可能。そもそも、アニメもゲームもあんまり知らんし。
本来なら、例えば私で言ったらアキバ系ゴアグラインドなどのHPに「コミケに出展します」というのが書かれてたら、カタログでシッカリ場所を確認しておいて、行って買う、というのが自然の流れなんだろう。
自分の買いたいモノがあって、買った後にブラブラするのは楽しいだろうが、完全にノープランでブラブラはなかなかどうしようもない。
周囲の熱気や高揚感にこっちも少し笑顔になりながら、なんとなーくブラブラし、なんとなーくコスプレとかを見て、1時間半くらいで帰った。
もちろん、目当ての物が無いからこんな事できるのであって、企業ブースでのドン引きするくらいの行列とかも見てるけどね。
家帰ってもまだ3時過ぎだったので、こんなフラッとストレス無く行けるんなら、堅く考えずにさっさと行きゃよかったと思った。何年も迷ってたからなぁ・・・。でも、1日だけ休みの日があるって時には「もし物凄く並んでて、抜け出せもしない状態で何時間も立たされたら・・・・」なんて考えてしまうもんな。
詳しくて、そんなに本気じゃない人と行ければ楽しいんだろうけど、絶対欲出るよなぁ。過去に誘ってくれた人もいないではないけど、もしこういうのが好きだったら絶対いろいろ買いたくなるもん。

これはどの世界もそうだが、たぶん転売屋とニワカを取り除けばユートピアなんだろう。今日の場合は私自身が「ニワカ」で邪魔な存在なんだもんな、と思うと、でも行ってみたいもんなぁ、と言い訳を考えてしまったりするけど、やっぱ邪魔なんだろうな。久々の異邦人感覚でした。
そんなニワカ目線で空いた頃に行って、疲れる前に帰った私からすると、普通といえば普通の、ロックフェスなんかとそんなに変わらない、たくさんの人が集まるイベントでした。
大人しくて、この場を無くしたくないという人が大多数なんだろうと思わせる、メチャメチャ統制がとれていたのが凄いと思ったな。
まぁゴミはけっこう落ちてたし、マナーが悪い人も当然いるので、全てキレイゴト通りというわけにはいかないんだろうけど、いいイベントでした。

本当に散歩として、「天気いいなぁ」なんて歩いて、「これがコミケかぁ」なんて完全にフラットな感情で特にテンション上がるでもなく行って帰ってきた私は、もうオタクではないし、もう行く事は無いだろうな、と思うけど。


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「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO」





やっと観た。エヴァ。
何気に映画館で見るのは初めてだ。はまり過ぎるのが怖くて距離を置いていた部分があるのだが、昨日久々に会った友人に促されるままに、今日はなんかいい感じに昼前に起きたこともあり、思い切って家を出る。池袋に着いて、何故こんなにも世の中には科学調味料があふれているのにここまでまずいものが作れるんだろう、という味の激安中華食堂の飯を腹におさめて、ウンザリしながら映画館へ向かった、さすがにもう空いている。

そもそも、私はバッチリ後追いだ。テレビ版放送当時は9歳なので当然だが、その後サブカルっ子の成り行きとして当然のようにハマッた・・・と言いたいところだが、庵野監督のインタビューやエヴァ関連の評論に触れて文章にはハマり、腐るほど読んだものの、アニメ自体を観たのは18歳の時だ。1人暮らしをはじめてすぐにテレビ版映画版全てDVDで揃えた覚えがある。
自由な空間も、時間も、金も無く、古本くらいしか自由に扱えなかったので、いつも私は音楽や映像よりも言葉が先行するのだ。
そこまで先に色々読んで期待が膨らんでしまうと、いざアニメを見た時にガッカリするかと思いきや、更にバッチリハマってしまった。テレビ版ですら普通に凄く面白くて、自分的には不満は無く、「伏線が〜」とか「設定が〜」とかいう議論はあまりする気にならなかったし、グッズを買ったりもしなかった。結局私は、庵野監督による天才的職人芸を伴ったアウトサイダーアートと捉えていたので、興味の対象は庵野秀明だったのだ。
その後、庵野監督作品を一通り観たのだが、過去のアニメ作品にはアニメーターとしての天才ぶりと、その後エヴァに繋がるガイナックス的なパロディ/悪ふざけが見えたので興味深くはあったが、実写映画に関しては特に言う事も無いくらいハッキリと失敗で、後追いとして悲しく思うばかりだった。

そんな中再びエヴァを作るという事で、期待せずにはいられなかった。過去2作はDVDで観たが、まず「序」で画の美しさに感動し、「破」ではまだ見ぬ新しいエヴァに期待が膨らんだ。そして、今日観たのが四部作の内の三作目、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO」だ。
どう辻褄を合わすか、伏線を回収するか、というところに興味が無いので、感じた事だけを書いていく。
「反復」「作り直し」ということが作中何度も語られるのだが、「話が最終的にループ構造になるのでは?」という予想は当然立てられるのだが、元々エヴァというのは、庵野秀明という当代きってのオタクの大好きなものを全てぶち込んだだけのもので、偶然、庵野秀明がアニメーターとして天才で、作っていた当時に人間として狂っていただけだと考えている。
故に、ウルトラマン、仮面ライダー、電車に兵器類などなど、全てが元ネタありきの「作り直し」で当然の話で、今まで無意識的に又は逆に悪ふざけ的にやっていた事を、「今作は作品を作る際にしっかり自覚し、利用していく」、という意思表示に思えた。
ハッキリとガンダム風エヴァ、宇宙戦艦ヤマト風エヴァに思えた前半は、やはり面白かったのだが
、エヴァ風エヴァ、つまり自己の「反復」「作り直し」がはじまる中盤あたりから、つまらなくなる。ハッキリした意思表示は、「自己模倣」をする、ということだったのだなと思った。そして、自己模倣と言う完全などん詰まりをぶち壊すようなパワーも無く、やはりどん詰まったのが自分でも解ってしまったので、ファンサービスとショッキング描写で無理矢理テンションを上げて商品として仕上げたように感じてしまった。
エヴァにおける、自己模倣とファンサービスの極地である綾波レイの裸や、シンジとカヲルのやおい的表現は、私にはテレビ版最終回における学園ラブコメパロディと同じようにしか感じなかった。
この映画の中では「大人になれ」「世界を変えるのではなく自分を変えるのだ」というメッセージを一応は発信しているように見えるものの、 「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」でオタクを突き放したハズなのに、またオタクを絡め取とうとしているように思えて、少し嫌な気分になった。
確かに、ハイクオリティでクリーンなこの映画は、入っていきたくなるような美しくドラッギーな世界で、メチャクチャに魅力的であることは相変わらず間違いない。しかし、「序」の爽快で、観た後ににこやかに外に出られる感じや、「破」の次への期待感などと違い、べっとりと甘くて重たい印象を受けた。

同じような話なのに、エヴァが始まる前に同時上映された「巨神兵東京に現わる 劇場版」の目を背けたくなるような、チープで荒々しい描写の方が、私には健康的に思える。

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秋田昌美 「裸体の帝国 (ヌード・ワールド―ヌーディズムの歴史 第1巻」





というわけで2冊目。
昨日書いた「ボディ・エキゾチカ」の感想を読んでもらえれば、まぁもう同じでいい。

基本的には同じ問題を感じる。しかももっと重症だ。
今回この本を読んで、あまりにつまらないので、もしかしたら逆に自分が悪いんじゃないかと思いはじめたくらいだ。

文字は大きくて太く、空白も目立つ。上のゾーンにロゴマーク、下に小さい白黒写真、間に文章というレイアウトだが、おそらく寄せてみると文章の部分はページの中で半分以下だろう。少しでも多くの写真の紹介を、ということかな?とも思ったが、同じ写真が再度出てくることが何度かあり、その可能性も潰れた。
更に、「資料的価値」といえば聞こえがいいのだが、昔各国でヌーディズムの啓蒙のために発行された小冊子や雑誌が何ページも紹介されているのもあるし、宇川直宏デザインのヌード写真に秋田昌美の書いたスローガンを重ねたものも本の真ん中にドーンと19ページもあり、ここまでくるとページ稼ぎにしか感じない。
基本的には、「禁煙禁酒禁欲菜食で日光浴して体操して運動(特に水泳)してると健康になるよ!全裸だとよりいいよ!自然に、そして子供の頃のように純粋になるってことだからね!戦争に負けて金無いけどこれタダだよ!」というだけのことで、後は歴史の授業のように年表で「何年に誰々が本を出しました」とか「何年に初めて土地を買って自由に出来るようにしました」という以外にはほとんど何も書かれていない。
むしろ年表の方が親切なくらいで、時系列がムチャクチャで思いつきで並べているようにさえ感じる。事実を並べるにしても、整理して繋げてくれないとわざわざこの本を読む意味がわからない。文章も言わずもがな。量が少ないのが救いと感じる。
興味深い発見も2、3箇所あるにはあったが、とてもつまらなかった。
もしかしたらこれはヌーディズム愛好家のための教科書的なものなのだろうか?なら私が読むのが悪いのだろうか?などと考えるが、「裸で外で運動しよう!」と言ってる人間にこれを読むのを強制するのも変な話だろう。というかそんなニッチ過ぎる市場もないだろう。
一応言っておくが、私はメルツバウのファンで、本が好きで、サブカル好きで、ヌーディズムにも感心があるストレートエッジで、わりと我慢強い方だ。なんだかんだ言いつつちゃんと流さず読んでる。
ここまで揃ってるのに、つまらなかった。ちょっと酷いわ。
テーマが限定されて、得意分野に徹したのかと思ったのだが、他の本で言う1章分を水増しして1冊作ってしまったという印象だ。
更にこのシリーズ、本に挟まっていた広告によると全3巻予定の第1巻だということなのだが、現在のところ第2巻までしか出ていないようだ。1巻が95年、2巻が99年に出ているが、3巻もこれから出るのだろうか。私は第2巻も買う気は無いが。


しかし、やはり装幀は素晴らしい。さすが安定の宇川直宏。

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秋田昌美 「ボディ・エキゾチカ」




まとめて発見した秋田昌美本、2冊だけ買いました。そこそこの値段したし。さすがに、「ノイズ・ウォー」は無かったなぁ。近くの古本屋で5000円くらいであるの知ってるけど、冗談みたいな値段のアマゾンは論外として、まぁ適正なプレミア価格だとは思いつつなかなか手が出ないねぇ・・・。
中学生時代勇気を出して(値段的にね)「スカム・カルチャー」を買って、それなりに影響は受けたんだけど、秋田昌美の文筆業に関してはそこまで絶賛する気にはなれない。メルツバウは好きだけどね。
ネット以前/以後を考えるとなんでもそうだが、特にサブカルやエロの世界はハッキリと変わってしまったので後でグチャグチャ言ったり、間違いをあげつらうのはどうかと思うのだが、それでもやはりそんなに本としておもしろくない。
青山正明的な悪ふざけの延長や、それによるバッド・テイスト(この言葉ももう聞きませんね)ブームにのっかっただけ雑な本よりもマシ、ただ伊藤俊治などの美術や写真方面の学術的な本よりは確実に劣る、といったところだろうか。
昔のエロ本の白黒ページに近くて好きなんだけど、妙にかしこまった文章にしようとして無理が出ているので読みにくいのだ。卒論とかに近いのかな?プロではないなりによく調べてキチンとまとまっているが、やはりプロの文章では無いという。
80年代風、というかやたら難しい漢字を使った新しい熟語を作ってカテゴリー分けしたり、カタカナ語を多用したりで、読みにくい上にページ稼ぎのような繰り返しも多く、私が無学なせいで読めないのかもしれないが、やはり単に文章が下手なだけだと思う。
そして、やはり専門外の話題になると間違いが多くなるし、弱い。「スカム・カルチャー」でも、当時ゴリゴリのメタラーだったせいでブラックメタルの話題ではかなり首をひねってしまうような箇所があったし、初出の事は無く、単に洋書の翻訳本から抜いてきた文章の羅列以上のことにはなってないこともある。

そんな特徴がこの本でも同様に表れている。今となってはほとんど見たことのある写真と、とにかく読みにくい文章だ。ユーモアが無く、だからといって学術的でもなく、詩的でもなく。
わざと難しく書こうとしているが、本気で読むとうっとおしいだけで大して意味が無いので、流すのが一番いいと思う。
新品でも、サブカル系のあまり部数の出ないであろう本の値段は高く設定されているので、流し読みはもったいなくも感じてしまうのが、秋田昌美の本に次々と手を出さなかった理由のひとつだな。
「ボディ・エキゾチカ」というタイトルからもっと期待があったのだが、結局得意ジャンルの方に逃げてしまった印象だ。

今となっては美術関係はアカデミックな人がたくさんいるし、身体改造なら気軽に実践する人も増えてしまったしケロッピー前田がいる、フェティッシュは菊地成孔がおもしろく魅力的に書いてしまう、フリークスやオカルトだと佐藤健寿が原書で読みながら現地でフィールドワークをして本にしている、SMなどはいまやAVに出て数万円でも全然おかしくないという殺伐とした世界になったエロ関係なので内部にいないと書くのは無理だろう。
つまり今はこの程度の文章では、実際にやらないと何も書けないのだ。アーカイビングが進み、高い古本や翻訳書集めてそこから抜くだけでは完全に無理になった、もし田舎に住んでいても欲しい本くらいならアマゾンが届けてくれる、その結果が中古価格の下落となり、2000年以後に出した本が自分の菜食生活に関する本のみ、いまだにプレ値なのは「ノイズ・ウォー」のみという結果なのだろう。

ただ、いまだにバッドテイストものは「スカム・カルチャー」1冊でいいと言えるし、例えばこの本だと表紙が丸尾末広だし「スカム・カルチャー」だと中原昌也と、装幀を含めて1冊の本として手元に残しておきたくなる魅力があるので、やっぱり売らずに本棚に並べてしまうのだろうな、と思う。
データでのアーカイビングだらけになってしまった今、逆にそれが一番の強みになってしまうというのは難しいもんだな、と思ってしまった。

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静寂 [灰野敬二(guitar, vocal, etc.) / ナスノミツル(bass) / 一楽儀光(drums)] ラスト ワンマンライブ 2012/12/24 at 秋葉原 CLUB GOODMAN





「今年もこれで最後のライブか・・・」なんて思いつつ、今月2本目だ。この前のライブが最後のつもりだったが、どうしても観たかったので、今日も行ってしまった。クリスマスイブにこのメンツのワンマン、最高じゃないか。
結果、大成功。二時間半以上に及ぶライヴは物凄いものだった。

開演30分程前に着いたのだが既にけっこうな混雑。以前来た時にはステージ前にもあった椅子は今日は無く、ステージ前には気合いの入ったファンが占拠しており、割って入れそうも無いくらいだ。 トイレを済ませ、ドリンクを受け取り、中央少し後ろに立って待つ。
しかし、狭いライヴハウスとはいえずいぶん入っている。開演が近づくと更に増え、満員といえる状態で人をかき分けないと進めない。
見るからに、前回は明らかにジャズ寄り、今回はサブカル/ロック寄りの客が多いとはいえ、こういうジャンルのアーティストのワンマンライヴでここまで集めるというのも中々いないだろう。というかライブハウス満員なんて久しぶりだ。
「椅子あるかな〜」なんてなめたことを考えていたので、立ったままほとんど動けない状況での待ち時間はつらい。 待っていたら、横を普通に灰野さんが通っていって驚く。
時間に厳しい人だという評判の通り、ほぼオンタイムでスタート。
個々人の事は知っているが、「静寂」というバンドになるとほぼ未聴。灰野さんがギターを持って歌う事だけを確認し、あえてそのままの状態で今日は来た。
この前の、大友×オルーク×エリオット・シャープの時もそうだったが、即興色の強い人はCDを聴いて好きでいても、少し懐疑的に見ている。やはり実際に観ないとわからない。
スローに始まり、ドゥーミーでサイケがかったブルースロックかと思ったのだが、そこからどんどんテンションが上がっていく。この会場なのでちょっと心配だったが、音はいい感じに大きい。
不失者の系譜に、というかハッキリと後継者的なバンドに思えた。裸のラリーズをタイトにヘヴィーパンプアップにしたような感じも受けた。暴力的に聴こえない暖かいギターノイズが心地よい。
内臓にくるヘヴィーなバスドラと、安定しながらも豊富な手数の素晴らしいドラマーの一楽儀光、冷静にブルース/ロックとしてのアウトラインを薄く濃く描きながら動く太いベースを弾くナスノミツル、そして、もっと難しく神経質な人かと思っていたがギタリストとして、稀有なヴォイスパフォーマーとして、一本筋の通った熱いブルースメン/ロッカーとしての存在感を見せつける灰野敬二。
素晴らしいバンドでした。そして、全員の気迫が感じられる素晴らしいライブでした。

本編が終わり、3人が一度楽屋に行き、ステージに戻って最後にアンコール的なジャムの中でドラムの一楽さんへの感謝、一緒にやれた喜びなどを叫び唄い、ライブ終了。「この男と音楽ができた事を誇りに思う」「死ぬ気で音楽をやっていた男と」「続けるんだ」「ここに生まれて」「ここに散る」「死ぬんじゃない」などの言葉(不正確です)を覚えている。
かろうじてこらえたが、後2分演奏が続いていたら泣いていたと思う。
アンダーグラウンドでは狭い世界で組んで離れてというのがよく行われるので、ラストライブというのを大変な事だと捉えていなかったのだが、どうやら一楽さんの引退ということらしい、というのが理解できた。
灰野さんが「一楽君に大きな拍手を」といってうしろを指す。客みんな、手を肩よりあげて大きな拍手。一楽さんから「灰野敬二」「ナスノミツル」と紹介があり。「ありがとう」と感謝の言葉を客席にかけながらハケていく。
それを見送り、客電も付いたのでトイレに行くと、また歓声が聞こえる。戻ると、もう一度一楽さんだけ戻ってきていて再び感謝の言葉を口にし、「こんな時になんだけどあっちに物販あるんで買っていってください」とシリアスにならず、軽く客を笑わせて帰る。

2時間半以上のライブ、さすがに途中に中弛みした、というかこちらが先にヘバッたというか、全てが素晴らしい、というのは書きすぎかな、とも思うが、ハッキリ言って感動した。確信できた。

家に帰って検索してみると、どうやら腰痛の悪化によるドラム引退、という事らしい。
http://ameblo.jp/doravideo/entry-11148550930.html
あんなに素晴らしいドラマーが、残念だ。しかし、違う形で「ドラびでお」名義での活動はするようなので、これからにも期待したい。

さて、せっかくこれから通いたいと思えるような感動するライブを観たのに、「ラストライブ」というのは残念だ。灰野さんのソロはこれから行こうと思うが、今回観たのは、まぎれもなく「バンド」だ。「バンド」形態でまた観たいな、何がいいんだろ?


写真は予約来場特典の「静寂」未発表ライブCDR。


Mail From Fushitsusha

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大橋由美「井島ちづるはなぜ死んだか」




古本屋に行った時に、連鎖的に本を買う事がある。今日なんかもそうだ、まずこの本を手に取り、雑誌コーナーで気になった本を見ていく。どうも90年代にサブカルっ子だった人がまとめて売った本を、私がまとめて買っているようだ。
改めて店の中を周ってみると、クイックジャパン、コーネリアス、スチャダラパー、カヒミカリィ、電気グルーヴ、テリー・リチャードソン・・・・散見される本やCDのタイトルや記事にまとまりを感じる。普通のブックオフの中でである。
「誰かが大掃除したんだろうな。俺より5歳、10歳上くらいかな」なんて思いながら、金が無いので105円の目ぼしい物だけを買う。
古本屋が楽しいな、と思うのはこんな時だ。ふと気がつくと、ジョン・ゾーンのレーベルのCDがあちこち棚に散らばってるのを見つけたり、赤川次郎の小説の隣に秋田昌美の著者が急にまとまってあったりして、ドキッとする瞬間。

ハッキリ言ってこの本は、90年代のサブカルの空気がわかる本としてはいいと思うがあまりおもしろくない。自意識過剰な著者の勝手な思い入れが強く、3種類の文章が紛らわしく混ざっており、中身も薄い。

元々、クイックジャパンの記事「あるサブカルライターの死」でけっこう前に知っていたのだが、あまりこの本には興味が持てなかった。元みるくの堀口綾子や、漫画家の山田花子、青山正明、などを先に知っていたので、その面々と比べるとどうも凡庸に思えたからだ。
AVで処女喪失、サブカルライター、27歳の若さで自宅バスルームで謎の死。というのは珍しいようで凡庸だと思うのだ。
90年代、まだサブカル界が元気で、AVも儲かっていて、いわゆる「抜けないAV」の名作が次々出ていて、AV監督が最先端のサブカルチャーの一角を確実に占めていて、それが受け入れられていた時代だ。
私はAVは一切観ないのだが、村西とおる、カンパニー松尾、インジャン古河、平野勝之、ゴールドマン、井口昇、観念絵夢などなど、すらすらと名前が出てくるのも、おもしろいものを求めていれば、必ず彼らの著作や連載、インタビューに行き着くからだ。
そんな時代に、フリーライター志望でロフトプラスワンやサブカルライター講座「ライターズ・デン」などに頻繁に行っていて、目立ちたいと思って極端なミニスカートを履いたり、壇上で服を脱いで見せたりしていて、そこそこの容姿を持っていればエロメディアに行くのは順当過ぎるくらい順当だ。
ただ、志も実力もあったので、その後AVと関係なく本を出し、それが認められて小説を依頼されつまでになったのだ。その途中で、バスルームで謎の死をとげたのだが、これもねぇ・・・、リーガル、イリーガルに限らず薬物に依存してる人はいつなってもおかしくないからね。

今も昔も腐るほどいる「フリーライター志望」から実際に抜け出して仕事をしだした人視点の90年代サブカル界、というのは珍しく、おもしろくなりそうなのだが、著者紹介に執筆中(しかもその後出版されていないようだ)の本を書いてしまうような自意識過剰で、井島ほど「志も実力も」持っておらず、そのせいで井島に執着してしまったであろう著者が書いているので、どうも面白くならない。
もうちょっとクールになれれば、「自殺されちゃった僕」の知名度無いバージョンになれたかも知れないのにな、と残念な気持ちだ。

しかし、AV、サブカル界の、特に裏方、編集者や映像監督の視線の冷めっぷり、人の本質の見抜き方は凄いな、と常々思う。
この本の中で「井島への証言」を書いている、藤井良樹、宅八郎、井島の小説の担当編集者のたかだか2、3ページの方が、この本全体よりよっぽど井島を描写出来ているように思えた。

追記
「なんで今更この記事が?」という事はよくあるのだが、今回はわかりやすいですね。いじめ記事の小山田圭吾繋がりで90年代サブカルって感じ。
あの記事自体は当然読んでいて、その後もハッキリと意思を持って当該記事を残そうとしているサイトもありネット上では定期的に取り上げられていたから、今このタイミングで事が大きくなったか、というだけなのだけど。
最近はいわゆる「90年代鬼畜系サブカル」みたいなのが現在の価値観からするととてもじゃないが許容できるものではないという事で糾弾されていたりもするので、まぁ当然ですよね。もっと小さい話ではロマン優光と町山智浩と水道橋博士のいざこざなんかもあり、それはこの本で書かれていて、自分も感想を書いた↓んですが
https://fanblogs.jp/gateofdoom/archive/560/0
直接的に関係のある『90年代サブカルの呪い』は読んだけど感想書いてないや。今見たらAmazonで「演劇・舞台」カテゴリーでベストセラーになってるじゃん、凄いな。
私的には「あの頃ですらもう滑り芸みたいになってた」というtwitterで誰かが書いていたのが凄く腑に落ちたんだけどね。私自身が遅れてきたサブカルっ子で、リアルタイムでは小沢健二も小山田圭吾も「HEY!HEY!HEY!」とか出てるの見てて、もうすでに「尖ったサブカルスター」 「恐るべき子供たち」みたいな感じでは全然無かったですからね。なんかそういう発言でもう一枚武装したかった、みたいな感じなんでしょう。小沢健二の王子様キャラと一緒で、ファン以外には滑ってたよ当時から。

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井島ちづるはなぜ死んだか

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「気球クラブ、その後」





この映画は大学を出てから5年後という設定ではじまるという事で、今の自分と同じ状況だ(私は中退したが)。
なので、園子温の映画を観るきっかけとなった、大学時代の知り合いの自称映画監督志望のインチキ野朗を検索してみた。名前が特徴的なので間違いにくく、十中八九ツイッターとフェイスブックをやっていると思ったからだ。
はい、予想通り。両方すぐ飽きて放置しているところも、「就職してしばらくたったけど、新しい自分を見つけるために海外のマラソン大会に参加します!スポンサー募集中!」などとのたまう果てしなくクダラナくてインチキで人任せなとこまで何も変わっていない。ウォッチする価値も感じないのでもう二度と見ないが、こいつ絶っっっ対やらないよ。なにせ映画監督志望で、「今撮影まで終わって後編集だけなヤツがあるんだ、そうだ!曲使わせてよ!」と同じ感じで言われ、あいつが気に入った曲の完パケ音源を自費で作ってあげたのに何故かその後会う度に避けられ、1年後に偶然再会し、「映画出来た?」と訊いたら、「やっと映像編集ソフトを買ったからこれからやろうと・・・・」みたいにゴニョゴニョ言いながら逃げていった男だもん。
「園子温凄いんだよー」と「俺、今映画作ってんだ」以外はろくな話も出来ず、突っ込んだ事を訊かれて困ると、「俺、ハーフだから、上手く言葉で伝えられなくて・・・」と逃げる、地獄のミサワみたいな奴でした。
しかしまぁどうやらそこそこ綺麗な嫁がいて、社会人になってる、って事は、私よりずっとまともな人間なんだろうけどね。
自分は6年前となにも変わってないどころか悪化してるので、他人をどうこう言えませんしね。

さて、園子温監督作は最近は一般にも大きな注目をもって迎えられているが、そもそもかなり昔のクイックジャパンに「桂子ですけど」の広告が1ページカラーで出ていたのを覚えてるくらいなので、どサブカルでキャリアがとても長い。というかもう周知だろうが、元天才高校生詩人、元現代美術的な路上パフォーマンスをする人、その後映画監督という、だいぶ寺山修司をに連想してしまうような人だ。
私は上記のような嫌な事があったので、知ってから10日くらいで当時までの作品をまとめて観て、その後一切観ない、という感じだった。ただ、「冷たい熱帯魚」は観ようと思ってるし、たしか当時ブラックメタルがテーマの映画を撮るって言ってて、それは凄く観たいと思ったんだけど、あれ出来たのかな?続報が無いんだけど。
そんな園監督作品の中では、地味というかいかにもサブカルっ子向けオサレインディー映画です。このあたりの時期は「青い車」とか「ストロベリーショートケイクス」とか「ハチミツとクローバー」とかそんなんいっぱいあったね、っていう。
インディーズ系らしい低予算な感じの安っぽく荒く暗い画質でカメラワークも単調、ストーリーも、人物の言動も脈絡無く唐突に感じる。

しかし何度もの引越しや金欠でほとんど売ってしまったCD/DVDの中で、売らずに取っといただけある作品だ、さすが園子温と感じるところが多々ある。
一番はなんといっても女の子超可愛いっていう。川村ゆきえと永作博美超可愛い。自分と女の趣味が似てるから好きと言うのもあるが、この人の映画は全部女の子が凄く綺麗に撮られてるんだよね。
そこはもう良くも悪くも毎回主演女優と付き合っちゃう所と直結してるというか、とにかく素晴らしい。しかも女優選びも物凄いよね、「紀子の食卓」の吉高由里子が有名だけど、ちょっとググッてみたら川村ゆきえってこれが女優デビュー、しかもそのあとは2年後からアイドルにありがちなホラー映画やゲーム/アニメ系に出てる事が多いので、見抜き方がハンパじゃないわ。いい女優を、というよりその映画にピンポイントに、という感じが凄い。
永作博美もこの後に「人のセックスを笑うな」で話題になったけど、2年前のこれも観てみろよっていう感じだね。

映画として褒められるかといえば全然なんだけど園子温ファンなら、所々に才能の一端が見える、色々な意味でコントロールがまだよく効かなかった時に作られた習作、と捉えて観るといいんじゃないかな。
永作博美と川村ゆきえのファンは必見だね。特に、永作博美のファンは。ぶっちゃけ単に、永作博美を綺麗に撮りたかったんだと思うよ、園子温監督は。

俺自身は4、5年前に「最初に出てきた子(川村を当時知らなかった)と永作さん可愛いし・・・また観るな、うん。だって可愛いし」と考えて残してました。

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鈴木おさむ 「芸人交換日記」





2、3年前まで、あんなに好きだった青春物の映画や小説をすっかり読まなくなった。
完全に年齢的なものだろう、「年取った」と言うと怒られるくらいではあるのだが、太りやすくなったし風邪が長引くという実感がある。同世代のフリーターは金と就職の話しかしなくなった。
昔から年上と絡むことが多かったので当然なのだが、自分が16歳の時に会った20歳は今、30歳だ。不思議。
自分と組む人間を探す時に、若くて根拠の無い自信の持ち主を避け、まず実績があることが第一の条件にしてしまった時に、終わったんだな・・・、と少し考えこんでしまった。「ゼロから作る」ということが終わったのに、いまだ自分がゼロ地点、もしくはマイナス地点にいるのだ。

鈴木おさむ著、ということで本来なら手に取らないどころか鼻で笑うタイプの本だったのだが、この本の舞台化の際のキャストがオードリー若林で、ラジオでも度々話に出てきていて面白そうだったので読んでみた。古本屋で105円になるのを待ったが。

「リアル」と言い切っていいのかは私は芸人の世界はよく知らないのでわからないが、「リアリティ」は凄くあった。本当にこうなんだろう、と思ったし、夢を追う、そして諦めるという部分は誰もが共感するところだろう。
私は先ほど書いたように、青春映画のような希望に満ち満ちた状態は過ぎてしまったので、諦める、辞める方にどうしても興味が行ってしまう。
「辞める」とははっきり言わなくても、「活動ペースを無理のない程度に・・・」などと言ってしまえば、実家に帰って1年に1回だけ集まってライブとか、1人で作ってネットで公開して再生回数は気にしないとか、もっといえば、大泉逸郎の「孫」パターンだと言ってしまえば、定年まで勤め上げても何も言われない。
「わかってるんです 僕はいずれラップを辞めるためにラップをするのです」と歌った楽団ひとりや、活動休止を決めたメテオのブログが、今年はとてもはっきりと自分に刺さった感触があった。
もう6年も前、たまに忘れてしまうくらい前だが、よくある話として、彼女に言われて私は1回辞めようと思って機材を全部売った事がある。最終的にこれもまたよくある「私と音楽と〜」みたいな話の末、別れて、恥ずかしげも無く戻ったのだが。

「辞めるタイミング」「辞める理由」「辞めるきっかけ」、それを失ってしまっただけ、気がつかないフリをしているだけなのかも、とはたまには思う。後悔は無いが、バイトと同じように無感情になったまま流してしまっているのなら、当然今すぐ辞めた方がいい。

久々にそんな事を考えてしまうくらいよく出来ている本だ。著者が人気番組の放送作家だということが頭にあったから、ともいえるが、正直出来すぎてるきらいがあって、個人的には最上級に褒めたりはしないが、いい本だったと思う。
題名の通り、交換日記という設定なので、売れない漫才コンビが交互に書いていく、という形式なのだが、平易な言葉で口語体で書かれているので、台本のようで空白も多く、サラッと読める。
これまで多くの芸人と仕事をしてきただけあって凄くリアリティがあるが、さっき書いたように逆に上手くできすぎていて、鈴木おさむの頭の中でのシミュレーションを覗いてしまったような、番組を作る際にも実在の芸人を頭に描いてシミュレーションするんだろうな、と想像してしまって、完成形ではないような気が少ししてしまったし、こっちの反応を見透かした上で書いているように感じたので、感動まではいかなかったのは確かにある。

そういう意味でも、まさにはまり役とも思えるオードリー若林が演じている舞台を見るのが1番いいのかも。ちょっとレンタル屋行って探してみよう。

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しまおまほ 「タビリオン」





気にはなっていたけど、本を読んだ事がなかった人のひとり。
なんとなーくサブカルチャー界隈(特にサブカルという言葉が生きていた頃の)で見たことがある人だったし、もちろん最近ではウィークエンドシャッフルで毎週声を聴いているんだけど、この本の中で自分でも書いている通り職業がよくわからない人なので、どこから知っていけばいいのかわかりにくい人だったからだ。「オリーブ」「渋谷系」みたいなキーワードが浮かぶが、時代が違うし、そもそも一番自分から遠いし。「漫画家」として紹介される事も多いが、今、連載してたりしないし。
その状態から、より気になって本を買うきっかけになったのは、何かの雑誌だったかで、家の特集をしていた事だ。実家で御両親と同居しているのだが、それが素晴らしい家で、両親2人ともが写真家という事もあって独特の美意識に溢れていて、その家の大きなテーブルで仕事をするという環境を見て、なんとなく納得したのだ。
納得、というのは、いきなり何も知らずにラジオ聞いても、「なんで若くもそんな綺麗でも一般的に有名でもない女性に宇多丸はこんなに気を使ってるんだろう?」という気になるからだ。自分の場合はそれに加えて、サブカル周辺で何も生み出さないくせにデカイ顔する女が嫌い、というのがあるし。アングラバンドでコーラス&ダンス担当してマース。みたいな、必要も無いのにステージ上でウロウロすんな、と。

まぁ話が逸れたが、ラジオを聴いてても独特の空気感と、どこまでどんな風に繋がってるのか謎に広い交友関係で只者ではない感はしてても、よくわからない人なので本を買ってみました。
結果、よくわかりました。わかるわ、うん。
率直に思ったのが、「いいとこに生まれた西原理恵子」みたいな感じがするな、と。
「西原理恵子の人生画力対決」で出てくる風に言えば、この人も「首寝違え」「一歩間違えればアウトサイダーアート」系だ。
それが、東京の実家で祖父母共に小説家、父母共に写真家、叔父が編集者で写真家、本人も在学中に漫画家としてデビュー、しかも仲がよくて今も同居というミラクルによって、普通壊したり捨てたりするモノが奇跡的に保持されている感じで、悪意の無いポップさが現出しているのだ。

小中学生の夏休みの絵日記とアルバムを合わせた様な本作なのだが、凄く面白いわけではないんだけど、いいんだよなぁ。楽しく、顔をほころばせて、最後まで読んでしまった。
これは貴重だよ。これも才能だわ。
エッセイの方も面白そうだから、次はエッセイ読んでみよう。
いやー、ナチュラルパワー、天然の才能には、ため息しか出ないわ。

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