2014年01月26日
中崎タツヤ 「もたない男」 ゆるりまい「わたしのウチには、なんもない。」
ここ2、3年で徐々にモノを減らしていっている。
根がコレクター気質なオタクなので元々は収集癖が有り、ガキの頃からいろんなクダラナイものを貯め込んでいた。
当然、その後サブカルっ子になり、トチ狂ってミュージシャンを目指した後もそれは変わらず、フルタイムでバイトしては給料全部ぶっ込んでCDやDVDや本を買い集め、知識や図書館的な意味では重宝されるが「お前はロックじゃない(打ち上げに来ないから)」という、まぁ今考えるとお互いにクズなのだが、のめり込んでいくほどに孤独になるという状態でした。
それが変わったのは単純にお金が無くなったからで「よし、もういい年なのでバイトを制限してギター弾こう」と思った瞬間から貯金が減り始め、なのに相変わらず買い続け、売っては買い売っては買いで中原昌也状態だったのですが、暇になった分金を使ってしまい2年もすればすっからかん、3千枚ほどあったCD/DVDも、カベ全部本棚だったのに本も、売っぱらっちゃってスッカラカン。
そして当時知り合いだった口だけドラマーに付き合ったせいで半年間に無駄な引越しが2回重なるアクシデントもあり、なんか・・・もう荷物持つの嫌になりまして・・・。親とも仲悪いんで、「全部嫌になったらボストンバッグとギターかついで東南アジアでも行こう・・・」なんて思ったんですな。
ちょうど世間もスマートフォンだタブレットだ断捨離だノマドだライフハックだって時代だったので、元々ビジネス書は好きだったのでいろいろ読んでる中で、特に『「週4時間」だけ働く。』とか防災袋とかアウトドア/サバイバルグッズを参考にしながら、ちょっとずつ家具や食器なんかも捨てていっているのでだいぶ荷物は減ってきてはいるのだが、そこはオタクなのでまた買いなおしてしまったり、このご時世なので捨てるのが難しかったりお金がかかったりで、やはり一線が超えられていないように思うのだ。
そこで超えてしまった人たちの本を読んだ。
2人とも「片づけ術」などという生易しいものではなく、「なんにもない」が過ぎたためにブログで公開した自分の部屋が話題になり、書籍になったというパターン。
もはや普通の人は「何にもなさすぎて落ち着かない」というところまで行っているので、一般的にはアレかもしれないが、私には多少参考になった部分もあった。
前述したような私にとっても「部分的に」しか参考にならなかった、とも言えるが。
この2冊は方向性が違い、仕事場がなんにもない(自宅はある程度、妻が管理)中崎タツヤと、自宅を「モデルルーム/ホテルじみている程」にしてしまったゆるりまいという感じ。
片方は仕事場、しかも紙とペンだけでOKな漫画家だし、もう片方は震災で実家全壊後に新築、しかも著者が管理するリビングやバスルームなど以外に各家族は自由にできる自室ありという状況なので、まぁそんな感じかぁという。
当たり前だけど、使うものだけにすりゃいいわけで。例えば現在の肉体労働のバイトで、毎日同じツナギ+パーカー着て「週1回休みの日に洗います」というのは普通だし、清掃業者の入ってない会社のトイレなんて本当に最低限のものしか置いていない、普通っちゃ普通なのだ。
本としての感想は、『もたない男』はちょっと変わった自由業の人のエッセイとしてまぁまぁ、本業は漫画家なので文章はこんなもんかな、まとまりもないし、という感じ。『わたしのウチには、なんもない。』はコミックエッセイとして普通、でもやりきって結果が見えている、ブログで今も見られるという意味では立派、という感じかな。
んー、しかし気がつくと俺の部屋、また本増えたなぁ。売りに行くか。
追記
その後本当にスーツケースにギター入れてフィリピン留学行ったんですよね。フィリピン→マレーシアで1年の予定がコロナのせいで2ヶ月で帰る羽目になっちゃいましたけど。だから、モノってなくて大丈夫だな、と余計に思うようになりました。ただ、今帰国後に世話になってた実家を出ることになってみると「じゃあ冷蔵庫と電子レンジと...炊飯器もいるよなぁ...」とかなってきますね。生活、というのがあるとどうしてもね。
新品価格 |
わたしのウチには、なんにもない。 「物を捨てたい病」を発症し、今現在に至ります 新品価格 |