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「アグリー・ベティ シーズン1〜4(ファイナル)」





やっと見終わりました。2006年9月から2010年4月まで放送されたテレビシリーズなのですが、当然、日本語字幕とかつけるために日本では時差があるわけで、私がレンタル屋で借りて見始めた頃にはまだシーズン1しかありませんでした。
元々、私がガキの頃には夕方5時6時くらいにテレビで、たしか「セサミストリート」とかと並びで吹き替えの「アルフ」とか「フルハウス」とかやっていて、夕食前の暇な時間をそれらを観て過ごしていた記憶があったため結構海外ドラマは好きではいたのだが、ここ何年かの海外ドラマブームがあるまでは忘れていた。というか、1人暮らしでようやく自由にテレビを観れると同時にネットの発達やバイトで忙しくなったりで「長いドラマなんか観れねーよ」ってなもんだし、サブカルっ子で『ミニシアター』みたいなコーナーにばっかり行ってたし、というわけでそのブームも無視していた。
ただ、ある日当時の自宅の近くにあった2軒のレンタルビデオ屋の内の狭くてサブカル多めな1軒が力及ばずな感じでゆっくりと潰れかけ、「質より量」という事なのか「なんでも1週間レンタル10本で1000円キャンペーン」をはじめ、その時期ちょうど学生になっていて多少は暇ができていたので、これ幸いと借りたかったものをまとめて借りはじめた。
いつ店自体が潰れるかわからないので勢い込んでまとめて借りたのだが、モノがモノだけに、メチャメチャ暗かったり、難解だったり、逆にモンド/キャンプ的な扱いのものだったりで、1日1本以上のペースで見ていくのはなかなかにしんどく、観ないまま1週間経ってしってやむなく返却することも多くなっていった。そこで『たまには休憩として軽いのも入れていこう』とコメディー映画や、1話完結型のシットコムの「フレンズ」を借りはじめたのだ。テレビを観なくなって何年も経ち、ドラマ自体観るのが久々だったせいかバッチリハマってしまい、逆に10本の枠をほぼ「フレンズ」で埋めてしまうようになり、あんなに『長くて観れない』と言っていたくせにシーズン10の最終回まで一気に観てしまった。

それ以来、ちょこちょこレンタルして観るようになったが久々に最後まで観たのがこの「アグリー・べティ」だ。
話の筋はというと、頭はいいがブサイクなべティーちゃん(アグリー・ベティ)が自分の志望する分野ではなかったにも関わらず、ひょんな事から畑違いであるファッション業界という見た目を重要視する世界で仕事をする事になって・・・でまぁドタバタありますが馬鹿にされながらもベティが頑張り、また成長し、というありがちっちゃありがちな感じの話。
私自身が「ファッションにはとんと疎いが見るのは好き、まぁ美術として見てるだけだから買わないけど」くらいの感じだったが、もういい歳になってきたのでそれもなぁ・・・・と思いつつとりあえず「プラダを着た悪魔」とか観たりする感じだったので、ちょうどよかったのだ。

「珍しく全部観た」と言った通り、面白かったのだが正直後半はなかなか手が伸びなかった。シーズン4で終わるならもう少しだし一応最後まで・・・と思って借りた所もある。
このドラマは、コロンビアで最高視聴率80%という大ヒットした「ベティ〜愛と裏切りの秘書室」のリメイク版という事で、海外ドラマの手順である「パイロット版→シーズン1→好評を受けての続編」という手順では無かった事もあるのか、途中から明らかに話がズレてしまったように思った。
シーズン2くらいまでは、ブサイクなベティが着飾ったファッション業界と戦いながら1話完結の物語で活躍すると同時に、徐々に隠された謎を解いていく、といった感じだったのだが、シーズン3くらいからは、謎も全部解けてしまった上に、(ブサイクなベティが)という前置きが無くなるくらいにだんだんと成長してセンスも良くなって綺麗になっていってしまい、最後の方ではギコチナイながらに色仕掛けまで繰り出すようになってきて、正直「これは・・・?」となって行ってしまった。
海外ドラマはシーズンが進んで人気が上がるに連れて、どんどん脚本家からの持込みがあって面白くなっていくという構造なのだが、元の話があってのリメイクということでそこからが上手くいかなかったのかな、と思ってしまった。
ただ、メインのキャラクター、メインの話から興味が離れてしまった後も、脇を固めるキャラクター達に魅力があり、「マークどうなったのかな?」「アマンダ観たいな」という興味だけで最後まで観れてしまったのも確か。リメイクだからということで無理が出来ないなら、「フルハウス」の後作られた「ジョーイ」みたいに、オリジナルでスピンオフ作品を作ってくれたら観るのになぁ。

凄く好きな作品だったので、視聴率低下が原因と言われているのも頷ける最後だったのは少し悲しいが、だらだら続かずシーズン4で終わったというのでサイズ的にはいい感じなのかも。
でももう1回見たいのはシーズン2までだな。

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Love And Death 「Between Here & Lost」



安易だが「放蕩息子の帰還」みたいな感じなのだろうか。元KORNのギタリスト、ヘッドのリーダーバンドの1stアルバム。
「宗教や彼個人のパーソナルな問題により wikiより」KORN脱退後、ソロアルバムを挟んで、新たにバンドLove and Deathを結成し、その1stアルバムだ。
元々大好きなバンドのギタリストがキリスト教に走って脱退、というのはカトリックの学校出身の自分にはなかなかの衝撃だった。しかしまぁ、「揺り返し」というか「極端から極端に振り子が振れる」なんてのはよくある話でもあり、個人的にも私が逆さ十字のペンダントさげてデスメタルをやっていた時にツルんでいた仲間に「実はキリスト教の学校出身なんだよね〜、笑っちゃうけど」なんて言ったら、「あ、俺も」「俺も俺も」と次々出てきて、「中学の時に上履きに逆さ十字書いたり、長髪にしてたら怒られた」なんていう馬鹿話をしたもんだし、マリリン・マンソンなんかはとてもわかりやすい例だろう。ただ、カトリックとプロテスタントでさえかなり違うように、福音主義者となると、なかなか日本では理解しづらい。
日本でクリスチャンロックというと、ライブで客席に聖書を投げていたストライパーくらいしか浮かばず、おもしろロック雑学みたいな扱いだったが、町山さんの本や、その中で紹介されていたドキュメンタリー映画「ジーザス・キャンプ」、ここ数年で一気に注目を集める事になったアメリカ大統領選挙などを見ていると、どうも物凄い数の人が福音主義者らしく、当然そこには市場が出来て、ハードコアパンクでもラップでもアニメでも教科書でもクリスチャン用のものが用意されているという事実が日本でも知られるようになった。その市場規模は想像よりはるかに大きく、ラウドロックも大人気だった日本では不当なほど知名度の低いCREEDがアメリカでは3千万枚売れてたりするのだ。
今改めて、wikiの「クリスチャン・ロック」の項を見てみると、歌詞として前面にだすか、ただメンバー全員がクリスチャンであるだけなのか、という線引きはあいまいであるものの、Flyleaf、MxPx、Mute Math、などなど有名で前から知っていたにも関わらず、クリスチャン・ロックであると認識していなかったバンドがたくさんある。それはもちろん歌詞をじっくり読むほど好きじゃなかったからなのだが、「こんなにいるんだ・・・」とちょっとびっくりする。

さて、アルバムだが、基本的にはKORNの延長線上にあり、リフメイカー、ソングライターとしてKORNの中枢にいた事は依然うかがい知れるがサウンド的にはFear FactoryやMeshuggah的な今風のサウンドプロダクションに変わっており、初期〜中期(私の中ではデイヴィッド脱退まで)KORN独特のグチャっとした感触は無く、クリアでデジタルでありながら一ひねり加えられた十分にブルータルであるグッドリフが詰め込まれている。初期〜中期KORNが大好きな自分からすると、デジデジしすぎていて苦手なのだがリフもいいし、ボーカルのエフェクト処理など適度に上手くテクノロジーを使っている非常にハイクオリティな作品だ。ソロとして出していたアルバムの延長だが、KORN的なものを求められるのを解っていながら、KORNまんまの音だったソロの1stシングルから4、5年で、KORNファンも納得させながら新しい要素も上手く盛り込んだモノを持ってきたのはさすがの才能としかいいようがない。
少なくとも、ここ3、4作のKORNのアルバムよりははるかにいい。
このバンドではボーカル専任だがそれも非常にうまく、クリーンパートもやすやすと歌い上げる部分などは、さらに安易な連想だとは思うがCREEDやP.O.D.などのクリスチャンロックバンドとも繋がるような、空間系エフェクターの広がり方が宇宙とも白昼夢的な陶酔方面のdeftonesとも違う、爽やかな空間広がり歌い上げ系へヴィネスなさじ加減で、ここはKORNファンには賛否あるかもしれないが、非常に上手くやっているので違和感は無い。「もしあのままメンバーの脱退も無くKORNが進化してたら・・・」という空想にかなり近いと感じる音だ。
彼が抜けた後のコーンに欠けている部分がここにはバッチリあると同時に、オジーの横で長年ギターを弾いていたザックのBLSのアルバムが出た時に「オジーよりオジーっぽいボーカル」と評された時のような、キチンとジョナサン直系のざらついているがシットリと唄うクリーンボーカルと、激しいシャウトがバランスよく収められている。ジョナサンが素晴らしいボーカリストなので目立ちにくいが、以前からバックコーラスは彼が行っていたのでそれも当然なのかもしれない。
ただ、PANTERAの後にダレル兄弟が結成したダメージプランに近いともいえるかもしれない。HALFORDのギタリスト、そして自身のPANTERA風のバンドのDIESEL MACHINEのボーカル/ギターだったパトリック・ラックマンはダメージプランでもヴォーカルを上手くこなしていたし、ダレル兄弟はPANTERA直系でありながらより幅を広げた曲作りをしていた。しかし特筆すべき点がなく、「PANTERAの代理」「十分及第点」くらいの評価にしかならなかった、というのが思い出されるのだ。

たしかに凄くクオリティは高い。メチャメチャよく出来ている。ただ、初期KORN時代やソロはじめたての時期のように、怒っていたり、追い詰められていたり、逆に救われた直後で、辛かった時期のものを作品化したものの方が人の心を打つ、という因果な商売なわけで、丸くなって勢いも失ったデイブ・ムステインに「もう1回ドラッグをやれ」と吐き捨てたダン・リルカまではいかないが、決定的な曲が無く、「高品質」という他には、「カムバックおめでとう」くらいの感想しかないのは確か。
どんな宗教や思想であれ、何かを強く信じる、そしてそれに突き動かされて作品を作るということはやはり得がたい事なので、20年後くらいにメチャメチャヘヴィーでサイケで陶酔的なサウンドを作り上げたりしたら凄いのにな、なんて妄想してしまいます。
禅や仏教にはまったジャズマンが物凄い「涅槃」みたいな作品作ったりするからね。思想はともかく作品としてそれはそれで凄いから。

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菊地成孔/大谷能生 「アフロ・ディズニー エイゼンシュテインから『オタク=黒人』まで」





菊地、大谷コンビの本、といえばもう何冊も出ているので好きな人ならとりあえず読むだろう。私もその1人だ。
幸運な事に、QuickJapanに出てる変なおもしろい人→あ、あの人の本か、『スペインの宇宙食』って面白いタイトルだな→マジかよ!超おもしれぇ!、という賛否ある著作の中で誰もがこの本だけはほぼ肯定的に捉えられ、自身の本の中でも言っている通り、ボロボロになるまで何度も読むような熱烈なファンを作った本から入れたからだろう。 ご多分に漏れず 、私も同じ本を単行本と文庫本両方買い、風呂用と外出用としていて、やはりボロボロなのでそろそろ買い換えようかと思うほどだ。
そして、私はバンドをやっていたのだがデスメタルやハードコアや、むしろロック自体にウンザリしていた時期で、フリージャズや即興、前衛音楽に傾いていき、一度キチンと理論を勉強しようかと思っていたところだったところに読んだので、その後一連の講義録などの本、ラジオ、CD、DVD、を貪るように読んだり聴いたりしていった。
一時は本気で菊地さんが主宰する私塾に行こうとまで思ったが、バンドで金を使い果たし、2度の引越しを終えて荷物を整理した時には、手元にはボロボロの『スペインの宇宙食』が残るのみだったので諦めた。一朝一夕でどうにかなるたぐいのもんでもないので金銭的に無理なのと、最近バンドに入れるギタリストの人選に疑問しかわかない事もあって、だいぶ私の気持ちが落ち着いた今は、たまーにラジオ聴いたり、本を読んだり、「お、SIMI LABとやんのか」とか思ったりな感じだ。

そんなわけで久しぶりに読んだ新しい(今となっては3年前に出たものだが)本だ。菊地/大谷コンビの講義録の本といえば『憂鬱と官能を教えた学校』『東京大学のアルバート・アイラー』だが、今度は慶応で「現代芸術」の講義というわけだ。
しかし、私がわりと知ってるといえるのは音楽くらいで、「現代芸術」といわれると弱いという事があるのだが、前にも行っていた菊地/大谷をひとりの人格「わたし」として書くことの他に、どうも本を作るに当たってかなり編集をしたようで、今までより堅く、いかにも講義っぽい感じになっているように思う。そして、これはあくまで上巻、前半戦で、後半戦のゲスト講師たちに送る為の、後期講義のためのたたき台としてわざと荒く、投げっぱなしで作っている感じがあり、これ単体で読むのはちょっとキツかった。あとがきとしての菊地/大谷の対談で、「実際の講義にはギャグや無駄話がいっぱいあったが削った」「この本が一番実際の講義から遠い」と言っていたし、わざとこうしている、というのはちゃんと書かれていたので不満は無いが、今までの自身の著作からの引用があったり前に語っていた事もあったりするので、今までの著作を読んでいる人は実際の講義に近いであろう、2人でやっていたWANTED!にも近いあとがき的な対談だけ読んで次巻「アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界」を読むのがいいかも。この本を読んだ上でゲスト講師陣が引用しつつ話をするはずなので、それだけで大丈夫な気がする。戻りたかったら戻れるわけだし。「視覚/聴覚の統合/不統合」みたいな話なので今まで語ってきた事、書いてきた事の総集編っぽい感じもあるし。
まぁそんな変な読み方する人いないか。私もちゃんと読んだ上で次巻を楽しみにしてるもんな。

デスメタラーであると同時にサブカルっ子で自意識としてはオタク、「なのにどうも今のオタクといわれる人達と通じ合えない」と思ってオタク評論にはまり、岡田斗司夫の『遺言』にまで足を運んでいた自分からしても、今回の本の「オタク=黒人」と表紙にまででっかく書かれた仮説はとても面白く、次巻でのゲスト講師の人選も素晴らしいので結局、後半戦への大いなる助走、ということなのかな。『東京大学のアルバート・アイラー』も同じような構成だったが、上巻でも無駄話やジョークが残っており、講義のテーマがテーマなので参考音源が大量に載っていてちょこちょこyoutubeで聴きながら楽しめたので、こっちの方がだいぶ楽に読めたけど。

よし、次巻買ってくるか。

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一柳慧、権代敦彦 「千年の響き」





子供の頃は毎週末に図書館に行って限界まで本を借りていた私だが、サブカルっ子になってからはほとんど行かなくなっていた。公の物としてアーカイビングされた本なんかより、拾ったエロ本から知識を得る事にロマンを感じていたせいだ。
しかし、もともと好きだし、最近になって「専門書って高いな」とか「三島由紀夫読み直したいと思ったんだけど、ここのブックオフには1冊しか無いな・・・」なんて思ったり、散歩してる時にトイレを借りがてらのぞいてみると、「近くの図書館も小さいながらに読みたい本も聴きたいCDもけっこうあるな」と気がついた。なんといってもタダだし。
ということでカード作って借りてみました。ちなみにあとは菊地成孔と三島由紀夫と音楽理論の本。

権代敦彦と一柳慧による、東洋の正倉院の復元楽器と声明などに、西洋の教会音楽のソプラノやオルガンを合わせた作品。
東洋と西洋、仏教とキリスト教、そして古楽器中心の編成で現代音楽の新作を演奏という色々なもののミックスである。
一柳慧は、オノ・ヨーコの最初の旦那として頭の片隅にちょこっと残ってる人も多いだろうが、現代音楽家としてジョン・ケージや電子音楽との関わりでも必ず登場する、日本の代表的な作曲家だ。
権代敦彦は初めて知ったが、カトリックの現代音楽作曲家ということで、私にとっては親近感がある。カトリックのクリスチャンということで、この企画にはうってつけなのだろう。

さて内容はというと、面白いけどねー、くらい。
私は幼少期をカトリックの学校で育ったせいか宗教的なものに抵抗が無く、民族音楽なども好きだったのでその延長で宗教音楽を聴いたり、サブカル趣味の延長で新興宗教の音楽(Psychic TVとかもこっちに入れたほうがいいくらいだし)も聴いたりしている。
基本的にはお祈りと共に、トランス状態になるための道具としての実用音楽なわけで、ドローンっぽかったりミニマルだったりダブっぽかったりする音楽と、教会や礼拝堂などの特殊な音響と相まってのものだ。
そういう意味で、そこからそういった意味を取り去り、混成グループで、10回ほどのコンサートのその中の1回分のライブ録音、という事で現代音楽として聴くとまた違った評価が出来るのかも知れないが、そこには明るくない私には、試みは面白いし、古楽器の響きも新鮮でいいと思うのだが、宗教音楽風味の現代音楽にしか聴こえず、そこをどう受けとめていいのかがいまいち解らない作品でした。
ブックレットに載っている、復元された古楽器の写真と説明は興味深く読めたし、おもしろいなぁ、と思う要素は所々あるんですけどね。

こうなると、声明VSグレゴリオ聖歌VSホーミーとかみたいに、K−1のモンスター路線っぽい面白さをちょっと求めようとするサブカル者の悪い癖が出ますね。マッシュアップでも作ろうかな。たぶん普通に聴こえると思うけど。てか菊地/大谷のWANTED!でもう既にさんざんやってるか。

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BIKKE 「FOR SALE」





アマゾンにもデータが無く、検索してもろくに出てこない。何故なんだろう?
TOKYO No.1 SOUL SETのヴォーカル、リリック担当のBIKKEの詩集だ。BIKKEの初単行本らしい。ただ詩が書かれているだけではなく、写真や図や絵と共に、色々なフォントやデザインで60の詩が書かれた本。
パルコ出版というのもこの本の形態も、なんというか今となっては、ムズかゆいような、アートぶったサブカルぶったセゾングループ的な80年代なバブリーな感じに見てしまえもするのだが、やはりそこはさすがBIKKKEという感じで、何気なく写真に写っても様になるし、詩の1つ1つがとても興味深い。
どれも短い詩なのだが、不条理なショートショートのような言葉の連なりで、前文とかみ合わずに世界がずれていく感じがとてもサイケデリックだ。スポークンワードっぽい即興感ともいえる。表紙の下の方に「SPOKEN WORDS #3」と書いているのだが、そうなのだろうか?
詩に対して、写真やデザインなどは特筆すべき所がないように思えたのが残念だったが、これもまた80年代っぽいと微笑ましく見ればいいだろう。
しかしマジで情報が出てこない。検索しても、どれも「97年に書き下ろしの単行本『FOR SALE』を〜」と軽く触れられているだけだ。
それも、BIKKEっぽいっちゃぽいけど。
といっても、今までソウルセットにハマったりはしなかったんだよな。これを機会にもう1回じっくり聴いてみるかな。

そういえば特に気に入った詩があって偶然それに付箋を貼ってたので気がついたのだが、その詩だけ2回出てきた。だから正確には59の詩が書かれているのか。なんであれだけ2回出てきたんだろう?確かに凄くいい詩だったけど。

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「ウィンターズ・ボーン」




レンタル屋で見かけてなんとなく、家族の事でいろいろ苦労しつつも田舎で強く生きる美少女、みたいな「ギルバート・グレイプ」っぽい映画かな?と思って借りたのだが、これが大きく違った。でも凄く良かった。
町山さんが解説をしているので観れば誰でもこの映画の背景が解るが、そもそもヒルビリーの事がわかっているアメリカ人が見ることを前提にしているのか、この映画は説明が極端に少ない。知らないまま観ていると、意味がわからないことが多いと思う。
私は町山さんの本も好きで読んでいたし、元々「ホワイト・トラッシュ」や「レッドネック」とかいわれる人達や、ダークサイドオブアメリカに興味があったので、たぶんこうだろうと予想しながら見ていてそれが当たっていたので、緊張感ありつつも面白く観られたが、あまりそこら辺に興味が無い人は、解説を見てからじゃないとわけがわからないと思う。
最近は説明過多な映画や本ばかりになってしまったので、それに比べてこの映画は新鮮なほど説明がなかった。
町山解説を見るまで、確信を持てなかったが面白く最後まで観られたのは、きっといわゆる村社会である日本、特に田舎の方の事なんかと重ねて観ていたからだろう。
手塚治虫の「奇子」や中上健二の小説、放送禁止歌になっていたりする昔のフォークソング、田舎で起きた未解決事件などなど、この映画と共通するものは多いと思う。そういうのが好きな人はたぶん好きだと思うので是非観てほしい。

そしてやっぱりそういう環境中であっても、いや、そういう環境だから余計になのかもしれないが、この映画のジェニファー・ローレンスはとても美しいかった。
いい映画だ。久々にはっきりと「名作だ」と思える映画だった。

町山智浩さんの解説↓

(予習編)

(復習編)

ウィンターズ・ボーン(字幕版)





杉作J太郎 「応答せよ巨大ロボット、ジェノバ」



「自伝的小説」と言われているのに、何故巨大ロボットでアニメ絵の表紙なのか?という疑問から、気になっていたのに買っていなかった作品。
やっと読んだが、ハッキリ言って文章自体は上手くない。箇条書きのような体言止めを多用した短い文が連続していく、ラノベと呼ぶにも中々厳しいくらいの文章だ。時に人称が変わったように感じたり、急な場面転換についていけなくなりそうになる。
物語自体もなんて事の無い、少し前からアニメ好きになった杉作さんが書きそうな、エヴァっぽいいかにもな設定と登場人物が出てくる物語だ。普通ならロボットの操縦士である主人公が十代の少年少女ではなく、まず間違いなく杉作さん自身がモデルであろう人物の40代というところが、この作品の個性として大きな役割を持っているが、物語とリンクするような事は起きず、その設定もあまり物語にいい効果があったとは思えない。

しかし、なぜか読ませる文だ。
短文が続くからといって簡単に詩的だと言ってしまうのもどうかと思うが、不思議と魅力がある。
当然、主人公がプロレスの仕事を辞めた後のどん底で死をも考えていた杉作さんだという事で、物語とは関係なく、語られるエピソードに「これはアレで、この人物はあの人で・・・」と考えてしまうし、そこで描かれる心情や行動はとてもリアルに絶望感が迫ってくる。
もしかしたら、こういう風に今自分が好きになったアニメみたいなもので覆ってそおっと出すようにでもしないと書けなかったのかな、と思った。この前よんだエッセイ集でも時期的に鬱だった時もあったはずだが、多少はそういうところも見えるもののハッキリとは書かれていない。吉田豪インタビューくらいで、おおっぴらに話した事は無いんじゃないだろうか。
そういう意味でやっぱりこれはあくまで杉作J太郎の本でしかなく、物語や文章自体にそこまで評価できるようなモノがあるわけではないので、杉作さんのエッセイや漫画のファン、もっといえば杉作J太郎という人物のファンしか楽しめないとも言える。ここにある魅力は、杉作J太郎自身の魅力だ。だから、ファンはとても楽しめるだろう。
私は楽しめた。それ以上のものではないと思うし、エッセイや漫画の方が面白いけど。

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増田晶文 「果てなき渇望」





2000年の文芸春秋ベストスポーツノンフィクション1位になった、ボディビルについてのノンフィクション。

「ボディビル」という言葉には、マイナスのイメージが常に付きまとっていると思う。「真っ黒い肌にテカテカにオイルを塗ってステロイドで肥大した何の役にも立たない筋肉を誇示するナルシスト」みたいな。
私にしても、基本的には同じような認識だ。たぶん最初にボディビルを意識したのは、「ラガーマン」「プロレスラー」「ボディビルダー」みたいなチームに分かれて重いものを運ぶ競争をして、それの順位を当てるクイズ番組で毎回のように負けるボディビルダーチームと、「あれは見せかけだけの筋肉だから力は弱いんだ」と言う父親の声だ。
1歳から喘息で体が弱く、後に治ったものの、中学でサッカー部に入ってもガリガリで補欠だった私にすれば、大きく筋肉に覆われた体というのはもちろんカッコよく見えたし、そのころK−1ブームとかもあったので、サッカー選手やバスケット選手をはじめ、空手家やボクサー、プロレスラーや柔術家の肉体も、とても羨ましかった。しかしそこにボディビルダーはいなかった。
ちょこっとプロテイン飲んでは止めたり、筋トレしてもなかなか筋肉がつかないので続かなかったり、部活引退後にバンドをはじめて中性的な所がイイと言われてしばらく逆な方向に走ったりした。
20代も後半になり、油断するとすぐ太り、疲れやすくなった時に、「やっぱり体が資本だよな!」なんていってダイエットも兼ねてまた筋トレとジョギングをはじめた。
高タンパク低炭水化物な食事や必要な栄養素、効果的な運動、続けるのに必要なモチベーションを持続させる方法、食べていいオヤツ、専門書も充実し、ネット検索ができるようになって手軽に調べられてイロイロ知識が増えた。そこに、チラチラと、今まで視界に入らなかったボディビルダーが入ってきた。「ビルダーは特殊だから真似しない方がいい」「あそこまでは行きたくない」「ああいう極端すぎることをやると逆に不健康になる」「ありゃステロイドだから別だよ」等と書かれている事が多かったが。
なんとなく気になって、イロイロ調べるようになった。もちろん目指したりはしてないが、体を鍛える為のヒントはたくさん持ってそうだし。
そうするうちに、さすがにコンテストに出るクラスのビルダーはやはりなりたい体ではないが、その生活やトレーニングメニューを見るうちに、その「過剰さ」ゆえの「マイノリティー」であるという点では非常に共感できるものがあることに気がついた。アタリマエだがあんなに筋肉はいらないし、筋繊維が見えるほどダイエットすれば逆に体は弱まるのだ、同様にあんなに速いスピードでギターを弾く必要も無ければ、歌詞がわからなくなるほど声を潰す歌唱法も必要無いのだ。
「でもやるんだよ」である。
この本では「コンテスト」「女子ビルダー」「禁止薬物」「生涯をかけて」という4章で出来ている。わざわざ「禁止薬物」「女子ビルダー」、そしてシニア部門に出場する50代60代のビルダーに1章ずつを割いているので、ボディビルの世界を深く知れると共に、歴史を知れ、全体を見渡せるようにもなっている。
あくまでこの本は「ボディビル」というもののノンフィクションなので、本が出るより先にまず「禁止薬物」の章が雑誌「Number」に掲載された事からも解るように、おそらく一番興味をもたれるであろう『ステロイド合衆国 〜スポーツ大国の副作用〜』(原題 Bigger, Stronger, Faster)で描かれたようなショッキングさとは無縁で、あくまでボディビル的性善説にのっとったような書き方をしているので、下世話なノリで読もうとすると、「葛藤があっても真面目に頑張って努力してます」という話が続き辟易してしまうかも。
しかし、さすが1位と思わせる丹念に取材された面白い本だったので、ボディビルに興味が無い人も読んで損はないと思う。文章自体も素晴らしいし、名著ですよこれ。

まぁ性善説で書こうとするあまり、さんざん本の中で引用し、ある種の象徴として描いている三島由紀夫が今や公然の秘密となっているようにゲイであったことには全く触れず、「ボディビルとゲイは絶対無関係だ」と言い切ってしまうあたりはちょっとひっかかったけど。

似たタイトルで近い内容のドキュメンタリー↓



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「セキ☆ララ」





『あんにょん由美香』などで有名な松江哲明監督作品。
「韓朝中在日ドキュメント」と銘打たれている通り、自身が在日三世である監督が、第一部で在日三世のAV女優の相川ひろみが生まれ故郷への帰郷を、第二部では在日二世のAV男優の花岡じったと中国人留学生にしてAV女優の杏奈の横浜中華街デートを撮った二部構成となっている。
そして、この作品は『Identity』という元々AVとして発売したものを再編集し、エロ要素を削ってドキュメント作品としての一般公開されたものらしいので、多少露出やセックスシーンはあるが、それはあまり重要ではないので気にしなくていい。
なんというか、監督のバックグラウンドを考えると当然でしょうが、社会派AVと言われていたような昔のAVと自主映画を合わせたような作品だった。
この監督の作品を観たのは初めてだったが、『あんにょんキムチ』『あんにょん由美香』『ライブテープ』などは話題になったので作品の粗筋は知ってるし、インタビューなども読んだのでなんとなくは解っていたが、この監督は一貫して自分のアイデンティティを探しているんだろうな、という感想です。ハッキリと自身のルーツについて撮っているのは『あんにょんキムチ』だけなのだろうが、たぶんどの作品でもそれをしているのだろう。
この作品は、込み入った諸々の事前情報を考えると、あっけないほどの普通の作品だった。生まれた場所や育った場所に久々に行って、昔を懐かしんで泣く女の子。普通の日本の女の子と同じように、お金のために無邪気にAVに出る中国の女の子。日本で育ったから日本人の感覚しかないと語るが自分の国籍が韓国(朝鮮籍から変更)だという事で、やはり葛藤があるAV男優。そして当然、元々がAVなのでセックスをするシーンが挟まる。最後に結論が出ないという、ドキュメンタリーとしてありがちな、そしてテーマ的に当然な感じで終わる。
監督が描こうとしているから、日本と韓国と中国という問題が前面に出ているのだろうが、「自分のアイデンティティがわからない」なんていうのは、よっぽど強い意志があるか、メチャメチャ過酷な生まれか、なにかの信者以外の人はみんなそうなわけで、いわゆる「在日」といわれる人々だけの事では無い。そして、在日のAV女優やAV男優という条件で探してキャスティングされただけで、初対面の人に「あなたのアイデンティティは?」なんて訊かれても、そりゃ「家族」とか「日本の社会」とかの答えになってしまうだろう。
豊田道倫を撮り続けるカンパニー松尾と同じように、前野健太を撮った松江哲明は『ライブテープ』の中でも自分の身の上話を語ったりして、賛否両論となっている。同じ事だと思う。
映画監督として「映画」をアイデンティティにして、いい映画を作る事だけに躍起になればいいんじゃないか、と私は考えてしまうのだがどうなんだろう?

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「サバイバルゲーム MAN VS. WILD シーズン1 DISC1、2」





少し前から話題になっていて、気になっていたDVD。とにかく、予告編のダイジェスト映像が凄かった。どうやら日本版が出たのは去年だが、海外ではすでに大ヒットしてシーズン6までDVD化済みという事でオイシイ所が満載の15分もあるちょっとしたベスト版みたいなPVだった。逆に言うと、これでお腹いっぱいになるかも。

この番組は
『勘違いされやすいが、「サバイバルドキュメンタリー」ではなく、「サバイバル術を見せるTVショー」である                                               wikiより』
ということで、要はボーイスカウトとか昔学研の漫画や子供向けの単行本で読んだ『無人島に行った時に役立つ知識』のハードコア版みたいなもんで、「ほどけない紐の結び方」とか「木の切り株の年輪を見ればどっちが南かわかるよ!(今調べたら、否定されてましたが)」とか「海水から真水を作るには、まずペットボトルとビニールシートと用意して、火を起こして・・・・(で大体「都合よくそんなに持ってるのかよ!みたいなツッコミ入れる)」みたいなのを覚えている。ガキがちょっと頭良くなったような気分に浸って、家からリュックにモノ詰め込んで公園行っちゃうみたいな感じ。男の子は皆好きでしょう。私も経験あります。
最近でいうと、「マスターキートン」とか「自殺島」とかがそうかな。
この「サバイバルゲーム MAN VS. WILD」は主人公がベア・グリルスという、元イギリス軍特殊部隊SASの現冒険家という経歴なので、よけい「マスターキートン」とかぶりますね。
このテレビシリーズは毎回極限の環境下に赴き、そこでベアさんが大体はナイフ、水筒、発火石だけを持って、そこで「過去にハイカーがここで遭難をした時・・・」みたいな例をあげ、「そして、こんな時はこうするんだ!」とお手本を見せながら人のいる所を目指す、というものだ。
ダイジェスト版でも一番ピックアップされていて、これが見たいと思って借りる人続出であるだろう事がやっぱり食べるシーンです。
木の実やヘビやウサギを焼いて食べるのは当然、カエル、ミミズ、ウジ虫、魚を生でそのままパクリ、果てはライオンとハゲタカの食い残しのシマウマを食べたりするのです。
「これで貴重なたんぱく質が取れます・・・・うぅ・・・・ひどい味です」がキメ台詞。
私はレンタルで観たので、ボックスではなく1枚ずつになっており、エピソードごとに繋がりが無いため特別DISC1、DISC2みたいにはなってないので、とりあえず規格品番順に観ていこうと2枚借りて観てみた。
童心に返ってワクワクドキドキするし、とても面白いのだが、やはり今か今かと期待してしまうのは
食うシーンで、それ以外はとてもハードだとはいえ旅行番組気分になってしまうというか、正直そこまで惹かれないというのが感想だ。わざと過酷な状況に入って行き、そこから安全に脱出、という流れは、アクシデントが続出するドキュメンタリーと逆で、どうしてもダラけて観てしまう。ベアさんがずっと喋りながら間を持たせてくれるとはいえ、基本的には同じような山や砂漠の風景の中を歩いてるわけだからね。素晴らしく雄大な自然は美しいが、テレビで45分ずっと眺めているのはツライ。
というわけで、「あのPV観た感じだと大人気だろうから、借りられるかなぁ・・・」なんて思って行ったものの、半年で既に旧作になっており、しかも全巻借りられてない、という状況も納得してしまった。

難しい所だけど、予告編のダイジェスト映像が良く出来すぎで、見せすぎてたのかな。ちょっと残念。でもやっぱり全巻観るつもりだけど。
買いはしないかな、と思ったが、日本版は1万円近くて、海外版は1200円程度か・・・・相変わらず凄い価格差ですね。この値段なら海外版買おうかな。

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