2013年05月17日
団鬼六 「真剣師 小池重明」
自分にはあまり関わりが無いが妙に気になるジャンルと言うのがある。私にとっては数学と将棋だ。
数学も将棋も、まぁ「一応ルールを知ってる」程度にかじった事しかないのだが、数学家や棋士のエピソードはとても興味深く思い、よく本で読んでいる。
私は文系なので高等数学どころか微分積分すら危うく、将棋はなんとなく駒を動かしているにすぎないので、いわゆる「数学の本」「数式」や「詰め将棋の本」「棋譜」の中にドラマや美を見出したりすることはできないので、あくまでその人生、哲学、ザックリ言うと「数学者」「棋士」という職業のその人そのものに興味がある。
他人からは見えない、自分の頭の中で起こったことを五線譜やテープレコーダーの上に表現し、それは時に「天啓」とも言えるひらめきだったり、逆に緻密に積み上げられていったものであったり、即興的な芸であったりする、音楽家と通ずるものがあるからだ。なにより一番似ている事は、自身の頭の中で模索したり積み上げたりしているうちは、外からは空想癖のあるただのボンクラにしか見えないという事で、そしてそれ故に人生が破綻することが多いという事だ。
この本の主役は「プロ棋士」ではなく「真剣師」だ。簡単に言うと賭け将棋で食っているアウトローだ。その名称は、なにか伝説的な話の中や一種ファンタジーとして私の中であったものなのだが、この小池が亡くなったのは92年、それも44歳の若さだ。つい最近の話なのである。
このような本になるくらいなので破天荒な人生だった事は読む前から予想できて、侮っていたのだが、これが物凄く面白い本で貪るように読んでしまった。
「新宿の殺し屋」「プロ殺し」「最後の真剣師」なんて異名を持つ人間なのだが、その名の通りで、「プロ殺し」でプロと対戦しても勝ち続け、「最後の真剣師」で元々真剣師自体が激減していた時代なのにさらにアマ名人のタイトルを勝ち取ったりプロに勝てば勝つほど対戦者が居なくなるのだ。本来の意味で「真剣師」としていられたのはアマ名人になった後のしばらくまでで、その後は団鬼六が賞金を出す形でしか将棋で金を得ていない。
うーん、とにかく面白すぎるので読んでみて欲しい。
これは将棋好きの人だけに向けられた、単なる破天荒型の天才の話ではない。
人は皆、「プロ」と「アマチュア」という言葉で分けられている。例えば、幼稚園の時は怪獣博士だったかもしれない、小学生の時は野球、中学の部活でサッカーを頑張っていたかもしれない、高校大学で俳優かなんか目指したりしたかもしれない、何故、今それを続けられていないかというのは「アマチュア」と「プロ」の壁があるからだ。「アマチュア」である以上、それ以外の事で口に糊しなければならないのだ。
ライセンスが発行されるものもあれば、ひどく曖昧なものや、むしろアマチュアの方が金を持っていたりもする、いざプロになれたってピンキリなのは当然だ。
つまり、全ての人にこの物語は有効だと思うのだ。
あえて「物語」と書いたのは、小池重明という人間はまるで団鬼六という作家の小説の主人公のように生き、そして亡くなったからだ。
これは小池重明の物語だが、その物語の後半には団鬼六がそばにいる。「プロの」小説家で、「アマチュアの」棋士として、アマでありながらプロにも連勝する小池に魅力を感じてしまい、最後まで縁を切りきれなかった、ただのファンとしてそこにいる。
それを感じられるのも数多くの破天荒型の天才の物語と違う所だろう。
ただ単純に本当に面白く読めた本でもあり、イロイロな事を考えさせられる素晴らしい本だ。特になにかの「プロ」になろうとしている人は読んだ方がいいと思う。
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