2020年11月02日
大里俊晴「ガセネタの荒野」
私の敬愛するバンド、ガセネタ。QuickJapanで山崎春美の書いた「宇宙人の春」の歌詞を読んで以来、私はアングラ/サブカルに一直線になってしまった。
そのガセネタやタコで山崎と行動を共にした大里俊晴の著作。タイトルは元々のバンド名で、内容もガセネタの思い出だ。
山崎にあっさり「少女マンガ」と切り捨てられた本作だが、数少ないガセネタの資料としてはやはり貴重だ。
とはいえ長く絶版だったのがやっと復刊し、手に入れた時はとても興奮したのだが、やはり私も一度読んだきりになってしまっていた。
山崎と浜野純の二人に比べて自分は...などと卑下しながら書かれる思い出はあまりに感傷的で、「少女マンガ」と言われるのも頷けてしまうし、どうにも80年代的なスノッブさや青臭さが抜けていない文章はなんだか居心地が悪くなる。とはいえ、印象的な文章もある。
「『遅すぎる。』浜野はいつも言っていた。そう、書くことは、あまりに遅すぎるのだ。スピード、スピード、スピード、それが全て」
「晒すこと。そう、山崎にとって過剰とは晒すことだった。増やすことではない。むしろはぎ取ることだ。強調することではない。むしろ弱くなること。だが、極限にまで」
「つまり、彼らは御飯を炊くことすら、出来たくなかったのです。」
「僕らは、あの時、ほんの一時、ほんの少しだけ、自明で論理的なことがなんだか分からなくなることが、分からないでいるということが出来た。そのお陰で、この必ず敗北すると決まっている闘いを、それでも闘うことが出来たんだ。それだけが、僕のこの下らない人生でやった、掛け値なしに、最高のことだ。そう思っている、今でも。笑うがいい。」
しかしそれに比べて、たかだか16、7歳の浜野の言った言葉のなんと鋭いことか。
「削ぎ落とすんだよ。削ぎ落として、削ぎ落として、残った骨だけがぼおっと光っていればそれでいいんだ。」
アングラだサブカルだっていうのは金持ちの遊びだ、というレッテルも、今の時代の貧しさを見ていれば正直頷けてしまう。
彼らは恵まれていた。この自分を蔑む著者ですら早稲田からフランスの大学に留学し、大学で教鞭をとるようになる。
どうしようもなく嫌悪の対象で、しょうもないと吐き捨てたい一方で、同時に憧れで、羨ましくてしょうがない。
この本自体はさほど読む必要性は感じないが、音源は是非聴いてほしい。
そういえばこの本はなぜか英語版もあって、これも英語の勉強の為にと思って買ったんだよな。まだ1ページも読んでないや。
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