2017年07月23日
「FAKE」
あの佐村河内守のドキュメンタリーを森達也が撮る、というだけで期待が高まる作品。
なんだけど端的に言うと、やっぱりいつもの森達也の映画。
要は「自分で考えろ」って事。
森さんのいつものスタンスだし、本来どれもそういうもので、宗教じゃないんだから。本1冊読んで、映画1本観て、それを全部信じるって方がおかしいわけで。
イロイロ観て、イロイロ読んで、自分で考えるべきですよ。
そもそも「ドキュメンタリーは嘘をつく」だぜ?
原一男の本の帯にも「ドキュメンタリーはフィクションだ」ってあったしねぇ。
森さん自身も何度も言っているし、今回も
-「FAKE」は映画です。そして僕は映画監督です。これまでジャーナリストなどと肩書きを自称したことは一度もないはずです。正式な肩書は「作家・映画監督」。作る人です。伝える人ではありません。
映画は表現です。主観です。-
(Facebook 【神山典士氏の発言に対する反論】より)
と書いている。
ご存知の通りの事件、というか騒動があっての作品なわけですが、まず、あの騒動の私の感想って言うのは、「よくあることじゃん。っていうかあの指示書めちゃよく出来てると思うけど」って感じ。
作曲のクレジットなんか権力のある奴が取る、ってのはバンドだとよくある話なんですよね。
ジェイク・E・リーがいた時期のオジーバンドの曲は、クレジットはオジーだけど全部ジェイクが作曲してた、とか。
Fight時代、ロブ・ハルフォードが全部作曲のクレジット持ってったけど、「テープに鼻歌が入ってるだけのやつを、コード進行とかリフ考えて曲にしたのは俺らだよ」ってインタビューでメンバーが苦笑してたり。
それ以外でも、ミリ・ヴァネリなんか歌ってなかったのにグラミー賞の最優秀新人賞を獲っちゃったり。そういうのはけっこうあるんだよねぇ・・・。弟子の曲パクる師匠とか。
「音楽は魔法ではない」(大森靖子)し、作曲っていうのは、完全に無からなにかを生み出すっていうものでも無いし。
新垣さんのwikiに出てる、著作からの抜粋も、おおむねそんな感じの事を書いてるしね。
ここら辺↓
「彼の申し出は一種の息抜きでした。あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者だったら誰でもできる。どうせ売れるわけはない、という思いもありました」、「自分が作曲した作品が、映画音楽であれゲーム音楽であれ、多くの人に聴いてもらえる。その反響を聴くことができる。そのことが純粋に嬉しかったのです」などと語っている。
代作の実態については「彼は実質的にはプロデューサーだった。彼のアイデアを実現するため、私は協力をした」、「彼が依頼し、私が譜面を作って渡すという、そのやり取りだけの関係」、「彼と私の情熱が非常に共感し合えた時もあったと思う」などと語った
-新垣隆 wikiより-
佐村河内守さんは勿論なんだけど、新垣隆さんも特異なキャラクターなのがまたね......その後のバラエティー番組で観るとメチャメチャ面白いし。
なんというか、やり方はゲスいし人間的にはアレなんだけど、佐村河内の自己プロデュースは上手くて、話題になりすぎたから新垣隆さんが先手を打ったって感じだと思うんだよねぇ......告発という形ではなく、第三者からの密告なら共犯扱いだったろうし。
まぁ、分岐点はやっぱりNHKのドキュメンタリーだろうなぁ......あそこでやりすぎた感じ。
で、映画自体は、本当に淡々と現在の日常生活を写しだしながら進む、いつもの森達也のドキュメンタリー。『職業欄はエスパー』を思い出す感じ。
そこにテレビ局の人間が出演交渉に来たり、断ったら新垣さんが出て、笑いをガンガンとってたりするのを見ている所をまた撮る。
私最初はけっこう下世話な感情で観てたし、その下世話な興味も満たされるネタ満載の映画でもあるんだけど、これ、やっぱり考えさせられる作品なんだよね。
とりあえず、私はそりゃ医者でもなけりゃ本人でもないから本当の所はわからないけど、話してる所を見ると、聴覚障がいのある人特有の喋り方だと思うし、そこはもう追求してもしょうがないと思うんだよね。
本人が基本ナルシストで中二病な人だとは思うので、なまじ妻などの理解者がいて、世間からも評価されてしまった事で調子に乗っちゃった部分もあるとは思うんだけどねぇ......。詐病も立派な病気っていうかさ、例えば「歩けない」って思い込んで10年歩かなかったら、筋肉も衰えて本当に歩けない人になっちゃう、みたいなのもあるしさ。
海外のメディアからのインタビューでも「この文章から音楽になるのがわからない」「何で楽譜の書き方を学ぼうとしなかったのか」という質問があったけど、職業作曲家への発注なんてもっと雑だし(ヒャダインの情熱大陸とか観るとわかりやすい)、楽譜なんて書けなくてもとりあえず問題なく仕事できてりゃ学ぶ気にならない(ブルースやロックのミュージシャンには珍しくない)のも普通だしね。
にしても3年あったら言い訳の為に必死こいて楽譜の書き方もピアノも学んでおけばいいのに......ってのをやらないのも佐村河内さんなんだよね。
『職業欄はエスパー』では「(森さんが)信じてる人だと思ってるから(ダウジングが当たった)」に「信じてないですよ」と返すラストだったが、今回は「僕のこと信じてくれますか」に対して「信じてないと撮れませんよ」だったのがちょっとビックリしたかな。でも最後に自分がしていたことは「信じているフリかもしれない」と佐村河内さんに言ってもいるんだよね。
でまぁ、「言わないでください」っていう衝撃のラストが......もう結構前の作品だから書いちゃうけど、実際に自分でシンセで曲作るんだよね。カメラの前で普通に弾くし。
実際出来た音楽は、クラシックと言うよりはゲーム音楽に強く影響を受けたものに聴こえるから、そういう意味で共作者として新垣さんって人選も頷けるんだけど。
森さんからの「音楽作りましょうよ。本当に音楽好きなんですか?」という挑発に答えた形だけど、森さんは佐村河内宅へ通い詰めるのをしばらくやめているのとかもね、たぶんワザとだと思うんだよな。ワザと全部撮らないで、ズルをする余地も残す(したかどうかはわからない)っていうやり方。
ある程度シンセ弾けるってのは本にも書いていた事だし驚きはしなかったけど、また曲が凡庸でねぇ......。
なのでこの映画で論争が起きるのは当然の事なんだけどさ、やっぱズレてるんだよね。
意見が対立してるって言うか、ズレてる。
ポップスとクラシックの差とかさ、最初の方に書いた、ジャーナリストと作家の差とか。全ろうなのか、ちょっとは聴こえているのかとかさ。
記者会見での記者とのやりとりについて、障がい者団体の方が「あれは全国の障がい者にけんかふっかけてるようなもんだと思う」という所とかもっともな感じなんだけど、ちょっと調べると、ただの個人間の喧嘩な感じだし(あの言い方や、そのやり取りをヘラヘラ笑う周りのメディアは良くはなかったと思うけどね)。
インパクトのある登場と発言だった前川修寛さんという人も、ググってみると「レイキ・ヒーラー」って肩書きもあったりしてなかなかね......。
なんにせよ、なんであれそんな二元論で簡単に言える事じゃないのになぁ、って。
ただ一つ確かなのはこの映画で披露された曲が凡庸だっていう、その一点。
音楽映画や音楽家の出ている作品なら、そこがよければもうオールオッケーになるんだけどね。
ならなかったねぇ......森さんもわかっててエンディングテーマに使ってると思うしね。
当時音楽本の問屋に勤めてたからさ、一気に売れて、一気に回収になったのは目の前で見てたけど、なんかねぇ......これももう何年も前なんだねぇ。
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