前にも書いたが、私は災害が大きかった宮城の南三陸町に隣接する市に住んでいる。
車のガソリンメーターは下から1目盛りしかないが、
街まで10km有るのだが往復ぐらいはできる。
地震から今まで、ごはんと味噌汁の他何も口にできない状態である。
したがって、納豆なり缶詰なり、何かおかずになる食べ物は販売されていないか
街に行ってみた。
街に行く途中でコンビニがあるので寄ってみた。
コンビニは営業していたが、タバコと雑誌類とガムが売れ残っているだけだ。
その他の食品棚はすべて空っぽ。
そこで、街のスーパーやドラックストアーなど回ってみたが、
食べ物は何も売っていない。お菓子や食べ物の食品棚はすべて空っぽ。
街に行く途中にガソリンスタンドが2軒あるが、どこも閉鎖、販売終了という立て札。
貴重なガソリンを使って街まで行ってきたが、何も手に入らず自宅に戻った。
地震発生から10日、自宅から出ることできない。
そういえば、今日は彼岸の入り祝日なのに普段は混雑する県道も車がまばらである。
どこの家庭もガソリンが手に入らないから、車で出ることもできない状態であることが推測された。
これでも、数日前に電気と水道が復旧し、暖かいご飯と味噌汁だけは確保できている。
また、お風呂にも入れるようになった。
それに、ふとんの中で眠る事ができる。
避難生活者と比べれば自分は恵まれている方だと思う。
数日前までは、電気も水道も灯油も無いから、
テレビでの情報収集、固定電話、携帯電話何もかもがだめだった。
お風呂に入ることもできなかった。
夜は蝋燭の明かりしかなく。余震におびえ暮らしていた。
最近、テレビで被災者や支援者へのインタビューの場面を見ると、
インタビューに答えている方々の口の周りには髭が生えていた。
それは、地震からずっとお風呂にも入れず、髭も剃ることができないことが
容易に想像することができた。
被災地での支援者も不眠不休の状態なのである。
しかし、東北だけで35万人の避難生活者がいるとは、
今後の彼らの生活をどのように立て直すかそれが課題である。
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