2022年04月04日
50歳代が見ている動画
近年、youtubeの公式サイトで昭和の仮面ライダーシリーズや昭和の50年代のアニメーションの多くが無料配信されている。
子供向け番組だが見ているのはコメントからして50歳代から60歳代手前の人がほとんどだとわかる。
再生回数はうなぎのぼりである。
今から40年以上前に制作されたものであり、現在の50歳代の人たちが幼少期、少年期に見たものだ。
子供向け番組の上記の特撮動画だが、今見ると立ち回りなどケガの連続で命がけで役者を演じていたのだと感激する。
昔の俳優さんや美人の女性、スタントアクション、俳優の本気度や熱意が伝わり
寛容だった時代の雰囲気を懐かしんで楽しんでいる。
私は当時、叶和貴子さんやマリーン役の名代杏子さんが好きて見ていた。
2021年07月26日
宮城県には漫画家石ノ森章太郎の生家と記念館がある
2年前のフランスでのジャパンエキスポでは漫画家の永井豪氏が招かれた。
永井豪氏といえばマジンガーZやUFOロボグレンダイザーをはじめとするロボットアニメの大家であり、
特にUFOロボグレンダイザーはフランスではキャプテンハーロックと並び大人気のアニメだったそうだ。
故石ノ森章太郎氏のアシスタントを務めた縁のある人物である。
石ノ森章太郎生誕82年、没後22年であった。
石ノ森は手塚治虫と並んで日本の漫画やアニメーションの草創期をつくった漫画家の一人として有名であり、
彼らの頑張りがあったために漫画が日本で発展し続け、漫画やアニメーションとして世界から受け入れられ
エンターテイメントとして今や世界を席巻し、多くの人に楽しみと感動を与えている。
外国人が日本を好きになるきっかけは漫画やアニメーション、日本食、伝統文化といわれていおり、
日本の国益に結果的に大きく貢献しているといえる。
ほとんどの石ノ森ファンはその作品の魅力を論じる。
しかし、私からすれば漫画作品よりも、その人間性に魅力を感じる。
昨年の今ごろ、テレビ番組で梅沢冨美男さんが女形をやるきっかけになったのが
若いころ真剣に悩み、芝居の仕事をやめようと相談した際に石ノ森章太郎氏からの励ましと、
石ノ森が好きだった矢切の渡しで女形の芝居をしてみないかとの誘いがきっかけだったと自ら語った。
今の若者は梅沢冨美男はうるさいおやじぐらいしか思わないだろうが、
私以上の世代では女形というジャンルで一世を風靡した役者であり、夢芝居を知らない者はいないほどだ。
石ノ森と梅沢氏の関係は石ノ森の奥さんが芝居見物が好きで、梅沢氏の母と交友関係があったために、
石ノ森が梅沢氏親子と親交があったのだと梅沢氏自ら話したという。
20歳台の無名の若い梅沢氏に石ノ森は社会や仕事のことでアドバイスしたり目にかけたという。
それと、石ノ森がサイボーグ009ですでに売れていたころに、当時は漫画家の住所が漫画誌に掲載されていたため、
ファンレターを直接漫画家の住所に送ることができたそうだ。
そのファンレターにきちんと返事をだして、女性漫画家の育成に寄与したのも石ノ森であった。
24年組と呼ばれる昭和24年前後に生まれた、後に日本の女性向け漫画に革命をもたらした女性たちが
石ノ森がつなぎ役になり、当時の石ノ森の事務所があった東京の練馬区内のアパートに集い
女性漫画家が多く生まれるきっかけになった。
その一人に京都精華大学の学長を務めた竹宮恵子氏がおり、自分は石ノ森の女性漫画家として一番弟子と称している。
前にも記載したが、永井豪氏なども石ノ森のアシスタントとして働き、ロボットアニメやセクシーアニメで
大ヒットを飛ばす漫画家の輩出にもつながった。
石ノ森は、昭和42年に27歳で日本で漫画家を目指す人々向けに「漫画家入門」という漫画を描くノウハウを書いた本を出版し、後続の漫画家育成にも取り組んだ。
24年組の一人である竹宮恵子氏は石ノ森が出版した「漫画家入門」をきっかけに本気で漫画家になろうと決意したという。
それと忘れてはならないのが仮面ライダーやゴレンジャーに代表される特撮を生み出したことでも有名だ。
その原動力は石ノ森も一時期、漫画家を一生やっていていいものか悩んだそうであり、
彼の志望は映画監督になることだったという。
そのような彼の願望が特撮という実際に近い映像をつくるきっかけになったと考えられる。
仮面ライダーの役者を務めた、藤岡弘氏、佐々木剛氏や村上弘明氏、スーツアクターの中屋敷哲也氏は地方部出身であり
地方出身者を主役に抜擢するなどは石ノ森の尽力ではと考えられる。
宮城県人から見れば石ノ森章太郎の人間性や天才的な創造性がすごいと思うのである。
2021年06月16日
浮世絵がフランスや海外に与えた影響
今から150年ほど前にフランスで万国博覧会が開かれ、日本では浮世絵や日本画、民芸品を展示した。
その際にフランスとイギリスではジャポニズムという日本ブームが巻き起こったそうであり、
フランスの画家であるゴッホや印象派の画家、ドビッシーなどの音楽家も日本の影響を大きく受けた作品を残している。
当時の浮世絵を見ると、画風が斬新であり何と緻密で根気のいる仕事をしたのかと驚かされる。
北斎の東海道53次の襲いかかるような海の模様や歌麿の美人画は何とも言えない感性だと感じる。
その当時浮世絵は大衆文化であり、一般の人々の楽しみのために制作されたことに
私も驚いているし、外国人の人々も驚愕しているそうだ。
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwjS8tmrkqLmAhWFF6YKHcLvC0IQ_AUoAXoECBUQAw&biw=1366&bih=627#spf=1575673811414
当時の浮世絵や日本画、伝統工芸品を見ると、当時から日本人は繊細でよいものをつくろうとする国民性があったことがわかる。
そのような国民性が土台にあり、西洋から取り入れた科学や技術を瞬く間に発展させる原動力になったといえる。
その国民性は様々な製品を作る中で車や工業製品に代表されるように、
精密で機能性に富んでおり、それが資源が乏しい我が国が世界第3位の経済大国として
世界相手にやって行けている要因と考えられる。
芸術の話に戻るが、今は日本国内で浮世絵はあまり人気がないようだが、
海外では日本画の技法として浮世絵は日本風であり人気があるのだという。
フランスでは今から40年ほど前に日本のアニメや漫画のブームが起きて、
20年前にフランス人の手で始まったジャパンエキスポなども未だに人気である。
当時の日本のアニメや漫画の創作者は日本の子供向けに制作しており、外国を市場に考えていなかった。
しかし、海外に輸出されると瞬く間に人気になり、今は世界へ浸透し、日本の体対印象に良い影響を与えている。
やはり良いものや魅力のあるものは宣伝をしなくとも自然に広まるのだろう。
芸術でも科学や技術でも世界諸国から一目置かれる存在になっていることは
先人のおかげであり、それらの精神性は仕事や生活を通じて我々に脈々と受け継がれれていることが自覚できる。
世界でも先進大国であるイギリスとフランスと日本が仲が良いことは世界的にみて、日本の国益にもつながっていると思う。
2020年05月05日
クララが立って歩けるようになった理由を考察する
今から45年ほど前の少年期に見た「アルプスの少女ハイジ」を再度見た。
大人になって見ても感動した。
特にクララが立って歩けるようになったシーンは何度も見てしまった。
そこで思ったことは歩けなかったクララがなぜ歩けるようになり、健康になったかを推測できた。
1、クララは恐らく、日光の当たらない室内での生活であったため、
ビタミンDが著しく不足して成長期の骨の形成に障害がある「くる病」も併発したと考えられる。
2、同じく運動不足のために代謝低下、消化器系統の不調など虚弱体質であったことも考えられる。
3、クララの主治医も言っていたとおり、運動不足のため食事も進まず栄養の偏りが生じていたことも考えられる。
4、クララは富裕であり、人に頼ることが普通になっていたため、自立心が低下していたと考えられる。
5、友人が少なかったため、楽しい感情が少なく、気力が低下していたことが考えられる。
それがハイジがいるアルムの山で生活することで、以下の作用で健康を回復し、立つことと歩けるようになったと考えられる。
1、高度の高い山での生活のために、空気が薄いために自然に赤血球が増えたこと。
2、日光に当たる機会が増えたことで、体内でビタミンDが生成されて、くる病が治癒したと考えられる。
3、野草を多く食べたヤギの乳などには豊富なカルシウムやビタミン、タンパク質が含まれており、
成長期のクララの骨格形成や筋肉形成に役立ったこと
4、干し草のベットで寝ることで、干し草の香りでのアロマテラビー的な精神療法が役立ったこと
5、自然食品のチーズには気力に関係するドーパミンの原料物質チロシンが含まれていたこと
6、飲み水が湧き水であり、湧き水に自然のミネラルが含まれていたこと
7、おじいさんのリハビリの指導が適切であり、最初は足を動かす運動をハイジが手伝ったこと
8、その後のリハビリの方法も適切に指導し、おじいさんが考えるクララに自立心を芽生えさせたこと
9、自然の中で暮らすことでクララの体での自然治癒力が増強したこと
10、友人であるクララやペーター、おじいさんなどの良き協力者、理解者がいたため
などが考えられる。
やっぱり、食べ物と空気、飲み水、運動、人間関係の良し悪しは健康に密接な関係にあると考えられる。
2020年05月04日
尊敬する先人宮城道雄
宮城道雄は明治時代の筝の奏者で作曲家である。
幼少期に6歳で失明し、62歳でなくななるまで、日本の箏曲の作曲や、楽器の発明に大いに貢献した。
目が見えなくとも懸命に生きた生きざまは私の心を打った。
以下の宮城道雄の代表作、[春の海]のリンクを張るので良ければ聴いて視てください。
https://www.youtube.com/watch?v=_lCKUd3XnwM
筝と尺八バージョン
https://www.youtube.com/watch?v=404tSfsP3eI