普通、戦争に負けると、勝った国のものになったり、分割統治される運命にあることは過去の歴史で明らかだ。
特に今から70年前の世界は、アジア諸国、アフリカ諸国は欧米列強の白人による植民地支配が普通の状況でした。
事実、太平洋戦争に敗戦した日本は北海道と東北地方はロシアの領土とし、西日本はイギリス、関東はアメリカ支配ということの分割統治案があったらしい。
しかし、北方領土をロシアに不法に占拠されたものの戦争前の日本の姿でそのまま日本の国はある。
そのことを調べた中で昭和天皇と占領軍総司令官のマッカーサー元帥とのやり取りが大きかったことを知った。
敗戦直後の9月、天皇は連合国軍より日本の総支配の権限を任されたアメリカのマッカーサー元帥の前にまかり出た。
皇居を出発する際の天皇陛下の面持ちは緊張感にあふれていたと当時の侍従が証言している。
過去の歴史においてドイツ軍の元帥は戦争を起こしたのは民であり、自分には落ち度がないから、
どうか自分の命は助けてほしいと懇願した事実をマッカーサーは知っていた.。
歴史的に見て戦争に加わったトップの人々はほとんどが自分の命を助けてくれと懇願したり、
亡命を図ったりすることが普通だった。
西洋の歴史では王は民を犠牲にすることで権力を誇張するのが普通であった。
そのため、日本の天皇も命乞いにくると考えていたそうだ。
ところがどうだ、国際儀礼の後に直立不動の天皇陛下の口から出た言葉はこうだった。
「この戦争の責任はすべてにおいて自分に責任があり、私の名前のもとに戦った者には何の罪がありません
私は絞首刑でも、どのような処遇でもお受けします。
ただ、日本人の8000万人(当時はの実際の日本人口は6600万人だったが北方領土、朝鮮合わせての数。)
を飢えさせないでくださいと懇願されたという。
天皇陛下は明らかに自分の責任でもないことまで、自分の責任だとおしゃられ軍人たちの罪をかぶろうとされた。
マッカーサーは驚き、天皇陛下にコーヒーを出されたのだが、
マッカーサーが天皇陛下に何か望みはありませんかの問いに対して。
天皇陛下の口から出た言葉は日本人の衣食住をよろしくお頼み申し上げると申された。
この時、天皇の人格に触れ、天皇が国民のことを第一に心配し、天皇を殺せば日本国民も再度の蜂起を起こすのではとの懸念から、
マッカーサーは日本国を平和的に占領するには天皇の力が不可欠と考えたとされる。
マッカーサー回想録には「日本の天皇を神のような存在だと、感動の中でつづられている」と
当時の天皇陛下との37分の接見中のことを感動の中で回想しています。
結果的に天皇陛下の意向に沿う形で、戦後の日本の復興を支援したことがマッカーサーの回想録につづられている。
その後11回にわたり、天皇陛下とマッカーサー元帥との会談が行われ、
日本を一つの国として残し、復興させるということで分割統治案はなくなりました。
このようにして日本という国は敗戦したが国と国民が残りました。
当時の昭和天皇とマッカーサー元帥の両名の人格と人間性の高さに感銘を受け、
今平和に満足して生きて日本という世界の中でも経済も科学も医療も発展したすばらしい国にいることを感謝するところです。
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