2020年05月04日
22年前、小林幹英投手がブレイクしていた!
小林幹英投手を覚えていますか/1998・5・4
5/4(月) 8:30配信
広島小林幹英投手の活躍を伝える98年5月5日付の日刊スポーツ
<広島7−5阪神>◇1998年5月4日◇広島
22年前の春、旋風を起こしたルーキーがいた。1998年5月4日、広島のドラフト4位・小林幹英投手(24)がハーラートップの5勝目を挙げた。
新人ながら開幕からリリーフでフル回転。4勝を挙げて4月の月間MVPに輝くと5月も好調。新人王は中日川上憲伸に譲ったが、54試合に登板し9勝6敗18セーブ。巨人高橋由伸、阪神坪井智哉とともにセ・リーグ会長特別表彰を受けた。通算19勝、29セーブを挙げ05年に引退。現在は広島の3軍投手育成強化担当コーチを務めている。
翌5月5日付の日刊スポーツ(首都圏版)では同投手の活躍を1面トップで伝えた。
【復刻記事】
広島のドラフト4位ルーキー、小林幹英投手(プリンスホテル)が早くもハーラートップの5勝目をマークした。1点リードされて迎えた7回表に登板。その裏、打線が3点を奪い逆転。3イニングを無失点に抑える力投で5月初勝利を挙げた。24試合中、リーグトップの13試合に登板。疲れを知らない小林幹英の名は今や、お好み焼きをしのぐ? 広島名物となりつつある。
広島球場に「We will rock you」のメロディーが響いた。そして今や広島名物となりつつある「ピッチャー、小林幹英」がコールされる。今季最多3万2000人の大観衆がどよめいた。英国のロックバンド・クィーンの名曲を、小林幹用のBGMとして採用。実際に流れたのは、この日が初めてだ。
4−5。1点ビハインドで迎えた7回表。それでも小林幹が投げれば何とかなる。ベンチもスタンドも、そして本人も逆転勝利を信じて疑わなかった。捕手・小畑が構えるミットへ、糸を引くようなストレートが走る。フォークが落ち、スライダーが鋭く曲がった。
「まだ3回も攻撃が残ってましたから。僕は1イニング1イニング、一人一人を抑えるだけ。勝っているとか、負けているとか意識はしません」。新人らしいひたむきな投球がファンの胸を打つ。7回を無失点で切り抜けるとその裏、金本の2点タイムリーなどで3点を奪い逆転。8、9回を抑え、ハーラートップの5勝目をもぎ取った。4三振を奪い奪三振率はリーグ3位の10・25、防御率は2位の1・03。本塁打も依然、打たれていない。
24試合中、リーグトップの13試合目の登板。周囲は酷使による故障を心配する。「疲れなんてありません。僕は多く投げているなんて思っていません。5勝目? ついてますね」。トレーナーが「Aランク」と保証する柔らかな筋肉。球場入り前には必ずトレーニングジムに寄る。約1時間ストレッチを行い故障防止にも注意を払う。新潟出身でありながら酒は飲まない、いや飲めない。自己管理ができるから、疲れも故障の心配もない。
高校、大学卒業時にドラフトの指名を待ったが、指名はなし。プリンスホテルに進んだが系列の西武東尾監督から「プロでは厳しい」と判断されたこともあった。しかし「どうしてもプロに行きたい」と、高校時代から練習を見にきてくれていた広島渡辺、苑田スカウトに頼み込んで4位で指名してもらった。ツルの恩返しじゃないが拾ってくれた広島への恩返し、ともいえる。「いいチームに入れた。ファンの皆さんにも後押しされてますね」と小林幹はうれしそうに笑った。
「まだ追いかけられる。必ずチャンスがあると思った。だから小林に……」。三村監督も絶大な信頼を寄せる。「幹英」という名は「小林家の幹になれ。運が付くように、ん、も付けた」と父進さん。4月3日の開幕戦、初登板初勝利を挙げた強運ルーキーが、広島の太い「幹」になろうとしている。
<やくみつるさんが寄稿>
小林幹英の投球を見ていると、自分の新人時代を思い出してしまいますね。私が漫画家としてデビューしたのは22歳の時でした。毎晩、朝4時まで漫画をかいてまして、それから会社(当時はいちおうサラリーマンもしてました)へ出勤。会社で睡眠をむさぼって、帰宅してまた4時までかく、というサイクルでした。
体力的にはしんどかったはずなんですが、「楽しよう」とかいう気持ちは微塵(みじん)もありませんでした。「睡眠時間を削ってでも仕事がしたい」と思いましたね。「数をこなさないと、不安でしょうがない」ということもあったんですが、新人だからこそできたんだと思います。まあ、当時の頑張りがあったからこそ、今の自分があると思ってます。
だから、小林幹を見ているとグッとくるものがありますね。ひたむき、無我夢中、怖い者知らず。新人の鑑(かがみ)ですよ。もちろん漫画のネタにもさせてもらってます。官営の博物館や図書館は月曜日がお休みなんですが、小林幹の休日も試合のない月曜日。オッと今日は月曜日でしたか。まあ、それは置いておいて、登録名をそろそろ「小林幹英」から「小林官営(かんえい)」に変えたらどうか、なんていうオチの漫画をかかせてもらったばかりです。 【やくみつる】
◆小林幹英(こばやし・かんえい)1974年(昭49)1月29日、新潟県生まれ。新潟明訓−専大−プリンスホテルを経て昨秋ドラフト4位で広島に入団した。最速144キロの直球とカーブ、スライダー、フォークという多彩な変化球が武器。目標は米大リーグ・ブレーブスのマダックス投手。昨年12月13日、高校時代から交際していた朋代さんと入籍。趣味はパソコン。181センチ、83キロ。右投げ右打ち。血液型O。契約金6500万円、年俸1000万円(金額はいずれも推定)。
※記録と表記などは当時のもの
小林幹英投手がルーキーイヤーの1998年に広島東洋カープのリリーファーとして活躍しました。独特のダイナミックなフォームはドリヨシも鮮明に覚えています。この年は開幕からリリーフでフル回転し、9勝6敗18セーブの素晴らしい成績を残しました。新人王は間違いないかと思うも、中日の川上憲伸投手に譲ってしまいました。小林投手の気迫あふれるピッチングには感動した記憶があります。
高校時代(新潟明訓高校)からカープのスカウトがマークしていたと言うことで、さすがカープのスカウトは凄いなと改めて感じました。
現在は3軍の投手育成強化コーチとして指導されています。プロの1軍で通用するピッチャーを育てる分野で頑張っていますが、小林コーチの経験が活かされるベストなポストだと思います。
当時、小林幹英投手がマウンドに上がる時に流れた登場曲「We will rock you」が懐かしいですね。
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