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2016年09月26日

【モラハラ】モラハラ予防には群れる事が有効

モラハラのターゲットになるのは良く一人でいる人です。

群れるのが嫌い、とか、友達が少ない、という人です。

何故なら一人が好きな人は何かあっても誰かに相談する事が少ないから洗脳しやすいし、嫌がらせしてもそれを言いふらされる可能性が少ないですからね。

だから群れるというのは全く無駄な行為ではないのです。

そして以前女性が群れて順位を作ることの利点という記事にも書きましたが、群れることにはメリットも多いのです。

(でも休日潰してまで群れたくはない)

私も基本孤独を好むタイプで、だからこそモラハラにあったのだと思っています。

だからモラハラ被害の事は積極的に飲み会なんかに参加して人に喋ることにしています。

私がどんなにあのクソを嫌っているかを会社の人間に周知し、もう二度と一緒の仕事にならないために。

また、あのクソの新たなターゲットが早く被害から逃げる事が出来るように。

ターゲットが逃げてもモラハラ加害者は絶対に新しいターゲットを作りモラハラを繰り返します。

何故なら一度モラハラの快感を知ってしまったが最後、モラハラ加害者にとってモラハラは生きていく上で必要不可欠な麻薬のような存在だからです。

だから、「あいつはイジメをする奴だよ」と言いふらすのです。

例え、犯罪を犯すように見えない人でも、「以前刑務所に入っていたらしいよ」という情報があるとないのとでは、その人に対する警戒心がかなり変わってきますよね。

そして、犯罪者という事が分かっていれば、新しいターゲットも重傷を負う前に早く逃げるという決断をする事が容易になると思うのです。

また、過去のターゲットがそのような事をする際大事な事は、あくまでも一定の距離を持って密かにやる、という事です。

自己愛の場合、近くで大っぴらにそれをやると逆上されて何されるかわかりませんからね。

何しろターゲットは加害者にとって永遠にトイレットペーパーですから。

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2016年09月25日

【モラハラ】モラハラ加害者の完璧にはなれない

モラハラ加害者は、ターゲットに完璧である事を求めます。

モラハラ加害者としては、自分は完璧主義なので、細かいところが気になってしまう、という事なのです。

そして、どうしてそんな簡単な事をターゲットができないのか理解できないのです。

それもこれもターゲットがダメ人間だからという風に責任を押し付けてきます。

でも、モラハラ加害者にとっての完璧なんて実はとんでもない事なのです。

完璧を目指そうとしたら、モラハラ加害者の気持ちになり、ヤツが何を求めているのか先を読んで行動する必要があります。

例えば、「アイスコーヒーが飲みたいな」と思ったら、目の前にアイスコーヒーが置かれているようなものです。

そんな事が出来るのは、全能の目を持つ神様くらいです。

(神様だって忙しいので、そんなセコイ男の気持ちを考えているほど暇じゃありません。)

そういう神様にしか出来ないような特殊能力を、モラハラ加害者はターゲットに求めてきます。

何故なら、彼らは自己と他己の分離が上手く出来ていないからです。

自分の延長に他人がいるという認識なのです。

だから、それができないターゲットの方が悪いと完全に思う事が出来るのです。

そして、そういう時、ターゲットに罪悪感を抱かせるためにターゲットの大事なものを人質に取っている事が多いのです。

・俺の事が好きだったら当然できるはずなのにどうしてお前は出来ないんだ?

・良い妻だったら当然できるはずなのにどうしてお前は出来ないんだ?

・常識的な人間だったら当然できるはずなのにどうしてお前は出来ないんだ?

・子供の母親だったら当然できるはずなのにどうしてお前は出来ないんだ?

・社会人だったら当然できるはずなのにどうしてお前は出来ないんだ?

あくまでも、要求している事はモラハラ加害者の望みではなくて、ターゲットがこうありたいと思う人間であれば当然できるはずの事なので、お前はダメな人間なのだ、と罪悪感を抱かせるのです。

しかも、自分の事は棚に上げて。

だから、誰もモラハラ加害者にとっての完璧な人間になんてなれないし、なる価値もないんですよ。






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2016年09月24日

自己愛性人格障害者が未来を考えられないわけ

自己愛性人格障害者は、未来を考えた行動をする事が苦手です。

あらゆる事が彼らにとっては勝負であり、その勝負に勝ちさえすれば良いのでその後どうなろうなどと考えながら行動できないのです。

これはある意味チンパンジーと同じです。

チンパンジーは人間に近い猿であり、優れたコミュニケーション能力を持っていますが、彼らが生きる世界も「今」です。

彼らはコンピュータの画面に一秒間ほど9個のランダムな数字とその位置を見せた後、その数字を四角い箱で覆い隠し、小さい順にその四角をタッチしていくという課題を楽々とこなします。

目の前の物を一瞬で覚えるという瞬間記憶能力は、ヒトよりチンパンジーの方がはるかに優れているのです。

これは、彼らが暮らす熱帯雨林の森の中で餌を確保するのには、出来るだけ視野を確保して餌の位置を把握し、素早く行動する必要があったから、と言われています。

そして、このような瞬間記憶能力が高い代償として、チンパンジーは今目の前にある事には共感できるが、目の前にないものに対して共感するのは難しいと言われています。

どういうことかと言うと、驚くべきことに彼らは助け合ったり協力しあったりという事をしないのです。

もし、隣のチンパンジーが困っていて、自分が手を差し伸べれば助けられるという状況にあっても、彼らは助けようとしません。

それは、助け合う協力し合うということの効果はすぐに反映されないと言うことが関係しています。

自分が他人のために何かしても、ある時間が過ぎないとその利益というのは戻ってきません。

それをじっと耐えて待つと言うのは、未来を予知できない生物には非現実的です。

だからその猶予期間を過ごすために、共感の能力というのは欠かせません。

その人に親切にした時点ではまだ私に幸せはないけど、共感する能力があればその時点で他者の気持ちが自分の気持ちになります。

他者の喜びを我が喜びとする事が出来るのです。

それが共感するということです。

共感があれば、共有出来る相手の幸せを第一義の目的として率先して親切にしようとする意思が生まれます。

そうすると巡り巡ってやがて自分にも利益が帰ってくることに気付く。

それが続けば助け合う関係が始まることになるのです。

しかし、その関係が了解されるまでの間、一方的になるかもしれない親切を施す必要があるわけです。

その壁を乗り越えるには、基本的に想像する力が過去や未来に広がるように、他者にまで広がっていくことが鍵なのです。

このようにヒトが長い年月をかけて獲得した未来を想像するという力。

それが弱い自己愛性人格障害者と言うのはヒトから退化した存在なのかもしれません。

いや。

自己愛性人格障害者が増えていると言われている今。

ある意味彼らの方がヒトの進化系なのでしょうか…。



↓この本面白かったです。

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2016年09月19日

自己愛性人格障害者は目の動きが独特

自己愛性人格障害者は目の動きが独特です。

共感性が少ないため、彼らは他人の感情を表情で読み取ろうとします。

だから、普通の人とはちょっと違った目の動きをします。

全員同じ目の動きじゃないんですけど、独特なんです。

その中でも印象深かった自己愛性人格障害の女性がいます。

だいたい話をしていると、いつの間にか自分の自慢話にすり替える人だったんですが、自慢話の後で白目で笑うんです。

多分、自慢した後の相手の表情を確認したいという欲望が、自然に目を閉じるという動作を阻んだ結果の白目だと思うんですが、怖かったです。

後は、顔を覗き込んでくる奴もいましたね。

本当気持ち悪いです。






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2016年09月14日

【モラハラ】モラハラ加害者を見捨てる方法

世の中には、普通の人よりも共感性の強い人たちがいるのだそうです。

そういう人たちの事を、エンパスと呼ぶのだそうです。

エンパスの人たちは、人に共感しやすいため、人ごみが苦手だったり、動物や植物とも心を通わせられるような気がするそうです。

エンパスだと、人の辛い感情にも反応してしまい、自分も辛くなってしまいます。

だから、エンパスの人は人を助けようとします。

自分が痛いから。

そして、他人が痛い思いをするくらいなら、自分が代わりにそれをやる、なんて傾向もあるみたいです。

エンパスほどではないにせよ、共感性が強い人々を狙って利用するのが自己愛性人格障害者やサイコパスです。

辛い、悲しい、苦しいふりをして、共感性が強い人々をコントロールするのです。

共感性が少ない彼らにとっては、それはゲームのように楽しいものです。自分の一挙一動で他人が右往左往するのをみるのが快感なのです(バイオハザードでゾンビを撃っているようなものです。ゾンビに共感していれば、ゾンビが撃たれる場面を見ると自分も辛くなってしまいます。)

共感性が強いというのは良いこともありますが、このように悪い面もあります。

だから、共感性の強い人たちにおススメしたいのは、共感をオフにする、という練習です。

どうすれば、共感をオフにできるかというと、その人を嫌って憎んで恨んでしまえば良いのです。

ギョッとしましたか?

そう。嫌うのも憎むのも恨むのも、世間一般でいえば持たない方が良い感情の筆頭みたいに挙げられているようなものですからね。

しかし、以前も好きな人ほど痛みは伝わるという記事に書きましたが、その人の事が好きであればあるほど、共感性は発揮してしまうものなのです。

だから逆に思う存分嫌い、憎み、恨めばいいのです。

モラハラのターゲットにされるような人たちは上で述べているように他人の痛みに敏感で人を憎む事が苦手≒他人を許しやすく嫌う事が苦手な人たちです。

人はみんな話せば分かり合える

人はみんなどこかしら良いところがある

その人が意地悪な事をするのは何か原因があって、それさえなければ良い人なんだよ

人が悲しんでいると、助けてあげたくなる

今まで関わってきた人たちは最初は行き違いがあっても最終的には私を好きになってくれた

上記のような事を考えている頭お花畑の人たちは、自己愛性人格障害者やサイコパスなんかのいいカモです。

そういう性質の人を巧みに見つけ、ターゲットにするのがモラハラ加害者です。

彼らは味方のようなふりをしてターゲットを虐待してきます。

ターゲットがさすがに怒りそうだと思ったら、ターゲットがモラハラ加害者を許すであろう事(あやまる、笑わせる、泣く、プレゼントを贈る)などを行い、ターゲットに強制的に許させるのです。

まるで、俺がこれをしたんだからお前は許す義務がある、みたいな感じです。

だからもう、許すのはやめましょう。

モラハラに反撃するにせよ、逃げるにせよ、燃料が必要なんです。

その燃料というのが、嫌う、憎む、恨むという感情です。

モラハラ星からロケットがなかなか飛び立てないのは、嫌う、憎む、恨むという燃料が足りないせいなのです。

(まぁ、これもモラハラ加害者に許す事を強制されているせいなのですが。)

この嫌う、憎む、恨むという感情さえあれば、モラハラ星の引力などもう問題ではなく、ポーンと居心地の良いマザーアースに戻ってくる事が出来るのです。

簡単にモラハラ加害者を見捨てる事が出来るのです。

そしてマザーアースに戻ってくると、自然に嫌う、憎む、恨むとという感情は消えていきます。

ターゲットはもともと人を許しやすい性格ですし、そもそも嫌うとか憎むとか恨むという感情は、現状に不満がある場合湧き上がってくる感情なのです。

あいつさえいなければ、私はもっと活き活きと暮らせるのに。あいつが嫌いだ!あいつが憎い!あいつが恨めしい!という感じで。

だからマザーアースに戻ると、「モラハラ加害者ってそんなにひどいやつじゃなかったのかもしれない」とさえ思ってしまう事があるのです。

これは、モラハラというのがモラルを使用した虐待であり、個々の言動は一般的にも普通に使われるという事にも起因しています。

なので、モラハラ星の引力に再び引き寄せられてしまう人もいるのです。

それを予防するには、何をされてどんな気分だったかを記録に残しておく事が有効です。






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2016年09月10日

自己愛性人格障害者が問題を考える上での前提

突然ですが。

「女性が社会で働き続けるために必要なことはなんだと思いますか?」

考えましたでしょうか?

この問題に関して、あなたは「女性」のつもりで考えましたか?

それとも「男性」のつもりで考えましたか?

おそらく、多くの人が現在の自分の性別の立場から考えたのではないでしょうか。

このように、物事を考える上では、まず無意識に自分の属性や置かれている状況を前提に考えると思います。

女性が問題を考える場合は、「女性」の立場から考え、男性が問題を考える場合は「男性」の立場から考える。

ある意味当然のことでしょう。

(女性なのにもかかわらず、「女性が社会で働き続けるために必要なことはなんだと思いますか?」という問題をとっさに男性の立場から考えた方は、名誉男性か何かなのかもしれません。)

で。

自己愛性人格障害者は、普通の人とは違って特殊な前提のもとで生きています。

それは、「絶対に自分は悪くない」という前提です。

何か問題が起きた場合、それはそれは見事に自分は悪くない、悪いのは○○だという言葉を思いつけるのは、「絶対に自分は悪くない」という前提で生きているからです。

自然に、無意識に、何の疑いもなくそう思えるのは、そういう前提の思考回路が完成されてしまっているからです。

例えば、私が自己愛性人格障害者の前でお茶なんかをこぼしたとします。

そうすると、「何やってるんだ。ボーとしているからだ。俺にかかったじゃないか!どうしてくれる!大体お前はいつも・・・」と罵詈雑言が飛んでくる可能性が高いです。

しかし、自己愛性人格障害者が私の前でお茶をこぼした場合、「ちょっと手が滑った。何?お茶がかかっただと?たいしたことないのに騒ぐな。お前は小さいことにいちいち大げさなんだよ!大体お前はいつも・・・」と、結局罵詈雑言が飛んでくる可能性が高いです。

同じことをしているのに、これだけ反応が違うのは、「絶対に自分は悪くない」という前提があるからです。

「女性が社会で働き続けるために必要なことはなんだと思いますか?」という問いかけに対して、自分の性別を前提に考えるのと同じなのです。そこには0.01秒もかかりませんし、何らの逡巡もありません。

だから彼らの罪を逃れるための言葉は早く出てくるし、その言い訳も真偽含めて豊富なのです。

なお、自己愛性人格障害者が「ひょっとしたら自分も悪いかもしれない・・・」という思考回路を会得するのは至難の業になります。

なにしろ、「絶対に自分は悪くない」という思考回路は、自分の中のマイナス感情をうまく処理できないために会得した堤防のようなものなので、簡単に手放せるはずがありません。

ちなみに、求人情報会社の調査によると、「女性が社会で働き続けるために必要なことはなんだと思いますか?」という問いに関する回答は、女性と企業で以下のように異なるそうです。

女性:
 @「夫や家庭の理解や協力」 47%
 A「職場の理解や協力」    38%

企業:
 @「女性自身の意識の改革」 40%
 A「職場の理解や協力」    26%
 B「企業の意識改革」      18%

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160909/k10010676831000.html?utm_int=news-social_contents_list-items_006

企業が、男性の意識改革はあまり必要ないと考えているところが面白いですね。

「男は今まで通りで変わらなくてよし!女は意識改革して仕事も頑張れよ!家事も当然しっかりやって男に迷惑かけるなよ!」ということでしょうか・・・。

おかしくてへそで茶が湧いちゃいますね。






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【モラハラ】モラハラ被害者が空っぽになっていく理由

モラハラ加害者と長い間関わっていると、ターゲットは次第に自分が空っぽになっていくような感じがします。

それは、何故でしょうか。

そもそもモラハラ加害者はターゲットに罪悪感を感じて欲しくて仕方ありません。

モラハラ加害者は罪悪感を抱いて自分を責めている時の顔が大好きなのです。

自分が勝利を感じるために。

そのためには、ありとあらゆる方法で罪悪感を抱かせようとしてきます。

(まぁ、色々な方法を試しながら、ターゲットの表情を巧みに読み取り、ダメージが大きい方法に固定していくのがパターンのようです。)

ターゲットに罪悪感を抱かせられれば良いので、言っていることに筋とか信念とかは必要ありません。

同じように料理を作っても、罪悪感を抱かせられるなら

ある時は「甘すぎる」

ある時は「しよっぱすぎる」

ある時は「熱すぎる」

ある時は「冷たすぎる」

とコロコロいう事をかえてきます。

あらゆる事に対してそんな感じなので、ターゲットはあらゆる事に対して正解のない世界に住まざるをえなくなります。

そうなってくると、生きる上での信念や指針みたいなものも失っていくので、ターゲット次第に自分は中身のない空っぽな人間になっていくような気がします。

もちろん、これはターゲットが悪いのではなくいじめ依存症・勝利依存症のクズのモラハラ加害者が悪いわけなのですが、洗脳状態にあるターゲットはそれに気づく事が出来ないんですよね。

というか、ターゲットでなくても世の中にそんな根性の腐った人間がいるはずないと思って生きている人がほとんどだと思います。

モラハラ被害者でさえ、自分がそんなクズだと気づいていません。

あくまでも無意識にやってしまうので(前頭葉での感情の制御が弱いという)"障害"なんですね。

でも、モラハラ加害者から離れられれば、ターゲットはまた自分を取り戻していく事が出来ます。

生きていく上での信念や指針、安心感を得るには多少時間はかかるかも知れませんが、ちゃんと前頭葉で感情の制御が出来る普通の人達と関わっていく事で、また居心地の良い世界で生きていく事が出来るのです。






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2016年09月06日

好きな人ほど痛みは伝わる

小林麻央さんがブログを再開されたようですね。

小林麻央さんは好きだったので、嬉しいです。

(海老蔵さんと結婚された時は本当にショックでした。)

そのブログの中で、お姉さんの麻耶さんと一緒に治療について説明を聞いた時に、お姉さんの麻耶さんのほうが怖がっていた、という事が書かれています。

大好きな妹の麻央さんが辛い思いをするというのは、お姉さんの麻耶さんも本当に辛いと思います。

人というのは、自分に近く好きな人ほど痛みに共感してしまうらしいのです。

例えば、ワタクシばんまつりが転んで骨折したとしましょう。

でも、「へー。大変だな。」くらいにしか思わないでしょ?

(私の事をよく思っていない人は、「ザマァ!」くらい思うかもしれません。何人か心当たりがあります。)

でも、例えば子供や配偶者や恋人、両親や友人が骨折したとしたらどうでしょう。

自分もとても辛くないですか?

自分が好きな人ほど、辛さの度合いはアップすると思います。

そのように、人というのは自分が好きな人ほど痛みに共感してしまうらしいのです。

そして、痛みというのは何も身体の痛みだけとは限りません。

例えば、私たちは誰かに仲間はずれにされたりすると、身体に痛みを与えられた時に活性化するのと同じ脳の領域(島皮質と前帯状皮質)が活性化されるらしいのです。

自分の好きな人が仲間はずれにされているのを見たら、自分も同じように心の痛みを感じてしまうのはそのせいなのですね。

だから、過保護の親っていうのは子供の為を思ってと言いながら、結局自分が痛い思いをしたくないから過保護になっているだけなんですね。

子供が感じる痛みに共感して、自分が辛くなるのが耐えられないんですよ。

そんな風に、人生に必要な痛みでさえ親に排除されてしまった子供は上手く人格形成ができないので、自分の思い通りにいかないとモンスター化してしまう大人になってしまうんですね。

そうならないためには、子供が感じる痛みを親も感じ、その痛みをどうやって処理すれば良いのか上手く子供を導いてあげる事が大事なのだそうですよ。

いわば、親の脳を借りながら子は育つわけですね。

子育てをではなくモンスター育てをしないためにも、子供の痛みを受け入れる事が出来るような心のゆとりを親も持っている事が大事なのではないかと思います。






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2016年09月04日

自己愛性人格障害者にやり返すことの弊害

以前、自己愛性人格障害者に勝つにはという記事を書いたのですが、それには弊害があることに最近気づきました。

自己愛性人格障害者が自分は自己愛性人格障害だと気付いてしまう恐れがあるのです。

大外、自己愛性人格障害者が自分が自己愛だと気付くきっかけは、自分より強い自己愛性人格障害者にターゲットにされたときということが多いようです。

「なんでこんな理不尽なことをされるんだ」→調べる→「あれ?これ今までの俺と似てない?」→気づく、と言う感じで。

なので、自己愛性人格障害者に対して、自己愛で対抗してしまうと、最悪の場合自分が自己愛性人格障害だと気付いてしまうかもしれないのです。

なぜそれが最悪なのかと言うと、私は自己愛性人格障害者には自己愛性人格障害のまま人生を終えてほしいからです。

他人をいじめないのも自分にストレスがたまって地獄だし、他人をいじめるとどんどん人が離れていって地獄だし。他人を苦しめた罰として、自己愛性人格障害者にも是非地獄の人生を歩んでいただきたいのです。

しかも女性がなりやすい境界性人格障害は歳と共に症状が落ち着いてくると言われていますが、男性がなりやすい自己愛性人格障害は年齢を重ねるごとに酷くなるのです。

他人を必要とする人格障害なのにどんどん他人が自分から離れていくなんてさぞかし辛いことでしょうね。

絶対に人格障害が治って幸せな人生なんて送ってほしくありません。

と言うことで、できれば自己愛性人格障害者の被害に遭っている方はさっさと逃げてほしいです。

離れた安全な場所から自己愛性人格障害者のその後の人生を見るのは楽しいですよ。






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2016年09月03日

自己愛性人格障害者は自覚がない

自己愛性人格障害者だってみんながみんなバカじゃありません。

(バカなのもいますが)

むしろ良い大学を出ていたり、良い仕事をしたりして、優秀だったりもします。

(優秀じゃないのもいますが)

そして他人の気持ちを全く理解できないわけでもありません。

もし全く理解できないとしたら自己愛性人格障害者は国語の成績が軒並み悪くなくては理屈に合わないのですが、そんなことはなく、むしろ三島由紀夫のように自己愛性人格障害者で小説家なんていうのもいっぱいいます。

そして、高橋ジョージさんが三船美佳さんにモラハラをしていたなどというニュースが流れれば、「なんて酷いことをするんだ!」と憤ることもあるのです。

そんな彼らがどうして現実の生活では人に対して酷いことをしていると自覚できないのでしょうか。

自分の行動を改めようとしないのでしょうか。

それは、彼らにとっての現実世界は、バトルフィールドだからです。

常に自分が勝っていないといけないのです。

というか、ネガティブ感情を適切に処理できないため、負けられないという思考回路が脳に出来上がってしまっているのです。

だから客観的に考えればどう見ても自分が悪いという状況でも、自分は正しい・間違っていないという方向に結論を持っていくためにあらゆる事をします。

論点ずらし・話のすり替え・曲解・無視・見下し・人格否定・怒号・暴力…。

そして自分が勝利したと確信した後は、自分の言動は綺麗さっぱり忘れることが出来ます。

どのように勝利したかが重要ではなく、勝ったということが大事なのです。

そして勝負の相手として選ばれるのは絶対に勝てる相手です。

勝てない相手は勝負を挑まず言いなりになります。

負けてマイナス感情を抱くのが嫌だからです。

ちなみに、他人がマイナス感情を抱くことは理解できますが、適切な処理方法を習得できていないのが自己愛性人格障害者です。

それが上手く出来て、負けてもいいやと思えるようになり、現実世界がバトルフィールドでなくなれば人格障害は治るのかもしれませんね。

まず無理だとは思いますが。






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