モラハラ被害者は、一度離れてもモラハラ加害者の元に戻ってしまう何て事があります。
モラハラで一度離婚したにも関わらず、またモラハラ加害者と再婚してしまう、なんてケースもあります。
なぜでしょう。
それには3つの理由が考えられます。
@虐待を過小評価する
モラハラというのは、モラルを使用した虐待なんで、一つ一つをとってみればとても些細な事柄です。
だから、虐待されている時に言われた言葉を思い出しても、
「はて。私は何があんなに辛かったんだろう」と思ってしまいます。
相手のセリフを思い出せるならまだマシで、多くは何を言われたかさえ覚えていません。
だから自分がされたことなど、大したことなかったんじゃないかと過小評価してしまうのです。
喉元過ぎれば熱さ忘れる、ですね。
Aいい時を思い出す
思い出というのは美化されやすいものです。
モラハラ加害者というのは、被害者に取り入る時、被害者の喜ぶような人格を巧みに演じ信頼させます。
被害者はそれを思い出してしまい、「私の事を一番理解してくれるのは何だかんだ言っても彼だ」と思ってしまうのです。
B相手が変わると思っている
モラハラ加害者は、被害者を取り戻すためにモラハラ被害者がまた自分を信頼するように誘導します。
「もう辛い思いはさせないから」
「大事にするから」
などと言いながら。
モラハラ被害者の情報は揃っているので、こう言えば相手は戻ってくるだろうという言葉を浴びせます。
そうしてモラハラ被害者はまんまと騙されてしまうのです。
ここまで言うのだから、彼は変わってくれるのだろうと。
------------------------
でも人は早々変わらないんですね。
モラハラ加害者も、その時々で言ってること自体は本気なんです。
本気でモラハラ被害者に今度は優しくしようと思っていたりします。
まぁ、おもちゃを買ってもらえない子供が、「ちゃんとお部屋のお片づけするからぁ!」と泣くのと同じです。
おもちゃを手に入れた後は、部屋の片付けなんてしませんよね。
そんな感じで結局は虐待を再開します。
子供が部屋を片付けないのと同じように、虐待するのが彼らの自然な姿ですから。
仕方ありませんね
なので、戻ったが最後、モラハラ被害者を待っているのはより酷い虐待です。
それを予防するためにも、モラハラで辛かった時の事を日記に書いておくとか、加害者の言動を動画で残しておくとか、モラハラ加害者の元に帰った被害者がその後どうなったかをネットなんかで検索するのをお勧めします。
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2016年08月27日
2016年08月26日
【モラハラ】モラハラに「話せば分かり合える」は通用しない。
「話せば分かり合えるよ。じっくり話し合えばお互いの誤解も解けるよ!」なんてアルプスの少女ハイジのような目をして言う人がいます。
話し合えば分かり合える。
そうでしょうとも。
それが人間同士の場合は。
相手の事を自分と同じ人間なんだと思って誠心誠意話し合えば、いつか分かり合えるかもしれません。
たとえ言葉が違っても。
しかし、どちらか一方が、相手の事を人間じゃないと思っていたらどうでしょう。
例えば、あなたは「私で尻を拭かないで!」というトイレットペーパーと話し合って問題を解決しようと思いますか?
だって相手はトイレットペーパーですよ?
尻を拭かれ水に流されるために生まれてきたのです。
それが、生意気にも「私で尻を拭かないで!」と主張しているのです。
話し合おうとも思わないでしょ?
こんな感じで、「話せばわかるよ。」というのは人間同士のお話です。
モラハラの加害者とターゲットの場合は、人間とトイレットペーパーの関係みたいなものなので、話し合いで分かり合えることなどありえないのです。
むしろ、自分に生意気なことを言える立場ではないと知らしめるために、ターゲットが罪悪感を抱くような態度をとったり、言葉を言ったりするでしょう。
「話せば分かり合えるよ。」
そんなふうに考えていた時期が私にもありました。
今ではそういうことを言う人は、「今まで幸せな人生を送ってきたんだろうな」と思うか、「こいつひょっとして自己愛か?」と警戒するかのどちらかになっています。
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話し合えば分かり合える。
そうでしょうとも。
それが人間同士の場合は。
相手の事を自分と同じ人間なんだと思って誠心誠意話し合えば、いつか分かり合えるかもしれません。
たとえ言葉が違っても。
しかし、どちらか一方が、相手の事を人間じゃないと思っていたらどうでしょう。
例えば、あなたは「私で尻を拭かないで!」というトイレットペーパーと話し合って問題を解決しようと思いますか?
だって相手はトイレットペーパーですよ?
尻を拭かれ水に流されるために生まれてきたのです。
それが、生意気にも「私で尻を拭かないで!」と主張しているのです。
話し合おうとも思わないでしょ?
こんな感じで、「話せばわかるよ。」というのは人間同士のお話です。
モラハラの加害者とターゲットの場合は、人間とトイレットペーパーの関係みたいなものなので、話し合いで分かり合えることなどありえないのです。
むしろ、自分に生意気なことを言える立場ではないと知らしめるために、ターゲットが罪悪感を抱くような態度をとったり、言葉を言ったりするでしょう。
「話せば分かり合えるよ。」
そんなふうに考えていた時期が私にもありました。
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2016年08月25日
自己愛性人格障害の人生 < 被害者の人生
サイコパスなどは、肉体的・心理的な共感性が少ないと言われています。
そして自己愛性人格障害者は肉体的な共感性は普通の人と同じくらいあるが、心理的な共感性が少ないと言われています。
まず、肉体的な共感性が少ないとはどういうことでしょう。
普通の人は、他人に暴力をふるう時躊躇します。
それは、殴られたら痛いということがわかっているからです。
だから、相手も同じように痛いだろうということを想像して躊躇するのだそうです。
そのため、痛みを感じにくく肉体的な共感性が少ないサイコパスは、ゲームに出てくる敵キャラに対するように他人を傷つけ、延いては殺害まで何の心理的抵抗もなく実行することが可能です。
次に、心理的な共感性が少ないということについてですが、自分の心があまり痛まないので他人の心の痛みが分からないということになります。
例えば、受験に失敗したことがない人は、受験に失敗する痛みが良くわかりません。
なので、受験に失敗したことがない人に対して、「勉強しなかったのがいけないんでしょ。自業自得だよ。」とか、「え?あんなに勉強してたのに落ちたの?プププ」なんてことを考えても心が痛まないのです。
そして、自己愛性人格障害者だった場合、考えるだけでなく受験に失敗した人に思ったことを意地悪くいってしまいます。
なぜなら言われた相手が傷ついた顔が見たいから。
そうして自分が勝利を感じたいから。
(あぁ気持ち悪い・・・。)
と言うことで、共感性を得るためにはいろいろ失敗することが大事なんです。
昔の人は、「かわいい子には旅をさせろ」とか、「若いときの苦労は買ってでもしろ」なんてことを言いましたが、本当にその通り。
なるべく若いときにいろいろ失敗することで、人の心の痛みがわかる優しい人になれるわけですね。
そして、失敗を乗り越えるたびに人は優しさだけではなく強さも得ることができます。
だから小さい失敗をいっぱいするのが大事なのだそうです。
大きすぎる失敗は自己肯定感を弱めたりしてしまうので、あくまでも小さい失敗が良いのだそうです。
そういう意味だと今の時代の親は、子供が失敗しないように傷つかないように育てているような感じがしますね。
だから打たれ弱い人間になってしまい、社会に出たときに初めて壁にぶち当たり、引きこもりになってしまったりするのでしょう。
人生を強く豊かなものにするには共感性が大事なのです。
自己愛性人格障害者の被害者になるような人は、大体共感性が強く人の心の痛みに敏感な優しい人です。
そういう人は、自己愛性人格障害者に対しても共感性を覚えてしまうので、何か言われても「でもこんなこと言ったら相手が傷つくから」とか、「私さえ我慢すれば済む話だから」と思ってしまい、言い返せないのです。
そうして自分がどんどん傷ついてしまうのです。
いっそのこと、共感性が少なく、好き勝手生きる人生の方が良いような気がします。
しかし、共感性が強いということは、他人の気持ちに感情移入しやすいということであり、映画や小説をより楽しむことができるということなのです。
友達や恋人などの周囲の人間関係も、絆が強く楽しいものとなるのです。
つまり、自分の人生だけでなく、共感性により、まるで複数の人生を生きているようになれるのです。
人生を何倍も楽しめるのです。
だから共感性が強い自己愛性人格障害者の被害者のような人の人生は、自己愛性人格障害者の人生よりも濃くて面白いのです。
逆に自己愛性人格障害者と言うのは、どこか深みがなく薄っぺらい人が多いです。
(まぁ、彼らは目の前の勝負に勝つことにしか興味がないですからね。)
だた、共感性が強いということは悲しや苦しみも感じやすいということになります。
だから、自己愛性人格障害者の近くからはなおさら離れた方が良いのです。
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そして自己愛性人格障害者は肉体的な共感性は普通の人と同じくらいあるが、心理的な共感性が少ないと言われています。
まず、肉体的な共感性が少ないとはどういうことでしょう。
普通の人は、他人に暴力をふるう時躊躇します。
それは、殴られたら痛いということがわかっているからです。
だから、相手も同じように痛いだろうということを想像して躊躇するのだそうです。
そのため、痛みを感じにくく肉体的な共感性が少ないサイコパスは、ゲームに出てくる敵キャラに対するように他人を傷つけ、延いては殺害まで何の心理的抵抗もなく実行することが可能です。
次に、心理的な共感性が少ないということについてですが、自分の心があまり痛まないので他人の心の痛みが分からないということになります。
例えば、受験に失敗したことがない人は、受験に失敗する痛みが良くわかりません。
なので、受験に失敗したことがない人に対して、「勉強しなかったのがいけないんでしょ。自業自得だよ。」とか、「え?あんなに勉強してたのに落ちたの?プププ」なんてことを考えても心が痛まないのです。
そして、自己愛性人格障害者だった場合、考えるだけでなく受験に失敗した人に思ったことを意地悪くいってしまいます。
なぜなら言われた相手が傷ついた顔が見たいから。
そうして自分が勝利を感じたいから。
(あぁ気持ち悪い・・・。)
と言うことで、共感性を得るためにはいろいろ失敗することが大事なんです。
昔の人は、「かわいい子には旅をさせろ」とか、「若いときの苦労は買ってでもしろ」なんてことを言いましたが、本当にその通り。
なるべく若いときにいろいろ失敗することで、人の心の痛みがわかる優しい人になれるわけですね。
そして、失敗を乗り越えるたびに人は優しさだけではなく強さも得ることができます。
だから小さい失敗をいっぱいするのが大事なのだそうです。
大きすぎる失敗は自己肯定感を弱めたりしてしまうので、あくまでも小さい失敗が良いのだそうです。
そういう意味だと今の時代の親は、子供が失敗しないように傷つかないように育てているような感じがしますね。
だから打たれ弱い人間になってしまい、社会に出たときに初めて壁にぶち当たり、引きこもりになってしまったりするのでしょう。
人生を強く豊かなものにするには共感性が大事なのです。
自己愛性人格障害者の被害者になるような人は、大体共感性が強く人の心の痛みに敏感な優しい人です。
そういう人は、自己愛性人格障害者に対しても共感性を覚えてしまうので、何か言われても「でもこんなこと言ったら相手が傷つくから」とか、「私さえ我慢すれば済む話だから」と思ってしまい、言い返せないのです。
そうして自分がどんどん傷ついてしまうのです。
いっそのこと、共感性が少なく、好き勝手生きる人生の方が良いような気がします。
しかし、共感性が強いということは、他人の気持ちに感情移入しやすいということであり、映画や小説をより楽しむことができるということなのです。
友達や恋人などの周囲の人間関係も、絆が強く楽しいものとなるのです。
つまり、自分の人生だけでなく、共感性により、まるで複数の人生を生きているようになれるのです。
人生を何倍も楽しめるのです。
だから共感性が強い自己愛性人格障害者の被害者のような人の人生は、自己愛性人格障害者の人生よりも濃くて面白いのです。
逆に自己愛性人格障害者と言うのは、どこか深みがなく薄っぺらい人が多いです。
(まぁ、彼らは目の前の勝負に勝つことにしか興味がないですからね。)
だた、共感性が強いということは悲しや苦しみも感じやすいということになります。
だから、自己愛性人格障害者の近くからはなおさら離れた方が良いのです。
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2016年08月24日
自己愛性人格障害者からの他人の見え方
自己愛性人格障害者は自分以外の他人をどのように見ているのでしょうか。
それを見る前に、普通の人が他人をどう見ているかを以下の図に示します。
上の図の、ヒューマンの範囲が人として認識している部分です。
図の中のA、B、Cはそれぞれ以下のような人物を表しています。
A・・・自分から距離の遠い他人。
B・・・尊敬する他人。(故に距離が近くならない)
C・・・自分より格下だと思っている他人。
普通の人は、AもBもCも多かれ少なかれ自分と同じ人間でしょ?ということがわかっているので、神様とトイレットペーパーなどとヒューマンは違うということがわかっています。
次に、自己愛性人格障害者が他人をどう見ているかを以下の図に示します。
図のA、B、Cの説明は上の図と同じです。
自己愛性人格障害者の場合、ヒューマンとしての認識が神様からトイレットペーパーまで広くなってしまっているのが分かります。
普通の人は、他人を神様やトイレットペーパーなどとは同じと考えませんが、自己愛性人格障害者の場合、このようになってしまっています。
だから、自己愛性人格障害者は自分より強いと思った相手(ここで言うBですね)は、普通の人にとっての神様のように扱うし、自分より格下のターゲット(ここでいうCですね)は普通の人にとってのトイレットペーパーやごみ箱のように扱うことができるんですね。
自己愛性人格障害者は自分と言うものがないため、他人が自分と比較して同じとか違うとかをうまく認識することができないんですね。
だから偉そうな人はものすごく偉く見えてしまうし、格下の人はとんでもなく格下として扱うことができるんですね。
だから自己愛性人格障害を治すのはとっても大変ですよ。
さっさと離れた方が良いです。
だって自己愛性人格障害者ではない世の中の大多数の人は、自己愛性人格障害者のターゲットで、かつてごみ箱扱いされていた人だってちゃんとヒューマン扱いしますから。
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それを見る前に、普通の人が他人をどう見ているかを以下の図に示します。
上の図の、ヒューマンの範囲が人として認識している部分です。
図の中のA、B、Cはそれぞれ以下のような人物を表しています。
A・・・自分から距離の遠い他人。
B・・・尊敬する他人。(故に距離が近くならない)
C・・・自分より格下だと思っている他人。
普通の人は、AもBもCも多かれ少なかれ自分と同じ人間でしょ?ということがわかっているので、神様とトイレットペーパーなどとヒューマンは違うということがわかっています。
次に、自己愛性人格障害者が他人をどう見ているかを以下の図に示します。
図のA、B、Cの説明は上の図と同じです。
自己愛性人格障害者の場合、ヒューマンとしての認識が神様からトイレットペーパーまで広くなってしまっているのが分かります。
普通の人は、他人を神様やトイレットペーパーなどとは同じと考えませんが、自己愛性人格障害者の場合、このようになってしまっています。
だから、自己愛性人格障害者は自分より強いと思った相手(ここで言うBですね)は、普通の人にとっての神様のように扱うし、自分より格下のターゲット(ここでいうCですね)は普通の人にとってのトイレットペーパーやごみ箱のように扱うことができるんですね。
自己愛性人格障害者は自分と言うものがないため、他人が自分と比較して同じとか違うとかをうまく認識することができないんですね。
だから偉そうな人はものすごく偉く見えてしまうし、格下の人はとんでもなく格下として扱うことができるんですね。
だから自己愛性人格障害を治すのはとっても大変ですよ。
さっさと離れた方が良いです。
だって自己愛性人格障害者ではない世の中の大多数の人は、自己愛性人格障害者のターゲットで、かつてごみ箱扱いされていた人だってちゃんとヒューマン扱いしますから。
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2016年08月21日
【モラハラ】モラハラは気持ちいい
昔、スタンフォード監獄実験というのが行われました。
1971年にスタンフォード大学で行われたその実験は、監獄生活というのは囚人にとってどのような心理的影響をもたらすのかを調べようとしたものでした。
この実験では現実性を持たせるために本物の監獄に似た施設が用意されました。
2週間泊り込みという長い期間、高い報酬も払うという条件のもと集められた被験者はごく普通の大学生21人です。
そこで、看守役として11名、囚人役として10名が無作為に選択され、彼らは実際の囚人や看守のように役割を演じる事を命じられました。
囚人役はわざわざパトカーで連行され、指紋を採取された上で看守の前で服を脱がされ、シラミ除去剤までかけられるという念の入れようでした。
囚人番号つきの囚人服も着せられ、片足には南京錠がつけられました。
一方で看守役は、自分たちの表情が読まれないようにサングラスを着用し、真夜中に囚人を叩き起こすという事をしました。
その結果、囚人役は素早く自分の役割に適応しました。
しかし、実験を行っていた研究者も予想外だったことに、看守たちもすっかり役割に「慣れきって」しまったのです。
看守役は支持がなくても囚人役たちに罰を与え始めました。
当然、囚人役の人たちは抵抗しましたが、反抗すればするほど看守役たちはより厳しい罰を囚人役に与えたのです。
次第に囚人役たちは実験継続不可能となり、次々に脱落していきました。
看守役たちは時がたつにつれてますますエスカレートし、とうとう囚人役たちに暴力をふるうまでになってしまいました。
その様子を見ていた人が、囚人役の家族に連絡を取り、慌てた家族が弁護士を引き連れてきてようやく実験は中止されたそうです。
なお、実験開始から中止まで一週間もたっていなかったそうです。
さらに驚くべきことに、中止にあたって看守役たちは「約束が違う。実験を継続すべきだ」と要求したのだそうです。
この実験は、どこにでもいる普通の人が看守の役を担うと、思いもかけない残虐性を発揮することを示すものとなりました。
看守役の人たちはもともとサディスティックな性格ではなく、看守役という役割と状況を与えられたことによって、このように残虐になってしまったそうです。
この実験に関して、ある専門家は以下のような意見を述べています。
「看守たちは無意識のうちに集団(=米国国民)の意思を感じとり、それを執行する代理人として暴行を加えた。」
この実験で、看守役が残虐な行為を行った原因は、「空気」や集団としての無意識によって罰を受けるべきとみなした人に対して、より強い罰を与えた結果なのです。
また、法学者がいうところの法の解釈によれば「正義」とは「ある社会(通常、国家)において法を遵守させるだけの権力が保証されているという状態」なのだそうです。
つまり、「何が正義か」ではなく、正義とは「法を犯した者に処罰を与えられる力である」という事です。
モラハラ・DV加害者というのは、被害者と上下関係を作ろうとします。
そして、上の者は下の者を教育・指導するという前提の元、いじめを行うのです。
例えば、親(上)と子(下)、上司(上)と部下(下)は社会常識的に上の者が下の者を指導することが容認されています。
また、男尊女卑の思想が強い人にとっては当然のように妻は夫に従うものとみなします。
なのでモラハラ・DV被害者は加害者の中にためらいや心の痛みはありません。だって、無意識のうちに被害者は罰を受けて当然の人とみなされているわけですから、気持ち良くいじめをすることができるのです。
しかも男性というのは、罰を受けるに値する相手が痛がっているところを見た時には、腹側線条体の側坐核など、脳の報酬にかかわる領域の活動が増加するのだそうです。
これらの領域は、セックスやドラッグやお金を受け取るときに活動する快感と関連した報酬の神経系です。
ということでモラハラ・DVの加害者が男性の場合、モラハラ・DVしている時快感を覚えるのです。
だから、モラハラ・DVは一度その味を知ってしまったらやめられないんですね!
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1971年にスタンフォード大学で行われたその実験は、監獄生活というのは囚人にとってどのような心理的影響をもたらすのかを調べようとしたものでした。
この実験では現実性を持たせるために本物の監獄に似た施設が用意されました。
2週間泊り込みという長い期間、高い報酬も払うという条件のもと集められた被験者はごく普通の大学生21人です。
そこで、看守役として11名、囚人役として10名が無作為に選択され、彼らは実際の囚人や看守のように役割を演じる事を命じられました。
囚人役はわざわざパトカーで連行され、指紋を採取された上で看守の前で服を脱がされ、シラミ除去剤までかけられるという念の入れようでした。
囚人番号つきの囚人服も着せられ、片足には南京錠がつけられました。
一方で看守役は、自分たちの表情が読まれないようにサングラスを着用し、真夜中に囚人を叩き起こすという事をしました。
その結果、囚人役は素早く自分の役割に適応しました。
しかし、実験を行っていた研究者も予想外だったことに、看守たちもすっかり役割に「慣れきって」しまったのです。
看守役は支持がなくても囚人役たちに罰を与え始めました。
当然、囚人役の人たちは抵抗しましたが、反抗すればするほど看守役たちはより厳しい罰を囚人役に与えたのです。
次第に囚人役たちは実験継続不可能となり、次々に脱落していきました。
看守役たちは時がたつにつれてますますエスカレートし、とうとう囚人役たちに暴力をふるうまでになってしまいました。
その様子を見ていた人が、囚人役の家族に連絡を取り、慌てた家族が弁護士を引き連れてきてようやく実験は中止されたそうです。
なお、実験開始から中止まで一週間もたっていなかったそうです。
さらに驚くべきことに、中止にあたって看守役たちは「約束が違う。実験を継続すべきだ」と要求したのだそうです。
この実験は、どこにでもいる普通の人が看守の役を担うと、思いもかけない残虐性を発揮することを示すものとなりました。
看守役の人たちはもともとサディスティックな性格ではなく、看守役という役割と状況を与えられたことによって、このように残虐になってしまったそうです。
この実験に関して、ある専門家は以下のような意見を述べています。
「看守たちは無意識のうちに集団(=米国国民)の意思を感じとり、それを執行する代理人として暴行を加えた。」
この実験で、看守役が残虐な行為を行った原因は、「空気」や集団としての無意識によって罰を受けるべきとみなした人に対して、より強い罰を与えた結果なのです。
また、法学者がいうところの法の解釈によれば「正義」とは「ある社会(通常、国家)において法を遵守させるだけの権力が保証されているという状態」なのだそうです。
つまり、「何が正義か」ではなく、正義とは「法を犯した者に処罰を与えられる力である」という事です。
モラハラ・DV加害者というのは、被害者と上下関係を作ろうとします。
そして、上の者は下の者を教育・指導するという前提の元、いじめを行うのです。
例えば、親(上)と子(下)、上司(上)と部下(下)は社会常識的に上の者が下の者を指導することが容認されています。
また、男尊女卑の思想が強い人にとっては当然のように妻は夫に従うものとみなします。
なのでモラハラ・DV被害者は加害者の中にためらいや心の痛みはありません。だって、無意識のうちに被害者は罰を受けて当然の人とみなされているわけですから、気持ち良くいじめをすることができるのです。
しかも男性というのは、罰を受けるに値する相手が痛がっているところを見た時には、腹側線条体の側坐核など、脳の報酬にかかわる領域の活動が増加するのだそうです。
これらの領域は、セックスやドラッグやお金を受け取るときに活動する快感と関連した報酬の神経系です。
ということでモラハラ・DVの加害者が男性の場合、モラハラ・DVしている時快感を覚えるのです。
だから、モラハラ・DVは一度その味を知ってしまったらやめられないんですね!
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2016年08月18日
【モラハラ】モラハラは周囲から理解されにくい
モラハラは、大体加害者の外面が良いので周囲に理解されにくいものです。
私も同僚に、あいつにいびられてると言った時に、「え?ちょっと変だけど人当たり良い人なのに。そうなの?」と言われました。
確かに私も最初の印象は、"ちょっと変だけど人当たり良い人"でしたから、同僚が意外に思うのも最もです。
そんな風に、モラハラというのは周囲に理解されにくいのです。
それが被害者がモラハラから逃げにくい理由でもあります。
辛い目にあったら周りから共感して欲しいものですが、モラハラは逆に「あなたの我慢が足りないんじゃないの?」とか、「あなたも悪いんじゃないの?」と被害者のほうが悪者にされてしまう事が多いからです。
だから、モラハラにあったら、周りからの理解は期待せず、自分にしか感染しないウイルスを発見した科学者のつもりになれば良いのです。
自分は優秀な科学者で、偶然にも自分にしか感染しない致死性のウイルスを発見してしまったのです。
他の人には絶対に感染しないので、そのウイルスに関する論文を発表しても「嘘だろう」とか、「ありえない」とかしか言われません。
もっと口が悪い人は、「本当かどうか感染してみろ」と言うかもしれません。
もし感染したら健康でいられない事は目に見えています。
ひょっとしたら死ぬかもしれません。
そんな事になったら周りも迷惑です。
しかもその後に及んでも「ウイルスを証明するための詐病ではないか」と言われかねません。
だとしたら残された道は一つ。
全力でそのウイルスに感染する可能性のある場所から逃げる事です。
そしてウイルスを発見した自分をほめて良いのです。
逃げた自分をほめて良いのです。
そうして、安全な場所に行けば、また人類のために有効な研究が出来るのです。
何よりも、自分の大好きな研究という仕事が安心できる環境で出来るのです。
仕事でも何でも、安心できる環境というのは大事です。
人生を楽しむための基本です。
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私も同僚に、あいつにいびられてると言った時に、「え?ちょっと変だけど人当たり良い人なのに。そうなの?」と言われました。
確かに私も最初の印象は、"ちょっと変だけど人当たり良い人"でしたから、同僚が意外に思うのも最もです。
そんな風に、モラハラというのは周囲に理解されにくいのです。
それが被害者がモラハラから逃げにくい理由でもあります。
辛い目にあったら周りから共感して欲しいものですが、モラハラは逆に「あなたの我慢が足りないんじゃないの?」とか、「あなたも悪いんじゃないの?」と被害者のほうが悪者にされてしまう事が多いからです。
だから、モラハラにあったら、周りからの理解は期待せず、自分にしか感染しないウイルスを発見した科学者のつもりになれば良いのです。
自分は優秀な科学者で、偶然にも自分にしか感染しない致死性のウイルスを発見してしまったのです。
他の人には絶対に感染しないので、そのウイルスに関する論文を発表しても「嘘だろう」とか、「ありえない」とかしか言われません。
もっと口が悪い人は、「本当かどうか感染してみろ」と言うかもしれません。
もし感染したら健康でいられない事は目に見えています。
ひょっとしたら死ぬかもしれません。
そんな事になったら周りも迷惑です。
しかもその後に及んでも「ウイルスを証明するための詐病ではないか」と言われかねません。
だとしたら残された道は一つ。
全力でそのウイルスに感染する可能性のある場所から逃げる事です。
そしてウイルスを発見した自分をほめて良いのです。
逃げた自分をほめて良いのです。
そうして、安全な場所に行けば、また人類のために有効な研究が出来るのです。
何よりも、自分の大好きな研究という仕事が安心できる環境で出来るのです。
仕事でも何でも、安心できる環境というのは大事です。
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2016年08月16日
【モラハラ】モラハラ被害者にならないための雰囲気
モラハラの被害者にならないためにはどうしたらよいのでしょうか。
そもそもモラハラをするような自己愛性人格障害者は負ける勝負はしません。
絶対に勝てる相手をターゲットにします。
だから、自己愛性人格障害者に、自分の底を見せてはいけないのです。
「あぁ、こいつはひどいことを言われてもされても、この程度しか怖くないのだな」と思われたら終わりです。
そのためには、“怒らせたらものすごい怖い人”という雰囲気をまとうのが良いです。
何かあっても、簡単に許さない、とか。
笑えない冗談でも無理して笑うのはやめる、とか。
話している時たまに真顔になるとか。
自分の情報を漏らさないとか。
底知れない怖い人を演じればいいのです。
怖い雰囲気をまとうのが難しい人は、怖い人と仲良くなっておくのが有効です。
私にひどいことしたら、あの人が黙ってないよ、みたいな感じにしておくと良いです。
でも、モラハラの場合加害者自身が良い人を演じているので、警戒心を持つのがターゲット認定された後だったりします。
その頃までにはあなたの情報収集は終わっており、怖くない人→勝てる相手→ターゲットとなっています。
そうなってしまった後はさっさと逃げましょう。
自己愛性人格障害者の相手をしている時間が人生の無駄遣いなんです。
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そもそもモラハラをするような自己愛性人格障害者は負ける勝負はしません。
絶対に勝てる相手をターゲットにします。
だから、自己愛性人格障害者に、自分の底を見せてはいけないのです。
「あぁ、こいつはひどいことを言われてもされても、この程度しか怖くないのだな」と思われたら終わりです。
そのためには、“怒らせたらものすごい怖い人”という雰囲気をまとうのが良いです。
何かあっても、簡単に許さない、とか。
笑えない冗談でも無理して笑うのはやめる、とか。
話している時たまに真顔になるとか。
自分の情報を漏らさないとか。
底知れない怖い人を演じればいいのです。
怖い雰囲気をまとうのが難しい人は、怖い人と仲良くなっておくのが有効です。
私にひどいことしたら、あの人が黙ってないよ、みたいな感じにしておくと良いです。
でも、モラハラの場合加害者自身が良い人を演じているので、警戒心を持つのがターゲット認定された後だったりします。
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2016年08月14日
自己愛性人格障害者のターゲットは誰でもなり得る
自己愛性人格障害者のターゲットは、本当に自己愛性人格障害者の言うようにダメな人間ではありません。
ターゲットがダメなのではなく、自己愛性人格障害者がダメ人間なので、ターゲットが必要なのです。
ターゲットとなり得るのは優しく人を見捨てることができない良い人です。
つまり、密室・上下関係なんかの条件がそろえばほとんどの人はターゲットになる可能性があります。
自己愛性人格障害がいない場合、そこにターゲットは存在しません。
なので、今ターゲットになっている人も、自己愛性人格障害者と距離を置き、まともな人と関わることでターゲットという立場を返上することができるのです。
もし今あなたが自己愛性人格障害者のターゲットになっていたら、優しい人を思い浮かべてみてください。
(例えばレジで優しくお釣りを渡しながら「ありがとうございました。またお越しください」と言っている店員さんなど。)
その人とあなたとで立場が入れ替わった場合、自己愛性人格障害者は同じように虐待してくると思いませんか?
その人がいくら優秀だとしても、人と言うのは必ずミスを犯します。(というか、自己愛性人格障害者はミスを誘発させます。)
自己愛性人格障害者は嬉々としてミスを責め、その人が自分をダメ人間だと思うように仕向けるのです。
そんな優しい人が陥れられるなんて許せないでしょ?
それが今あなたがやられていることなんですよ。
あなたの近くの優しい人が笑顔でいられるのは、その人の周りに自己愛性人格障害者がいないからです。
あなたの顔が暗いのは、あなたの近くに自己愛性人格障害者がいるからです。
悪いのは自己愛性人格障害者です。
一番必要なことは、自己愛性人格障害者と距離を置くこと。
そうすれば人に笑顔を向けられる余裕が出てくるんですよ。
多分、私もこれからの人生、また自己愛性人格障害者のターゲットにされることがあるでしょう。
(ひょっとしたらその自己愛性人格障害者はあなたと同じ人なのかもしれません。)
でも、私は自己愛性人格障害者だと気付いたら最後っ屁をまき散らしながらとっとと逃げます。
だって人生楽しくなければ意味がないですから。
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ターゲットがダメなのではなく、自己愛性人格障害者がダメ人間なので、ターゲットが必要なのです。
ターゲットとなり得るのは優しく人を見捨てることができない良い人です。
つまり、密室・上下関係なんかの条件がそろえばほとんどの人はターゲットになる可能性があります。
自己愛性人格障害がいない場合、そこにターゲットは存在しません。
なので、今ターゲットになっている人も、自己愛性人格障害者と距離を置き、まともな人と関わることでターゲットという立場を返上することができるのです。
もし今あなたが自己愛性人格障害者のターゲットになっていたら、優しい人を思い浮かべてみてください。
(例えばレジで優しくお釣りを渡しながら「ありがとうございました。またお越しください」と言っている店員さんなど。)
その人とあなたとで立場が入れ替わった場合、自己愛性人格障害者は同じように虐待してくると思いませんか?
その人がいくら優秀だとしても、人と言うのは必ずミスを犯します。(というか、自己愛性人格障害者はミスを誘発させます。)
自己愛性人格障害者は嬉々としてミスを責め、その人が自分をダメ人間だと思うように仕向けるのです。
そんな優しい人が陥れられるなんて許せないでしょ?
それが今あなたがやられていることなんですよ。
あなたの近くの優しい人が笑顔でいられるのは、その人の周りに自己愛性人格障害者がいないからです。
あなたの顔が暗いのは、あなたの近くに自己愛性人格障害者がいるからです。
悪いのは自己愛性人格障害者です。
一番必要なことは、自己愛性人格障害者と距離を置くこと。
そうすれば人に笑顔を向けられる余裕が出てくるんですよ。
多分、私もこれからの人生、また自己愛性人格障害者のターゲットにされることがあるでしょう。
(ひょっとしたらその自己愛性人格障害者はあなたと同じ人なのかもしれません。)
でも、私は自己愛性人格障害者だと気付いたら最後っ屁をまき散らしながらとっとと逃げます。
だって人生楽しくなければ意味がないですから。
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2016年08月07日
自己愛性人格障害者を可哀そうだと思ったら負ける
自己愛性人格障害者は、自分の中にたまってくるマイナス感情をうまく処理することができません。
何か都合が悪いことが起きても、「自分を責める」ということがうまくできないのです。
これは、母親の共感性のなさや、子のマイナス感情を母親がうまく処理できなかったことが原因なので、自己愛性人格障害者は母親代わりのターゲットに、そのマイナス感情を押し付けて自分を保とうとします。
つまり、イライラを母親にぶつける反抗期の子供と同じなのです。
そこには当然暴言もあれば暴力もあります。
そんなことばかりされていたらターゲットだって自己愛性人格障害者から逃げようとするのは当然なのですが、ターゲットはうまく逃げることができません。
なぜうまく逃げることができないのか。
その原因は「母性」です。
自己愛性人格障害者は鋭い嗅覚で母性に溢れ自分から逃げられない人をかぎ分け、ターゲットにするのです。
反抗期の子供と同じで、ターゲットに対してどんなひどいことをしても我慢するだろう、あるいは自分が少し態度を軟化させれば逃げないだろうということがわかるのです。
自己愛性人格障害者はかわいそうな自分を演じ、同情を誘うのがうまいです。
ターゲットに選ばれてしまった人は、そんな自己愛性人格障害者の事を「カワイソウ。やっぱり私がついていてあげないと」と思い、逃げるのに失敗してしまうのです。
つまり、自己愛性人格障害者から逃げない限り、ずっと反抗期の子供の面倒を見るようなもんなんですよ。
しかもその反抗期は時がたてば解決するどころか一生続き、その暴力はどんどんひどくなるんですよ。
だから、自己愛性人格障害者をカワイソウだと思ったら負けです。
虐待されているターゲットの自分の方がよっぽどカワイソウなんですよ。
子どもの反抗期であれば、大体4〜5年で終わりいずれ親に感謝し親孝行してくれる日もあるかもしれません。
しかし自己愛性人格障害者のターゲットには虐待の終わりはないのです。一緒にいる限りずっと続きます。
いつまでも感謝も孝行もありません。
当然のようにごみ箱として扱われ、そういう扱いが当然だと思われるのです。
あなたの人生は、産んだわけでもない人間の反抗期をずっと支え続けて終わるのですか?
ごみ箱として終わって良いのですか?
それが嫌なら自己愛性人格障害者とさっさと離れましょう。
世の中、自己愛性人格障害者でない人の方が多いのです。
その人たちとなら、愛のある結婚も、活き活きとした仕事も、気の置けない飲み会なんかも可能なのです。
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何か都合が悪いことが起きても、「自分を責める」ということがうまくできないのです。
これは、母親の共感性のなさや、子のマイナス感情を母親がうまく処理できなかったことが原因なので、自己愛性人格障害者は母親代わりのターゲットに、そのマイナス感情を押し付けて自分を保とうとします。
つまり、イライラを母親にぶつける反抗期の子供と同じなのです。
そこには当然暴言もあれば暴力もあります。
そんなことばかりされていたらターゲットだって自己愛性人格障害者から逃げようとするのは当然なのですが、ターゲットはうまく逃げることができません。
なぜうまく逃げることができないのか。
その原因は「母性」です。
自己愛性人格障害者は鋭い嗅覚で母性に溢れ自分から逃げられない人をかぎ分け、ターゲットにするのです。
反抗期の子供と同じで、ターゲットに対してどんなひどいことをしても我慢するだろう、あるいは自分が少し態度を軟化させれば逃げないだろうということがわかるのです。
自己愛性人格障害者はかわいそうな自分を演じ、同情を誘うのがうまいです。
ターゲットに選ばれてしまった人は、そんな自己愛性人格障害者の事を「カワイソウ。やっぱり私がついていてあげないと」と思い、逃げるのに失敗してしまうのです。
つまり、自己愛性人格障害者から逃げない限り、ずっと反抗期の子供の面倒を見るようなもんなんですよ。
しかもその反抗期は時がたてば解決するどころか一生続き、その暴力はどんどんひどくなるんですよ。
だから、自己愛性人格障害者をカワイソウだと思ったら負けです。
虐待されているターゲットの自分の方がよっぽどカワイソウなんですよ。
子どもの反抗期であれば、大体4〜5年で終わりいずれ親に感謝し親孝行してくれる日もあるかもしれません。
しかし自己愛性人格障害者のターゲットには虐待の終わりはないのです。一緒にいる限りずっと続きます。
いつまでも感謝も孝行もありません。
当然のようにごみ箱として扱われ、そういう扱いが当然だと思われるのです。
あなたの人生は、産んだわけでもない人間の反抗期をずっと支え続けて終わるのですか?
ごみ箱として終わって良いのですか?
それが嫌なら自己愛性人格障害者とさっさと離れましょう。
世の中、自己愛性人格障害者でない人の方が多いのです。
その人たちとなら、愛のある結婚も、活き活きとした仕事も、気の置けない飲み会なんかも可能なのです。
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2016年08月02日
人を追い詰めるのなんて簡単
よく、モラハラやDVの加害者は、判を押したように同じような行動をする、とかって書かれている事がありますが、それは当然なんです。
だって人を追い詰める方法っていうのが判を押したように同じようなものだから。
まず相手を孤立させて情報を遮断するでしょ?
相手が如何にダメな人間かを吹き込むでしょ?
相手が行った事に対して徹底的にダメ出しするでしょ?
そうして自己不信感からミスが多くなってきたら、周りに「ほらあいつはダメなやつなんだよ。あいつのせいで散々苦労させられてるんだよ」と吹き込んで四面楚歌にしてやるでしょ?
そうしたら大抵の人間の精神は崩壊しますよ。
やろうと思ったら簡単なことなんです。
普通の人はやろうとも思ったことがないから翻弄されてしまいますが、そういう事を子供の頃からやってきたモラハラやDV加害者にとってはいつもの手段なんです。
彼らには共感性が少ないため、普通の人が持つ心の痛みという壁もいとも簡単に乗り越え、人をコントロールするという万能感に酔いしれるのです。
もし、なんだか最近訳もなく苦しくて、涙が出てきてしまうという人がいたら、上記のパターンに当てはまってないかという事と、そしてそこには味方のふりをしてあなたの破滅を狙っている誰かがいないか?という事を疑ってみてください。
なにしろ一番ヤバいのは「孤立させられ情報を遮断される」という事ですね。
これは洗脳の第一歩ですから。
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だって人を追い詰める方法っていうのが判を押したように同じようなものだから。
まず相手を孤立させて情報を遮断するでしょ?
相手が如何にダメな人間かを吹き込むでしょ?
相手が行った事に対して徹底的にダメ出しするでしょ?
そうして自己不信感からミスが多くなってきたら、周りに「ほらあいつはダメなやつなんだよ。あいつのせいで散々苦労させられてるんだよ」と吹き込んで四面楚歌にしてやるでしょ?
そうしたら大抵の人間の精神は崩壊しますよ。
やろうと思ったら簡単なことなんです。
普通の人はやろうとも思ったことがないから翻弄されてしまいますが、そういう事を子供の頃からやってきたモラハラやDV加害者にとってはいつもの手段なんです。
彼らには共感性が少ないため、普通の人が持つ心の痛みという壁もいとも簡単に乗り越え、人をコントロールするという万能感に酔いしれるのです。
もし、なんだか最近訳もなく苦しくて、涙が出てきてしまうという人がいたら、上記のパターンに当てはまってないかという事と、そしてそこには味方のふりをしてあなたの破滅を狙っている誰かがいないか?という事を疑ってみてください。
なにしろ一番ヤバいのは「孤立させられ情報を遮断される」という事ですね。
これは洗脳の第一歩ですから。
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