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2020年12月27日

「お母さん食堂の名前を変えたい」運動について

印象的で忘れられないネットの書き込みってありますよね。

私の場合、以下がその中の2つでした。

■「うちの兄が昔から、母が風邪等で具合悪くなると不機嫌になる人だった
http://kosodatech.blog133.fc2.com/blog-entry-11606.html
うちの兄が昔から、母が風邪等で具合悪くなると不機嫌になる人だった。
ふだんは母に対して普通なんだけど、母が寝込むと
聞こえるように大きく舌打ちしたり、「なまけるなよ」みたいなことを言う。
家事とか身の回りのことが滞るのはいやなのかな?と思い
成長してからは私が母の代わりに家事して身の回りに不自由ないようにしたんだけど
それでも兄はやっぱり母が寝込むのが不満らしく文句を言っていた。
でも母が大病して入院した時は誰よりもオロオロしてたから心配でないわけではないらしい。
ちなみに私(妹)が寝込んでも文句は言わない。

その後兄に彼女ができた。
彼女が風邪をひいた時、兄は自主的にポカリを差し入れしたりしていた。
母と彼女じゃ違うだろうし別にそこは疑問視してなかった。
さらに年月が経って兄と彼女は結婚した。そしたら結婚した途端
兄の「寝込むのは許せない病」がぶりかえした。今度は相手は母でなく兄嫁。
近距離別居なので兄はふせってる間、実家に帰ってきた。
兄は看病もしてないし、実家にいるから不自由ないのにずっと兄嫁の悪口を言ってる。
具合悪いんだからしょうがないじゃん、と言っても「たるんでる」みたいな
精神論みたいなことをブチブチ言う。
兄に言わせると「こういうのは理屈じゃないんだ」らしい。
理屈じゃないことを言われてもわかんないよ…。
驚いたのは父も兄に賛同したこと。
「あいつの言うことはわかる。この手の感覚は理屈じゃない」んだって。
いやわからん。なんなんだ。
母もしくは嫁が寝込む=許せない
という感覚の人、他にもいますか?いるなら誰か説明してほしい。
「理屈じゃないんだ!」(机ドンッ)だけでは、どうにも納得できません。

■「家事を嫌いと言う女性
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/1127/367006.htm
悩みというほどでもないのですが男性の皆さんにお聞きします。

今日同僚と飲んでいて、そのうちの一人(女性、30代)が
「私は子供の頃から家事が嫌い。やらなくていいものならやりたくない。」
と言っているのを聞いて、私は正直がっかりしました。

普段の話を聞いている限り、彼女は食事の支度もしているようですし
弁当も持参しています。旦那さんにも作っているようです。
クリーニングの背広を抱えて帰る姿も時々見ています。
結婚した時に茶碗洗い機と自動掃除機を買った事は聞いていますが
仕事は丁寧で家事が全く出来なさそうなタイプではありません。

しかし「家事が嫌い」と男性ばかりいる中で断言しているのを聞いて、
彼女になんだか嫌な感じを抱きました。
共働きだし・・・と思いつつも、残念な気持ちを終始ぬぐえませんでした。

どうも私は、女性には家事を好きであって欲しいようです。
上手かヘタかは別として、家事を嫌いだと表明する女性を嫌なようです。
共働きとか色々な事情で「出来ない」というのは全く問題ないのですが、
実際に家事をこなしていても「家事を嫌い」と言う女性は嫌いなようです。

皆さんは如何でしょうか?私は変だと思いますか?
家事が嫌い、と言う女性でも何とも思いませんか?



ついこの間まで読んでいた『ひれふせ女たち ミソジニーの論理』という本。

ひれふせ、女たち:ミソジニーの論理

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ここに書いてあったことに当てはめて考えてみると、この「母が寝込むと機嫌が悪くなる兄」と「家事が嫌いという女性が嫌いな男性」は

女性は女性にコード化されたサービス(家事労働)を、男性に提供する義務があると考える立派なミソジニストである

と言えるんでしょうね。つまり、

母親がたとえ病気であっても家事を怠る≒自分の世話を怠ることや、女性が女性の義務である「家事労働」を嫌いと公言するなどということは、家父長制的規範と期待に対する違反である

という事なのでしょう。


最近、女子高生が「ファミリーマートの「お母さん食堂」の名前を変えたい」運動をしているそうです。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000019.000025743.html

誰もが、「料理をするのは、お母さんだけ」だと思ってしまう。
女性=家事・育児というイメージがつくことで、女性が仕事をするうえで負担になっている。
男性も家事育児をすることが増えているのに、そういう取り組みを妨げている。
子どもたちも「女性=料理」は当たり前だと思って育つ。
性別によって役割が決まる(性別役割分業)という価値観が続いていく。



このままでは、いつまでも女性だけでなく、男性にとっても生きやすい社会になりません。

今、私たちが変えないと、未来は変わりません。
12月31日までオンライン署名と署名の拡散のご協力をお願いします。
目標1万人を目指します。

なのだそうです。

DNAにまで染みついたようなこの性別役割分業の思想は、そうそうなくなるもんじゃないとは思いますが、誰かが声をあげないと女性はずっとモヤモヤしたまま生きていかなければならないわけです。

女性の社会進出はどんどん進み、共働き家庭は増え続けているのにも関わらず。

ネットには、「大げさなんじゃない?」「そこまでしなくても」という女性の声もあるようですが、それって立派なミソジニー的思考だし、誰かが声を大にしなければずっと状況は変わらないわけです。

なので、未来の女性が生きやすくなるためにも、私はこの運動を応援したいと思います。






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2020年12月24日

自己愛性人格障害とミソジニー

「非モテ男性」を救うのは誰か 「本来女性によってケアされるべきなのに、されない」」という記事を読みました。

そこで紹介されていたミソジニーに関して書かれた本、『ひれふせ女たち ミソジニーの論理』という本が気になったので読んでみました。

ひれふせ、女たち:ミソジニーの論理

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この本では、ミソジニー(女性嫌悪)を「家父長制的規範と期待に対する違反」であると位置づけ、以下のように説明しています。

女性に対する敵意や攻撃といった反応が自然に引き起こされるのは、社会的役割を取り仕切る規範や期待に、女性が目に見えるようなかたちで抵抗したり、違反したりするときである。
注意深く、愛らしいしもべという役割から離脱することほど、女性にたいする敵対的反応にとっての自然な基礎がありうるだろうか。そんなことをすれば、ふだんジェンダーにもとづくこのサービスの恩恵に浴している典型的な層(つまり、男性)の中には「剥奪」されたとか「無視」されたと感じる向きもあらわれるだろうと、容易に想像できる。実際、役割離脱した女性とサービスを期待する男性というこの取り合わせは、感情的で、とんでもない惨事をもたらしかねない。


そして、図式的なモデルとして以下のようなシチュエーションを挙げています。

あるレストランに一人の男性客が食事に訪れたとする。彼は、「お客様は神様」の言葉どおり、うやうやしく対応されること、そして、笑顔と細心の注意をもって注文した料理が提供されることを期待している。彼は食事が目の前に運ばれてくることに加えて自分は特別な存在であり、それに応じた気配りを受けていると感じられることを期待している。ところが、その客は落胆を経験することになる。なぜか彼の元にウェイトレスがやってこない。他のテーブルでは注文を聞いたり給仕したりしているのに。さもなければ、こう想像してみてほしい。ウェイトレスの女性はけだるそうに店内を回っているか、それとも自分のことにかまけて、彼の存在を無視している様である。もっとひどいケースになると、仰天すべき役割の逆転だが、どうやらウェイトレスの方が、客である彼からのサービス提供を期待しるようなのである。
いずれにせよ、そうした状況で彼がふだん慣れ親しんでいるような振る舞いを彼女は示してくれない。この客が混乱し、その後、立腹するさまを想像するのはたやすい。スプーンでテーブルを叩いて音を立てたり、堪忍袋の緒を切らして癇癪を起すといった姿を思い描くのもたやすい。


そして、客である男性が受け取るサービス、ウェイトレスである女性が提供するサービスには以下のようなものがあるとしています。

彼女が与えるべきもの(女性にコード化された財とサービス)
注意、愛情、称賛、同情、セックス、子ども(つまりは、人付き合い、家事、生殖、そして感情にかんする労働)。加えて、安息所、養育、安全、安心、快適などの混合的財。

彼の取り分(男性にコード化された特典と特権)
権力、威信、公的認知、位階、名声、名誉、「顔」、尊敬、金銭、およびその他の形式の富、階層的地位、上方への可動性、等級の高い女性の忠誠、愛、献身などを有することで付与されることになる地位


上記により、ミソジニー事例のほとんどは、女性に対する2つの相互補完的な社会規範の元に理解することが可能であるとしています。

(1)彼女には、女性にコード化されたサービスを、誰かにたいして、できれば、(人種差別主義的、階級差別主義的そして異性愛規範的な価値観に照らした)社会的地位において彼女と同等、もしくは上位を占める一男性にたいして、少なくとも彼がそうした財やサービスを彼女から受けとることを望むかぎり、与えるという義務がある。

(2)彼女は、彼がそれらを受け取ることと保持することを欲するか、または切望する限り、少なくとも、優位を占める男性から(そして、おそらくはその他の者からも)男性にコード化された財をもつこと、および取ることを禁止されている。


なるほどね〜、と思いました。

そして、この本ではミソジニストであることと自己愛的または妄想的であることは矛盾していない、としています。

ミソジニーはまさしくその本質からして自己愛的で妄想的だからである。それは非個人的な失望を、敵意のこもった怒りへと、もしくは社会学者マイケル・キンメルが呼ぶところの、「傷つけられた権利意識」へと転じる。そして、ミソジニーはまったく見知らぬ女性と当該男性との関係を、想像の上で親密なものへと変容する。


私がモラハラを受けたクソバカキモヘドロクズカス男も相当な男尊女卑思考の持ち主でしたが、自己愛が強いと男尊女卑に限らず、訳の分からない特権意識を持ちやすいんだろうなと思います。
(自己愛性人格障害ってそもそも自分が特別だと思い込まなければ生きていけない障害ですからね。)



ところで。

今回読んだこの『ひれふせ女たち ミソジニーの論理』という本ですが、哲学者の方が書かれた本というのが理由なのかは分かりませんが、すさまじく読みにくかったです。

3500円もしましたが、「あ、全部読めないかも…」と絶望を感じました。

でも1週間くらいかけて次第に文章に慣れていき、むしろ他の読みやすい文章が物足りなくなるくらい私も進化しました。

この本のすべてを理解できたのかはよく分かりませんが、アメリカの人種差別などについても住んでいる人目線で書かれており、以前よりBLM問題もその問題の根深さが理解できた気がします。

読み応えたっぷりの本ですので、年末年始休暇の読書リストの一冊にしてみてはいかがでしょうか。






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