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2021年03月29日

自己愛性人格障害者はいじり笑いが大好き

たまに「他人をいじって笑いを取る」をする人がいるじゃないですか。

自己愛性人格障害の人間にもあるあるで、彼らは特にターゲットをいじって笑いを取ることが多いと思うのですが、「人が自分をだます理由」という本を読んだらいじって笑いを取る理由がなんとなくわかりました。

第一の理由はもちろん前回のブログにも書いた「笑いを取って人気(名声)を得る」というところなんですが、第二の理由はやはりターゲットに対する「虐待」です。

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人間は笑いについて、ふたつの密接に関係する意味を状況に応じて見分ける事ができる。
自分自身の行動を笑うとき、それはたとえ攻撃しているように見えたとしても、意図はあくまで遊びであることを遊び相手に伝えるシグナルだ。
これは幼い子供が大人や他の子供を遊びで叩いた後に見せるたぐいの笑い、あるいは大人が誰かを軽くからかうときの笑いである。

どちらも笑いは、「本気や危険に見えるかもしれないけど、それでも遊びの気分だ」と相手を安心さえる機能として用いられている。
そしてこの「けれども」の部分が重要で、私たちは遊んでいる間ずっと笑い続けてはいない。何か不愉快だと受け止められそうなことがあるときだけ笑う。
すべてのコミュニケーション行為と同じように笑いも適切に行わなければならない。

脳が笑いを通して「漏らしている」機密情報は、笑い話の対象になっている人、つまりもの笑いの種にされている人に対する感情である。
その人に対する情が薄いほど、その人に何か良くないことが起きた時に容易に笑える。

実際にはここでは二つの変数が重要である。
一つ目は単純に関わっている苦痛の大きさである。
骨折よりは針が刺さった方が笑えるし、無惨な死よりは骨折の方が笑える。

二つ目の変数は「心理的な距離」である。
心理的に自分から遠いほど感情移入が薄く、その人の苦痛を笑えることが多い。
コメディで知られる映画監督権俳優のメル・ブルックスは述べている。
「悲劇とは自分が指を切った時だ。喜劇とは君が下水溝に落ちて死んだ時だ。」

からかいがすぎたり、苦痛を相殺するに足りる優しさや温かさがないと、意地悪になってしまうこともある。
そして親密さのかけらもないとき、からかいはいじめ、一言で言うなら虐待になる。
この種のいじめはいじめる側にとってはきわめて効果があり、いじめられる側にとっては厄介だ。
なぜならこのいじめにはあらかじめ口実が備わっているからである。
「冗談だってば。ジョークも分からないの?」
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本当、イジリ笑いって自己愛性人格障害者にとって最高ですよね。

みんなの笑いを取って人気(名声)を得られるとともに、ターゲットを虐待できるんですから。

ちなみに、タレントのSHELLEYさんは、イジリ笑い発言があったとき「笑うことで、これはイジっていいんだよということに加担している気がしたので(それ以来)笑わなくなった」そうです。
https://www.rbbtoday.com/article/2021/03/18/187115.html

私も、特に自己愛が強い人のイジリ笑いに関しては、たとえ自分に向けられたものではなくてもチベスナみたいになってみようかと思います。

※チベスナ→チベットスナギツネ
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2021年03月28日

自己愛性人格障害者の「友達多い自慢」

たまに「友達多い自慢」をする人がいるじゃないですか。

自己愛性人格障害の人間にもあるあるで、個人的にはなぜそんなことを言うのか謎だったんですが、「人が自分をだます理由」という本を読んだらその目的がなんとなくわかりました。

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人間の社会的地位には実質的にふたつの特色がある。
それは「支配」と「名声」だ。
支配はヨシフ・スターリンのように他者を威圧できることによって得られる地位で、地位の低い側は恐怖やその他の回避本能で制御される。
一方で名声は、女優のメリル・ストリープのように影響力の大きい人間になることによってられる地位で、尊敬やその他の接近の本能で制御される。
(スティーブ・ジョブズのように二つを併せ持っている者もいる)
しかしながら、この二つの形は分析上は異なる生物学的な意味を持つ別々の戦略である。
一部の研究者はこれを「トップに立つためのふたつの方法」と呼んでる。

名声は、少なくとも表面的にはそれほど熾烈な競争には見えない。
結局のところ、それは尊敬であり、力で奪い取ることはできず、むしろファンから自由に与えられるべきものだ。
それにもかかわらず、かぎられた量の尊敬しかよのなかに存在しない。
ただお金がある、美しい、スポーツが上手いというだけでは名声は得られず、おもしろい、芸術がわかる、賢い、話が上手い、感じが世ことなどが必要だ。
しかしながら、それらはみな「相対的な」資質である。

名声を理解するもう一つの方法は、それが友情や仲間の市場におけるその人の「価格」だと考えることである。
すべての市場と同じように、価格は需要と供給によって変動する。
私たちはみな他者にたいして似たような(そしてかなり限られた)友情を供給しているが、「需要」は人によって大きく異なる。
名声の高い人物には時間と注意を欲しがる人がたくさんいるが、名声の高くない人物では時間と注意を欲しがる人はそれほどおらず、友情を安売りしなければならない。

そして、価格を上げようとしている誰もが、新しい技術を学んだり、より多くのよりよい手段を手に入れたり、長所を磨いたりすることで、友人あるいは仲間として自分の魅力を高めようと奮闘している。
しかしながら、名声を求めることそのものはほぼゼロサムゲームである。
ときに親しい友人の成功にさえ嫉妬を感じる理由はそれで説明できる。
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友達多い自慢をする人って、「友達や仲間市場で価値の高い人間だぜ」と言いたかったわけなんですね。

そして、自分より人気のある(ありそうな)人を引きずり降ろそうとするのは、自分の市場価値がその人より低い、あるいは低くなるのが耐えられないからなんですね。

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2021年03月22日

モラハラに気づいたら早めに逃げた方がいい

モラハラは被害者がどんなに「つらい」とか「やめて」とか訴えても増えることはあれど減ることはありません。

世の中色々とモラハラへの対抗策などのサイトもあり、うまく対処していけばモラハラ加害者とそれなりに上手くやって行ったり立場を逆転させたりできる可能性もあるようですが、私は思うのです。

それって常にモラハラの事を念頭に置いて生活しなきゃならないってことだよね?と。

モラハラ加害者と一緒に生活するとしたら、自然体では生きられず、常に「これはモラハラ的に考えたらどうだろう」という事を考えて生きていかなきゃいけないってことですよね。

まずそれって疲れますよね。

そして、そんなモラハラ加害者だと分かっている相手に対する愛は残っているのでしょうか。

(私自身はモラハラするようなやつだと思ったとたんオアシスのように溢れていた愛も枯渇すると思いますが。)

なので、「あれ?こいつモラハラじゃね?」と思ったとたん、脱兎のごとく逃げるのが良いと思います。

離れにくい関係を作られる前に。






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2021年03月21日

モラハラで失うもの

世の中色々なハラスメントがあります。

身体的DVや経済的DVは外から見て被害者の受けたダメージが分かりやすいので、同情も得られやすく加害者は罰を受けやすいです。

しかし、セクハラやモラハラやパワハラやいじめなど、ダメージが目でみて分かりにくいハラスメントは一体被害者の何が犠牲になっているのでしょう。

それは「人権」です。

人権、というのは人種や民族、性別を超えて、誰にでも認められる基本的な権利であり、私たちが幸せに生きるための権利です。

セクハラやモラハラやパワハラなどのハラスメントは、被害者の「幸せに生きる権利」である「人権」を踏みにじる行為なのです。

目に見えないハラスメントをされた人の中には、「別に何かとられたわけじゃないし」とか「受け流せない自分が悪いだけだし」など、泣き寝入りする人たちがいますが、生きる上で平等に与えられているはずの権利を踏みにじられたので怒りを覚えて良いのです。

怒りを覚えて良いのか?というところについて迷いを持つ人もいると思います。

人間、自分の事を客観的に見るのは難しいですから。

なので、判断を迷ったら、

「自分の親がこの状況をみてどう思うか」とか、

「もし自分に子供がいて同じようなことをされたか」ということを考えてみてください。

多分許せないと思います。

ハラスメントをするような人は、他人の人権を尊重しないクズ中のクズです。

なので、それなりに報復したり、それが難しいようであればそんなヤツの元からはさっさと逃げて良いのです。






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2021年03月10日

自己愛性人格障害者は身の程を知らない

よく、すぐ「ずるい」という人がいます。

例えば、6個入り400円のたこ焼きを買ったとして。

私は普通に6個入ったたこ焼きをお店の人から渡されたのに、後ろに並んでいた美人は「お姉さんきれいだから特別7個にサービスね。」と言われたら、それは「ずるい」と感じます。

でも、私も美人のお姉さんも1円も払っていないのに、美人のお姉さんだけたこ焼き屋のおじさんから「お姉さん美人だからたこ焼き1パックあげるよ」と言われるのを見ても、「いいなぁ」とは思っても「ずるい」とは思いません。

また、駅の改札を出たら母親が車で迎えに来ていた時、妹だけ車に乗せて私は車に乗せてくれなかったとしたら妹の事を「ずるい」と感じます。

でも、車で迎えに来ていたのが知り合いの母親で、知り合いだけ車に乗せて帰ったとしたら「いいなぁ」とは思っても「ずるい」とは思いません。

なぜ、「ずるい」と思わず「いいな」と羨ましく感じるのか。

それは、たこ焼きの場合は私はそれほど美人じゃないと分かっており、

車の場合は私は知り合いの母親の娘ではないと分かっているからです。

つまり、各シチュエーションにおいて私は「身の程を知っている」のです。

そして、「身の程を知る」のには、等身大の自分を客観的に見るまともな人格が必要です。

翻って、自己愛性人格障害者たちはまともな人格というものが育っていません。

まともな人格が育っていないため、「身の程」が分かりません。

「身の程」が分からないため、常に誰かと比較し勝っていると思う事で安心しているのです。

だから、自己愛性人格障害者は「いいな」ではなく「ずるい」というのです。

そして、皆さんもお分かりだと思いますが、「ずるい」という感情はどす黒いものです。

本来自分も得られるはずのものを得られないという感情なのでフラストレーションがたまります。

だからそういう「ずるい」という感情を抱かせた相手を貶めたり、ゴミ箱代わりのターゲットに八つ当たりしたりしてストレスを発散しているんですね。

いや〜、まともな人格を持っている人はこんな奴らからは逃げるが勝ちですね。

相手をするだけ時間の無駄で〜す。






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