自己愛性人格障害の人間にもあるあるで、彼らは特にターゲットをいじって笑いを取ることが多いと思うのですが、「人が自分をだます理由」という本を読んだらいじって笑いを取る理由がなんとなくわかりました。
第一の理由はもちろん前回のブログにも書いた「笑いを取って人気(名声)を得る」というところなんですが、第二の理由はやはりターゲットに対する「虐待」です。
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人間は笑いについて、ふたつの密接に関係する意味を状況に応じて見分ける事ができる。
自分自身の行動を笑うとき、それはたとえ攻撃しているように見えたとしても、意図はあくまで遊びであることを遊び相手に伝えるシグナルだ。
これは幼い子供が大人や他の子供を遊びで叩いた後に見せるたぐいの笑い、あるいは大人が誰かを軽くからかうときの笑いである。
どちらも笑いは、「本気や危険に見えるかもしれないけど、それでも遊びの気分だ」と相手を安心さえる機能として用いられている。
そしてこの「けれども」の部分が重要で、私たちは遊んでいる間ずっと笑い続けてはいない。何か不愉快だと受け止められそうなことがあるときだけ笑う。
すべてのコミュニケーション行為と同じように笑いも適切に行わなければならない。
脳が笑いを通して「漏らしている」機密情報は、笑い話の対象になっている人、つまりもの笑いの種にされている人に対する感情である。
その人に対する情が薄いほど、その人に何か良くないことが起きた時に容易に笑える。
実際にはここでは二つの変数が重要である。
一つ目は単純に関わっている苦痛の大きさである。
骨折よりは針が刺さった方が笑えるし、無惨な死よりは骨折の方が笑える。
二つ目の変数は「心理的な距離」である。
心理的に自分から遠いほど感情移入が薄く、その人の苦痛を笑えることが多い。
コメディで知られる映画監督権俳優のメル・ブルックスは述べている。
「悲劇とは自分が指を切った時だ。喜劇とは君が下水溝に落ちて死んだ時だ。」
からかいがすぎたり、苦痛を相殺するに足りる優しさや温かさがないと、意地悪になってしまうこともある。
そして親密さのかけらもないとき、からかいはいじめ、一言で言うなら虐待になる。
この種のいじめはいじめる側にとってはきわめて効果があり、いじめられる側にとっては厄介だ。
なぜならこのいじめにはあらかじめ口実が備わっているからである。
「冗談だってば。ジョークも分からないの?」
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本当、イジリ笑いって自己愛性人格障害者にとって最高ですよね。
みんなの笑いを取って人気(名声)を得られるとともに、ターゲットを虐待できるんですから。
ちなみに、タレントのSHELLEYさんは、イジリ笑い発言があったとき「笑うことで、これはイジっていいんだよということに加担している気がしたので(それ以来)笑わなくなった」そうです。
https://www.rbbtoday.com/article/2021/03/18/187115.html
私も、特に自己愛が強い人のイジリ笑いに関しては、たとえ自分に向けられたものではなくてもチベスナみたいになってみようかと思います。
※チベスナ→チベットスナギツネ
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