そして自己愛性人格障害者は肉体的な共感性は普通の人と同じくらいあるが、心理的な共感性が少ないと言われています。
まず、肉体的な共感性が少ないとはどういうことでしょう。
普通の人は、他人に暴力をふるう時躊躇します。
それは、殴られたら痛いということがわかっているからです。
だから、相手も同じように痛いだろうということを想像して躊躇するのだそうです。
そのため、痛みを感じにくく肉体的な共感性が少ないサイコパスは、ゲームに出てくる敵キャラに対するように他人を傷つけ、延いては殺害まで何の心理的抵抗もなく実行することが可能です。
次に、心理的な共感性が少ないということについてですが、自分の心があまり痛まないので他人の心の痛みが分からないということになります。
例えば、受験に失敗したことがない人は、受験に失敗する痛みが良くわかりません。
なので、受験に失敗したことがない人に対して、「勉強しなかったのがいけないんでしょ。自業自得だよ。」とか、「え?あんなに勉強してたのに落ちたの?プププ」なんてことを考えても心が痛まないのです。
そして、自己愛性人格障害者だった場合、考えるだけでなく受験に失敗した人に思ったことを意地悪くいってしまいます。
なぜなら言われた相手が傷ついた顔が見たいから。
そうして自分が勝利を感じたいから。
(あぁ気持ち悪い・・・。)
と言うことで、共感性を得るためにはいろいろ失敗することが大事なんです。
昔の人は、「かわいい子には旅をさせろ」とか、「若いときの苦労は買ってでもしろ」なんてことを言いましたが、本当にその通り。
なるべく若いときにいろいろ失敗することで、人の心の痛みがわかる優しい人になれるわけですね。
そして、失敗を乗り越えるたびに人は優しさだけではなく強さも得ることができます。
だから小さい失敗をいっぱいするのが大事なのだそうです。
大きすぎる失敗は自己肯定感を弱めたりしてしまうので、あくまでも小さい失敗が良いのだそうです。
そういう意味だと今の時代の親は、子供が失敗しないように傷つかないように育てているような感じがしますね。
だから打たれ弱い人間になってしまい、社会に出たときに初めて壁にぶち当たり、引きこもりになってしまったりするのでしょう。
人生を強く豊かなものにするには共感性が大事なのです。
自己愛性人格障害者の被害者になるような人は、大体共感性が強く人の心の痛みに敏感な優しい人です。
そういう人は、自己愛性人格障害者に対しても共感性を覚えてしまうので、何か言われても「でもこんなこと言ったら相手が傷つくから」とか、「私さえ我慢すれば済む話だから」と思ってしまい、言い返せないのです。
そうして自分がどんどん傷ついてしまうのです。
いっそのこと、共感性が少なく、好き勝手生きる人生の方が良いような気がします。
しかし、共感性が強いということは、他人の気持ちに感情移入しやすいということであり、映画や小説をより楽しむことができるということなのです。
友達や恋人などの周囲の人間関係も、絆が強く楽しいものとなるのです。
つまり、自分の人生だけでなく、共感性により、まるで複数の人生を生きているようになれるのです。
人生を何倍も楽しめるのです。
だから共感性が強い自己愛性人格障害者の被害者のような人の人生は、自己愛性人格障害者の人生よりも濃くて面白いのです。
逆に自己愛性人格障害者と言うのは、どこか深みがなく薄っぺらい人が多いです。
(まぁ、彼らは目の前の勝負に勝つことにしか興味がないですからね。)
だた、共感性が強いということは悲しや苦しみも感じやすいということになります。
だから、自己愛性人格障害者の近くからはなおさら離れた方が良いのです。
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