先日、ふと昔の職場で持病が悪化して亡くなった友人を思い出した。
その方は私よりも5歳くらい年上だったが、やさしい先輩社員だったが心臓病の持病があった。
訃報を聞いた私は彼の実家に焼香に行った。
その先輩の実家は市営住宅で両親は高齢であり、生来から彼の家計が貧しいのだと悟った。
その苦労の中で彼は持病をもちつつ仕事を頑張っていたのがわかった。
先輩にはお姉さんがいたので、その後お墓の場所を聞いて区画とお墓の番号を知り
2回ほどお墓参りをしたのだが、前立腺炎の病気になり実家に戻ってからは、
病気を治すことと自分の生活のことが精いっぱいで先輩のお墓参りに行けなかった。
そして、最近お墓参りをしようとしたのだが、もうすっかり場所とか区画番号を忘れ、
どの場所かわからず、墓苑を管理している管理事務所に問い合わせをしたのだが。
基本的に個人情報なのでお墓の場所はご家族の同意がなければお教えできないといわれた。
その墓苑は仙台市内でも広大な墓地であり、昔の記憶では探すことは不可能に近かった。
お墓を探そうと他人のお墓のまわりをウロウロすれば不審者に間違われるかもしれないし、
先輩のお姉さんも嫁いで苗字が変わっている可能性もあるし、
20年前に高齢だった両親が存命かは不明であるから捜しようがない。
ただ、亡くなった先輩の名字と名前、以前にお墓参りした時のかすかな記憶から、
墓地の管理事務所で区画と名字から何とか特定ができる可能性はかすかにある。
でも、個人情報保護法のせいでそれはできないのだ。
私はただ亡くなった先輩社員にお花とお線香をあげて冥福を祈りたいだけで善意の心しかないのに
個人情報保護法のせいで自分の善意が果たせない。
個人情報保護法のおかげで助かる人もいるだろうが、不利益な人も多くいるのではと感じる。
現在の個人情報保護法には弱者救済や人が善意をなせなくなるというコミュニティーの面でマイナスの部分があるのは否定できないと思う。
また、何か困っている人を助けようと行動する際に、その個人の家族の住所をしろうとすれば個人情報保護法が障壁になり助けられないことがあると聞く。
今後、少子高齢化社会が進展する中で、地域コミニティーや人とのつながりが希薄になることでの
様々な問題や弊害が深刻化することは現状でもあきらかである。
例えば、老人の孤独死や子供の虐待やいじめ問題など個人情報保護法が障壁となり助けられる人を助けられないことになっている事例が出てきている。
それを防止できるのが人と人との心のつながりだと考えるが、
そのためには個人情報保護法の柔軟な運用ができるような制度改革が必要ではと思う。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image