終点田川後藤寺に
16時33分の定刻に到着しました。
ここで下車する人も多く
乗り換えの人は少ないですね。
自分もまずは改札を抜け、
駅前を散策した後、
新飯塚へ向かう枝線に乗り換えるために
ホームへ戻りました。
新飯塚まで行く列車は
1両編成でキハ40系と言われる
両端に運転席がある列車です。
ローカル地方には欠かせない存在ですね。
先ほどの日田彦山線も
2両つなぐ必要が無いくらいしか
乗客はおらず、
1両のディーゼルカーは
重宝されるのではないでしょうか。
新飯塚行の車内には
ほとんど人がおらず
ボックス席を占領することができました。
出発時刻の16時42分に
列車は少しだけ都会と思われる
方向へ走り出しました。
先ほどと同じような感じの所を
列車はというより
1両だけなので車は走ります。
ローカル色が濃いこの路線は
乗っている人も年配の方が多く、
自分のような若者は
少ないというより見当たらない車内でした。
約20分で終点の新飯塚へ到着です。
筑豊本線との接続駅で
主役は筑豊本線なので
横のホームに間借りするような感じで停車しました。
新飯塚には17時03分の
定刻の到着で次の列車へ乗るために
ホームを移動します。
この新飯塚駅は先ほど述べたように
筑豊本線の駅ですが、
地元の人に親近感を
持ってもらうためだと思いますが、
「福北ゆたか線」という
別の路線名でも呼ばれています。
但し読み方は最後まで分からなかったです(^^;
※福北ゆたか線(ふくほくゆたかせん)
ちなみに福北ゆたか線は
博多から吉塚まで鹿児島本線を走り
そこから分かれて篠栗を通り
この新飯塚を通って直方へ出ます。
直方からもそのまま北上し、
折尾で再び鹿児島本線と接続します。
そして、鹿児島本線と交差し
そのまま若松までを結んでいます。
筑豊地方は、石炭を運ぶ路線として
様々な分岐をしながら
方々へ線路が敷かれていたところです。
その名残として今もいくつかの
線路が残っていて
生活路線として活躍しているのですね。
最盛期の面影を感じ取ることは
できませんが、
廃線となってしまった所で
現在も痕跡が残っているところだけでも
歴史上貴重な鉄道遺産として
できる限り残しておいて欲しいものです。
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