2018年01月06日
新入団の9選手が大野寮に入寮!
広島ドラ1中村奨成入寮、マエケンら出世部屋に刺激
1/6(土) 18:57配信
日刊スポーツ
広島の新入団9選手(育成3選手含む)が6日、広島・廿日市市内の大野寮に入寮した。
ドラフト1位の中村奨成捕手(18)は「104号室」に入居。過去にはドジャース前田や野村、大瀬良らが使った“出世部屋”とあり「自分も続いて活躍できるように頑張りたい」と意気込んだ。
部屋には広陵・中井監督からプレゼントされた、特注のマットレスを持参。「自分の体形に合わせたもの。睡眠は大事なので」と高校時代に続く寮生活に備えた。7日から始まる新人合同自主トレに向けては「まずアピールの場と思っている。どんどん自分の良さを出していきたい」と誓った。
広島2位山口翔、くまモンと熊本工ユニ持参で入寮
1/6(土) 18:51配信
日刊スポーツ
広島の新入団9選手(育成3選手含む)が6日、広島・廿日市市内の大野寮に入寮した。
ドラフト2位の山口翔投手(18)は、赤色のスーツケースで登場。「新しく買いました。広島と言えば赤なので」とニッコリ。最速151キロを誇る右腕は、部屋には熊本工のユニホームを持ち込み「仲間の応援に応えられるようにしたい」と意気込んだ。
広島3位ケムナは義経パワーだ!難関突破お守り持参
1/6(土) 19:39配信
日刊スポーツ
広島の新入団9選手(育成3選手含む)が6日、広島・廿日市市内の大野寮に入寮した。
ドラフト3位のケムナ・ブラッド・誠投手(22=日本文理大)は「義経パワー」にあやかって活躍を目指す。ドラフト時にも持っていたという石川・安宅住吉神社のお守りを持参。難関突破の神として知られ、奥州平泉に逃れる途中の源義経や武蔵坊弁慶が。難関の安宅の関を突破したと伝わる。「お守りはおばさんが買って、送ってくれた。これから身につけておくと思うし、初登板や大事な試合にも持っていくと思う」とケムナ。192センチの長身右腕は「制球力が一番の課題。あとは気持ちの面でプロの打者の圧力に負けないようにしたい」と思い描いた。
いよいよ入寮ですね。9人の選手はそれぞれ期待と不安をかかえながら、入寮してどんな思いなんでしょうか。ドラフト1位の中村奨成選手は出世部屋の104号室に入りました。チームからの期待も大きい訳で、プレッシャーがないことはないでしょうね。ここまで来たのですから、あとはやるしかありません。持っているもの全部出しきって頑張って欲しいですね。
ドラフト2位の山口投手は、MAX151キロのストレートが武器です。しかし、NHKの「プロフェッショナル」をご覧になった方はおわかりでしょうが、制球力が今一つです。ここを克服すれば、素晴らしいピッチャーになる素質は十分あります。佐々岡塾でどれだけ改良できるか楽しみです。
ドラフト3位のケムナ投手は長身から投げ下ろす重い球が武器です。アドゥワ投手と似た感じがあるのではないでしょうか。ケムナ投手も課題は制球力で、これを克服すればリリーフ向けのピッチャーになれると思います。彼も佐々岡塾で大成して欲しいですね。
明日から新人合同自主トレが始まり、プロとしての野球生活がスタートします。とにかくケガすることなく、元気良く頑張って欲しいと思います。
星野仙一氏の死去を悼む声続々。新井選手も肩を落とす。山本浩二さんも悲しみの声。
広島新井「厳しい中にも愛情あった」/星野さん悼む
1/6(土) 11:33配信
日刊スポーツ
広島新井貴浩内野手(40)は6日、楽天・星野仙一副会長の突然の訃報に「いろいろお世話になったので、すごく残念ですし、ビックリしています」と沈痛な表情を浮かべた。
自主トレのためマツダスタジアムに訪れた新井は08年北京五輪で、監督と日本の4番としてともに世界の舞台に立った。「厳しい中にも愛情のある方でした。当時はタイガースでもSDをされていて、自分もシーズン序盤調子が良く「元気だな。(日本の4番を)頼んだぞ」と声をかけられた。オリンピックという舞台で4番を打てたことは野球人生の財産」。遠くを見つめながら言葉を選び、瞳をややうるませた。
最後に「厳しい中にあるあの優しい笑顔が忘れられません」と絞り出した。
新井選手も星野さんとの絆は深かったと思います。2008年の北京オリンピックで、星野さんが監督で新井選手が4番という関係でしたから、余計にだと思います。新井選手のみならず、野球界全体から悲しみの声が続々届いています。カープのレジェンド、山本浩二さんも、「突然の訃報に言葉が出ない。あまりにもショックが大きい」と驚きを隠せない様子で、昨年11月、12月に2度行われた野球殿堂を祝う会で顔を合わせた時には、「元気がなく、顔つきや声にも力がなくなっていたので心配はしていた。後でお礼の電話がかかってきたので『気をつけてくれよ』と話したばかりだったのに……。本当に早すぎる」とコメントしたそうです。野球に携わる、野球好きな人なら誰でも知ってる星野さん、誰からも愛される存在だったのがよくわかります。
【速報】星野仙一氏死去。70歳。
星野仙一氏死去 がん闘病…「燃える男」「闘将」突然すぎる70歳
2018年01月06日 03:00
星野仙一氏死去 がん闘病…「燃える男」「闘将」突然すぎる70歳
楽天の星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことが分かった。70歳だった。死因は明らかになっていない。現役時代は中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任。計4度のリーグ優勝を飾り、楽天時代の13年には自身初の日本一に輝いた。17年に野球殿堂入り。「燃える男」、「闘将」と呼ばれ、巨人を倒すために野球人生をささげてきた男がこの世を去った。
突然の訃報だった。星野氏が息をひきとったのは4日。球界関係者によると「がんで闘病していた」という。昨年末に体調が悪化し、年末年始を家族とハワイで過ごす予定だったが急きょ取りやめていた。昨年11月28日に東京で、12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」に出席。2000人を超えるプロ、アマの球界関係者が集まり「これだけの人が来てくれて野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」と失われない野球への情熱を口にした。しかし、これが、最後の晴れ舞台となった。
相手が強ければ強いほど、「燃える男」。現役時代のキャッチフレーズだった。その原動力が「打倒・巨人」。ドラフトでふられ、憧れの球団は「生涯のライバル」に変わった。中日のエースとして闘争心をむき出しにして投げ、巨人戦は歴代6位タイの35勝で通算146勝を挙げた。沢村賞を受賞した74年にはV10を阻止して優勝したが「日本シリーズは邪魔。俺は巨人を倒したからいいんだ」と言い切ったほど、巨人を倒すことに執念を燃やした。「強い巨人に勝ちたいんや」。その思いは引退後も変わることはなかった。
監督時代は「闘将」と呼ばれ、代名詞は鉄拳制裁だった。「非情と愛情の2つを併せ持つことが大事」という持論を持ち、闘う集団につくり上げた。中日で2度のリーグ優勝。97年には扶沙子夫人(享年51)を白血病で亡くしたが、グラウンドで戦い続けた。「俺は弱いチームを強くすることが好きなんだ。それが、男のロマンやないか」。反骨心の塊のような男。02年に低迷していた阪神の指揮を執り、翌03年に18年ぶりのリーグ優勝に導く。楽天監督時代の13年には日本シリーズで宿敵の巨人を破り、4度目の挑戦で初めて日本一監督となった。
14年にユニホームを脱ぎ、15年に球団副会長に就任。ONとともに球界への影響力は大きく、星野氏も「野球への恩返しの意味でも自分の思いや考えを若い人につないでいきたい」と語り、野球の普及活動に尽力していた。恋に恋した野球。しかし、楽しみにしていた20年東京五輪を前に帰らぬ人となった。あの笑顔はもう見れない。あの怒鳴り声ももう聞けない。
「燃える男」と呼ばれ、カープのレジェンド山本浩二さんとも仲良しの星野仙一さんが亡くなりました。ガンと闘病していたという話もありますが、早すぎる死でした。星野さんといえば、現役時代の強気のピッチングで、特に読売戦には一際燃えたピッチャーでした。監督時代も、中日、阪神、楽天と優勝に導く、まさに闘将でもありました。一人の監督がセ・リーグ2球団を優勝に導いたのは星野さんだけらしいですね。
慎んでご冥福をお祈りいたします。