いじめられたことは許さなくていいと思います。
だって許すことは、「自分はいじめられるに相応しい人間です。」と思うのと一緒ですから。
そうして、どんどんいじめはエスカレートし、いじめられた人の人権は踏みにじられていきます。
世の中に、いじめられていい人間なんていません。
人間らしく生きる権利が人権として認められてるんですから。
だから、いじめられたら「拒否」することや「離れる」ことが大事です。
いじめてきた人間というのは、「人間の中にはいじめても良いやつがいる」という前提で生きています。
そして、自分では気付いていないと思いますが、その「人間の中」には自分も含まれているのです。
つまり、いじめてきた人間というのは、人権を認めない価値観で生きており、自分の人権も踏みにじられても仕方ないと思っているわけです。
だから、嫌なことがあっても我慢して、自分より弱いヤツをいじめることでストレスを発散しているのです。
そういう価値観で生きている人と一緒にいる必要はありません。
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2017年11月20日
2017年11月17日
自己愛性人格者が操作できない人
自己愛性人格障害者が操作できない人というのは、"自分に対して共感性が少ない人"です。
自己愛性人格障害者は自分自身は共感性が少ないですが、相手の心を操作するために、共感性を利用します。
彼らの頭の中では、「こういう言動をしたら、こいつらはこういう言動をするはず」というマッピングみたいなものがあります。
普通の人は相手の心を共感性なんかを使って読みますが、自己愛性人格障害者たちは理性で読むんです。
で、頭の中のマッピングに従って言動をし、相手がマッピング通りに動くことで利益を得ています。
なので、そのマッピング通りにうまく動かない人間のことを、彼らは苦手だと感じるようです。
だから、自己愛性人格障害者の前では、共感性スイッチはオフにした方が良いです。
同情したら負けです。
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自己愛性人格障害者は自分自身は共感性が少ないですが、相手の心を操作するために、共感性を利用します。
彼らの頭の中では、「こういう言動をしたら、こいつらはこういう言動をするはず」というマッピングみたいなものがあります。
普通の人は相手の心を共感性なんかを使って読みますが、自己愛性人格障害者たちは理性で読むんです。
で、頭の中のマッピングに従って言動をし、相手がマッピング通りに動くことで利益を得ています。
なので、そのマッピング通りにうまく動かない人間のことを、彼らは苦手だと感じるようです。
だから、自己愛性人格障害者の前では、共感性スイッチはオフにした方が良いです。
同情したら負けです。
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2017年11月14日
共感性スイッチ
優しい人、と言うのは共感性スイッチが常にオンな人だと思います。
何かあった場合、相手のこと、相手の気持ちを自動的に考えてしまうのです。
「あ、この人今辛いんじゃないかな」
「これを言ったらこの人傷つくだろうな」
「忙しいけどないがしろにしたらこの人可哀そうだからちゃんと接しないと」
なんで相手にここまで気を遣うかと言うと、相手が傷つくと自分も傷つくからです。
相手の心の痛みで自分も痛くなってしまうからです。
相手が傷つくくらいなら自分が傷ついた方がましだとさえ思ってしまいます。
でも、そんな共感性の強い人を利用する人がこの世の中にはいるんです。
「あ、こいつ何か頼んでも断らないな」
「こいつ結構ひどいこと言っても怒らないな」
「いじめられても誰にも言わずに我慢する奴だな。」
と言う感じで、共感性の強い人はそれを利用する人の良いカモになることがしばしばあります。
良いカモにならないためにはどうしたらいいか。
それは、自分の中の共感性スイッチをオフにする練習をすればいいのです。
オフにするのは簡単です。
「あ、今私共感性が発動されているな。」とまず意識し、相手の心に寄り添わないようにすればいいのです。
相手に何か言われても、「は?」とか「だから何?」とか「それ私にとって何かメリットあるの?」と、心の中で思ってみるのがコツです。
そして、自分の心の痛みに集中するのです。
今まで共感性を発動していた時が、自分の心と他人の心の間に何もなかったのに対して、共感性をオフにする時は、自分の心の周囲に鉄壁を作り、外部からの侵入を許さないようにする、というイメージです。
自分の心の痛みに敏感になれば、嫌なことも断ることが出来るようになります。
断ることが出来るようになれば、利用しようとしてくる人たちを避けることが出来るようになります。
なお、共感性をオフにしている状態というのは、いじめ加害者がいじめ被害者に接するときの状態だったりします。
また、自己愛性人格障害者や発達障害など、共感性が少ない人たちの気持ちになってみるにも、自分の共感性をオフにしてみるというのは有効です。
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何かあった場合、相手のこと、相手の気持ちを自動的に考えてしまうのです。
「あ、この人今辛いんじゃないかな」
「これを言ったらこの人傷つくだろうな」
「忙しいけどないがしろにしたらこの人可哀そうだからちゃんと接しないと」
なんで相手にここまで気を遣うかと言うと、相手が傷つくと自分も傷つくからです。
相手の心の痛みで自分も痛くなってしまうからです。
相手が傷つくくらいなら自分が傷ついた方がましだとさえ思ってしまいます。
でも、そんな共感性の強い人を利用する人がこの世の中にはいるんです。
「あ、こいつ何か頼んでも断らないな」
「こいつ結構ひどいこと言っても怒らないな」
「いじめられても誰にも言わずに我慢する奴だな。」
と言う感じで、共感性の強い人はそれを利用する人の良いカモになることがしばしばあります。
良いカモにならないためにはどうしたらいいか。
それは、自分の中の共感性スイッチをオフにする練習をすればいいのです。
オフにするのは簡単です。
「あ、今私共感性が発動されているな。」とまず意識し、相手の心に寄り添わないようにすればいいのです。
相手に何か言われても、「は?」とか「だから何?」とか「それ私にとって何かメリットあるの?」と、心の中で思ってみるのがコツです。
そして、自分の心の痛みに集中するのです。
今まで共感性を発動していた時が、自分の心と他人の心の間に何もなかったのに対して、共感性をオフにする時は、自分の心の周囲に鉄壁を作り、外部からの侵入を許さないようにする、というイメージです。
自分の心の痛みに敏感になれば、嫌なことも断ることが出来るようになります。
断ることが出来るようになれば、利用しようとしてくる人たちを避けることが出来るようになります。
なお、共感性をオフにしている状態というのは、いじめ加害者がいじめ被害者に接するときの状態だったりします。
また、自己愛性人格障害者や発達障害など、共感性が少ない人たちの気持ちになってみるにも、自分の共感性をオフにしてみるというのは有効です。
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2017年11月06日
ターミネーター2と自己愛
ターミネーター2って映画あるじゃないですか。
あの、未来から来たサイボーグ(T-1000)に命を狙われた主人公が、同じく未来から来たサイボーグ(T-800)と一緒に戦いながら逃げる映画です。
あの映画、T-1000が自己愛で、ターゲットをジョン・コナーと置き換えてみるとなかなか面白いことに気づきました。
T-1000は液体金属でできた最新型のサイボーグで、触れたものに姿を変えることが出来ます。
彼は、未来からタイムスリップした時に偶然近くにいた警官に姿を変え、ジョンを追っていきます。
傍らから見たら、非行少年のジョンを追っている警官、という図になり、周りの誰もジョンの命が狙われているなどと思いません。
この、"触れたものに姿を変えることが出来る"という能力。まさしく自己愛の、"人の真似をする"という部分とにています。
彼らは自分に得があると思えば、何の躊躇いもなく人の真似をしますから。
そうやって、彼らは害のない人々を装うのです。自分の本性は隠して。
そして、"警官の姿を装ってジョンを追う"という姿。これも、ターゲットを加害者のように見せる自己愛の特徴に似ています。
彼らは常に自分が被害者であると装うのです。自分がやっていることには正当性がある、と何の疑いも持たないところがT-1000と自己愛は似ていますね。
そして、いつまでも執拗にジョンを追うT-1000の姿も、自己愛と被ります。自己愛もターゲットに執着しますから。ジョンの暗殺をプログラムされたT-1000と同じように。
でも、一番似ているのは、T-1000も自己愛も、ターゲットに危害を与えようとしているところですね。
残念ながら、物語に自己愛が出てきたら、もうそれはターミネーター2のように逃げ切るまで追ってくる映画と同じなんです。
例え、始まりは恋愛映画だったり、友情の映画だったりしても、最終的にターミネーター2になります。
自己愛にタゲられている皆様、ジョン・コナーのように頑張って逃げ切ってくださいね。
デデンデンデデン
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あの、未来から来たサイボーグ(T-1000)に命を狙われた主人公が、同じく未来から来たサイボーグ(T-800)と一緒に戦いながら逃げる映画です。
あの映画、T-1000が自己愛で、ターゲットをジョン・コナーと置き換えてみるとなかなか面白いことに気づきました。
T-1000は液体金属でできた最新型のサイボーグで、触れたものに姿を変えることが出来ます。
彼は、未来からタイムスリップした時に偶然近くにいた警官に姿を変え、ジョンを追っていきます。
傍らから見たら、非行少年のジョンを追っている警官、という図になり、周りの誰もジョンの命が狙われているなどと思いません。
この、"触れたものに姿を変えることが出来る"という能力。まさしく自己愛の、"人の真似をする"という部分とにています。
彼らは自分に得があると思えば、何の躊躇いもなく人の真似をしますから。
そうやって、彼らは害のない人々を装うのです。自分の本性は隠して。
そして、"警官の姿を装ってジョンを追う"という姿。これも、ターゲットを加害者のように見せる自己愛の特徴に似ています。
彼らは常に自分が被害者であると装うのです。自分がやっていることには正当性がある、と何の疑いも持たないところがT-1000と自己愛は似ていますね。
そして、いつまでも執拗にジョンを追うT-1000の姿も、自己愛と被ります。自己愛もターゲットに執着しますから。ジョンの暗殺をプログラムされたT-1000と同じように。
でも、一番似ているのは、T-1000も自己愛も、ターゲットに危害を与えようとしているところですね。
残念ながら、物語に自己愛が出てきたら、もうそれはターミネーター2のように逃げ切るまで追ってくる映画と同じなんです。
例え、始まりは恋愛映画だったり、友情の映画だったりしても、最終的にターミネーター2になります。
自己愛にタゲられている皆様、ジョン・コナーのように頑張って逃げ切ってくださいね。
デデンデンデデン
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2017年11月03日
自己愛性人格障害者にとっての現実
普通の人は、現実を受け止め自分の感情を処理する能力を持っています。
しかし、自己愛性人格障害の人は、
現実に自分を合わせるんじゃなくて、自分の感情に現実を合わせようとします。
そうやって"素晴らしい自分"という妄想を守っているのです。
そのために、嘘や曲解や歪曲や忘却や逃避や記憶の改ざんなど、あらゆることをします。
物心ついたころから無意識にそういう事をしているので、普通の人は太刀打ちできません。
だって普通の人には現実が見えてしまうしまうから。
しかし、彼らは現実を現実として見ることができないのです。
だから、事実に基づいて話し合いをしようとしても無駄なんです。
これは、自己愛性人格障害の人と関わらなければならない時の、自分を守るための大前提です。
---
↓これは、境界性人格障害についての本ですが、被害者の方が、
「はっきり言うわ。自分だけが苦労する関係なんて意味がないのよ。」
というようなことを書かれていた部分がとても印象に残っています。
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