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2016年12月31日

ストレスが原因で発症する病気

「キラーストレス―心と体をどう守るか 」という本を読みました。

ストレスは体に悪くて色々な病気の原因になったり、老化を促進し、寿命を短くするなんて話が書かれていました。

あぁ恐ろしい。

以下、ストレスが引き起こす色々な病気についてまとめてみました。

@糖尿病

人間が不安や恐怖を感じると、まず好き嫌いなどの感情を制御する「偏桃体」が興奮を始めます。

その「偏桃体」から不安や恐怖に対処せよという命令が自律神経機能の中枢である「視床下部」というところに伝えられます。

「視床下部」は「副腎」に対してストレスに対処せよ、と指令を出します。

すると「副腎」はアドレナリンやノルアドレナリン、コルチゾールなどのホルモン物質を分泌します。

アドレナリンは血中に放出されると心拍数や血圧を上げます。

また、ノルアドレナリンは神経を興奮させる作用があります。

そして、コルチゾールというのは低血糖時に「肝臓での糖申請を促す」役割を担っているのですが、慢性的にコルチゾールレベルが高すぎると「血糖値の上昇・高血糖」をもたらします。

そのため、慢性的なストレスは糖尿病(血糖値が高い病気)の原因となるのです。

A免疫力の低下

コルチゾールは免疫力を低下させ、炎症を抑えるという役割を担っています。

(免疫力が高すぎると体内に入った細菌やウィルスに対処するため、腫れや熱を引き起こすので、コルチゾールはステロイドとして処方されます。)

慢性的なストレスは免疫力が低い状態が続いてしまい、風邪やインフルエンザにかかりやすくなってしまいます。

Bうつ病

コルチゾールは副腎から分泌され、血流に乗って全身を循環し、最終的に脳で吸収されます。

ところが、ストレスが高い状態が続くと脳にコルチゾールがあふれてしまいます。

すると、脳の「海馬」というところが委縮してしまうのです。

「海馬」というのは記憶を司る大切な機関です。

情報を記憶したり、記憶している情報を取り出したりします。

ここがダメージを受けると、記憶力が悪くなったり、色々と思い出せなくなったりします。

そして何より、人からやる気も奪ってしまうのです。

やる気というのは、「視床下部」から出てきて「偏桃体」と「海馬」に伝わります。

「偏桃体」で好きか嫌いかを判断し、「海馬」でそれをやる事でどうなるかを過去の記憶をたどり判断し、最終的に意欲となるのです。

ストレスが多い場合、まず「偏桃体」は不安や恐怖でパニック状態です。加えてコルチゾールのせいで「海馬」も委縮してしまっているのでやる気はどんどん失われてしまうそうなのです。

※うつ病といえば、モノアミン仮説(セロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリンの不足でうつ病になるという仮説)が有名ですが、それですべてのうつ病を説明できるわけではなく、まだ未解明の部分が多いのだそうです。



ただ、このように体に悪影響ばかり与えるように見えるコルチゾールですが、体に害ばかりなすというわけではないのです。

@の血糖値の上昇も、敵が来た場合体に糖というエネルギーを行きわたらせ、戦ったり逃げたりするためのものだし、

Aの炎症を抑えるというところも、炎症のため熱や腫れがあったら敵と戦うときに不利だからだし、

Bの脳でコルチゾールが吸収されるというのも、本来は敵が去りもう安全になったということを最終的に脳に伝えるためのものなのです。

縄文時代などの場合は、敵が来ても危機的状況はそんなに長期間続かなかったので、これで問題はなかったわけです。

つまり問題なのは、コルチゾールではなく、コルチゾールが長期間分泌されてしまうような環境であるといえるわけです。身体にとっては想定の範囲外の異常事態なのです。

ちなみに、「偏桃体」は「海馬」と違い、時間軸での記憶ではなく感情の記憶に左右されます。

だから、過去に起きた嫌なことを思い出すことでも、「偏桃体」は今嫌なことが起きているように感じてしまうそうです。

ストレスが高い状況だと、それを家で一人でいる時も思い出して嫌な気持ちになってしまうことがありますが、「偏桃体」はそれに反応し、結果としてストレスホルモンが分泌されてしまうということですね。

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自己愛性人格障害者の心を読み間違うわけ

人は他人の心を読みながらコミュニケーションする生き物です。

他人に共感し、「今この人は多分こういうことを考えているんだろうな」とか、「今この人はこういう事を感じているんだろうな」というような推測を立てて、その推測に応じた言動をします。

例えば、友人がペットを亡くしてしょんぼりしていた場合。

私は「あんなにかわいがっていたペットが死んでしまったんだから、落ち込んでいるんだろうな」という予測をたて、「残念だったね。かわいい猫だったよね。」などと言いながらその友人を慰めるでしょう。

友人も、自分の心の痛みをわかってくれる人がいることで、自分の悲しみや苦しみなどの感情を吐露し、ペットロスという悲しい現実を次第に受け入れ立ち直ることができるのです。

これが、普通の人のコミュニケーションです。

しかし、この友人が健常者ではかった場合、話は違ってきます。

最初に、"人は他人の心を読みながらコミュニケーションする"と書きましたが、それは自分とその相手の心の動きが似ている場合成立するんです。

しかし、もし自分とその相手の心の動きが異なっていた場合。

コミュニケーションはとても難しいものになります。

心を音階に例えると、健常者は普通にドレミファソラシド、という音階を持っているとします。

悲しいときはド、うれしいときはレ、などという感じです。

コミュニケーションを行う際、お互いの感情の音階の推測があっていた場合、それは共鳴し、心地良いものとなります。

しかし、音階の推測が間違っていた場合、お互い「この人の言っていることは私がほしかった言動ではない」とか、「どうしてこの状況でこういう言動をとるのか」という事で不協和音になり、一方あるいはお互いに不愉快な思いをするのです。

コミュニケーションの相手が健常者だった場合は、多少の意見のズレがあったとしても、そいういう言動をとる原因やシチュエーションが分かれば、お互いに歩み寄って行くことが可能です。

だってもともとドレミの正しい音階を持っているのですから、多くの場合共鳴できる心地よい関係でいられるのです。だから音階の推測があっている相手ほど、その関係(友人関係・恋人関係・夫婦関係・親子関係・etc)を良好に続けていくことができるのです。

しかし、相手が健常者でない場合、結構大変なことになります。

例えば、発達障害を持っている人の場合。

この人たちはドレミファソラシドという音階ではなく、ドミソシドしかもっていないと考えると良いかもしれません。

彼らとコミュニケーションするとき、私は"レ"を期待していたのに発達障害の人から帰ってくる音は"ミ"だったりします。

不協和音です。私は不愉快な思いをします。

しかし、発達障害の人には悪気はないのです。

ただ、音階を持たないために、こちらが期待している反応を返してくれないだけなのです。

発達障害と言っても人によってその障害の程度は様々なのですが、知能は正常な場合が多いです。

だからなおさら私は、「どうしてこの状況なのにこんな言動をするのか」という気持ちになり、次第に発達障害の人と接するのがつらくなっていくのです。

なので、発達障害の人と接する場合は、「この人たちの心の動きは私たちとは違うのだな」ということをまず前提にすればあまり辛くなくなります。

基本的に発達障害を持っている人が人格障害などを併発していない場合、彼らが持っている音階を理解し、それだけを利用してコミュニケーションするように心掛ければ、お互いに良好な関係を築くことができるのです。

例えば、「この人からは"ミ"は返ってくるが"レ"は返ってこない」という前提でコミュニケーションをとれば、"レ"が返ってこなくても不協和音になることを防ぐことができるのです。

また、相手から返ってくる"ミ"に関しても、「この人は"レ"がないから"ミ"なんだな。悪気があって"ミ"を返している訳ではないんだな」と理解していれば、不愉快な思いをしなくても済むようになるのです。

このように、発達障害の人に関しては、そもそも持っている音階が違うという前提に立ちコミュニケーションを工夫していけば良好な関係を続けることができます。

しかし、自己愛性人格障害者が相手の場合。

しかも、ターゲットになっていた場合は話が違ってきます。

基本的に自己愛性人格障害者が持っている音階は、健常者と同じドレミファソラシドです。

というか、健常者が持っている音階を自分も持っているふりをします。

彼らが生きてきて、"このシチュエーションの場合、この言動を出すのが徳だ"という経験をしていた場合、彼らはたとえ感情的には相手に共感していなくても共感しているふりをすることができるのです。

本当は"レ"なんて出したくなくても、自分にとって徳だと思えば"レ"を出すんです。

だから健常者は、自己愛性人格障害者を健常者だと勘違いします。

ターゲットにしていない場合はなおさら健常者のふりをします。(でもあくまでもふりなので、彼らが出す音は演技がかっていて少し違和感を感じることがあります。)

そして一旦彼らのターゲットになってしまったら彼らから繰り出される音はターゲットにとって不愉快なものばかりになります。

もう健常者のふりもしないのです。悪意の塊です。

自己愛性人格障害者が気持ちいいと感じる音、つまりターゲットが不愉快になる音ばかり出してくるのです。

ターゲットは、自己愛性人格障害者と今まで円滑にコミュニケーションできていたので混乱します。

今までちゃんとドレミファソラシドが返ってきていたのに、なぜ返ってこなくなったのだろう?と。

彼らからこういう音が返ってくるのは、自分の発した音のせいなのか?、自分が悪いから彼らはこうなってしまったのか?と、自分を責めるのです。

そしてターゲットの心の中では悲しみ、苦しみの音ばかり鳴るようになってしまいます。

でも実はそんなことはないのです。

もともと、自己愛性人格障害者は辛いとか、苦しいとか、自分を責めるとかいう感情を全力で避け、常に自分の心を心地よい音でいっぱいにしたいのです。健常者も多かれ少なかれそういうところはありますが、健常者と違うのは、自己愛性人格障害者がそれを実現するための方法というのが、「私は人より優れている、私は素晴らしいと思われている」と、誰かほかの人と比較して自分が勝っているということを実感しなければおられないというところです。

自分が心地よくなるためにどうしても他人が必要な障害という事ですね。一人ではいられないのです。

そういうことで、自己愛性人格障害者は自分の心を常に勝利の音でいっぱいするために、ターゲットの心を敗北感(≒辛い、苦しい、悲しい)の音でいっぱいにしたいのです。

例えば、ターゲットの心に敗北感を与える音が"ミソシ"だと思った場合、"ミソシ"ばかり出すようになります。

ターゲットが敗北感(≒辛い、苦しい、悲しい)を抱くことで、彼らの心の中には勝利のラッパが鳴り響くのです。

だから、自己愛性人格障害者に関しては、ターゲットになってしまった場合、以降出してくる音がこちらが不愉快なものばかりになるという前提でいたほうが良いです。

それに加えて、ターゲット以外の人には相変わらずドレミファソラシドを出しますし、ターゲットに敗北感(≒辛い、苦しい、悲しい)を与えるための音をピンポイントで発するので周囲の人から見ればなぜターゲットがそんなに苦しんでいるのかわかりにくいのです。

そうしてターゲットは自己愛性人格障害者の心を読み間違っていることに気づかずボロボロになり、ターゲットが耐え続ける限り、その関係は続くのです。

だから自己愛性人格障害者のターゲットに選ばれる人は、善良で人を疑わず、責任感が強く嫌なことから逃げない人が多いんですね。






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2016年12月23日

職場の自己愛観察B

モラハラするタイプの自己愛性人格障害者から逃げた先の、異動先の部署の課長がかなり強烈な自己愛性人格障害者です。

(なんでこんなのばっかりに当たるんでしょうか。)

しかし、直接接する機会は少ないため、今回は被害が少なくて済んでいます。

でもやっぱり自己愛。

会議などでの発言は特徴的です。

失注した仕事を進めていたのがこの課長だったのですが、会議などでは「失注したら恥」「会社で他の部署の人間にバカにされる」「休出してでも間に合わせろ」的な発言をしておりました。

結局色々ありまして失注してしまったのですが、失注が確定した次の会議でどういう発言をするのかちょっとワクワクしていたところ、次のように発言が変わっていました。

「そもそも受注は無理だった。」「取引先の会社の品質が悪かった。」「受注できても利益はあまりなかった」

そして最終的には「他の案件のスケジュールを考えると、受注できなくてよかった。」とまで言っていました。

他に責任を押し付ける能力と、復活の速さは見習いたいと思いました。






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2016年12月18日

自己愛性人格障害者の真似をすると生きるのが楽になる

自己愛性人格障害者の特徴に以下のようなものがあります。

@悪い事が起きた時、たとえ自分のせいであっても全力で自分のせいじゃなかった事にする。

A他人に共感しない。他人の気持ちを考えない。

B自分にとって悪い事はすぐ忘れる。記憶を改竄する。

上記は、自己愛性人格障害者の場合は彼らの脳内で無意識に行われている事です。

特にBなんて本当に記憶が都合良く作り変えられていたりするので、すごいなぁと思います。

(Bがあるので、自己愛性人格障害者に仕返ししたとしても彼らはすぐ忘れてしまうし、復活も早いです。)

で、これらの3つの特徴なんですが、実は普通の人が人生に取り入れると生きるのがとても楽になります。

@悪い事が起きた時、たとえ自分のせいであっても全力で自分のせいじゃなかった事にする。

→悪い事を自分の責任だと思うから苦しいわけですね。だから一旦それは自分の所為でなく、誰か別の人のミスだったり、タイミングや運の問題にすると気持ちが軽くなります。
※敢えて口に出す必要はありません。表向きは「すみません。」なんて言いつつ、心の中で「だってぇ、あたしのせいじゃないしぃ。」と思うだけで良いのです。

A他人に共感しない。他人の気持ちを考えない。

→他人の気持ちを考え、「この仕事引き受けないとこの人困るだろうな。」とか、「全く興味ない話だけど、興味あるふりしないとこの人悲しむだろうな。」とか考えないで、「あ、今忙しいんでその仕事は出来ません。」と言って仕事を断ったり、「へ〜、そうなんですね。」と言って会話を打ち切ってしまって良いのです。
これは、なんだか他人から嫌われるような気がして、やるのに躊躇するかもしれませんが、あくまでも自分の心に余裕がない時に敢えて他人のために努力する必要はない、という基準で実施すれば良いわけです。
だから、余裕があれば仕事は引き受けるし、興味ない話も聞いてあげてもいいでしょう。
あと、たまに仕事を断ったり、会話を打ち切ったとしても、世界はひっくり返るほど変わる訳ではありません。
多分多くの人は今まで通りあなたと接してくるでしょうし、距離を置いてきた人がいたとしても、それはそれでこちらを都合良く利用する事しか考えてない人だったんだな、と見切りをつける事ができます。

B自分にとって悪い事はすぐ忘れる。記憶を改竄する。

→人格障害でないのでさすがに記憶を改竄するのは無理ですが、嫌な事は極力思い出さないようにします。例えば、嫌いな人から言われた一言の事を、私たちは思い出してイライラしたり悲しくなったりするわけですが、そんなたかだか20秒くらいの会話を頭の中で繰り返し再生して何時間も何日も悶々とするのは人生の無駄遣いだし、自分で自分を痛めつけているだけなんですよね。
だから、自己愛性人格障害者を見習い、嫌な記憶は光の速さで忘れる努力をします。


この3つを一週間くらい続けていると、なんだか生きるのが楽になってきます。

自己愛性人格障害者はこのように人生楽して生きてきたんだなぁ、と実感できると思います。

ただ、彼らは楽した分、まともな人格が育たなかった訳ですけどね。

これらを取り入れた場合、自己愛性人格障害になるんじゃないかと心配される方もいらっしゃるかもしれませんが、そこら辺は心配ありません。

人格がまだ形成しきれてない子供がやったら問題ですが、人格が形成された大人がやっても問題ないんです。

自己啓発本のポジティブシンキングを実践するのと同じようなものです。

そして、自己啓発本のポジティブシンキングと同じように、意識的にやらないとすぐいつもの自分に戻っていきます。つまり、@責任感が強く、A他人の気持ちに敏感でB自分を責めがちな自分に戻っていくのです。

大体、自己愛性人格障害者の被害に遭うような人は、@責任感が強く、A他人の気持ちに敏感でB自分を責めがちな人たちばかりなんです。

人よりハードな人生なんです。自己愛が足りないんです。

だからこれからの人生、自己愛性人格障害者の真似を意識的に行い、もっと自分中心に楽をして生きていって良いと思いますよ。






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2016年12月15日

自己愛性人格障害者が幸せになるための条件

こちらがこんなに嫌な思いをしているのに、自己愛性人格障害者はいけしゃあしゃあと生きているのを見ると釈然としないものを感じるかもしれませんが、彼らは健常者と同じように生きていて幸せを感じる事が出来ない人格障害なんです。

人格障害だから、自分というものが分からなくて漠然とした不安をいつも抱え、人より自分が勝っていると確認できたときに感じる刹那的な幸福感(ドーパミンによる幸福感)にすがって生きているのです。

そういう人生を送りたいと思いますか?

私はそういう人生はまっぴら御免です。

彼らは、人格障害であるが故に、健常者が感じる普通の幸福感(セロトニンによる幸福感)を得る事が難しい状態で生きています。

まぁそれはそれで虚しい人生だろうなと思いますが、やはり大事なのは自分の人生です。

私たちは彼らに刹那的な幸福感を与えるために生まれてきたのではなく、自分が幸せになるために生まれてきたんです。

少なくとも、自己愛性人格障害者のターゲットになっている時は自分の幸福はありえません。

自己愛性人格障害者はターゲットの幸福を奪うことで喜びを感じますから。

しかもその喜びも長くは続きません。

だからいっぱい幸福を感じたい自己愛性人格障害者はターゲットの幸福を奪い続けるのです。隅から隅まで。



自己愛性人格障害者が幸せになるためには、ターゲットとなる人物が近くにいる事。

普通の人が幸福になるためには、自己愛性人格障害者のターゲットになっていない事。

これが、それぞれが幸福になるための最低限の条件ですね。






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2016年12月02日

つまらない人は一人でいる事が出来ない

良く、ばんまつりさんって面白いね、と言われる事があります。

そういう風に言われる事は嬉しいと思っていたのですが、今日ふと疑問を感じました。

私は一人が好きです。

だって一人でいて十分楽しいから。

私は自分が楽しいと感じるために他人を必要としないタイプの人間なのです。

しかし、この世の中には一人でいたらつまらないタイプの人がいるんじゃないかと思うのです。

つまり、楽しさを他人に依存しているタイプの人間です。

なんて図々しいんでしょう!

そういう人が、子供が同じ保育園にいたら、何かにつけて集まりたがったりする母親になったりするのではないでしょうか。

自分が楽しむために他人を利用するなんて本当に厚かましいですね。

そういう人って集まりたがる割には話がつまらなかったりします。

多分そういう自分に自信がないから、物理的に比較できるものや子供をダシにしてマウンティングとかする事で安心感を得ているのでしょう。

そういう人は一生他人と自分を比較する事でしか安心感を得られないんでしょうね。

かわいそうに。






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