パン…パパ・パン…パン……パンパン・パン……と、なにやらサスティンの少ない弦楽器(たぶんガットギター)でテーマが弾かれます。バックにはギターのアルペジオで、低音と高音がよいタイミングで絡んでいきます。これを一聴しただけでこの今日がバラードだとわかります。わたくしシングル買ってませんでしたから、「aibo」がバラードだということすら知りませんでした。
「汗にまみれて〜」と、ギターの弾き語り状態で玉置さんのボーカルが始まります。いきなり胸をうちます。どうにかやってきた、立ち直りたかった……弾き語りがその切々さをいやがうえにも高めます。この「aibo」は、あの「メロディー」以来のナイス告白ソングだとわたくし思っているのですが……Wikiによれば売り上げは0.4万枚、いくらアルバム直前だったからといって売れなさすぎです。この「aibo」からしばらく、玉置さんはセールスでいうとほぼどん底だったといっていいでしょう。
ある日、「aibo」は聴きましたか?とメッセージが来ました。当時連絡をとっていた香港のファンの方でした。いや聴いてないけど……と返した記憶はありますが、その後何を話したかは覚えていません。いまWikiを見ていると「香港の歌手であるアンディ・ラウへの提供曲「痛…」(1999年)の日本語によるセルフカバー」という記述があり、ああ!そうだったのか!あのとき、もしかしてこのことを話してくれようとしていたんじゃないのか?と思い当たりました。いや、そう話してくれていたのかもしれませんが、それをわたくし、まったく記憶に残らない程度にしか熱のこもらない話の聞き方をしてしまったのでした。私自身に余裕がなかったんですね。だから……玉置さん本人の歌でなければ心に食い込んでこなかったのでしょう。そしてそれは、香港のファンにとっても、広東語で歌われた玉置さんの新曲が香港人にとってどれだけ大きい衝撃をもっていたかを、20年以上も経ってなお思わされることなのです。いやもう……どれだけの人とこうやってすれ違ってしまったんだ、どれだけの人の喜びに水を差してしまったんだと考えると、クラクラと眩暈がします。
ベースとドラムが入り曲は一気にマイナー調へ、玉置さん得意のF♯mからF♯m7に半音ずつ落としてゆく泣きパターン、「ほら」と言っているように聴こえますが、アンディ・ラウは「oh why」ですね。この場合どっちでも意味の通りがよくない気がしますが、そのせいか歌詞カードにはこの箇所の記載がありません。気になる!(笑)。「きゅっ!きゅっ!」とギターがスネアを助けるように鳴ります。「あー」というコーラスが派手に聴こえるくらい、アレンジはシンプルです。歌詞の内容は、aibo相棒に後日談を問う内容です。でも別に、相棒があれから何してたかなんて、きっとどうでもいいんです。泣いたりしてないことがわかりさえすれば。だから、何してた?と尋ねつつも、寂しくはなかったんだね、それだけ知りたかったんだ、よかったよ。と返すという、実にシンプルな心の交流がこれだけで描かれています。実際に問うてみたら、泣くわけないじゃんかこっちゃ大人だぜときっと返すでしょう。でも、泣いてはいなくてもきっと泣いてるんですよ。いや泣いてないんですけど。なんというか、泣いてなくても泣き顔が見えるんです、想像できちゃうんです、相棒だから。それが心配で悲しくて、「泣いたりしてないよね」と実際には問わずとも、ふと思われるのです。
曲はまたパン…パパ・パン…パン……いつものパターンといやそうなんですが、一番にはなかったドラムとベースが二番からは入ります。エレキギターも遊び心あるフレーズを入れてきます。そして歌詞は、かつての思い出を語り合うイメージで展開します。寝るところなんで気にしないでずっと一緒に遊びまわっていた日々、それは「元気な町」よりももう少し年齢が上の段階で経験した日々でしょう。それこそ10代後半とか20代前半とか……相棒をみつけるというより、自然に相棒になったというのが近いですよね。そうしたくてたまんないんです。ずっと一緒にいる。へたすれば一緒に住んでる。それくらい行動を共にする相棒というのは有難いものです。当時はそれが当たり前で、へたすればたまに鬱陶しいくらいの気持ちでしたが、どこかの段階でそんな日々は終わりになります、誰もがいずれは若者であり続けることを諦めて自分の道を行き、自分の家庭を築いていかなくてはならないからです。職場でいうと下っ端でいることを諦めてなんらかの役職と責任を引き受けなくてはなりません。それはかつての「相棒」が自然に相棒になったのと同じくらい自然なことなのです。
そんなあるとき、かつての「相棒」を思い出します。「あのとき……(僕たちは)なにみてた」んだろう?一緒にいたんだから同じものを見てたんだろうし、もちろんそんなこと疑ったこともなかった。だけど、もしかして違うものを見ていたのかもしれない……。そんなことを、役割も責任も負ってしばらく突っ走ったあとに、ふと思うのです。そして、いまどうしてるだろう、これまでどうしてきたんだろうと、心配するんです。これはせつない!もちろん一方的に心配しているだけですし返答もないでしょうから、ネル・ノディングスにいわせればこれはケアが成立していません(笑)。ですが、大人だってかつては若者、子どもだったのですから、若いときのことを思い出すに決まっているのです。そしてひととき若いときの感傷に酔うこともあるのです。こんな単純なことを、若いと想像できないんですよね、経験がないことというのは想像しにくいし、腑に落ちにくいものですから。だから、この歌詞の世界はある程度経験がないとわかりにくいでしょう。でもまあ、そんなこと言ったら安全地帯の時だって40万もの人みんながみんなああいう熱愛の経験があってわかるわかるキャー最高!って言っていたわけじゃないですから、あまり気にしないで楽しむのが吉でしょう(笑)。同じ理屈で「Eleanor Rigby」なんて共感できる年齢になるまであと何十年かかるかわかったもんじゃなかったのに、あれは各国で一位(アメリカ除く)ですもんね。
そして派手な音でギターソロが「いなくても」の「くても」にかぶって始まります。音はハモリで派手なんですがフレーズはごくごくシンプル、工夫がないといってもいいくらいです。でも最高に泣けます。自分の相棒と合わせて弾いたら以心伝心でハモっちゃったような気さえします、そんな一瞬の奇跡を描いたの如く間奏はすぐに終わり、また歌が始まります。
余談ですが、玉置さんソロでは間奏の終わり際にエフェクトシンバルを「カシ!」と入れる癖があります。癖といって悪ければ様式です。それくらいほかの曲でもよくあることなのですが、これはわたくしも受け継いでおります、勝手に(笑)。ドラムのフレーズは田中さんを参考にすることが多いのですが、玉置さんの入れるこういうアクセントも好きなんです。
そして歌は「これから」を案じていきます。自分だって自分の道を行くのですし、他人の人生まで背負ってられませんから、案じるだけなのですが……その案じるだけのことがどれだけ尊いか……「泣いたりしてないよね」と「ねー」をオクターブ上げするこの驚異の表現力……めちゃくちゃ案じてる!だけど案じるだけだ!でもそれで精一杯なんだ!それが尊い!と叩き込まれる気さえします。そして曲はメインテーマを繰り返しフェイドアウトなく終わっていきます。
これが、わたしが経験してきたことから想像できる「aibo」の世界なのですが……世の中にはもっと違った「aibo」の世界了解があるのでしょう。それこそ玉置さんと矢萩さん、玉置さんと武沢さん、矢萩さんと武沢さん、田中さんと六土さん、玉置さんと田中さん……「あぶない刑事」「加トちゃんケンちゃん」みたいな相棒もあるでしょう。ショーケンと乾、でなくて水谷、水谷ともっと若い人たちが演じた「aibo」もあることでしょう。わたくしなんてドライすぎるのかもしれませんから、ぜひいろいろな「aibo」の解釈が百花繚乱になってほしいもんだなと思います。だって、この曲埋もれすぎですもん。それこそ「メロディー」に匹敵する名曲だと思いますよ。
価格:2,228円 |