玉置浩二『CAFE JAPAN』三曲目、「田園」です。先行シングルで、玉置さんソロだけでなく安全地帯までも含めても最大のヒット曲です。あの「ワインレッドの心」すら凌ぐとは……いやまったくそんなことが起こるとは思っておらず、当時とても驚きました。オリコン最高二位だったそうで、一位ではなかった?じゃあ何が一位なのよ?調べてみると、どうもスピッツさんの「渚」のようです。知らんな……。でもスピッツさんは何枚かあったはず……と思ってラックを見てみますと、ああ、これか、『インディゴ地平線』の四曲目ですね。ありゃいい声だな、こんな曲初めて聴いたよ(笑)。いつだったか「チェリー」歌いたいからギター弾いてっていわれて買っただけなんで、ほかの曲は一回も聴いた記憶がありません。そんなわけで、当時人気全盛だったスピッツさんに週間売り上げで一歩及ばなかったようです(累計売上では「田園」がやや上まわります)。
さて曲はタムの細かい連打とシンセのリード、玉置さんのハミングで始まります。「ダッタカダッタカダッタカダッタカ……」アイアンメイデンか!というくらい攻めたリズムですが、玉置さんの声で雰囲気はむしろ柔らかく、それでいてひとを駆り立てるような不思議な感覚に襲われます。このソフトな急き立て感がこの時代にマッチしたのかもしれません。アコギのアルペシオが聴こえてきたかと思うと曲は急に「ダンダン!」とドラム、ギター、ベースが一気に入り「イッサーオーオーオオオー」「ウンバーアーアアアーアアアー」という謎の歌が高音コーラスとともに始まります。これがまた、魂の叫びとでもいうべきものすごい歌です。これで魅入られないほうが難しいでしょう。耳をわしづかみにされます。かつて「ワインレッドの心」でご婦人の心をとらえて離さなかったあの声が、今度は平成不況の中でもがく人々みんなの背中を押し、そして背中から入り込んだ手が冷え込んだハートを直接温めるような声となって帰って来てくれたのでした。
ベースがグイングイン!とうなり、歌が始まります。それにしてもこのベース、例によってクレジットがないんですが、ほんとに打ち込みなのか……当時まだMIDIを使っていたわたしなどが知らないやり方があったのかもしれません。「石コロけとばし……」と、いきなりリズムのとりづらい譜割!これがまた、ムリヤリことばを当てはめたのではなく、この後すべてが同じ譜割ですので、意図的であることがわかります。玉置さんの伝えたいメッセージは言葉でもあるけども、リズムでもあったのです。詞中「僕」「君」「あいつ」「あの娘」はいろいろなことをしています。この群像劇とでもいうべき描写はドラマ「コーチ」の面々がそれぞれバラバラに行っていたことを表現したようにも聴こえますが、これは玉置さんが「一番グチャグチャになっていたときのことをまとめた」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)わけですから、もちろん「コーチ」の登場人物たちなどであるはずがありません。これは、多少ムリヤリな想像ではありますが、ぜんぶ玉置さん自身なのだと思います。あるいは、玉置さん、メンバー、スタッフをふくむチーム安全地帯みんなのことを、それぞれ明確なモデルがあったりなかったりはするでしょうけども、この四人の所作にまとめたものではないか、と思います。なにしろ「いちばんグチャグチャ」だったのは安全地帯の崩壊時とその後であるのは傍からみて明らかだからです。基本、困ってますよね。夕陽に泣いたりほおづえついたり……これは自分のこともチームのことも何もかもうまくいっていません。うまくいっていないことそのものを描くのではなく、早口でうまくいっていないときの人々の様子を速い譜割で一気に描くことで、背景にある超ダークでスーパーデンジャラスな状況はソフトに示唆することにとどめています。そうすることによって、玉置さんや安全地帯のことだけでなくて、広く誰にでも起こりうる辛いことと、それに困ってしまう私たちのことを思わせ、多くの人が共感できる曲になっているのでしょう。
かつて安全地帯が崩壊する中で、松井さんは多くのことばを玉置さんやメンバーに贈り続け、ときに励まし、鼓舞し、ときに慰め、癒していました。その思いは当時実らず、安全地帯は崩壊し、玉置さんは壊れてしまったのです。ですが、玉置さんは須藤さんと出逢い、金子さんと再会し、安藤さんと出逢い、少しずつ輝きを取り戻していきます。その中で放たれた「生きていくんだ それでいいんだ」というこの曲は、「五郎ちゃん、俺やっとわかったよ!」という玉置さんから松井さんへの、五年ごしくらいのアンサーソングであるように私には思えるのです。
スネアが重く高速で連打されベースがブインブイン高鳴り、歌はBメロ、ますます早口でおれにはなにもできない……という無念な内容が歌われます。できないことをやろうとしていた日々、できないことだから当然できません。できないことを嘆くのではなく、「やれることだけ」で頑張ればいい……これは多くの人が中学校とか高校で気づく処世法というか、ある意味開き直りなんですけど、玉置さんは天才であったがゆえにこのときまで気がつかなかったのかもしれません。少なくとも、音楽の世界ではぜんぜん限界なんて見えなかったに違いなかったことでしょう。だからこそデビュー前後には自殺を考えるほど思い詰めてしまい、安全地帯の崩壊時にはとんでもなく大きなジレンマを感じていたわけなのです。もっとできるはずなのに!実際できるんだと思います。残念なことに、そのとき日本社会はその「できること」を支えるだけの余裕をなくしていました。安全地帯はどんどん進化してゆき、『太陽』という大傑作を作り上げましたが、最悪のタイミングでリリースされたそれは、結果として安全地帯をどん底に叩き落してしまいます。バブルの崩壊も国際情勢の不安定さもあったのですが、なにより当時の人々は(わたくし含め)その進化についていけなかったのです。挫折は大きく、玉置さんは再起不能かと思える暗闇に落ちてゆきました。
きらびやかなシンセがサビをなぞります。「生きてゆくんだ それでいいんだ」……ビルに飲み込まれているのに街にははじかれている……どうしろっていうんだよ!いいんです、愛があれば!さしのべられた手があって、それを固く握っていればいいんです。街は実体のないもの、「いる」のは、僕、みんなであって街ではありません。僕たちはハイデガーのいうin-der-Welt-Sein世界内存在、すなわち「ここ」にあって「ここ」を自らと不可分のものとしてそれを了解しつつ「ある」存在、それが「いる」ということなのだ、だから僕もみんなも「いる」んだ、君はどこにでも行けるけど「ここ」からはどこにも行けず「ここ」に「いる」のだ……すみません、何言っているのかわからなくなりました(久しぶりに使ったな、このネタ)。
そういやこの頃は『エヴァンゲリオン』の影響か、ちょっとした哲学ブームでした。キルケゴールとかショーペンハウアー、ニーチェとか、その手の、いま思えばたんなる不安神経症なんじゃないのって感じの暗い哲学にたまーにスポットが当たることがあるのですが、このときは大不況の勢いを駆ってか、とくに大きいブームだったように思われます。親世代がかつて喫茶店で一杯のコーヒーで何時間もアルベール・カミュとかサルトルを知った顔して語っていたのと同じ調子で、わたしたち世代はファミレスで呑み放題のドリンクバーを駆使して生兵法のキルケゴールやショーペンハウアーを語っていたのでした。進歩ねえなあ。だってカッコつけてるだけで基本興味ないし(笑)。「DAYONE〜」とか言ってる若者たち(いまでいう陽キャ)が席巻している街の片隅にそういう陰キャもいたというだけの話なんですが、それでも「田園」のヒットがあった時代の証人として、ここに当時の若者の姿を書き残しておこうと思います。
バスドラを連打し、軽快に曲は進みます。このドラム、異様にノリがいいんですけども玉置さんが叩いているんですよね……凄いな、これはわたくし叩けません。この勢いを維持することができません。ギターもベースも歌も自分でそのノリを出せるからこその、まさに力技です。聴き惚れるというか、肩や足が動きますね、このノリを共有したい!全編にわたってこの勢いのまま突っ走り切っているのです。ライブだとどうしても他の人に演奏してもらわないといけませんから、CD以上の一体感を出すことはできないでしょう。安全地帯ならあるいは……くらいで、ノリの一体感という意味では基本的にCDがベスト音源ということになります。
さて歌は二番、「僕」「君」「あいつ」「あの娘」がまたまたもがいています。平成不況の中苦しむ人々が目に見えるようです。実はそれがミュージカルファーマーズと安全地帯の皆さんのことだったとしても、そのように聴こえますし、それでいいのです。誰もがもっていた苦しみ、悲しみ、戸惑い、そういったものを想起させて、わたしたちはショーペンハウアーのいう共苦Mitleidenの境地に至る……ああいかんいかん、素人のダラしゃべりはいい加減にせねば(笑)。
Bメロ、玉置さんは苦しい胸中をまたまた早口で一気に表現します。何も奪わない、誰も傷つけないというのは何もしないということかもしれない、わたしたちは結局奪い合いをしているのにすぎないのかもしれない、そんなことしているうちに結局幸せも逃してしまって、何をしているんだ……と悩むかもしれない、でも、それはいわゆる現代病であって、急がずにいられない、あせらずにいられない私たちが被害妄想に陥っているだけなんじゃないのか?急がなくていいんだあせらなくていいんだ、だって僕も君も、みんなここにいるんだから。愛は消えはしない、だから人を傷つけるとか奪い合うとかはもうよして、自分のできることをこつこつと頑張っていこうよ……これは泣けます。あの時代を生きた人だから泣けるのかもしれません。ですが、これは令和の現代でも通じる、生きることの美しさなのではないでしょうか……なにせ早口で叩き込まれますから、あとからわかるんですけども……。
曲は最後のサビ、生きていくだけでいいんだ、生きているだけで他人を傷つけているなんてウソだ、他人を蹴落としているなんてウソだ、大波が来ても大風が来ても、よく目を見開いて周りを見るんだ、ほら僕も君もみんなもいるだろう?愛を信じていいんだよ!僕たちは身近な愛で結ばれ、そして身近な愛のために生きるんだ、ほかに何ができるというのさ……何でもできる気になっていたがために陥った闇から復活した玉置さんは、とうとうこの真理にたどり着き、力強く歌います。そして一番のサビを繰り返し、イントロとほぼ同じアウトロを奏で、そして唐突に終わります。……これはヒットせざるをえません。約四半世紀も前の曲をこうして振り返り、当時の世相を思いだし、玉置浩二という歌手がこの時代にいたことの奇蹟を噛みしめる、そんな曲です。
須藤さんが一般論として「ほとんど不可能」という復活劇を成し遂げた玉置さんも、この曲に関して「まさにやりたかったこと、歌いかたったこと」が大ヒットして「うれしかった、うれしかった」と語っています(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。いやいや!あの時代にいてくれてありがとうございます、あの時代にこの曲を送り出してくれてありがとうございます、あなたがいることは、希望そのものなのです、願わくば、この希望がいつでも神の祝福とともにありますように……という感謝と祈りを捧げたくなるほどの見事な曲です。
ショーペンハウアーと同時代にヘーゲルという哲学者がいます。ヘーゲルは、簡単にいえば歴史のロマンチストです。ショーペンハウアーが「駄法螺」(西尾幹二訳)と呼ぶそのヘーゲルはどこまでも歴史の必然性を信じて、いつか最高のハッピーエンドが来ると説くのです。当然、90年代のダークでシリアスぶりたい不安神経症気味の若者に人気があったわけがないのですが(笑)、玉置さんの見事な復活劇を目撃したわたしは、ちょ、ちょっとだけヘーゲルの本を読んであげてもいいんだからね!べ、別に興味があるわけじゃないんだからね!という気分になります(笑)。
玉置浩二 / CAFE JAPAN(完全生産限定盤/Blu-specCD2) [CD] 価格:2,088円 |
ある日を境に田園のパクリっぽいなと思ってしまうようになりもやもやした気持ちになりました
リリースの時期や曲名曲調もなんとなく近いので私の勘違いなのでしょうか?
現役時代が限られてるスポーツ選手と違って、アーティストは生涯がほぼ現役時代。陽水さんや拓郎さんのように隠居された方こそ、まさにファンの評価は分かれそうです。もう、聴く聴かないは自分の感性次第。聴いていて楽しい、気持ちいい、感動してグッとくるのを繰り返して聴くに限ります。数が多いとどれを聴いたら良いか?迷いますが。最近初めて聴いたものが既に20年以上前に出たもので驚きました(笑)
みんな歳をとっていきますし、その過程に常にあった音楽もあります。ですから、音楽そのものの評価というのは実はとても難しくて、その音楽に出会ったときの状況というものが離れがたく評価に食い込んでいるのだと思います。
その意味で、安全地帯でいうと『太陽』『IX』『XI』はわたしにとって特別なのです。とりわけ、『太陽』から『IX』までの過程は、とても語りつくせないほどの意味をもちます。『V』や『VI』が名盤なのは疑う余地がないのですが、それらは多くの人にとってそれぞれの好きな音楽がそうであるように、わたしにとって十代中盤までの時代の甘酸っぱい思い出とともにあるだけなのです。
ちあきなおみと申したのも、長いキャリアと作品が豊富なので、リスナーがどの時期のものにどハマりするかが分かれて論争を生みそうだからです。映画俳優だと高倉健さんなんかも、健さんフリークに言わせるとしつこいしつこい(笑)
好きなものは、勝手に好きで自由でいたい主義ですが、やはり自分なりに自分にとってのこの人の全盛時代はここからここ!と思いこんじゃいます。
当時、ナイナイのやべっちもPVの真似してました。(笑)
最近では、オーケストラとのアレンジも好きですし、最後の雄叫びの部分も超鳥肌もので、是非、生で観たいものです!
わたしもまだ持ってますよ、田園のシングル。「働こうよ」のためだけに買いましたとも。
須藤さんが言うように、世間一般からいっても本当に不可能な変貌をこの曲によって成し遂げた代表作。その反動なのかはわかりませんが玉置さん本人はご承知のとおり結婚を数回してますし。
玉置浩二の代表作は田園、メロディー、カリント工場、と安全地帯の数多くのヒット曲になりそうです。アルバムにも名曲は沢山あって、好みにわかれそうですが、そのうち、ちあきなおみのような存在になる予感がします。まだまだライヴ続けてるので姿は見せてくれると思いますが。