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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2024年03月23日

△(三角)の月

スペード [ 玉置浩二 ]

価格:2385円
(2024/1/20 11:09時点)
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玉置浩二『スペード』三曲目「△(三角)の月」です。

こういう曲調、なんていうんでしょうかね、わたしのあんまり得意でないブルース、ですかね。「ドッドドッドドッドドッド……」とひたずら単調なパーカッションに合わせてベースが響き、オルガンとギターはひたすら合の手を入れる手法です。玉置さんがこういうオールドな感じの曲にのびのび挑戦できるのって、矢萩さんがいてくれるから、そして安藤さんがきっちり合わせてくれるからなんじゃないかな、と思うんですね。「五郎ちゃんがいてくれるから」とか「田中が叩いてくれるから」みたいな感じで、グループ、バンドってのはやる曲が決まったり変わったりすることはよくあるんです。一人ひとりにバックグラウンドの音楽があるのは当然として、それをよく知っている者同士で音楽を作ることになると、どうしたってその集団で気持ちのいい音楽というのはあるものなのです。玉置ソロだからといって玉置さんがパーフェクトに自分百パーセントの世界を繰り広げているわけではなくて、安藤さんと矢萩さんとの三人で音を出そうと思ったらこういう曲が守備範囲に入ってくるってことなのでしょう。逆に言うとまったく一緒に作る音をイメージできない相手というのも存在しますから、組める相手と組めない相手っていうのがどうしても出てきます。わたしだってトミー・アルドリッジが目の前でドラムに座っていたら「BARK AT THE MOON」みたいな曲作りますよそりゃ。逆に、目の前でビル・エヴァンスがピアノに座っていたって、何一つ曲が浮かびません(笑)。ですから、90年代は須藤さんと、2000年前後は安藤さん矢萩さんと、2000年代中盤から後半は矢萩さんと土方さんと、というように、組む相手によってつくる音楽が変わってきているという視点で玉置さんソロの変遷をたどってみるのも一興でしょう。逆に、音楽が変わってきているからそれに合わせて組む相手を変えてきたという見方もできなくはありません。バンドマンの心情的にはメンバーが先、音楽が後、なんですけども、玉置さんのことですから出てきた音楽が特定のメンバーを要求したという形もあり得るでしょう。

そんなわけで、矢萩さんの渋い趣味と共鳴しながら作ったと思われるこの「△(三角)の月」、わたくしのあまり得意でないリズムと雰囲気で始まりつつ、それでもムムウ!と唸らざるを得ないメロディーのよさ、ドラマチックな展開で聴かせてくれます。一瞬ジェイコブ・ディランのWallflowersのような抑揚のないひたすらな渋さを警戒したわたくし(当時、ゴジラの映画でデヴィット・ボウイの「Heroes」を歌ったのがやけによかったのですが、ほかを聴いてみるとぜんぶ一本調子だったので、やっぱこういうのおれには合わねえわと思ったのでした)、やっぱり玉置さん(と矢萩さん)だスゲエ!と感激しきりでした。

Aメロではベースのダッタダッタ……のリズムに乗って三角だったりまん丸だったりする月が、泣いたり笑ったりします。ぜんぜん泣いてそうでも笑ってそうでもないリズムなんですが(笑)、Bメロで一気に歌が泣きのメロディーに変わります。この急激でドラマチックな展開はまぎれもなく玉置さんの歌によってもたらされています。そろそろオーディエンスのレディネスも温まってきたからドラムを派手にしてシンセを入れて盛り上げてサビを入れようか的な小賢しい曲展開メソッドなどどこ吹く風、玉置さんが四拍目に「雨の」と言ったら次の小節からは一気にサビなのです。後から気づくことではありますが、歌詞をよくよく見るとAメロでは「〜の月」と助詞のない主語を頭に置くほかはすべて終止形「〜る」、サビではすべて未然形「〜う」、しかもほとんど「〜そう」ですね。最後だけ「〜ろう」ですけども。これは無理して揃えたんでなくて、曲のノリが自然に生んだ秩序なんじゃないかとわたくしは考えています。曲にノリを生むために歌詞をこのように作るということは当然ありそうなものなんですけども、玉置さんの場合曲のノリが歌詞の秩序を自然に生んだんじゃないかと思わせるくらい言葉選びと歌唱がナチュラルすぎるのです。

△の月というのは存在しませんので、雲などの具合で三角に見えるということでしょう。つまり、明るい月夜ではなくややボンヤリした月明かりであると推測できます。月の周りに雲があってそれに月明かりが吸収されてしまい、まるで泣き腫らした目のようになんだかボヤっとしているのでしょう。そんなパッとしない天候の夜、明日会いに行くあの娘のことを思い、拡散してしまっている月光の下、希望をかき集めて車を走らせます。

高速に乗ると雨が降っています。ハイドロプレーニング現象が起こるかもしれませんからスピードの出し過ぎは禁物です。なお、わたくしハイドロプレーニング経験したことがないんですが、いったい何キロ出したらそんなことが起こるのでしょう。おそらく常識的な速度では起こらないか極めて起こりにくいのでしょう。それなのに教習で教わるということは、常識的なスピードを超えて突っ走るおバカさんがそれなりの割合で存在するということなのでしょう。ヤメてくれマジで!

ああ、すっかり話がそれました。えーと、雨の高速に乗り、風まかせで遠くに行けそうな気分で突っ走ります。「あの娘」に会いに行くのは明日ですから、今日は「ひとりぼっち」で「サビつきそう」な気分で帰るしかありません。ですが心ははやり、ついつい要らぬ高速などに乗って車を気ままに走らせるのです。△の月は泣き腫らした目からさらに雨を降らせてきます。もう月が泣いているんだか自分が泣いているんだかわからない、誰のために泣いているのかもわからない、光景も思考も全体的に湿った夜なのでした。

さて、高速を走っているうちにおそらく雲間にフルで満月が姿を現したのでしょう、こんどは「〇(まんまる)な月」です。月が笑っているのです。これはもちろん主人公の気分でもあります。今夜の夢はさぞ楽しいだろう、あの娘を抱きしめるところまでストーリーが進むだろうか、なんせ明日会えるんだからなと気分はすっかり躁状態です。

ですが、まだ高速道路を風任せに走っているうちにまた鬱になってきます。明日を楽しみにしつつも、悲しみの予感が主人公を苦しめます。歳を重ねると、恋人に会うのもあと何回あるんだろうなんて余計なことを考えてしまって純粋に楽しめないというか、一回一回を惜しむようになってきます。わたくし既婚者ですからそんな気分になったことないだろそれとも浮気でもしてんのかって誤解をさせそうですが(笑)、いやいや、結婚したころだってその前だって、そこそこ歳いってたんでわかるんですよ、という意味です。とはいえ当時の初婚平均年齢とドンピシャだったんですけども。おれの同年代結婚しなさすぎ!というか、まるで結婚しない人が多くて、結婚する人だけ平均するとこういう年齢なのかとしみじみしちゃいました。そんなわけで、ここで結婚しないでどこまでも突っ走ることもできるんじゃないかという気持ちと、もちろんそれをやるといつまでも走るハメになって「ひとりぼっちになりそう」「枯れ果てそう」という恐怖、危機感とに板挟みにされて苦しめられる、という気分が、なんとなく分らんでもないような気がしなくもない、ということなのです。ホントに、何のために生きてるんだろう、と考えずにはいられないんですね。結婚することと結婚しないことは両立できませんから、こればかりはえいやっと思い切るしかありません。そもそも昔はこんなこと悩むまでもなかったんですから、悩めるだけありがたいと思わないといけません。喉元過ぎれば熱さを忘れるわたくし!

そしてアコギによるソロ、「タララタララ」と三連符を多用する古典的なロックンロールの定番ソロなんですが、とてもブルージーに聴こえます。安全地帯でも、そしてこれまでの玉置ソロでもここまでブルージーでオールドな曲はなかったように思われますから、決して派手な曲ではありませんけども新機軸といっていいでしょう、この曲もソロも。そしてもちろん各種記事に書かれて有名な手作りパーカッションによるものと思われる左右に振られてアクセントをつけている音色たちも。オールド風なのに実は何もかもが新しいわけです。すでに書いたことですけども、わたくしこういうのあんまり得意でないですから、何度も聴いていくうちにこりゃいいやと思えるようになったわけなんですけども、最初はウワ古くせえ感じ!だったのです。そもそもアルバム全体が派手でないですから、こういう曲の凄さというのは聴きこまなければスルーしてしまいがちになるでしょう。『GRAND LOVE』以降、軽井沢時代はこんなのばっかりですから、「田園」近辺で獲得したファンもだいぶ離れたことでしょう。

考えてみれば安全地帯でも「ワインレッドの心」から「じれったい」あたりまで爆発的にファンを増やした後に、ヌルいファンは要らねえ!と人を突き放すかのように『太陽』をガツンと叩きつけたということがありました。玉置さんは、作って壊す、いや壊してなくて作り続けているんですけども、それでもファンの人数をわざと減らすかのように周期的に自分の世界にガツッと入っていく癖があるのです。『太陽』のように後年その凄味が理解されて名盤としての評価を得てゆくなんてことも起こったわけですから、この『スペード』もそうなるんじゃないのと思わなくもありませんが、いまはまだその時ではないようです。

さて歌は最後のサビ、どうやら結婚するほうに決意を固めたようです(笑)。いや結婚しないまでも、ハイウェイのつづくどこか遠くで「二人きりで暮らそう」「やり直そう」と決意します。やり直すからには何か失敗したんでしょうけどもそれが何なのかはわかりません。過去には誰だっていろいろ失敗しているもんですから(玉置さんならなおさら!)、痛い目も見たけどもう一度やってみようと気持ちは晴れやか、涙が出るのですがそれは雨のせいであって実際には泣いていない(ような気分な)のです。

そしてベースとパーカッションだけがリズムを取り続け、ボーカルが再び絡んでいきます。オルガン、ギターがそれに続きますが、サビほどの音の厚みはありません。シンプル、あっさりな印象のアウトロになっています。

ふたたび三角の月、つまりまた鬱になったのです(笑)。決意したら決意したでまた頭の痛いことがあるのでしょう。でも、今夜は夢を見て、そして明日になってあの娘に会えて、そして実際に抱きしめて……きっとやれる、どうにかやれると思わせてくれる程度にはゆく道を照らしてくれている三角の月なのでした。

「テレレテレレテレレ……バーンバーン!」と書くとアホみたいですけども、最後のギターからの終わり、決まってますね。これはいっぺんで頭に入ります。オールド風味だからすべてダサくて聴いてられねえぜって態度だった若き日のわたくしにも刺さりこんで、すっかり虜にされてます(笑)。こういう、秀逸というか刺激的というか、ともかく心に刻印を残すものがこのアルバムこの曲にはたくさん仕込まれていて、聴けば聴くほどそれらが味を出してきます。あのダメダメだった90-00年代にこんなアルバム作るんだからもう……ありがとうございますとしか言いようがないのでした。

スペード [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 14:23| Comment(6) | TrackBack(0) | スペード

2024年03月02日

甘んじて受け入れよう

玉置浩二『スペード』二曲目「甘んじて受け入れよう」です。玉置ソロだけでなく安全地帯でもありがちなことだったんですが、アルバムの一曲目が異様にシリアスだったのに比べて二曲目はグッと砕けた感じになっています。典型的には『安全地帯IV』の「夢のつづき」「デリカシー」ですね。なんだよせっかくシリアスにいい気分だったのに!とその緩急差というか寒暖差というか、ともかくテンションの違いについていけずしばしば二曲目は駄曲扱いでスキップされてしまうわけですが、それはもったいない!玉置・安全地帯マニアならばこの二曲目にこそ妙があると気がついてしかるべきなのです。実際、二曲目は何度も聴いていくとハマりきってしまう魅力ある曲が目白押しになっています。ぜひ皆様も二曲目にご注目を!「Love ”セッカン” Do It」とか(笑)。いや実際、「Love ”セッカン” Do It」の凄さはあとから沁みてくるんですよ!

さて、「Love ”セッカン” Do It」に比肩するくらいリズムが心地よいこの「甘んじて受け入れよう」ですが、ブルース・カントリー色のあるリズムのギターリフでイントロ、歌と進んでいきます。そしてBメロなくサビに突入していきなりリズムが変わりジョン・ロードのハモンドオルガンみたいな音が入り(これは安藤さんの得意技だと思います)急降下してゆく感触が味わえます。それを大サビを挟んで繰り返してギターソロ、そして唐突に終わります。また、二回目のAメロから入る「ガガッガガー」という深く歪んだギター、これが実に効いています。ソバつゆのシイタケ出汁のように他を引き立てます。この歪んだ音、どうやって出すのと思ってます。自分はこんな音を出したことがありません。これがうわさに聞くファズってやつかしら?と訝るくらいこの手の音には無縁です。BIG MUFFいちおう持ってるんですが、出番がなく使ったためしがありません(笑)。そして最後はこの歪んだ音だけを残して曲は終わるのです。くわーカッコいい!2001年にこのカッコよさに気がついていたらわたしの音楽人生もだいぶ違った軌道を描いたような気がするのですが、当時はなんだ古くせえ音だなくらいにしか思ってませんでした。人間学ぶ姿勢ってものがないとアンテナも鈍ってしまい優れたものを受信できずに実に様々なことをスルーしてしまうという好例でしょう。

さてこの曲、すさまじい歌詞とすさまじい歌いっぷりです、一曲目が抒情的でわかりやすいメロディーでしたからすっかり油断していたんですが、二曲目ではやくも強烈パンチを繰り出してきました。歌詞は、絶望的な見通しの中で自分の実力のみを頼りに突き進むという内容です。「絆」とか「つながり」とか歌ってる現代「アーティスト」たち!この境地がわかるか?おててつないで皆で「ええじゃないか」みたいに大挙して突っ込んでいけば何とかなるのは、内申書の評価が甘い都道府県の公立高校入試くらいのものだ!と教えてやりたくなるくらい切実な生き残りを賭けた闘いの歌詞なのです。

一寸先も見えない暗闇、頼れるのは自分だけ、どうにかこうにかやって……玉置さんだからこその説得力です。もちろん歌がうまいから説得力があるわけでもあるんですが、ここまでの人生がその説得力をいや増しています。2006年に志田さんの『幸せになるために生まれてきたんだから』が出るまで多くの人は玉置さんの苦難に関しては詳細は知らなかったわけですし、いまもって何も知らない人のほうが大多数でしょう。当然、2001年のわたくしも知りませんでしたから、そのストーリーという味付けのない状態でこの歌の説得力を味わうことができたわけなんですが、当時自分の人生がめちゃくちゃなバッドストーリーだったんで別の説得力を感じてしまっていました(笑)。サラの状態で音楽と出会うのはなかなか難しいようです、というか不可能でしょう。

そしてリズムが変わるサビ、「夜明け」に向かって……つまり、バッドストーリーは終わりハッピーストーリーが始まると信じているわけです。この「地球(ほし)」は廻る……そりゃ当たり前ってもんです。自転してますから。自転が止まるか太陽がなくなるかしない限り、かならず夜明けは来ます。これはわたしたちの誰もが知る事実ってもんです。ですが、禍福の行き来ってやつは誰も仕組みがわかりません。そもそも行き来しているのかどうかさえわかりません。へたするとパチンコのように負け続けもありえるでしょう。でも「オンボロになるまで行くぞー!」と玉置さんは明るく元気に叫んでくれます。オンボロになったらその時点で多くの人は文句を言うでしょう。だからあやしい宗教に引っかかるわけです。オンボロになるまえに禍福が入れ替わって福になる保証なんて初めからないんです。ですが、わたしたちは自分がオンボロになるまでしか勝負できない。オンボロになったら試合終了なんですが、それを怖がって勝負できないのでは仕方ありません。もともと千円しか持ってないのに確変をねらうような確率しかないのかもしれません。もしかしたら五千円くらい、あるいは数万円くらいが「オンボロ」になる地点なのかもしれませんけども、実際いくらくらいなのかは想像もつきませんし、ましてやそれで当たる保証なんてありません。そんなのってないよ神様!なんですが、仕方ありません。そこがうまい仕組みになっていると期待するほうが想像力が不足していますし、だからそれに付け込まれるんだよというほかありません。ですが、時が永遠かそれに近いくらい長く続くと仮定するならば、いつかは入れ替わることもあるでしょう。それを「夜明け」と呼び、近いか遠いかもわからないのに、「行くぞー!」これは勇気づけられる……ですが、ある種の人たちには、もしかしたら現代の多くの若い人たちには、まったく何を言っているのかすらピンとこないかもしれません。

勝ち目がないならじっとしてたほうがマシだ、それはわからないでもありません。勝ち目があるなら思い切って賭けてみよう、これはわかります。勝ち目があるけど負けるのが嫌だからじっとしていよう、これもわからないでもありません。じゃあ、勝ち目があるかないかわからない場合には?ここが分かれ目でしょう。ここで賭けないのが上記の人たち(の多数)だと思われるのです。だってバカにされるもん(笑)。到底わかりあえる気のしない世代の違いというものがあるのですが、どの世代にも共通しているのは、周囲にバカにされることを嫌がるという習性です。

「足腰」「柔軟な考え方」「見渡す眼差し」……これらは雑にまとめると「実力」です。十分な実力をもって、慎重にそして綿密に勇敢に「途中くらい」までたどり着きます。途中くらいってどれくらいだよ!(笑)。それでも玉置さんは賭けます。「夜明けに向かって」いると確信しているからです。地球の自転は二十四時間ですが、禍福の自転はもしかしたら56億7000万年くらいかもしれません。もしかして自転などしてないのかもしれません。十分な実力があろうともそれはすべて無に帰すかもしれないのです。これは腰が引けてしまっても仕方ありません。

こんな状況下で進み続ける玉置さん、大サビでそれらを貫く考え方が叫ばれます。

善いことだと思うからやるんです。実際にあとから良かったかどうかなんてわかりゃしない、「どっちにしたって何か言われるんだ」、ならば「甘んじて受け入れよう」とブレイクが入り、これで背筋がゾクゾクっときます。そうだ、どっちにしたってバカにしてくるやつ、文句言ってくるやつはいる、これは全世代共通でしょう。そんなの気にしてたら何もできないし、実際何もしてないに等しい人が多いのも全世代共通でしょう。文句言ってるのが一番楽だし、手ひどい負けはないんですから賢いのかもしれません。でも嫌だねそんな人生と思っている人とは犬猿の仲で、この対立も全世代共通でしょう。バカにしたいならしろ、文句言うなら言え、こっちは勝負しているんだから。

そして最後のサビ、急降下の「夜明けに向かって……」「オンボロになるまで行くぞー!」そしてギターソロ、歪んだギターですが、フレーズ自体は非常に控えめです。ですが、この「ギャーン!……」というトーンが嚙みついてきます。忘れられません。心に爪痕をがっつり残されます。これはバカにしたり文句を言っていたりする人にもガッツリ刺さりこむでしょうし、玉置さんのように賭けよう、もがこうとする人たちの胸にも同志の刻印を色濃く残してゆきます。

さて二月はぜんぜん更新できず、ようやっと「このリズムで」を更新したくらいだったのですが、あれおかしいぞ、一ヶ月更新しなかったときに表示される広告が消えない!なんだこれウゼエな(暴言)。いちいち指先立ててバツマークとか押してられっか!運営に文句言ってやろうかくらいに思っていたのですが、よくよく考えますと「このリズムで」の下書きを最初に作成したのが一月でしたから、それ以降一ヶ月以上経ってたんで、記事をアップしたのが二月後半でも、プログラム的には一ヶ月以上新しい記事はないという扱いになっていたんでしょうね。運営さまウゼエとかいってすみませんでした!さて三月も思ったよりヒマにならない感じなんで、どれだけ更新ペース守れるかわかったもんじゃないんですが、最低限あのうぜえ広告が出ないくらいには更新してゆきたいと思っております!

スペード [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 10:38| Comment(4) | TrackBack(0) | スペード