こういう曲調、なんていうんでしょうかね、わたしのあんまり得意でないブルース、ですかね。「ドッドドッドドッドドッド……」とひたずら単調なパーカッションに合わせてベースが響き、オルガンとギターはひたすら合の手を入れる手法です。玉置さんがこういうオールドな感じの曲にのびのび挑戦できるのって、矢萩さんがいてくれるから、そして安藤さんがきっちり合わせてくれるからなんじゃないかな、と思うんですね。「五郎ちゃんがいてくれるから」とか「田中が叩いてくれるから」みたいな感じで、グループ、バンドってのはやる曲が決まったり変わったりすることはよくあるんです。一人ひとりにバックグラウンドの音楽があるのは当然として、それをよく知っている者同士で音楽を作ることになると、どうしたってその集団で気持ちのいい音楽というのはあるものなのです。玉置ソロだからといって玉置さんがパーフェクトに自分百パーセントの世界を繰り広げているわけではなくて、安藤さんと矢萩さんとの三人で音を出そうと思ったらこういう曲が守備範囲に入ってくるってことなのでしょう。逆に言うとまったく一緒に作る音をイメージできない相手というのも存在しますから、組める相手と組めない相手っていうのがどうしても出てきます。わたしだってトミー・アルドリッジが目の前でドラムに座っていたら「BARK AT THE MOON」みたいな曲作りますよそりゃ。逆に、目の前でビル・エヴァンスがピアノに座っていたって、何一つ曲が浮かびません(笑)。ですから、90年代は須藤さんと、2000年前後は安藤さん矢萩さんと、2000年代中盤から後半は矢萩さんと土方さんと、というように、組む相手によってつくる音楽が変わってきているという視点で玉置さんソロの変遷をたどってみるのも一興でしょう。逆に、音楽が変わってきているからそれに合わせて組む相手を変えてきたという見方もできなくはありません。バンドマンの心情的にはメンバーが先、音楽が後、なんですけども、玉置さんのことですから出てきた音楽が特定のメンバーを要求したという形もあり得るでしょう。
そんなわけで、矢萩さんの渋い趣味と共鳴しながら作ったと思われるこの「△(三角)の月」、わたくしのあまり得意でないリズムと雰囲気で始まりつつ、それでもムムウ!と唸らざるを得ないメロディーのよさ、ドラマチックな展開で聴かせてくれます。一瞬ジェイコブ・ディランのWallflowersのような抑揚のないひたすらな渋さを警戒したわたくし(当時、ゴジラの映画でデヴィット・ボウイの「Heroes」を歌ったのがやけによかったのですが、ほかを聴いてみるとぜんぶ一本調子だったので、やっぱこういうのおれには合わねえわと思ったのでした)、やっぱり玉置さん(と矢萩さん)だスゲエ!と感激しきりでした。
Aメロではベースのダッタダッタ……のリズムに乗って三角だったりまん丸だったりする月が、泣いたり笑ったりします。ぜんぜん泣いてそうでも笑ってそうでもないリズムなんですが(笑)、Bメロで一気に歌が泣きのメロディーに変わります。この急激でドラマチックな展開はまぎれもなく玉置さんの歌によってもたらされています。そろそろオーディエンスのレディネスも温まってきたからドラムを派手にしてシンセを入れて盛り上げてサビを入れようか的な小賢しい曲展開メソッドなどどこ吹く風、玉置さんが四拍目に「雨の」と言ったら次の小節からは一気にサビなのです。後から気づくことではありますが、歌詞をよくよく見るとAメロでは「〜の月」と助詞のない主語を頭に置くほかはすべて終止形「〜る」、サビではすべて未然形「〜う」、しかもほとんど「〜そう」ですね。最後だけ「〜ろう」ですけども。これは無理して揃えたんでなくて、曲のノリが自然に生んだ秩序なんじゃないかとわたくしは考えています。曲にノリを生むために歌詞をこのように作るということは当然ありそうなものなんですけども、玉置さんの場合曲のノリが歌詞の秩序を自然に生んだんじゃないかと思わせるくらい言葉選びと歌唱がナチュラルすぎるのです。
△の月というのは存在しませんので、雲などの具合で三角に見えるということでしょう。つまり、明るい月夜ではなくややボンヤリした月明かりであると推測できます。月の周りに雲があってそれに月明かりが吸収されてしまい、まるで泣き腫らした目のようになんだかボヤっとしているのでしょう。そんなパッとしない天候の夜、明日会いに行くあの娘のことを思い、拡散してしまっている月光の下、希望をかき集めて車を走らせます。
高速に乗ると雨が降っています。ハイドロプレーニング現象が起こるかもしれませんからスピードの出し過ぎは禁物です。なお、わたくしハイドロプレーニング経験したことがないんですが、いったい何キロ出したらそんなことが起こるのでしょう。おそらく常識的な速度では起こらないか極めて起こりにくいのでしょう。それなのに教習で教わるということは、常識的なスピードを超えて突っ走るおバカさんがそれなりの割合で存在するということなのでしょう。ヤメてくれマジで!
ああ、すっかり話がそれました。えーと、雨の高速に乗り、風まかせで遠くに行けそうな気分で突っ走ります。「あの娘」に会いに行くのは明日ですから、今日は「ひとりぼっち」で「サビつきそう」な気分で帰るしかありません。ですが心ははやり、ついつい要らぬ高速などに乗って車を気ままに走らせるのです。△の月は泣き腫らした目からさらに雨を降らせてきます。もう月が泣いているんだか自分が泣いているんだかわからない、誰のために泣いているのかもわからない、光景も思考も全体的に湿った夜なのでした。
さて、高速を走っているうちにおそらく雲間にフルで満月が姿を現したのでしょう、こんどは「〇(まんまる)な月」です。月が笑っているのです。これはもちろん主人公の気分でもあります。今夜の夢はさぞ楽しいだろう、あの娘を抱きしめるところまでストーリーが進むだろうか、なんせ明日会えるんだからなと気分はすっかり躁状態です。
ですが、まだ高速道路を風任せに走っているうちにまた鬱になってきます。明日を楽しみにしつつも、悲しみの予感が主人公を苦しめます。歳を重ねると、恋人に会うのもあと何回あるんだろうなんて余計なことを考えてしまって純粋に楽しめないというか、一回一回を惜しむようになってきます。わたくし既婚者ですからそんな気分になったことないだろそれとも浮気でもしてんのかって誤解をさせそうですが(笑)、いやいや、結婚したころだってその前だって、そこそこ歳いってたんでわかるんですよ、という意味です。とはいえ当時の初婚平均年齢とドンピシャだったんですけども。おれの同年代結婚しなさすぎ!というか、まるで結婚しない人が多くて、結婚する人だけ平均するとこういう年齢なのかとしみじみしちゃいました。そんなわけで、ここで結婚しないでどこまでも突っ走ることもできるんじゃないかという気持ちと、もちろんそれをやるといつまでも走るハメになって「ひとりぼっちになりそう」「枯れ果てそう」という恐怖、危機感とに板挟みにされて苦しめられる、という気分が、なんとなく分らんでもないような気がしなくもない、ということなのです。ホントに、何のために生きてるんだろう、と考えずにはいられないんですね。結婚することと結婚しないことは両立できませんから、こればかりはえいやっと思い切るしかありません。そもそも昔はこんなこと悩むまでもなかったんですから、悩めるだけありがたいと思わないといけません。喉元過ぎれば熱さを忘れるわたくし!
そしてアコギによるソロ、「タララタララ」と三連符を多用する古典的なロックンロールの定番ソロなんですが、とてもブルージーに聴こえます。安全地帯でも、そしてこれまでの玉置ソロでもここまでブルージーでオールドな曲はなかったように思われますから、決して派手な曲ではありませんけども新機軸といっていいでしょう、この曲もソロも。そしてもちろん各種記事に書かれて有名な手作りパーカッションによるものと思われる左右に振られてアクセントをつけている音色たちも。オールド風なのに実は何もかもが新しいわけです。すでに書いたことですけども、わたくしこういうのあんまり得意でないですから、何度も聴いていくうちにこりゃいいやと思えるようになったわけなんですけども、最初はウワ古くせえ感じ!だったのです。そもそもアルバム全体が派手でないですから、こういう曲の凄さというのは聴きこまなければスルーしてしまいがちになるでしょう。『GRAND LOVE』以降、軽井沢時代はこんなのばっかりですから、「田園」近辺で獲得したファンもだいぶ離れたことでしょう。
考えてみれば安全地帯でも「ワインレッドの心」から「じれったい」あたりまで爆発的にファンを増やした後に、ヌルいファンは要らねえ!と人を突き放すかのように『太陽』をガツンと叩きつけたということがありました。玉置さんは、作って壊す、いや壊してなくて作り続けているんですけども、それでもファンの人数をわざと減らすかのように周期的に自分の世界にガツッと入っていく癖があるのです。『太陽』のように後年その凄味が理解されて名盤としての評価を得てゆくなんてことも起こったわけですから、この『スペード』もそうなるんじゃないのと思わなくもありませんが、いまはまだその時ではないようです。
さて歌は最後のサビ、どうやら結婚するほうに決意を固めたようです(笑)。いや結婚しないまでも、ハイウェイのつづくどこか遠くで「二人きりで暮らそう」「やり直そう」と決意します。やり直すからには何か失敗したんでしょうけどもそれが何なのかはわかりません。過去には誰だっていろいろ失敗しているもんですから(玉置さんならなおさら!)、痛い目も見たけどもう一度やってみようと気持ちは晴れやか、涙が出るのですがそれは雨のせいであって実際には泣いていない(ような気分な)のです。
そしてベースとパーカッションだけがリズムを取り続け、ボーカルが再び絡んでいきます。オルガン、ギターがそれに続きますが、サビほどの音の厚みはありません。シンプル、あっさりな印象のアウトロになっています。
ふたたび三角の月、つまりまた鬱になったのです(笑)。決意したら決意したでまた頭の痛いことがあるのでしょう。でも、今夜は夢を見て、そして明日になってあの娘に会えて、そして実際に抱きしめて……きっとやれる、どうにかやれると思わせてくれる程度にはゆく道を照らしてくれている三角の月なのでした。
「テレレテレレテレレ……バーンバーン!」と書くとアホみたいですけども、最後のギターからの終わり、決まってますね。これはいっぺんで頭に入ります。オールド風味だからすべてダサくて聴いてられねえぜって態度だった若き日のわたくしにも刺さりこんで、すっかり虜にされてます(笑)。こういう、秀逸というか刺激的というか、ともかく心に刻印を残すものがこのアルバムこの曲にはたくさん仕込まれていて、聴けば聴くほどそれらが味を出してきます。あのダメダメだった90-00年代にこんなアルバム作るんだからもう……ありがとうございますとしか言いようがないのでした。
価格:2385円 |
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ドラマとのタイアップでバカ売れというのも悪習でしたよね。その理屈なら「不毛地帯」の主題歌で流れたトムウェイツもバカ売れしそうなものですが、誰も見向きもせず(笑)。深刻なドラマにマジな音楽じゃ若い人は誰もついてこられなかった!でもエンターテイメントってそうあるべきだと思うんですよ。あの時代の第二団塊世代、ボリュームゾーンにバカ売れしたら終わりだ、くらいの覚悟がないと、マジにやってた人ほど精神が壊れちゃうような時代だったと思います。
『スペード』がウケるには、よっぽど時代が変わらないとですね。
田園は、正直、ピンと来たことありませんでした
(最近のオーケストラとのアレンジや最後の叫びは大好きですが…)ので
このアルバム自体、最高ですし、曲も渋くてカッコいい!
こういうのを、たまにNHKのSHOWでやってほしい。
このアルバムがちゃんと評価されるのはいつの時代なんでしょうかね。プレス枚数も多くないでしょうし、そういうアルバムはまんまとサブスクにも入らないしで、見込み薄です。古本屋の地下倉庫に眠っていた大正期の本みたいな扱いになってます。