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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2024年01月20日

『スペード』

スペード [ 玉置浩二 ]

価格:2385円
(2024/1/20 11:09時点)
感想(0件)


玉置浩二オリジナルアルバム九枚目『スペード』です。発売は2001年3月、先行シングルはなく「このリズムで」が同時リリースされました。

おそらく、玉置さんのアルバムの中で一番話題になることが少ないアルバムの一つでしょう。そもそも他のアルバムに比してあまり売れてないのですから、聴いた人が(相対的に)少ないのです。まあー、ムリもありません。なにせ話題性ってものがありません。この時期、他人から玉置さんの話を聞いた記憶が全くないのです。当時はわたし自身に余裕が全くなかったからでもあるんですが、もう海外との情報交換もしておりませんでしたし、当時はネット上でアルバムレビューなんてやってる人はほとんどいませんでした。まあ今だってそんなに多くはないんですけども、今は探せば見つかるじゃないですか。当時はそもそもそういう「情報」がほとんどないのです。ないのが当たり前でしたからあんまり気にもしていませんでしたけども。

だいたい、他人の感想なんかアテにするほうが間違っています。他人は自分でないからです。音楽でも小説でも食べ物でも、それが自分の感性にどのようにキャッチされるのかは自分でそれを経験する以外に知る方法がありません。自分にはバニラの味がするソフトクリームを他人が食べると、彼/彼女は自分がチョコを食べたときの味わいを感じているという可能性は当然のようにあって、それはどんな事実とも矛盾しませんが、それを知る方法はお互いに存在しないのです。他人の評判をアテにしてタイパコスパ言っている現代ではそんな話そもそも通じないんだとは思うんですがね。わたくし自分のブログの存在意義を真っ向から否定する危険すら冒して警告しているというのに(笑)。

そうはいいつつ、もちろんこれまでの玉置さんが作った音楽に酔いしれた人というのは膨大な数いらっしゃったわけですし、そうした人たちならば「ある程度まで似た」ような感性を持っている「可能性がある」わけですから、そうした人たち同士の間でなら、まったくアテにならないレビューとばかりもいえないかもしれません。さらにいうと、玉置さんは変化・成長しています。わたしたちも当然に変化・成長しています。このアルバムまでたどり着くような重度の安全地帯・玉置浩二ファンであるのならば、その変化・成長の道のりを決して短くない時間重ね合わせてきたことになるでしょうから、そこに幸せな共感が生まれる可能性も生じることでしょう。それに賭けたいとわたくしは思うのです。

1.「このリズムで」:なんでこんないい曲が話題にならないのと不満になるブルースポップスです。
2.「甘んじて受け入れよう」:玉置さん得意のダイナミックな展開、リズムのロックです。
3.「△(三角)の月」:ジャジーな雰囲気の大人ロックです。
4.「太陽になる時が来たんだ」:わたくし的にはこのアルバムNo.1のアコースティック・バラードです。
5.「夢見る人」:ロッドの「マンドリン・ウィンド」を彷彿とさせるアンプラグドソングです。
6.「アンクルオニオンのテーマ」:導入曲……ですかね、次の「スペード」の。猫の鳴き声です(笑)。
7.「スペード」:渋いブルースロックです。アコギのリフがたまらなく格好いい!
8.「ブナ (Instrumental)」:安藤さんの真骨頂ともいえる(作曲は共作ですが)美しいピアノ曲です。
9.「君だけを」:前曲「ブナ」を歌詞の冒頭に使った、玉置さんらしい陰のあるバラードです。
10.「美味しいジュース」:これまた玉置さんらしいミドルテンポの不思議ソングです。
11.「気分がいいんだ」:ぜんぜん気分良くなさそうな詞なんですが、曲はひたすら楽しいです。
12.「メジャーマン」:前曲につづいて、玉置ソロ初期のような楽しい仕掛けの曲です。
13.「どうなってもいい」:オールドロックのノリで軽快な、でも陰が仄見えるブルースロックです。

このアルバム全般にいえることですが、デレク&ドミノスか?と思われるようなオールドへの接近が見て取れます。逆に言うとこのアルバムが好きな人はきっとクラプトンもお気に召すことでしょう。もう、玉置さんが好きなことをやりまくっている感じがあふれています。くわー渋い!カッコいいなあ!とわたくしなんかは思うのですが、「ワインレッドの心」的なものを求める方にはまったくお勧めできないアルバムだとも言えます。あれからもう20年近くが過ぎ、世紀まで変わってしまったのです。そう、世紀末に安全地帯とソロで突っ走った玉置さんはまったく何事もなかったかのように、1999年七の月を乗りこえ(笑)、軽井沢で好きな音楽三昧をなさっていたのでしょう。まことにうらやましい世紀越えです。わたくしなど、2000年問題でパソコン暴走したらおもしれえなあ、とか思いながら鬱々と迎えた新世紀でした。何かが変わったかといえば全然そんなことはなく、相変わらず今日は昨日の続きだし、明日も今日の続きなのでした。ですがそんな日々が20年ちかくも積み重なると、「ワインレッドの心」も「このリズムで」に変わるくらいの大変化が起こるのです。小学生低学年だったわたしも20代中盤の青年になっていました。

四十代前半に差し掛かっていた玉置さん自身も売れる音楽とそうでない音楽の両方をさんざん経験していますから、売れる努力をすることは当然にできたのでしょうけども、ことこのアルバムではそれをした気配がありません。ひたすらに、自分の感性だけを羅針盤にして作っていったんじゃないかと思えるほどに、むしろ他人を寄せ付けないようにしたんじゃないかってくらい、孤高のアルバムになっています。テレビに出るとか雑誌のインタビューがバンバン来るとかそういう時代はとうに過ぎ去って、まるでそれを避けるかのように玉置さんは進みます。玉置さんが不調だったわけではありません。玉置さんがその気になればバンバン注目を集めることができるというのは、さきの「田園」でものちの安全地帯復活でも明らかであって、これは実証されているわけです。つまり、このアルバムの時点では、売れる気はなかったということになります。だって好きなことできなくなるもん、気が向いたらやるよってくらいでいいに決まってるじゃないですか。

そんなわけで、このアルバムはディープな玉置ワールドに浸りたい人、もしくはオールドロックの愛好者向けということになります。前回の記事でカヴァーデール・ペイジのことを書いたんですが、カヴァーデールは最初ブルースやりたかったんですね。リッチーブラックモアはそれを嫌ってパープルを抜けましたし、それでパープルも立ち行かなくなってしまってホワイトスネイクを作ったわけなんですけども、ブルースじゃ売れないとわかってホワイトスネイクがどんどん派手になっていったんです。アホみたいに売れましたけど、さぞ無念だったでしょう。売れるってどういうことか、カヴァーデールも玉置さんも骨身にしみているわけです。カヴァーデールはそのまま止まれないマグロのように泳ぎ続けていきましたけども、玉置さんはそうでない境地に達することができた、これは奇跡ですし、わたしのようなヘビーな玉置ミュージックジャンキーにとっても、好きなことをやっている玉置さんの作品を楽しむことができるという僥倖に浴することができたという、まことに稀有な時期だったといえるんじゃないかと思われるわけです。

スペード [ 玉置浩二 ]

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2024年01月13日

ニセモノ

ニセモノ [ 玉置浩二 ]

価格:2,228円
(2023/9/10 11:54時点)
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玉置浩二『ニセモノ』十三曲目、「ニセモノ」です。

ピアノとギターのユニゾンで、ちょっと覚えづらいメロディーが奏でられてこの曲は始まります。こういうの損していると思うんですがね……でも別にムリして売れようとしていないのがわかって、こっちも落ち着いて翻弄されていられるってもんです。ベースが入りピアノがアルペジオになるとグッと安心しますが、それはこれまで翻弄されているからです。おお、(ふつうの)曲になった、という感覚です。

「クワアアアアア……」という効果音的なシンセがときおり入る以外は、基本的にギター、ベース、ピアノ・エレピと、ドラムのシンプルなアレンジで最後まで進んでゆく静かなバラードです。

タイトルはずばり「ニセモノ」、このアルバムがニセモノであることを自ら宣言した玉置さんの心情をもっともよく表した曲、いわば本丸です。

「自分で確かめて」ニセモノだと見破ったら胸が痛む……わたくしべつに痛くありませんでした(笑)。そりゃそうです、当時わたくし全然事情知りませんで、このアルバムがそもそも安全地帯でレコーディングを始めたものであることすら知りませんでしたから、見破るもヘチマもありません。

曲はサビ、「変わらないでいたい」「虚しい」「黙って騙されていようよ」……玉置さんが「変わらないでいたい」と願ったのはきっと安全地帯、そしてその再現を願うのは「虚しい」から、だからニセモノに騙されて夢を見ていればいい……これは悲痛な叫びです。しっとりとしたバラードなのに、叫んでいます。

2000年当時、わたしはまだ安全地帯を生々しく覚えていて、その復活を心から願っていました。91年の『太陽』、92年のアコースティックツアー、そして93年の、わたしの知らないところで起こっていた崩壊と活動休止、武沢さんの脱退……それ以降七年間の玉置ソロの間も、安全地帯を待ち焦がれていました。だから、もしこの『ニセモノ』が安全地帯の新作としてリリースされたなら、きっと狂喜して飛びついたに違いないのです。そして武沢さんのいないことに気づき、そして音源を聴いてそのサウンドや曲が玉置ソロの延長であることにいつか気づいてしまい、なんともいえない違和感に苦しめられていた、つまり「見破っ」てしまって胸を痛めていたのだと思います。安全地帯なんだけど安全地帯じゃない……。

玉置さんの歌は静かでやさしく、ギターとピアノがつねに寄り添って一体となっています。これは安全地帯ではなくこの時期の玉置ソロの特徴です。この曲を安全地帯で演奏するイメージはちょっとできません。「このままでいようよ」と思わせるものです。逆に言うと、玉置さん自身にもソロで積み上げたものの影響が強すぎて、安全地帯を始める準備ができていなかったことを示しています。

そして全部自分でレコーディングをやり直すという暴挙に出てしまい、そのことを玉置さんはカラッと「僕が我慢できなくて田中と六ちゃんを裏切っちゃったんだよねーハハハー」って感じで話すんですけど、それは甘えているんでなくて、メンバーを、安全地帯を守ったんじゃないかとわたくし今になって思うのです。それこそ「気が付いたら涙がこぼれる」思いで。

安全地帯が崩壊した1993年、『カヴァーデール・ペイジ』が突如登場しました。パープル・ホワイトスネイクのボーカリストで有名なデヴィッド・カヴァーデールと、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが組んだアルバムです。ジミーとしてはツェッペリンをやりたかったそうなんですが、ツェッペリンのボーカリストであるロバート・プラントの腰があんまり重いので業を煮やしたか、デヴィッドを起用して始めたプロジェクトですね。それまでのソロ活動では精彩を欠いたジミー、このアルバムでは思う存分本領を発揮して、まさにツェッペリンの再来!というイメージのアルバムに仕上がっています。デヴィッドはそのぶんちょっとプラントのイメージに引きずられ気味な感じはしますが、ツェッペリン再結成の夢を見たかったファンには感涙モノのアルバムに仕上がっていたのです。ですが、それはやっぱり「ニセモノ」でした……ボンゾはもういなかったにしてもジョンジーはバリバリ現役ですし、ロバートだってぽつぽつとジミーとコンサートやっていたんだから(出来はボロボロだったそうですが)、ツェッペリンの三人が揃うことは不可能ではなかったんだと思います。ましてやその後ペイジ&プラントで二枚アルバム出してるんですから。でも、それらもやっぱり「ニセモノ」なのです。みんな、わかっていました。どんなに似ていても、どんなにぼくたちがそれらのユニットにツェッペリンの影を重ねても、「ニセモノ」なんです。

わたくしの世代は、ツェッペリンをリアルタイムで聴けた世代ではありません。82年に解散していますし、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』『コーダ』という言及することさえ一種ためらわれる作品が最新作であった時代にようやく小学校に入る前後ですから、そもそもツェッペリンの名前すら知らないのです。ですから、厳密な意味では「ホンモノ」のツェッペリンを知りません。これって20年前のものだよねって感じで『II』や『IV』などを高校生の頃からポツポツ聴いていたに過ぎません。だから、ある意味『カヴァーデール・ペイジ』のほうがよっぽど「ホンモノ」なんですよ。だけど、一連の作品を聴きこんでいくとわかってしまいます。ああ、これは「ニセモノ」なんだって……だから、玉置さんが全部自分で録り直した幻の安全地帯音源がリリースされたところで、それは時がたって歴史の語るところとなれば「ニセモノ」であることがわかるものだったのでしょう。

80年代の日本という文脈に埋め込まれたホンモノの「安全地帯」を私たちがいくら求めたって、そしてメンバー本人たちがそれを懸命に再現しようとしたって、おそらくはもうできないんだと思います。2010年の『Hits』はその夢を垣間見せてくれましたし、わたしもしばらく酔ったものですが、もう彼らから新曲として「熱視線」や「じれったい」が出てくることはないことに気が付いて、80年代の安全地帯という意味での「ホンモノ」の安全地帯はもうないんだ、と思うに至りました。ロバート・プラントはそのことをよくわかっていたんだと思います。同じことはできないししたくもない。玉置さんだってもちろんそれはわかっていたのでしょう、新しい安全地帯を新しい「ホンモノ」として始めない限り、再集結の意味はないんだって。玉置ソロに安全地帯のメンバーが参加しましたってだけの「ニセモノ」になってしまう。

そう、玉置さんは安全地帯でレコーディングしたものを全部自分でやり直したからこれは「ニセモノ」なんだって説明をなさっていたのですが、わたしが思いますにそれは逆で、「ニセモノ」だったから自分でやり直したんだと思うのです。安全地帯を心から大事に思うからこそ、こんな「ニセモノ」を世に出すわけにはいかない……。

安全地帯を再始動するならそれは新しい「ホンモノ」でなくてはならない、そしていまその準備は整っていない、だからどんなに手間がかかっても、どんなにメンバーに不義理なことになっても、これは世に出しちゃいけないから全部自分で録り直して玉置ソロとして出す、という判断を玉置さんはなさったんだと思います。玉置ソロは玉置ソロであって安全地帯ではない……これは、歌しか聴いていない層には決してわからないバンドマンの感覚です。

「変わらないでいたい」「忘れないでいたい」「嘘はもうつかない」と歌う玉置さんの心の叫びが、こうした「ニセモノ」と「ホンモノ」の違いをめぐる葛藤から生まれてくるんじゃないかと思えてならないのです。新しい「ホンモノ」としての安全地帯が生まれるのはここからさらに二年かかったわけですが、何年かかるかは当然当時は誰もわかりませんから、このアルバムを『ニセモノ』と名付ける決断はけっして軽いものではなかったことでしょう。何年かかったっていい、場合によってはその結果再始動できなくたってかまわない、くらいの気持ちでないと自分で録り直すなんてできるものではありません。その苦渋の思いと決断がもっとも端的に示されているのがこのラストチューン「ニセモノ」なのだとわたくし思う次第です。

さて、このアルバムも終わりました……なんかすごい時間がかかった気がします。曲数がやや多いからでもあるんですが、正直、難産でした。2000年当時はとても辛くて正直この時期を振り返るのが苦しかったものですから、その後の聴きこみが足りなかったアルバムだったのです。記事を書くためにこのアルバムを何度聴いたことか……次は『スペード』ですね。2001年も負けず劣らず辛い思い出のある時代ですからやや気が重いわけなのですが、そのぶん新しい発見がたくさん埋もれているに違いないと考えております。さらにその次はいよいよ復活する安全地帯なんですが、その前に『THE VERY BEST of 安全地帯』ってのがあって、そこに未発表曲だった曲があるんで、それを扱ってからになります。

ニセモノ [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 11:02| Comment(2) | TrackBack(0) | ニセモノ

2024年01月08日

虹色だった

玉置浩二『ニセモノ』十二曲目、「虹色だった」です。先行シングルで、カップリングは「夢のようだね」でした。

音の低いシンバルが高鳴り、なにやら高音の楽器(多分ギター、スライドギターってやつでしょうか)とベースの高音部を使ったユニゾンとでメインテーマが奏でられます。アコギのストロークがバック、玉置さんの必殺技ともいえる「ジャリリーン!」でメインテーマが締められ、そのままアコギのストロークを伴奏のメインに歌が始まります。

淋しそうに星空を見ている君のそばにいるよ、眠るまでそばにいるよ……あ、ダメなやつだこれ、わたしこういうのに超弱いです。太陽はいつも輝いている、みんなが仲良く幸せにいられるように……この短い一番でもう、わたくし魂が震えてなりません。演奏はもちろん玉置ソロの集大成ともいえるシンプルなものを組み合わせてつくられる渋さが最高潮に達しているわけなんですが、なによりわたしの琴線を触れるどころでなくビシバシと叩きまくるのは玉置さんのボーカル、歌詞なのです。「君がもしも〜」のやさしさ、「太陽は〜」のたくましさ、強さ、ドーンと頼れる感じ……。

さっちゃんと会って、さっちゃんと音楽作っていくようになって、またみんなと会うようになって、その中で変わっていった」(志田歩『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』より)

玉置さんをこの境地に導いたのは、まぎれもなく安藤さんなんです。ご本人がどう思ってらっしゃろうとも。あんなに惚れたはれたで苦しい思いをしてきた玉置さんが「世界中に愛があふれているんだ」なんてこんなに力強く歌えるようになったことを「成長」と呼ばずしてなんと呼ぶべきかわたくしにはまったくわかりません。安藤さんとの音楽生活がとんでもない安定感安心感を玉置さんにもたらしたことは確かでしょう。玉置さんの音楽につねに影をさしていた危険な香り(「安全」地帯なのに!)がすっかり消えているのです。

「太陽は〜」のサビに入る直前からエレキギター、ドラムが派手に入り、曲が一気に盛り上がります。まるで「メロディー」の再来です。もの悲しくも美しい旋律に優しくあたたかい歌詞が、玉置さんのセルフコーラスと矢萩さんのギターで彩られているのもまさに「メロディー」のようです。違うところといえば、もの悲しさも歌詞のあたたかさも数段レベルアップしているところでしょうか。そうです。この曲はひどく悲しいのにひどくあたたかいのです。これが「メロディー」のころにはドンピシャに近かった多くの人の望むものからズレていたところなのでしょう……この「虹色だった」は「玉置浩二ショー」で歌われるまで話題に上ることの極めて少ないシングル曲に甘んじていたわけです。

イントロ度同様の間奏を経て曲は二番、今度は「街灯り」「暗闇」です。また夜か!サビでは「太陽」が輝いているのに!「争ったり間違ったり」しているわたしたちを許し、しあわせにしてくれる太陽が輝いている……だから夜だってば!いや、もちろん地球の反対側では太陽が照っているんですが……ああそうか!そうだ、たとえ夜でも太陽が輝いていることには違いないですね、わたしたちがそれを見られないだけで。わたくし、20年以上たってやっとわかりました(笑)。これは太陽系スケールの視点で見れば太陽がいつも輝いている、わたしたちの地球(のどこか)を照らしてくれている、という壮大なシーンと、「淋しそうに星空を見てる」とか「争ったり間違ったり」という極めて身近なシーンとを一気に行き来するという歌だったのです。

二度目のサビを経て、「ジャーン!」とエレキギターが入り、「パーンパパパパーンパーン・パーンパーン」というキャッチーなリフ(なんでしょうねこの音?弦の響きだからギターだと思うんですが、それとシンセのユニゾンです)が入りまして、玉置さんが掛け合いのように力強く歌っていきます。「七色の虹の中を〜」おお、ここでやっと「虹色」というタイトルの言葉が出てきます。さきほど地球全部を丸ごとみるような大きな視点を発見したばかりですから、もう頭の中はRainbowの『Down to Earth』のジャケットのようになっています(笑)。そしてその視点では、自分が虹をくぐりぬける、君と僕が笑っているという身近なことと、世界中に愛があふれているという壮大なこととがミックスしていて、曲のダイナミックな展開も相まってもう大混乱というか、忙しいことになって、映像や文章で表すことの難しい音楽独自の境地が感じられるのです。

曲は「ダダダダッ!ダダダダダダダ!」と激しいスネアが入りまして最後のサビに入ります。とどめの太陽系視点、太陽そのものであるかのような玉置さんの愛があふれるボーカルがみんなをしあわせに、仲良くさせる勢いで響きます。「みんなー」と叫んだところからスローダウン、楽器も演奏を止め、ブレイクがあったかと思うと「ウウン!」とベースが鳴りすぐさまイントロ同様のアウトロへと流れていきます。これも、息をのむスリルというか、絶対痛い目には遭わないとわかっているジェットコースターのようなスリルを味わわせてくれます。

独文学の世界で「教養小説Bildungsroman」と呼ばれるジャンルがあります。ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』がその代表格なのですが、典型的には少年が田舎から都会に出て見聞を広め、親友、たいてい女と出会い(笑)人生や世の中のなんたるかを(それが正しいか否かはともかく)知ってゆくという、悩める若者の成長がメインテーマです。

なんの話をしていたかというと、わたくし、不遜なことかもわかりませんが、志田さんの『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』を初めて読んだとき(2006年ですね)、まるで教養小説のようだと思ったんです。ずっとガキのころから安全地帯・玉置浩二の音楽が好きだったわけなのですが、わたくし玉置浩二さんその人そのものにはそんなに興味なかったんです。どんな音楽が好きだったんだろうとか、少年のころはどんなバンドやってたんだろうくらいはもちろん知りたいですよ。ですが、石原さんはその後どうなったとか、薬師丸さんや青田さんとはどうやって知り合ったんだろうとか、好きな食い物は酒はなんだろうとか、ほとんど興味ないんです。だから石原さんとのゴシップがあった80年代に週刊誌も読みませんでしたし(そもそも小学生でしたから床屋くらいでしか読めませんが)、インタビューもあんまり読みませんし写真集やグッズみたいなものにも手を出しません。コンサートで玉置さんがすぐ後ろの通路を通ったって、おおー近いなーと思うだけで手を伸ばしてさわろうなんて全く思いません。楽屋でメンバーやスタッフとどんな話してるんだろうとか好きな服のブランドはなんだろうとか、どうでもいいです。教えてくれるなら聞かなくはないですが(笑)、玉置さんの音楽世界、玉置さんが意図して私たちにリリースして届けてくれる作品以外のものにしいて触れようと思わないのです。それは、作家・芸術家である玉置さんの意図・人格を尊重するからです。たとえ屁をこきながらギター弾いていたってかまいません。かりにマイクがオフのときにファンに呪いの言葉をつぶやいていたって知ったことじゃありません。モーツァルトの書いた楽譜にどんな汚いことが書かれていたとしても、遺体がゴミのように共同墓地の穴に放り投げられたとしても、モーツァルトが届けようとした音楽だけを聴いていればいいのと同様に、玉置さんの私生活がどうであろうとそこに作家としての意図はないとわたくし考えています。いいところどりなんでしょうけども、その「いいところ」を作品として届けようとするのが作家・芸術家ってもんです。だから、『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』も音楽的背景とか制作にのぞむ様子とかわかればいいなくらいの気持ちで読み始めて、その教養小説なみの人生が赤裸々に描かれていて大ショックでした。

教養小説の主人公はその後革命に突っ走ったり、あるいはひどく挫折して傷心のうちに川で溺死したりと、まあ大概ろくな目に合わなくて後味が悪いです。ですが、『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』は玉置さんは鮮やかに復活し、安藤さん松井さんと穏やかに音楽を作っている時点で筆が置かれています。こんな後味のいい教養小説ないですよ。やあ、よかったよかった(笑)。

もちろんこんなことはこのアルバムを初めて聴いているときには知らなかったわけなんですけども、いまやわたくし知ってしまって、この「虹色だった」における穏やかさ、玉置さんの安定ぶり、そして……安全地帯の崩壊時に子どもたちが手を伸ばしていた燃え上がる「太陽」が、この歌ではみんなを見守る存在、みんなを「しあわせになれるように」どんなときも照らす存在として歌われていたという事実を認識したのです。では、この、ほとんど10年間での変化を何と呼ぶべきでしょう?「成長」とか「発展」と呼ぶべきでしょうか。それは進歩史観・成長史観に毒されているんだ、ただ「変化」は「変化」でありそれがばらばらに起こっているだけなのだ……とお決まりの指摘もあるでしょうか。そうなのかもしれません。ですが、わたしはこの玉置さんの「変化」のようなものを「進歩」や「成長」という言葉で人間は呼んでいるんだと考えています。そうでなくては、たいがいろくな終わり方をしない教養小説が百年も二百年も読み継がれるはずがありません。人間は「進歩」「成長」しますし、そこに他にないドラマ性を覚え感動するのです。

『ヴィルヘルム・マイスター』にはミニヨンという少女が出てきて、ときおり歌います。シューベルトが歌に書き、ハイネがはるかにイタリアに思いを馳せた『ミニヨンの歌』です。ヴィルヘルムの愛した女たちのことは誰もぜんぜん覚えていないのに、誰もがその愛らしさと運命の悲しさを覚えているミニヨン……『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』という物語(実話なんですけども)における玉置さんの音楽は、『ヴィルヘルム・マイスター』におけるミニヨンとその歌のように、誰もが胸にその魅力を強烈に刻み込まれます。玉置さんの人生と玉置さんの音楽とが、ゲーテと何の関係もないというのは、そりゃそうです、わたしが強烈に関連を感じ、こじつけただけです(笑)。「太陽」の扱いが劇的に変わっただけのことで、何にも進歩も成長もしていないのかもしれません。ですがわたしはそこに進歩や成長を感じ感動するのです。そのもっとも強力なトリガーとなるのがこの「虹色だった」であり、そのとき想起されるのがゲーテだったというだけのことでした。

Nur wer die Sehnsucht kennt,あこがれを知っている人だけが
Weiß, was ich leide!わかるの、わたしが苦しんでいるって
Allein und abgetrennt von aller Freude,ひとり寂しくあらゆる喜びから切りはなされて
Seh' ich ans Firmament nach jener Seite.わたしは見るの、彼方の蒼穹を
(『ヴィルヘルム・マイスター』内『ミニヨンの歌』より)

ニセモノ [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 11:47| Comment(2) | TrackBack(0) | ニセモノ