『安全地帯VIII 太陽』二曲目、タイトルナンバー「太陽」です。すみません、更新期間が空きました。この曲難しいんですよ。そんなこと言ったらこのアルバムぜんぶ難しいんですけども。
ディレイの効いたギターが遠くから、その旋律を絡めながら近づいてきます。そして「ア〜イ〜」という声にならない声が、そして和太鼓を思わせるリズムが「シャリーン!パララ〜」という定番の武沢クリーンのギターとともに「ズンタタッタッタ……ズンタタッタッタ……」と始まります。おおよそロックバンドの操るリズムではないですので何事かと驚かれた人もいることでしょう。わたくしですか?もちろんひっくり返りましたとも、三十年も前に。
当時、珍しくこのアルバムを貸してくれという級友がいたので貸してみたところ、「二曲めがなんか、アフリカの民族音楽っぽくていいね」という感想を寄せられて、こいつはなんと適応が早いんだ!と驚いたのを覚えています。安全地帯のアルバムを貸してなんていう人は、「悲しみにさよなら」とか「Friend」みたいなのを期待しているライトリスナーに決まっているだろと決めつけていたわたくし、反省しきりでした。そうか、これはそういう楽しみ方をするアルバムだったのか、とそこで気づかされたのです。
そして抑揚の大きくはないボーカルとコーラス、緊張感あふれるリフを刻むアコギ、節目節目に「ボキボキッ」と合いの手を入れるかのようなベース、そして通常のキットでこの音は出せないんじゃないと思われる音を忙しく鳴らすドラム、どれもこれも従来の安全地帯からは予想できないサウンドなんですが、かといって安全地帯以外にこの音を出せるバンドがほかに思いつかないという、唯一無二の安全地帯サウンドを展開します。
Bメロに入り、高音のシンセが足され、玉置さんのボーカルの抑揚が大きくなります。いま聴くとなんというメロディアスさでしょうか!「燃え上がる〜」も「子どもたち〜」も、ここしかないというラインをウリウリと攻めてきます。もうサディスティックなんだから!このどS!と顔を赤らめたくなるほどの徹底ぶりです。
「ジャ!サジッ!」とリズムを切って、曲はいきなりサビに入ります。コーラスを伴う、なんじゃこりゃ!というボーカルラインです。これ、一緒に歌おうと思ったこともなかったのですが、わたくし記事を書こうと思い立ってはじめてCDにあわせて歌ってみることを決意いたしました。ムリでした(笑)。舌がよじれてカタ結びになるんじゃないかと思うくらい試みましたが、どういう舌の動きしてんだ!と驚くばかりなのです。
「アーアア・アアアアア・イー」なんじゃないかと思うんですが……仮にこれで聴きとりが正しいとして、「アアアアア」の五連符がムリです。後半は「アーアア・アアアアアア・アーア・アーアア・アアアアア・アーアアア」だと思いますが、六連符はさらにムリです。ゆっくりでもできませんでした。そういや『幸せになるために生まれてきたんだから』で玉置さんの御祖母堂がたいへん歌のうまい秋田民謡の人で、玉置さんはそれを幼少のころから近くで聴いてマネしていたと書いてあったと思うのですが、それが「太陽」サビのもとになった……というのは、同本にはみつけられなかったのでなにかTVでご本人が話しているのを聞いたんだと思うんですけど、民謡の節回しなんですね、ようは。彼が「民族音楽みたい」といったのは、まさに当たっていたわけです。アフリカではないですけど。それをいうならわたくしのバアちゃんだって江差追分の先生だったのですが、わたしには少しも受け継がれていないのは、ひとえに才能の差というやつなのでしょう(笑)。
歌は二番に入り、アレンジには一番と違ったところは見当たらないんですが、サビの後で聴くAメロBメロは深刻さ切実さが違いますね。「涙さえ枯れるほど心から祈る」とか、マジで太陽に祈っている雨乞の儀式を思わせます。
怒涛の「アアアアア」が終わり、静寂の間奏……リズムと、アコギのストローク、エレキギターのハーモニクス、うすいコーラスだけの、音数としては決して多くないスッキリした音なんですが、とんでもない含蓄がありそうで息をのみます。神楽の幕間なんじゃないか、鬼が熱湯の入った柄杓もって飛び出てくるんじゃないか、といった緊張感にあふれる「無用の用」を音で表現してしまった間奏になっています。ジョン・ケージ?いや、あれはちょっと違う……お好きな方、楽譜もありますので、どうぞ!
そして曲はメロディアスなBメロと「アアアアア」のサビを繰り返し、フェードアウトしていきます。いつもいつも同じ話で恐縮なんですがわたくしフェードアウトは原則嫌いです。ですが、これは夜通し続く祈りの場から、自分がそっと立ち去った感覚があるため、あそこではいつも祈りが行われているんだという空間の感覚さえ与えられるように思えて、フェードアウトこそが最善の選択だと思えるのです。
手塚治虫の『火の鳥 太陽編』を読んだのが、ちょうど30年ほど前で、このアルバムを聴いていた時期にあたります。『太陽編』は古代と近未来の宗教戦争の話がクロスしながら話が進む構成になっているのですが、壬申の乱を勝ち抜いた大海人皇子が太陽神を信じることにしたというくだりがあるのです。土着の神々の支持を得て、仏教を推し進めてきた政権側の、心ならずも代表になってしまった大友皇子を倒したという宗教戦争の勝者になったにもかかわらず、あっさり土着の神々でなく太陽神(大日如来?)に帰依するのですから、これでは土着の神々も信仰の自由を安堵はされたものの、何か複雑な面が残ったことでしょう。
「燃え上がる太陽」は、まさに唯一神とすら呼べるレベルの存在感をもっていますが、わたしたちが逢いたいのは「幸せにしてくれる神様」なんです。太陽は別に意志なんて持ってなさそうに思えますから、わたしたちの幸不幸にはまるきりニュートラルでしょう。それに対して、仏は(『太陽編』では)信賞必罰的な態度で服従を強いてきますので、まあ、場合によっては幸せにしてくれそうです。土着の神々も、人を不幸にする気はあんまりなさそうに描かれていますから、まあ、どちらかといえば私たちを幸せにしてくれる側でもあるでしょう。ですが、いずれも太陽神のパワーと存在感には圧倒されます。わたしたちは、圧倒的なパワーと存在感には憧れますし畏怖の感情をもちますが、それでも「信仰する」わけではありません。「ひとりでは生きられない」からこそ、人間味のある交わりと精神的作用をもたらす神を求めます。ですから「太陽に手をのば」したって、求める相手が違うのです。ですが、それでもわたしたちは太陽を信じるのです。
「なつかしい母の歌」は、もう聴くことができません。まだ年若く娘さんのようだった母は、ピアノを弾いて歌ってくれたものです。あれならまた聴きたいものだなと一瞬思わなくもないのですが、それはもはやいまの母には不可能でしょうし、べつに再現してくれとも思いません。あれは思い出の中にあるだけでいいのです。
「消えてゆく物語」は、記憶がありませんが、自分が親になってわかりました。子どもは、たわいもないお話を求めるのです。ですから、その場で思いついたような即席のお話がいくつも生み出されます。即席ですのでかなり浅くてどうでもいい話が大半ですから、話した本人も聴いた子どもも端から忘れていきます。それは「母の歌」と同じくらい儚く、脆いものだったのです。
「母の歌」も「消えてゆく物語」も、そして幼少のころに森羅万象の中に潜んでいるように思えた八百万の神々も、わたしたちが大人になるにつれて、その存在感を薄め、やがて意識の中から消えていきます。ですが、「太陽はどんなときも輝いて」(これは別の歌ですが)、幼少のころと変わらぬ、「いつまでも変わらない愛」のような存在感を保ちつづけるのです。さすが大海人皇子が骨肉の権力闘争と宗教戦争の果てに帰依しただけのことはあります(笑)。
わたしたちが「日本古来の」と感じるものの多くは、おそらくは江戸期に形成されたもので、比較的近年のものが大半でしょう。玉置さんの御祖母堂が歌っておられた民謡も、この曲が連想させる和太鼓のようなリズムも、おそらくは江戸期の産物なのであって、そんな壬申とか仏教がどうとかの時期からの文化ではないのでしょう。ですが、「母の歌」が遥かな昔のものであるかのように思えるのと同様に、この曲も太古の昔から受け継がれてきたエトスのようなものを感じさせるのです。そしてその太古の昔から、太陽はわたしたちを同じように照らしそこに在りつづけてきたのだと、とんでもないスケールで悠久のストーリーを感じさせるわけです。安全地帯史上最高のエポックメイキングな傑作といっていいでしょう。
価格:1,271円 |
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だから親のできることは反発に耐えること、巣立ったときのためにある程度カネを用意しておくことなんだと思います。カネ、貯まるか……?やや不安ですが頑張ります。
子どもは五歳までにすべての親孝行を終えてしまうと聞いたことがあります。たしかに異様にかわいいですし、世話が焼けるから親冥利に尽きる日々です。イクメンとか見え透いた褒め言葉でいい気にさせてくる謎の勢力がいますが、基本的に思い違いしてますよね。
隠し事を墓場まで持って行く、と公言している知り合いもいれば、平然と飯炊きと言い放つ人、枕朝起きたら必ず胸の中で枕に感謝を忘れない人、20年は絶対に浮気しないと決めてる人(何故か20年)など、私の周りも様々な人がいます。
うちも子供がまだ小さく、日に日に少しずつ「確実に」大きくなっています。誰かが本で良い事を言っていましたが、いずれ必ず子供は成長をし巣立っていくものだから、そうなった時の事を今から考えておいた方が良いと。なるほどなぁ、と思いました。今出来る事で精一杯ですが、ちょっと目先を遠くにする事で、気持ちがリラックス出来ました。
「太陽」にありますねえ、「帰れない場所」が。あいつがいてあの娘がいてみんながまだ若くて好奇心旺盛で……物理的な場所はまだ行けばありますが、でも、もうあの「場」はどうしたってないわけです。トシをとるとそんな場所ばかりです。
音楽ならわかりあえる、というのはわかりますし、希望が持てますねえ。わたしとよしさんだって、ちゃちゃ丸さんだって、年恰好こそ似てるかもしれませんけども、安全地帯がなければ出会うはずのなかった人たちが一つのことを一緒にやろうとしてるわけです。逆に一番近いはずの嫁さんとはちっともわかり合える気がしないという不思議!(笑)
リバーのコメントで、帰れない場所と聞いてこの曲がそのテーマだと思い起こしました。
世界は広く地球はひとつで、国が違えば人種、宗教、習慣、考え方ももしかしたら違う傾向もあるのかもしれません。でも、玉置さんもおっしゃってましたが、話し合ったって分かり合えないことでも、音楽、歌のちからで分かり合える時があるかもしれない、それを信じる、と。
色々な自分には合わないモノは簡単に手元にあるものから見ないようには出来ますが、それだけではない、目を向ける視野は広くもちたいものです。音楽も色々なものを本当に聴きながら自分の心におちるものが自分にとっての本物。
田園地帯!まだまだニセモノ笑 冗談です。
合わせる時がきましたら、たぶんバッチリ合いそうで楽しみですよー!田中さんみたく、笑顔で全部を包み込むドラム目指します!宜しくお願いいたします。
アーアアアアアア愛ー、は全く思いもよりませんでした!松井さんが玉置さんのアアアアアイーを聴いて愛を連想し、それで歌詞に愛だけを呼んでいると書いたというのは、実にありそうな話です。プリミティブな言語が「愛」という言葉を生んださまを表現した……もしかして創作の真実を突いたのかも、という興奮がありますね。いや、おそれいりました。
ファン歴は10年程度とまだ浅いですが、このブログを読んでまた考えさせられます。
この曲の「アーアア・アアアアア・イー」の部分は終盤に「愛だけを呼んでいる」という歌詞があったので、「ア、アアアアア……愛〜」みたいな感じと考えてましたね。カタコトで愛という単語を絞り出す感じというのでしょうか?ただ、いざ歌ってみるとやっぱり難しいです。
今後もまたコメントすることがあるかもしれませんので、よろしくお願いします。
MIASSのCMですが、YouTubeで視聴可能です。
「安全地帯 I Love Youからはじめよう 番外編」という動画の終盤に収録されていまして、アカペラだけに玉置さんの技巧の凄まじさがよくわかる映像になっています。
ぜんぜん記憶になかったのですが、どうもMIASSのCMだったようですね。しかもアカペラ。それは観るべきだった!たぶんわたくし部活とかラジオとかにハマっていてゴールデンタイムにTV観てない時期だったんだと思います。惜しいことをした!スケバン刑事の浅香唯さんのことでさえ「誰それ?」と訊ねて驚かれた記憶があります。「太陽」のサビは玉置さんの真髄の一つみたいなフレーズですよね。
〉りささん
おお、なんだかお久しぶりかもです。お元気でしたか。解説というか妄想というかなんですけども、あまりあてにならない文章で申し訳なくなります(笑)。アフリカ説は、実は正しいのかも!われわれ、アフリカでホモ・エレクトゥスとかでウホウホ言ってた祖先の頃から大事に受け継いできたリズムが秋田に残っていたということなのかもわからないですしね。それにしたってこのサビ!ホモ・エレクトゥスってどんな滑舌してたんだとちょっと驚きますね。
歌の意味が全く分からなかったので、解説読めて助かります!
私もこれ聴いたときアフリカっぼいって思ったのですが、アフリカの民族音楽に似てるからなんですね。
確かに、サビの所は歌うの難しそうです。私も今ちょっと小さい声で歌ってみたけど無理でした笑
最初CMでワンフレーズ聞いて「凄いな」と唸る
これ聞いて何も感じないなら玉置浩二ファンではない
この1曲の為にアルバムを買うだけの価値が十分にあります。