『安全地帯VIII 太陽』七曲目、「エネルギー」です。
たまーに安全地帯に出てくるボサノバっぽい曲ですね。たまに出てくるだけですので、安全地帯らしいか、らしくないかでいえば、らしくない曲……だと思っておりました。
しかし、よくよく振り返って考えてみますと、『安全地帯V』のころからブルースはやるわジャズはやるわと安全地帯はみずからのイメージを変え続けていたのにもかかわらず、「安全地帯らしい」というイメージが『安全地帯IV』のころで固まってしまっている自分にハッと気づかされるのです。ましてや『ALL I DO』におけるジャンル不明の変な曲、『安全地帯VII 夢の都』におけるオールドスタイルのロックンロール、この『安全地帯VIII 太陽』における民謡・ワールドミュージック等々によって、『安全地帯IV』までのイメージをことごとく自ら壊し進化してきた玉置さん・安全地帯ですから、もはや「安全地帯らしさ」はとっくにリニューアルされており、新しい次元に入っていたとみるべきでしょう。いや、わかる人というか変化に柔軟な人ならとっくの昔に気がついていたのだと思いますが、わたくし、30年も経ってから気づかされたことがいまさら多々あるのです。まるで、ソドムとゴモラの伝説は本当だったのではないか、なぜなら地層をみるとこの時期に死海近辺に硫黄を含んだ巨大隕石が衝突したと思われる痕跡があるからだ!とか、いったい何千年経ってんだよってことを言いだす研究者のような気分です(笑)。あ、いや、あれですよ、西洋では、日本人には計り知れない重要な意義があるんだと思います、そういう研究には。安全地帯マニアを自認するわたくしにとっても『安全地帯V』以降の変化は極めて重大事ですが、安全地帯に興味がある人以外にとっては非常にどうでもいいことであることによく似ています。
さてそんな神の奇蹟的なものを追いかけ続けるわたくし、この曲も、30年前の安全地帯に起こっていた変化をいまから遠く振り返ってその痕跡を……いや、そんなたいしたことはできないので、普段通り気がついたことを書き散らかすだけになるんですけど(笑)。だいたい、リアルタイムで体験していましたからね、わたくし。
曲は、ドラムのいわゆるエイトビートで始められます。歪みの少ないギターがそんなに難しくなさそうな(笑)刻みを主体としたフレーズで絡んでゆき、何やらシンセで出したらしきメインテーマが奏でられます。この裏で、ボン・ボボンと一定のリズムを刻むベース、クリーントーンでアオリ的アルペジオを入れるギター、とフル構成になるんですけども、リズムやメロディーを抜きにすると、なんだか「真夏のマリア」とか「マスカレード」的な、なつかしい安全地帯の黄金パターンであるようにも思えます。
歌に入り、やはりギターが細かい短音フレーズでボーカルを盛り上げます。これもかつての安全地帯によく見られた手法で……と書こうとして、該当する曲を探したのですが、あれ?どうもピッタリくる曲が見当たりません。しいていえば「眠れない隣人」とか「ブルーに泣いてる」なんですけど……どうも違う?もしかして新しいパターンなのかとも一瞬思いましたが、たぶんわたしが思いだせないだけでしょう。安全地帯「らしい」編曲です、とちょっとドキドキしながら書いておきます(笑)。Aメロのボーカルラインはあんまり泣かせる気はないんだろうな、と思えるようなメロディーですので、ここだけをもってわたくし安全地帯「らしくない」とみなしていたようです。
曲は何らの予感も抱かせずに突如リズムを変え、Bメロ的な展開に入ります。この展開、Bメロに行くためにはちょっとしたキメを入れてからのほうがいいよねとか、そういう余計なことを一切考えずにサラッと移行します。サラッとしすぎていて見事です。見事すぎて当時は頭が追い付きませんでした。えっ水彩画なのに絵具を水で溶かずに塗りつけちゃうの?下塗りは薄い色からとかそういうセオリーは無視ですか、みたいな天才の偉業を見せられたわたくし、早くも大混乱でした。そして武沢トーンの「シャーン!」でキメが入り、曲はまたイントロに戻ります。
AメロBメロときて、ここで武沢トーンの二拍子が「シャシャン!」とキメを入れます。うーむ!なんという美しさ!二拍子を入れる手法自体は「Lazy Daisy」ですでにあったんですけど、ムダに入れた変拍子的な感じはまったくなく、カッコよさキレのよさを抜群に表現しています。
そして曲はサビへ入ります。「愛だけがエネルギー」という、力強くも悲しいメッセージ性あることばが玉置さんによって当時のわたくしがハマった泣きのメロディーで語られます。ほかの部分はなんだか平坦なメロディーに聴こえていたのに、ここだけ「うおっ」と反応しました。いま思えば、おそらく他の箇所との対比でここの部分がとりわけ泣けるメロディに感じられたんだと思うんです。ここの部分を聴きたいがばかりにこの曲を何度もリピートしたものです。曲全体でなく、特定の箇所をお目当てに聴きまくるという不思議な体験でした。
そしてさらに曲は展開し、歌なしのBメロのようなフレーズを経て武沢トーン「シャリーン!」からさらにメロディアスな第二サビとでもいうべき箇所、つづけて「接近戦……ない……」という、もうなんというか、デモテープでは玉置さんがいつもの調子で唸りを入れていただけなんじゃないの?と思えるような音に言葉を当てたかのように思われるにフレーズに突入します。そして、ギターソロを伴う間奏なんですが、これも間奏というべきなのか、むしろ「ない……ない……」の箇所を間奏って言うべきなんじゃないのかと、もう頭の中に持っていた様式はグチャグチャです。そしてさらに武沢トーン「シャリーン!」を合図にしたかのように、「愛だけがエネルギー」、そして第二サビは繰り返さず、「どうせどうか……ない……ない……」と、もうやりたい放題です。まるで予想できません。
曲は唐突にイントロに戻り、玉置さんの「ない……ない……」をボイスチェンジャーで加工したような声と、軽く歪ませたギターのフレーズの区別がつきづらい、不思議な感覚を比較的長めのアウトロとして味わわせて、フェードアウトしていきます。
いやこれ!高度すぎでしょ!メタリカの『メタルジャスティス』だってこんなに複雑じゃないよ!とんでもない凝った構成です。どうやったらこんな構成ができるのか……たぶん、いつものことなんですが、パーツをつくってから構成を考えて組み合わせたんじゃないんでしょうね。玉置さん、たぶん一発とか二発でこれか、これに近いデモを弾き語りで作っちゃったんじゃないかと思います。即興で。そうでないとこんな自然なのに複雑な曲の展開にならないと思うんです。もちろん普通に考えればメンバーはたまったもんじゃないんですが、そこは何せ安全地帯ですから、きっと玉置さんのインプロヴィゼーションをリアルタイムに近く受信しつつ鉄壁のアンサンブルを生み出したに違いないのです。ここにこそ、この時期の安全地帯に顕著にみられる「変化」というか、もともと持っていた安全地帯のポテンシャルが、玉置さんの覚醒にも似たこの弾けっぷりによって引き出された奇蹟があると思われるのです。
さて歌詞ですが……安全地帯のテンション高い編曲・演奏と同じく、松井さんも玉置さんがマジでこう言ってるんじゃないかっていうリアルなことばを、抜群のリズム感覚で音に乗せてきます。
一番は男、理屈っぽい男になって禁欲……わかるようなわからないような!玉置さんだからリアルなのであって、わたくしちょっと経験が足りなすぎるようです(笑)。だいぶムリして語るとですね、マジで愛ってわかりっこないんですよ。気分のことなの?それとも行為のことなの?それともそういう「もの」とか「こと」でなくって、それらを形容することばなの?もしそうなら、「もの・こと」でないのだから、「ある」「ない」で語ることは初めからナンセンスで、気分なり行為なりの様態をそう形容するのにふさわしいかふさわしくないかってだけなんじゃないか……やや、もっとわかりっこないことになってしまいました!
二番は女、皮肉っぽい女になって愛欲はもういい……すみません、ぜんぜんわかりません!こちらは経験ゼロです!ですから、めちゃめちゃムリして想像するとですね、「夢」も愛に似て、あるとかないとかじゃないんですよ、様態なんです。だから心に描いていたような「気がする」様態にジャストフィットかそれに近いってことはほぼ起こらないわけなんです。「気がする」だけであって、描いてなどいないんです。だって、「もの・こと」でないものは具体像がありませんから、描きようがありません。ですが、「これじゃない」ことだけはわかるんですね。悲しいことに「どうもこうもない」のです。だから噓だってわかっているんですけど、それらしい幸せに浸ることにしなければならないのです。
だからKISSなんかせまってみたりルナティック(狂気)なふりをしたりと、いろいろやってみるんですが、ちっとも愛や夢で満たされた気分はしないわけです。相手がちゃんとそこにいるのに!そこにいる相手と、瞳と瞳で通じ合ってみたり敢えて肌にふれることを避けてみたりと、なんというか、隔靴掻痒な営みも愛やそれによって実現する夢の形であるには違いないのに、試さずにはいられないのです。そうしたって「これ」じゃないんじゃないか?という、どうにもならない疑念にさいなまれているからです。……ちくしょうラブラブじゃねえかよ、ふつうの愛にはもう飽きたってか?贅沢な!(笑)
なぜそんなに疑っているのか?なぜそんなに信じられないのか?きっと、「愛だけがエネルギー」だと、これだけはわかっているからなのでしょう。だからこそ、肌を合わせなくてもそこに「ある」のが愛だとすれば、きっとふたりは生きてゆけると、信じたからなのです。そう、「愛」がそこに「ある」ならば、「からみつく運命」だって問題ではないのです。それを解決するエネルギーは常に確保されるのです。
「接近戦」「延長戦」「感情戦」は単なる言葉遊びなんじゃないかと少し疑いたくなりますけど(笑)、これもふたりの距離感や交流がいかなる形態をとろうとも、「愛」がエネルギーをくれることを実感することさえできれば、これが愛なのだと信じられるような気がする、という、一種の検査、アセスメント方法なのでしょう。繰り返される「どう」「こう」「そう」「ない」は、どうあっても大丈夫だ、きっと大丈夫だ、だってそれは愛で、そこに「ある」んだから、ほら、エネルギーはどんどん生まれてくるよ……という、おいおい大丈夫かよ愛をそんなに弄ぶもんじゃないよ、と傍からは思わず心配になってしまうほどの切ない愛を描いているように思われるのです。だめだ、そんな愛、高度すぎて理解できねえー(笑)。ふつうに恋人は大事にしたほうがいいんじゃないかなー、と思います!
そんなわけで、わたくしの妄想がぜんぜん追いつく気配すらないほどのアクロバティックな恋愛を描いている歌でした。いや、完敗です。最近ラブソングが少なくて恋愛妄想が書けねえなー腕がなまっちまうぜとかいい気になっておりましたが、どうしてどうして、修行が足りません。
価格:1,509円 |
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私も玉置さんがきっと即興的にパッと作った感じを長年感じてます。そういうものって、聴いててわかる人にしかわからない不思議な感覚なのかもしれません。