『安全地帯VIII 太陽』九曲目、「朝の陽ざしに君がいて」です。
素晴らしいバラードです……わたくし、勝手にこれを「夢のつづき」大人バージョンだと認定しております。「だれも」とボーカルから入るところ、アコギが伴奏の大きい部分を占めるアレンジであること、テンポが似通っていること、等々、似た箇所はいくらも挙げられるんですが、何より似ているのは、歌詞の世界です。夕暮れと朝の違いは、まあこの際おいておくとして(笑)。
曲はサビから入ります。「夢のつづき」よりも明るめの、ブライトなアコギの音で玉置さんの歌を支え、そして一番へと向かう間奏でドラム、ベース、明るめのシンセが入ります。
一番でも最初はアコギ一本、そしてかなり控えめなドラムとベース、そしてBメロ…とでも言うべき箇所でギターが二本になります。サビに入り、シンセが加わりドラムとベースの音数が増える……増えるといってもそんなに多くないですから、終始控えめな演奏になります。
二番のサビ前から、何か弦楽器……わたくしこれも詳しくないのですが、たぶんバイオリンだと思います、が入りますね。このあとずっと美しい音色と旋律を響かせてくれます。間奏では二本かそれ以上重ねられて、思わずうっとりしてしまいます。星さんのストリングスアレンジが美しすぎて、わたくし安全地帯活動休止期間中に他のどんなストリングスでもあまり満足できなくなってしまいました。どうしてくれるんです星さん!(笑)これは安全地帯の後遺症のひとつといっていいでしょう。
曲はサビを一回だけ繰り返した後、アウトロに向かっていきます。アウトロではエレキギターが主導し、美しいストリングスに支えられつつ、フェイドアウトしていきます。ふう美しい曲だった……と余韻に浸っているとすぐさま「黄昏はまだ遠く」の凛としたピアノに全神経を刺激され、まったく油断も隙もあったもんじゃないと思わされます。まったく、このアルバムはあまりの緊張感の連続で、こんな穏やかな歌を聴いていてさえ五秒後にはどうなるのかわからないという一抹の不安をぬぐえないという、とんでもない力作になっています。だからこそ、この後10年ほども安全地帯が活動していなくても、わたくしはずっと安全地帯を楽しんでいられたのだといってもいいくらいです。
さて歌詞です。愛しい人、これは恋人でもご夫人でもいいんですけども、そういう人の存在そのものが過去のいろいろを癒し、現在と未来を生きる勇気、そして幸福を与えてくれているということに気づき、そして感謝する歌であるというところが、「夢のつづき」と似ているのです。もちろん似ていて構いません、わたくし大好物ですから(笑)。前回の記事でヘビメタ野郎だった過去を大暴露しておきながら、こういう曲が好きでたまらないんだぜという白々しい記事を書くのもいかがなものかと思いますけども。
「ひとは一人で生きられない」と、若い人が言うと、きみ本当にわかってるの?と訊きたくなります。大人にそう言わされているんじゃないの?きみがそれを本当の意味で知るのはきっと、もっと後のことなんだよ……とお節介にも言いたくなります。しかし、おじさんがそういう気分になっているとき、おじさんは忘れているのです。自分もそれを本当にはまだわかっていないんじゃないかということを。
恋人ができ、そして恋人と別れ、しばらく一人でいることに慣れ、そしてまた恋人と出逢う……いつしか恋人は伴侶となり、子どもができ家を構え、もう一人で生きていくということがあんまり現実感のないイメージになった歳になっても、まだ本当の意味では「誰もひとりでいられない」ということをわかっていないのかもしれません。だって子どもはいずれ出ていくし(出ていかないと逆に困りますからいいんですけども)、夫婦だってどちらかが必ず先に死にますから。さすがに松井さんもそこまでは想定して書いていないでしょうから、きりのない話はこれくらいにするとしても、自分がほんとうにはわかっていないのかもしれないという心がけは必要でしょう。だから、この「誰もひとりでいられない」は、「ほんとにそういえる」にしても、「心からそう思っている」というより、「心からそうだと信じてる、信じられるんだ、君といると」という意思表明に近いものだとわたくし考えております。「出会ってまだ半年なのに、君といないともう寂しくってたまらないよ、ぼくたち結婚できないかい」とかいう段階はとっくの昔(『安全地帯V』とか)に何度も経験したであろう玉置さん世代の、オトナの歌ですからね。
「愛」はそっとやさしく「ふれてくる」という、なんという秀逸な表現!もう、あからさまなことばや行動は要らないのです。そんなの演技できるじゃないですか。ふとした瞬間にわかる、そうした感触があることに気がつく。ことばはいつだって記憶され、どんなとんでもないことばでも保存され、スナップ写真のように場面場面が蓄積されていきます。でも、こういう「ふれてくる」愛は、いつでも動的でうつろうものです。もちろん、ことばがあったっていいんです。無言のほうがブキミですから。ことばは添え物程度ってことでいいんじゃないですかね。旅行に行った思い出に添えるスナップ写真があるように。スナップ写真だけ撮りに行ったアリバイ旅行みたいなのだって同じ写真は撮れてしまいますけど、そんな旅行の思い出は面白くもなんともないものでしょう。だから、愛のことばに酔うのは程々にしておくのが無難ってもんです。「君」といる時間もまた、「好きな香り」を放つ花に似ていて、いつか消耗し消え去るものかもしれません。ですが、その記憶はことばによってではなく、「微笑み」というビジュアルの記憶によって場面場面の記憶とともに保存されている(刻まれている)のです。
「なんとなく呼ぶ」だけで「振り向いた君の瞳」には、そうしたことばでは語りつくせない、幸福になる、幸福にするということへの希望がつまっているのです……そう、とても自然に!年収600万はないとダメとか長男はイヤとか、そういうことでなくて、いやそういうことももちろん大事なんですけど(笑)、それはもうクリアしたか後で考えればいいことにしたとして。仕事が忙しいとか金がなくて困ってるとか見た目が派手だとか貧相だとか過去に騙されたとかいま警戒モードだとか、いろいろなことがそういう自然な性質を覆い隠し見えにくくしているだけで、人には自然にそういう幸福に向かう性質があって、それを見せてくれる、見せあえる人が現れた、そう気づいたときにこそ、ひとは一人でいられないとわかるのかもしれません。
「心に」花が咲く、いっけんこれは巧みな表現ではないかもしれません。えー安全地帯ってもっとこう、「鏡の疲れた背中」とか「手紙がいまだにあなた宛てにとどく」とか、そういう普通の人が気がつかない現象を鮮やかに切り取る系の歌詞じゃないの?と思うわけです。ですが、人間の幸福を求める性質が自然なものであればあるほど、「花が咲く」という自然現象によってしか喩えようがないものであるような気がしてきて、ここに松井さんの凄みを感じるのです。さらっとこういうシンプルな、だがおそろしく的確なことばを選んだ……これはもう、神業といってもいいかもしれません。「手のひらに春風が吹いてくる」のもシンプルでありながら、春風という自然現象でしか表現できない、わたしたちの心身の「自然」を表している、しかもそれが「いつか」なんです。「いつか」はいつなのかわかりません。真冬かもしれません。でも、「君」さえいれば、いつだって「春風」は吹いてくるのです。
日本語だとうまくなじむ言葉がありませんが、natureを辞書で引くと「自然」とか「性質」とか出てきます。自然と、その性質というものをあまり区別しないんですね。最初はこれがピンときません。日本語だと「自然」を森とか川とか山とか海とかそういう「もの」だとみなしているからです。試験管の中で起こっていることだって、大都会のビル風だって、みんな自然の仕組みに従って起こっていることなのに、わたしたちは「自然が失われた」とか言います。自然を「もの」だと思っているから、それがなくなったときに失われたと思うんですね。いい悪いではありません。西洋と日本とでは「自然」のとらえ方が違うというだけのことです。あ、いや、べつに英語の講釈をしたいわけではなく、この歌における松井さんの歌詞は、愛しい気持ちという人間の「自然」を、「花が咲く」とか「春風が吹いてくる」とか、そういう自然現象で比喩している、ということを言いたかっただけなのです。
ひとりでいられないことも、愛がそっとふれてくることも、それでさみしさが消されてゆくことも、すべては自然の仕組みに従っており、ひとは自然の仕組みに素直であればあるほど、それはムリをしないということでもあるのですが、穏やかな気持ちでいられるのでしょう。ムリをしまくり、肩に力をいれまくり、つま先立ちをしまくりやってきた20代は終わり、ひとは大人になることを受け容れていきます。そうしたときに巡りあえたおなじ波長の人をおだやかに「自然に」愛そうと思えた……「夢のつづき」の「つづき」とは、そんな大人の愛だったと、わたくしは思うのです。
価格:1,509円 |
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玉置さんのアルペジオはうまいというか、どうやってるのかよくわからないんです。子どもの頃みんな指一本ずつ動かせるようになっていくんだと思いますが、いきなり五本自由自在に動かせるようになったんじゃないかというくらい天衣無縫です。スリーフィンガーが巧くてそれを崩した感じとかじゃないんです。あんなのを目の前で弾かれてあの歌を歌われちゃ、そりゃたまんないですよね。まだ発売前の歌を歌う方も歌う方ですが、覚えてらっしゃるのすごいですねえ。
おお、盛岡もわりと行ったことありますよ。ぴょんぴょん舎の冷麺食いたいなあ。
トバさんのおっしゃるとおり、夢のつづきが進化した曲だと感じていました。
たまたま盛岡に友人がおりまして、一緒にこのアルバムが発売される少し前の公演を観る事が出来た時に、ダブルアンコールで玉置さんひとり赤のヤイリギターひっさげて、もう唱いまくった中の1曲にこの朝の陽射しにがありました。
玉置さんはアルペジオが指弾きで音が温かみが、あってほんとに上手ですね。キツい奴らで流している中でも、特にさよならをするためにが最高に上手い!!!あとは偽ハマクラ伝みんな夢の中、での女の子口説きながらのもう恋なのか(笑)いしだあゆみとみんな夢の中、を彷彿させる朝の陽射しに君がいてでした。あと、ギター1本で熱視線、キツイ、夏の終わりのハーモニー、ラストは六ちゃんとトゥーミー、ゆびきりで、最後のコーラスでお客の誰かが「さよならさよなら言わないで(笑)」とハモって、あとから玉置さんが「また逢える♬」と唱い終了。
書いていて何書いてるのか飛びましたが、凄いノリのコンサートでの朝の陽射しに君がいてでした。確か何かのコマーシャルソングだった記憶です、味の素でしたか定かではありません。ありがとうございました。