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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2023年11月25日

懺悔

ニセモノ [ 玉置浩二 ]

価格:2,228円
(2023/9/10 11:54時点)
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玉置浩二『ニセモノ』六曲目、「懺悔」です。

いきなりのオルガンチックな音!こりゃパープルじゃないですか。「Lazy」みたいなやつ!玉置さんとハードロックが結びつかなくなって久しいですが、もともと安全地帯はハードロックバンドであって、そこここにツェッペリンやパープルの要素を見いだすことができます。ドゥービーやらイーグルスやらポリスやらと、ウェストコーストやニューウェイブの影響があると指摘されることはしばしば散見されるのですが、もともとの根や幹にオールドでスタンダードなハードロックがあってこそのあのサウンドなんだとわたくしは考えています。で、玉置さんソロのアルバムにも、なにより安全地帯で作るつもりだったことのアルバムにその要素が見られたとしてもさして驚くことではないでしょう。

それで、なにやらブルージーなギター(ここですでにパープルとはちがう)、玉置さんの「ポッピー」とか「ぱっぴー」みたいな声が聴こえてきまして、ブリティッシュハードロックの世界からどんどん玉置ワールドへと色を変えてゆきます。ドン・ド・ドンドン・ドンドン……ドン・ド・ドンドン・ドンドン……エスニックなリズムのギターリフとパーカションが入り、もうこのへんでは玉置色90パーセントくらいに。玉置さんの曲はその美麗なメロディーでしばしば人気になるんですが、わたくし玉置さんの一番の特徴はこのリズム感覚なんだと思っています。キュイーン!タンラーとギターが何本も重なり、ゆっくりゆっくりテンションが上がっていきます。

おもむろにボーカル「救われたい」って六つもの母音を含む日本語を一気に!やはり玉置さんの日本語感覚とリズム感はどうかしています。これは歌詞を作詞家に任せていてはとても表現できないんじゃないかと思われる感性です。「勇気を出して!」と高音のコーラスを入れるのは煽っているんだか励ましているんだかわかりませんが(笑)、こういうのがたまんないんですよ、玉置さんの感覚は。

わたしたちは色々「鎧」をまとっています。それは当然のことで、いきなり無防備に心を許すと大抵ろくな目に遭いません。わたしたちは一人ひとり感覚が異なっていて、それなのに互いに似てるからです。中途半端に似てないし中途半端に似ています。もちろん、熱湯を冷たいと感じるとか闇を明るく感じるとかほどの違いをもった人はごくごく少ないですが、だからこそ油断なりません。熱湯を浴びてギャアアアつめてえ!凍え死ぬ!神はわれらを見放した―(八甲田山)とかやってるとドン引きされることは必至です。まさかそこまで違わないだろうと思っているからです。

懺悔します。わたくし、何かというと「固定観念(ステレオタイプ)」とか「二元論」とか不意打ちのように言ってきて機先を制しようとする人とはぜひとも遥かなる距離を確保していきたいと考えるタイプの人間です(笑)。ですから、いわゆる「通常」の感覚とか発想とかいうものをそれなりに尊重しています。熱湯は熱いだろう、ドリフは面白いだろう、「悲しみにさよなら」はいい歌だろう、一人は寂しいだろう……それに共感できることはうれしいですし、共感をわざわざ裏切ろうとされるといやな気分になります。だから、「鎧」をはぎ取った自分の特異性を無防備にさらしたりしませんし、相手にもそれを期待します。だって困るもん(笑)。でも多少困ってもいいから自分の特異性を理解しておいてほしいと願ったり、別段願ってはいないんだけども理解しておいてもらわないと後々困るなあと思って渋々鎧を下ろすことがないではありません。もしかしたらわたしは熱湯で凍えてしまう人かもしれず、それを知らない人にウッカリお湯神楽でも勧められることがあっては一大事だからです。それで、「救われる」というのはまさにその一大事です。もう、相手にすべて晒して「すがる」しかありません。もちろん相手が「救う」能力のある相手である場合だけ救われるかもしれない、というだけですけど。神は確かに救う能力がある(ことになっている)わけですが、人間はあまりに罪深いうえに神はそれも重々承知ですので、救われるとなったら「鎧」なんて着けてる場合じゃありません。

そして二回目のAメロに入るまえの短い間奏、「カシャ!」って音が何回か右チャンネルに入ってますよね。わたくし、これが噂の爪楊枝を入れたキットカットの箱、じゃないかなと思うんですが……真相はわかりません。

そしてズム!ズム!とベースが加わりましてAメロ二回目、今度は「取り憑かれたいなら」です。なんでしょう、悪霊とかでしょうか。爪に書いてある呪文って、耳なし芳一のお経のように悪霊避けではなくて、取り憑かれたいんだから、悪魔の呪文とかですよね。それを「そっとしる」して横たわっているわけです。悪魔との契約です。なんだ、さっきの「救われたい」と逆のことやってますよ。これじゃ怒られるだけじゃないですか。これは発想の転換が必要となります……つまり、救われることが悪魔との契約であると考えるか、堕ちてゆくことが救いであると考えるかのいずれかになります。これはどっちでも意味が通るような気がしますが……わたくし後者の方が好きですね。娯楽の快感なり性的な快感なり美食の快感なり、なんらかの快感に身を任せて堕ちるとことまで堕ちる……それによって抑圧されていた魂が救われる、というストーリーはわたしにとって魅力的なのです。あ、わたくし鎧を脱いじゃいました!ドン引きしないでえー(笑)。もちろんこの逆もあり得るのであって、さんざん放蕩を重ねて「神に救いを求めるようになったら終わりだ」なんて言っていた者が、良心の呵責に耐えきれなくなっていきなりストイックな生活を送り始めるような……うん、こういうのあんま好きじゃないな。

非常にメロディアスで耳に残るサビ、「ダメになっちゃえ」、「んダメんなー」まで一気に言って「ちゃえー」を添えます。メロディーもさることながら、この絶妙のリズム感覚と言葉選びの妙が、わたしを虜にするのです。あの『JUNK LAND』ですらまだぎこちなかったと思えるほどの、リズムとメロディーと言葉の一体感が、脊髄にビンビンと響きます。もうこのアルバムも中盤ですが、このあたりまで聴いてようやくこのアルバムの完成度に気がついてきます。結果的に、この『ニセモノ』はわたしにとって安全地帯を超えたのではないか(もちろん『太陽』までの安全地帯)と感じさせられた初の玉置ソロアルバムだったのです。

ダメになってしまえ、「鎧」は捨て無防備に、快感に身を任せ、思う存分やりきってしまえ、それで思わずサマになってしまって、一時的な放蕩のつもりだったのに今後も続けることになりそうだったら……「こんなはずじゃなかった」とニヤリと笑っていればいいんです。うむ、これは、玉置さん自身のことなんじゃないかと思えてきます。通常、音楽を仕事にしようなんて、思ってもやりませんよ。それなのに玉置さんは高校をやめて音楽に一直線でここまできてしまいました。初期は「鎧」を付けて売れセンロック・ポップスをやっていましたけども、どんどん自分の地を出して来ました……だから玉置さんの「懺悔」であって、みなさんのそれぞれの人生における「懺悔」として共感できる可能性もあるものとなっているわけです。さらにいうとそれを作品とするんだからすごい話です。

そして間奏、この「チンチン」って音は……これがウワサのワイングラス?さっきのキットカットもそうなんですが、まったくわたしには確かめようがありませんので話半分に。『幸せになるために生まれてきたんだから』や三万字インタビュー以外にはとくにソースがなく(だからぜんぶ志田さん経由)、どの曲のどこに用いられているという話はぜんぜん見あたりませんので、一つの説としてここに記しておこうと思います。

曲は二番に。「イカれちゃったら」……これは難しい。先ほどの救われた者が、誰かを好きになるってことなんじゃないかと思います。「おれ、あの娘にすっかりイカれちゃったよ」の「イカれる」であって、この機械いかれた(壊れた)ではないでしょう。目隠ししてから「ぼかし」を剥がしてやって(つまり、タイミングを見計らって一気に正体を明かす)、こっちからねだる(こっちの世界に来てよ!)わけですから。

それで、ここからサビに入るんですが、その直前に「ジャリン!」と異様にいい音のアコギストロークがあります。なんという鈴鳴り!このギターほしい!とストローク一発で思わされるくらいいい音です。

「ダメになっちゃえ!」これは、連れてきた「イカれ」ちゃった相手のことでしょう。きっと連れてこられてビックリ、おおよそ人間の理性というものが感じられないくらい荒んでいる可能性がある場所です。「なにここ!あんた恥ずかしくないの?」と思いつつ興味津々、「クズになったら恥ずかしくもないよ」(だからさらけ出しちゃえ!)と悪魔のささやき!

もう一度「ダメになっちゃえ!」そんなこともできないで、この先ずっとそうやって生きてくつもりかい?なんの人生なのさ、何かからこぼれ落ちることが怖くて、自分の感覚に蓋をして死ぬまでそうしているつもりかい?そんなんじゃ「何にもできないよ」「どうにもならないよ」「誰にも言えないよ」とコードを持ち上げて行っていったんブレイクします。

イントロのドン・ド・ドンドン・ドンドン……に高音のギターを時折キュイーンと混ぜ、玉置さんがもうほとんど裏声でコーラスも重ねて、それまでとは全く違った調子で歌い始めます。「夢のカギ」を探しに行こう……これは堕ちないと探せない、探せないどころか存在すら忘れていたようなものなのでしょう。この歌には、「夢」が鎧をまとうことによって忘れてしまっていたものであるという、「ダメ」側にあるものという前提があるように思われます。そりゃそうです。仲間と腹の探り合いをしながら夢なんて追えるわけがありません。うまいこと利用されて途中で裏切られるのがオチです。だから、本当にやりたいこと、ほしいものの前では当然バカになるべきなんですが……なかなかできませんよねえ。だから、この「懺悔」はその独独のリズムで、玉置さんのもの凄い声で、この上なく沁みてくるんだと思います。


ニセモノ [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 12:07| Comment(2) | TrackBack(0) | ニセモノ

2023年11月19日

aibo

玉置浩二『ニセモノ』五曲目、「aibo」です。先行シングル「虹色だった」に続き、これまた先行シングルとして発表されていました(カップリングは「ジェスチャー」でした)。

パン…パパ・パン…パン……パンパン・パン……と、なにやらサスティンの少ない弦楽器(たぶんガットギター)でテーマが弾かれます。バックにはギターのアルペジオで、低音と高音がよいタイミングで絡んでいきます。これを一聴しただけでこの今日がバラードだとわかります。わたくしシングル買ってませんでしたから、「aibo」がバラードだということすら知りませんでした。

「汗にまみれて〜」と、ギターの弾き語り状態で玉置さんのボーカルが始まります。いきなり胸をうちます。どうにかやってきた、立ち直りたかった……弾き語りがその切々さをいやがうえにも高めます。この「aibo」は、あの「メロディー」以来のナイス告白ソングだとわたくし思っているのですが……Wikiによれば売り上げは0.4万枚、いくらアルバム直前だったからといって売れなさすぎです。この「aibo」からしばらく、玉置さんはセールスでいうとほぼどん底だったといっていいでしょう。

ある日、「aibo」は聴きましたか?とメッセージが来ました。当時連絡をとっていた香港のファンの方でした。いや聴いてないけど……と返した記憶はありますが、その後何を話したかは覚えていません。いまWikiを見ていると「香港の歌手であるアンディ・ラウへの提供曲「痛…」(1999年)の日本語によるセルフカバー」という記述があり、ああ!そうだったのか!あのとき、もしかしてこのことを話してくれようとしていたんじゃないのか?と思い当たりました。いや、そう話してくれていたのかもしれませんが、それをわたくし、まったく記憶に残らない程度にしか熱のこもらない話の聞き方をしてしまったのでした。私自身に余裕がなかったんですね。だから……玉置さん本人の歌でなければ心に食い込んでこなかったのでしょう。そしてそれは、香港のファンにとっても、広東語で歌われた玉置さんの新曲が香港人にとってどれだけ大きい衝撃をもっていたかを、20年以上も経ってなお思わされることなのです。いやもう……どれだけの人とこうやってすれ違ってしまったんだ、どれだけの人の喜びに水を差してしまったんだと考えると、クラクラと眩暈がします。

ベースとドラムが入り曲は一気にマイナー調へ、玉置さん得意のF♯mからF♯m7に半音ずつ落としてゆく泣きパターン、「ほら」と言っているように聴こえますが、アンディ・ラウは「oh why」ですね。この場合どっちでも意味の通りがよくない気がしますが、そのせいか歌詞カードにはこの箇所の記載がありません。気になる!(笑)。「きゅっ!きゅっ!」とギターがスネアを助けるように鳴ります。「あー」というコーラスが派手に聴こえるくらい、アレンジはシンプルです。歌詞の内容は、aibo相棒に後日談を問う内容です。でも別に、相棒があれから何してたかなんて、きっとどうでもいいんです。泣いたりしてないことがわかりさえすれば。だから、何してた?と尋ねつつも、寂しくはなかったんだね、それだけ知りたかったんだ、よかったよ。と返すという、実にシンプルな心の交流がこれだけで描かれています。実際に問うてみたら、泣くわけないじゃんかこっちゃ大人だぜときっと返すでしょう。でも、泣いてはいなくてもきっと泣いてるんですよ。いや泣いてないんですけど。なんというか、泣いてなくても泣き顔が見えるんです、想像できちゃうんです、相棒だから。それが心配で悲しくて、「泣いたりしてないよね」と実際には問わずとも、ふと思われるのです。

曲はまたパン…パパ・パン…パン……いつものパターンといやそうなんですが、一番にはなかったドラムとベースが二番からは入ります。エレキギターも遊び心あるフレーズを入れてきます。そして歌詞は、かつての思い出を語り合うイメージで展開します。寝るところなんで気にしないでずっと一緒に遊びまわっていた日々、それは「元気な町」よりももう少し年齢が上の段階で経験した日々でしょう。それこそ10代後半とか20代前半とか……相棒をみつけるというより、自然に相棒になったというのが近いですよね。そうしたくてたまんないんです。ずっと一緒にいる。へたすれば一緒に住んでる。それくらい行動を共にする相棒というのは有難いものです。当時はそれが当たり前で、へたすればたまに鬱陶しいくらいの気持ちでしたが、どこかの段階でそんな日々は終わりになります、誰もがいずれは若者であり続けることを諦めて自分の道を行き、自分の家庭を築いていかなくてはならないからです。職場でいうと下っ端でいることを諦めてなんらかの役職と責任を引き受けなくてはなりません。それはかつての「相棒」が自然に相棒になったのと同じくらい自然なことなのです。

そんなあるとき、かつての「相棒」を思い出します。「あのとき……(僕たちは)なにみてた」んだろう?一緒にいたんだから同じものを見てたんだろうし、もちろんそんなこと疑ったこともなかった。だけど、もしかして違うものを見ていたのかもしれない……。そんなことを、役割も責任も負ってしばらく突っ走ったあとに、ふと思うのです。そして、いまどうしてるだろう、これまでどうしてきたんだろうと、心配するんです。これはせつない!もちろん一方的に心配しているだけですし返答もないでしょうから、ネル・ノディングスにいわせればこれはケアが成立していません(笑)。ですが、大人だってかつては若者、子どもだったのですから、若いときのことを思い出すに決まっているのです。そしてひととき若いときの感傷に酔うこともあるのです。こんな単純なことを、若いと想像できないんですよね、経験がないことというのは想像しにくいし、腑に落ちにくいものですから。だから、この歌詞の世界はある程度経験がないとわかりにくいでしょう。でもまあ、そんなこと言ったら安全地帯の時だって40万もの人みんながみんなああいう熱愛の経験があってわかるわかるキャー最高!って言っていたわけじゃないですから、あまり気にしないで楽しむのが吉でしょう(笑)。同じ理屈で「Eleanor Rigby」なんて共感できる年齢になるまであと何十年かかるかわかったもんじゃなかったのに、あれは各国で一位(アメリカ除く)ですもんね。

そして派手な音でギターソロが「いなくても」の「くても」にかぶって始まります。音はハモリで派手なんですがフレーズはごくごくシンプル、工夫がないといってもいいくらいです。でも最高に泣けます。自分の相棒と合わせて弾いたら以心伝心でハモっちゃったような気さえします、そんな一瞬の奇跡を描いたの如く間奏はすぐに終わり、また歌が始まります。

余談ですが、玉置さんソロでは間奏の終わり際にエフェクトシンバルを「カシ!」と入れる癖があります。癖といって悪ければ様式です。それくらいほかの曲でもよくあることなのですが、これはわたくしも受け継いでおります、勝手に(笑)。ドラムのフレーズは田中さんを参考にすることが多いのですが、玉置さんの入れるこういうアクセントも好きなんです。

そして歌は「これから」を案じていきます。自分だって自分の道を行くのですし、他人の人生まで背負ってられませんから、案じるだけなのですが……その案じるだけのことがどれだけ尊いか……「泣いたりしてないよね」と「ねー」をオクターブ上げするこの驚異の表現力……めちゃくちゃ案じてる!だけど案じるだけだ!でもそれで精一杯なんだ!それが尊い!と叩き込まれる気さえします。そして曲はメインテーマを繰り返しフェイドアウトなく終わっていきます。

これが、わたしが経験してきたことから想像できる「aibo」の世界なのですが……世の中にはもっと違った「aibo」の世界了解があるのでしょう。それこそ玉置さんと矢萩さん、玉置さんと武沢さん、矢萩さんと武沢さん、田中さんと六土さん、玉置さんと田中さん……「あぶない刑事」「加トちゃんケンちゃん」みたいな相棒もあるでしょう。ショーケンと乾、でなくて水谷、水谷ともっと若い人たちが演じた「aibo」もあることでしょう。わたくしなんてドライすぎるのかもしれませんから、ぜひいろいろな「aibo」の解釈が百花繚乱になってほしいもんだなと思います。だって、この曲埋もれすぎですもん。それこそ「メロディー」に匹敵する名曲だと思いますよ。

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2023年11月11日

ジェスチャー

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玉置浩二『ニセモノ』四曲目、「ジェスチャー」です。

ブブ!ブブブブブブブ……とギターの低音弦を使ったであろうリフと呼ぶべきかどうかも悩むような単調な繰り返しが始終鳴っています。たしかに心地よいんですが、なんとこれに「ギャーン!ギャギャ!ギャーン」というストロークでアクセントを入れる、基本的にはだたそれだけのアイデアで一曲突っ走ってしまうのです。玉置さんあなたどれだけ思い切りがいいんですか!ホントにこれだけでいいのか?と不安になっていろいろ付け加えてしまって曲を台無しにしてしまうのが一般的であるし、一般的すぎてそれがダメになっていると気がつかないケースこそが99パーセントのJ-POPだと、見事に曲で示してしまっています。素材がよければそれだけで勝負できるという、安全地帯初期からチラホラと垣間見えていた玉置さんの曲作りに対する心構えが貫徹された結果であるといえるでしょう。いやじつに爽快です。

そのブブンブブブブブ……にあわせて玉置さんのボーカルが「いつもの〜」を繰り返します。「ギャンギャーン!ギャギャ!ギャーン」には「大丈夫」「問だーいなーい」「ぜーんぜんしんぱいなーい」と、「アーイ」と「〇ン、〇、〇ンアイアーイ」を繰り返す仕掛けになっているわけです。よって、歌詞の意味自体はそこまで重視されておらず、リズム・ライム最優先の制作姿勢で作られたことがうかがえます。したがって「ジェスチャー」という言葉の選択にもそこまで深い意味はないだろうとわたくし考えております。

ただし、トータルには玉置さんからのやさしいメッセージがよく感じられる歌詞です。よくできているなあ……なんて偉そうな態度で鑑賞しては申し訳ないのですが、よくできています。このころの玉置さんは歌詞ばっかり考えていたそうで、こういうノリ重視で物語構築に難のある曲でも、歌詞全体をみれば強いメッセージを感じられるように考えてお作りになっていたのだと思われます。「フリフリ」なんて全く意味はないですもん。そこは歌詞カードで渦巻き状に歌詞を掲載するという離れ業を使うことによって「フリフリ」の連呼にこういう包み込むような、泣いている赤ちゃんをあやすような、そういうやさしい意味を付加することに成功しているように思われます。包み込むんでなくて玉置ワールドに引きずり込まれているんじゃないのといえなくもありません(ギャバンの魔空空間)。

いつものメンバー、いつものスタイル、ゲームが台無しになったりそれでもバッチリだったりしても、全く問題ない!心配ない!だって僕たちはいつものジェスチャーで以心伝心、おたがい何を望んでいるかわかっているんだからさ!だからなんだっていいんだよ……ああ、ここでまた、このアルバムが当初安全地帯でレコーディングされていたという事実が重くのしかかってきました。気心知れた、知りすぎたメンバーで、バッチリだ!大丈夫だよ問題ないよ……問題あったのです。バッチリじゃなかったのです。玉置さんはきっとニコニコとメンバーを励ましながら、ストレスを溜めていったのだと推測されます。なんか違うんだよな……でもニコニコ!ん?浩二どうかした?もう一回やろうか?いや大丈夫大丈夫、大丈夫だよ……と。これはどうしたって仕方ないのです。だって玉置さんは軽井沢ノリ全開になっていましたが、他のメンバーはそうじゃないからです。

プレイヤーには癖ってものがあります。たとえばわたくしですと、ピッキングの前にちょっと空振りして勢いをつける癖があります。これをやると、ほんの僅かですが最初のアタックが遅れます。ですからそれを補正するためにちょっと前のめりでピッキングする癖がついています。これは機械で演奏するようなジャストタイミングからは本当に僅かなんですが(波形を見てもほとんどわからないけど、人間なら気がつく人は気がつくってくらい)ズレるんです。もちろんレコーディングではそれをしないように気をつけて弾きますし、普段からその癖を矯正するように心がけてトレーニングもしているんですが、それでも少しは録音された音源には痕跡が残るんです。たぶん自分でないと気がつかないレベルの痕跡なんですが……こういうものが積み重なって、その人の音というものは出来ています。これは普段から合わせて演奏していると、おたがいに矯正したり補ったり、あるいはその癖を活かしたタイミングで全体が動いたりと、いろいろな作用が働いてバンドの音というものが出来ていくのです。名手である矢萩さん六土さん田中さん、そしてもちろん玉置さん自身にもこういう癖はあるのでしょう。それ自体はむしろ味ってもんですから否定されるべきものではありませんし、これを否定するなら音楽なんてやらないほうがいいです。それこそ現代の流行歌みたいに下手すれば機械に演奏させて機械を人間がコピーするような技量を発揮して演奏し、歌も機械でしかできないようなムチャクチャな譜割の細かさと音程の上下で歌えるようにトレーニングして歌っていればいいじゃないですか。やや、いつのまにか現代流行歌への文句になっていますが(笑)、ともあれこのとき、武沢さんを除く安全地帯はこのバンドとしての音を形成できずに終わったのです。玉置さんのソロ歴の長さ、そして特定のごく少人数(二人とか)で音を作って形成された軽井沢ノリになっていた影響がここにモロに出てしまったんじゃないか……と思われるのです。いわば、機械とは対極にある玉置さんや安全地帯だったからこそこうなったわけなのでしょう。

さてそんな人間、天才超人玉置さんは、シンセサイザーでやればいいものを、いろいろな工夫で不思議な仕掛けを曲に忍ばせています。イントロのパーカッションからして正体不明な音がかなり使用されています。キットカットの箱?ダンボール?いやそんな音じゃないだろ?ってやったことないからわからないんですが、聞いたことない打楽器の音が右から左から響いてきて、感じたことのない感覚にフワフワと浮遊感すら感じるほどです。そして「ブブブブブブ……」が入って、ようやく玉置さんの声という聴きなれた音が入ります。「大丈夫」前後からベースや通常のドラムセットが入って本当に安心させられます。「いつものジェスチャーだーい」と、この「だーい」が安全地帯や玉置ソロの盛り上がっていたころを彷彿とさせます。音は激しくダイナミックなのにむしろホッとさせられるという不思議な逆転現象です。

曲はまた「ブブブブブブブ」で二番に入ります。今後はドラムがずっと入っていて一安心なわけですが、なんだか危なっかしいリズムと音で、別な意味で心配になります(笑)。よくよく聴くと一定さってものがあまり重視されていない感じなんです。もしかしたらこれが玉置さんのわかりやすい癖のひとつなのかもしれませんが、ここを田中さんが叩くと鋭すぎてこの感じが出ないかもしれません。そして二番は「だーい」ツタ!(ズシャーアアアン!)と大音量で最高に盛り上がる間奏が予想されて終わるんですが、この間奏というのがものすごい肩透かしという不思議な構成になっています。アコギとエレキで「トルルルーンルーンルトルルルー」となんだかスケールを単純になぞりましたって感じのギターソロ、それに続けて「キューン……キュンキュンキュン……」と玉置さんがストラトキャスターのブリッジをグリグリと押し付けて出したような無音階に近い音が響くばかりです。『CAFE JAPAN』くらいから散見されてきましたが、玉置さんはこういう、ギタリスト的には到底思い切れないくらいシンプルで奇妙なギターソロを用いることがあります。違うだろここは泣きのメロディだろ!と思うのはもちろんわたくしの勝手だし、それもずいぶん浅はかな発想なのでしょう。

さてソロが終わりまして、「☆身近な武器☆」という謎の言葉と「☆フリフリ☆」「☆素晴らしい☆」を裏で繰り返すという、常人には到底思いつかない声の楽器化によるリフを炸裂させます。もちろん『カリント工場の煙突の上に』における「家族」ですでに派手に使われた技であって、その後も散見されるわけなんですが、この箇所はメインの歌も「大丈夫」「問題ない」「もうぜんぜん心配ない」がひたすら繰り返されるだけで、どっちが楽器化されてるんだか、メインなんだかサブなんだかわからないという仕掛けが施されています。「バッチリだ」がわざわざ一か所だけ太字で書かれていて「キュルキュルキュルキュル」と目の覚めるようなギターが挿入されるなど、凝り方が尋常じゃありません。これだけ凝った励ましソングはそうそうお目にはかかれないことでしょう。そして励ましは明確には終わる様子を見せることなくフェイドアウトしていきます。

曲の骨格アイデア自体はごくごくシンプルな一発勝負、だけれども凝った仕掛けが施されていて容易にはその正体をつかんだ気になれない、この時期の玉置さんに特徴的なロックだと思います。『JUNK LAND』よりシンプルでリラックスしているけれども、そのリラックスしたぶん遊び心が感じられるという、絶妙さのよく感じられる曲だといえるでしょう。

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2023年11月05日

ターンテーブル

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玉置浩二『ニセモノ』三曲目、「ターンテーブル」です。

「roop rhythm by CARLOS KANNO & YUJI TANAKA」とのクレジットがあります。お二方の担当まではわかりませんが、冒頭からずっと鳴っているパーカッションをこのお二人が演奏したものをループ再生して使ったということなのでしょう。安全地帯としてレコーディングをはじめたこのアルバム、いろんな事情なり拘りなりがあって全部玉置さんが録りなおしたというのは有名な話ですが、こうして残っている部分もあったのか、とちょっと安心させられます。まあ、もしわたしが田中さんの立場ならブチギレしますけども(笑)。でもまあ、「ただドラムとベースが、今それぞれ音楽じゃない仕事をやっているので、様子を見ているところですね。それを辞めさせてまたこっちに来いっていうほどのものかね?っていうような感じですね。それは迷っているところです」(「玉置浩二3万字インタビュー本文」より)なんて玉置さんが言っていたものですから、思い切れないところがあったのだと思います。

これは玉置さんがお二人の演奏に納得いかなかったということでもあるわけなのですが、それはある意味当たりまえで、お二人ともツアーメンバーはおやりになっていたにしても、『GRAND LOVE』以降の軽井沢ノリにはまだ適応できていなかった可能性が高かったわけですから。同じインタビュー内で、『スペード』がほんらいの安全地帯がやるべきことだったと感じているとおっしゃっていましたので、この軽井沢ノリをこそ安全地帯のメンバーで演奏すべきだと玉置さんは思っていたことは間違いないでしょう。それで、実際やってみたら何かが違う。違っていて当たり前です。玉置さん安藤さんが作り上げた軽井沢ノリを形成する過程に安全地帯のメンバーは関与していなかったのですから。じゃあ残っている矢萩さんはなんなのよと思わなくもないですが、矢萩さんは異様に玉置さんとのシンクロ能力が高かったのでしょう。なんにせよ、思っていたサウンドとは違っていたのです。強引にそのまま安全地帯で突っ走ることは出来たでしょう。ですが、六土さんと田中さんはすでに音楽でないことを生業として生活を成立させていますし、武沢さんとはまだ仲直りも済んでいないわけですからここで安全地帯再開は明らかにフライングですし、そんな状態でお二人を玉置さんの思い通りに動かそうとするには思い切れなかったわけです。これはオトナなら当然の戸惑い、躊躇というもんでしょう。

さてアコギで軽く刻みつつ、玉置さんが囁くような声で歌い始めます。すわろうとしたのは、椅子がそこにあったから。なんとしなやかな思考!「あっ椅子があるから座ろう」なんて思いませんよ。座りたい、座ろうという意思があってそこにたまたま椅子があったのでなければ。人間というものは自由意志などをもっているのではなく環境のなかにあって原因結果の枠組みで行為しているにすぎないのだ……という深遠なる思想にしばし浸らされることになります。単に移り気とも呼びます(笑)。そんな心にうつりゆくよしなごとを独白のように、だがしかし「ちょっと」「ちゃんと」と確実にリズムを伴って少しずつ盛り上げていきます。

ハモリのコーラスを入れて独白は続きます。地球が回ること、それは一見時間が流れてゆくことと同じです。時間を「流れ」に喩えることは、時間が未来からやってきて過去へと去るもの、なんらか直線上にあるものだという理解があるからなのですが、じつはそういう理解は適当ではなく、いつだって「いま」しかないのですし、積み重ねることが出来るものではなく、そして動くものでもありません。現代ではわたしたちは音楽を聴くのだって直線の再生位置を示すバーを見ながら聴いてますから音楽を「位置」や「量」だと思っているフシがありますが、その位置や量はいくらいじってみても「音」にはなりません。時計をいくらグルグル回してみても気温や明るさやそのときの気持ちが再現されるわけではないことから明らかであるように、時間はいくら頭をひねって考えてみても位置や量といった空間的なものに変換できないのです。ですから地球がいくら早く回ったってそれは時間を左右するものなどではなく、ただ私たちはそれを時間の目安として利用しているにすぎません。だからこそ地球がいくら回ろうとわたしたちは回ってなどおらず、それとは無関係に歳をとっていきます。回ってなどいないのに迷ったりフラフラしたりしてはいますから「目が回っているみたい」な錯覚に襲われるのです。こっちまでちょっとクラクラしますね。

ベースとドラム、エレキギターが入り、「ビルのおーくじょーうにいいい」「まいおりーてーきたああ」と信じられないところで言葉を伸ばすスペシャルな活舌とそれを導くリズム感、そして神様がさみしそうに、きっと回っている地球を「ターンテーブル」にみたてて、そしてその上で迷ったりフラフラしたりしているわたしたちを眼下に見下ろして孤独に踊るというシュールな想像が混然一体となって、わたしたちに一種の快感をもららします。音楽によって得られる快感であることには違いないのですが、それこそシュールレアリスム絵画、とりわけジョルジュ・デ・キリコを観たときのように不安な想像をかきたてられることによって得られる興奮に似ています。

そして曲は二番に入ります。エレキギターが加わって不安さが増しています。次の『スペード』もそうなんですが、この時期の玉置さんの作品が玉置浩二・安全地帯ファンの間でも評価が分かれがちであるのは、この不安さに原因があるんじゃないかと思います。そりゃ好きこのんで不安さにシンクロしたい人なんてそんなにたくさんはいないでしょう。あのドン底の時代に玉置浩二の音楽を愛しすぎるがゆえにハマりこんでしまった迷宮のようなものです。Wikipediaによれば売り上げは3.7万枚、まさに惨敗です。『安全地帯BEST I LOVE YOUからはじめよう』の十分の一程度にすぎません。ですから、ものすごく乱暴にいえば、あの熱狂から十人に一人しか迷宮には残らなかったわけです。ここにおいてなんの遠慮がありましょう、殿!思う存分やっちゃってください!われら殿と命運をともにさせていただきます!という気分でした(笑)。ライオンがそこにいたから身を投げ出しただけ、なんて理解できなくて当たり前です。奇しくも須藤さんが玉置さんを猛獣、ライオンに喩えたこと、後年に「Lion」というシングルが出たこと、これらから得られる玉置さんのイメージはライオンなのです。これは猛獣が猛獣に絡んだということでしかありません。猛獣同士、友達になろうよと挨拶をしたわけなのです。

おそらくは猛獣同士ハイパワーでじゃれ合っているうちに殺し合いになり、アスファルトの染みに化けちゃったのでしょうけども、二匹の猛獣は楽しかったのでしょう。そこには確かに「夢」があったのです。「アスファルトーのーすみにいいい」「夢がしみーつーいてえええ」とまたメロウなメロディにとんでもないリズムと活舌、そしてアスファルトですから当然踏まれっぱなしになる夢、すすり泣きする夢、その上にさらに神様が踊っているという、絵にも描けそうにない光景のシュールさにホレボレとさせられます。

ここで安藤さんのエレピが鳴っていたことに気がつきます。エレピによるリードで展開が変わり、さらにメロウ、さらにメロディアスな歌にしばしボヤっとさせられます。そうだそうだ、待っていたんだこれを……歌の内容は敗色濃厚のダークなものなんですが(笑)、それでも希望があります。「投げ出す勇気」「踏み出す勇気」がほしい、それさえあれば勝ち目のないゲームはまだまだわからない……このとき玉置さんはかりそめの安全地帯復活という大博打を打てませんでした。でもそれはゲームを捨てたわけじゃないのです。かりそめでなく、武沢さんも松井さんもいっしょに、次こそは……と決意を込めた「待ち」であったのでしょう。

ループと口笛と、そしてガットギターによるもの悲しいソロ、「かみさまが」「さみしそうに」「おどって」というスキャット的な途切れ途切れの歌……「ターンテーブル」ですから、またチャンスは巡ってくるのだと信じて見送った……だって神様はまだ踊っているんだから、まだ回っているんです。

さて、なんのかんのと二か月?三か月?くらいろくに更新できませんでしたが、そろそろ再開したいなあと思います。ラストスパート的にこの連休もいろいろやることがあって、PCの前にゆっくり座るのも久しぶりでした。参っちゃいますね。本業だけでも気が遠くなるのに、そこに家庭やら町内会やらの色々が重なって、今月も週末のスケジュールが真っ黒なもので、じわじわと再開して参りたいと思う次第であります。

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posted by toba2016 at 15:06| Comment(8) | TrackBack(0) | ニセモノ