アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2023年01月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
太陽になる時が来たんだ by トバ (04/26)
太陽になる時が来たんだ by ちゃちゃ丸 (04/26)
太陽になる時が来たんだ by トバ (04/25)
太陽になる時が来たんだ by よし (04/25)
FIRST LOVE TWICE by トバ (04/14)
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
toba2016さんの画像
toba2016
安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
プロフィール

2023年01月28日

我が愛しのフラッグ(Instrumental)


玉置浩二『JUNK LAND』八曲目、「我が愛しのフラッグ(Instrumental)」です。

ボロロロロン!とナイスすぎる弦の響きとハーモニクス、なにやら高音の声系シンセ、そしてピアノと(おそらくエレキ)ギターの単音弾きが絡み合ってメインメロディーを、そしてなにやら尺八のような笛の音がオブリを担当し紡がれてゆくインスト曲です。この曲もベースは須藤さんが弾いているとクレジットされていますが、かなり控えめな音で、注意していないと気づきにくいです。

「フラッグ」は十三曲目の「チャチ」と同じく、当時亡くなってしまった愛猫の名前だとどこかで読んだのですが、もうソースは忘れてしまいました。曲の最後にウインドチャイム、セミの鳴き声が入ってそれに重ねて猫の鳴き声、猫鈴の音が入っているのですが、当時のわたくしにはその意図はわかりませんでした。なにしろ玉置さんが猫好きであることすら知らなかったのですから、これはわたくし相当の情報弱者と言わなくてはなりません。

そしてわたくし、猫どころか生き物を飼ったことがありませんのでその生態はわからないのです。ですから、この玉置さんの「我が愛しのフラッグ(Instrumental)」から想像したいと思います。

夏の日、爽やかな風が吹き込む縁側のある部屋で麦茶なんか飲んでいます。猫は縁側に寝そべったり、そこが暑くなるとちょっと涼しい場所に移動してまた寝そべったりしています。きまぐれな猫の思惑はわかりませんが、敵意がないこと、自分にとって快適であることを最優先に行動していること、とつぜん飛び掛かってきて麦茶を倒すようなことはしないこと、つまり飼い主の生活を脅かす意図はないこと、これらは確実であり、一緒にゆっくり過ごすことのできる生き物です。この曲がピアノを中心にして、ギターがそれに気まぐれに合わせてみたり外れてみたりすること、それでも曲としての調和を見事に保っていることからそのように推察できるわけです。ええ、これは名探偵ホームズが落ちていた帽子からその持ち主を「知性のすぐれた人物だ、容積の問題だよ。こんなに頭の大きな人物なら脳も発達しているに違いない」などと推理したくらい無茶です(笑)。

無茶なんですが、結構こうした推理は当たるものでして、玉置さんは猫たちを愛し、きまぐれな猫たちもその愛に答え疲れた玉置さんの心身を癒していたのでしょう。この曲には修羅場のシュの字も感じられません。ただひたすらに心地よく、ひたすらにゆっくりと、ひたすらに自由でありながら全体の調和を崩すことがありません。毎日スタジオに通ってレコーディングし、何か月もツアーに行く玉置さん、その間猫の世話はどうしていたのかはともかく、帰ってきた玉置さんをいつでも自然に迎え、日常をキープさせてくれる存在であったことは想像というか推理に難くないのです。肩の凝らない家族みたいなものです。

データ販売でなくCDをお買いになったかたは、歌詞カードの中に玉置さんと猫のツーショットが三枚含まれていたことにお気づきになられたことと思います。これらの猫ちゃんに「フラッグ」と「チャチ」は含まれていたのでしょうか……何しろ亡くなったとどこかで読んた記憶がありますから、なんともいえないのです。写真は全部で12枚、そのうち三枚が猫ちゃんです。ほかに、ツアーメンバー、野球のユニフォームを来た八人(九人じゃない?)、卓の前のエンジニアらしき人たち、ストリングスのみなさん、パーカッションを叩く玉置さんなどなどの写真に加え、武沢さんを除く安全地帯の四人で撮った写真もあります。どれもこれも、90年代の風景で、わたくし縁もゆかりもないのに、なぜかとても懐かしくなって涙が出てきます……。

猫は平均で十数年を生きます。ですから、フラッグとチャチは80年代から生きて、そしてそのうち何年かを玉置さんとともに暮らし、玉置さんを支えていたのでしょう。ですから、わたしたちはフラッグとチャチに感謝すべきなんです。素晴らしい音楽を届けてくれる玉置さんを支えてくれてありがとうと。玉置さんもそうした感謝の気持ち、惜別の気持ちをもって、この曲を作り、そしてその名前を曲名に残したのだと思われるのです。

いま気づきましたが、こんなこと書いてしまって「おやすみチャチ」の記事では何を書けばいいんだ!(笑)相変わらず後先考えないバカなのでした。

JUNK LAND [ 玉置浩二 ]

価格:2,759円
(2023/1/28 10:47時点)
感想(1件)



Listen on Apple Music
posted by toba2016 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | JUNK LAND

2023年01月21日

スイスイ


玉置浩二『JUNK LAND』七曲目、「スイスイ」です。

前曲「ラストショー」が終わり、静粛なアフターショー、突如明るいハーモニカの音が響き渡ります。「Yeah」とルーズに玉置さんが言ったかと思うと、突如曲は始まります。パーカッションとアコギのストロークで軽快です。Bメロからはエレキギターのカッティングとホンキートンクなピアノがはいり、さらに軽快、そしてサビでドラムが入り、大合唱の「スイー」で合いの手が入ります。曲はこれを二回繰り返し、アウトロだけなんだかチューニングが合ってないんじゃないのってギターが響いたかと思うと、突如これまでとコードを変えて「暇がない」と連呼し、ふたたびハモニカが響き終わっていくのです。なんという聴きやすいシンプルでノリノリの曲だ!もっと凝るだろ!凝ってドンドン軽快さをダメにしちゃうだろ!なんでこんなに絶妙なんだよ!いま思えば『CAFE JAPAN』の曲たちはここの段階からさらに練り上げて迫力や完成度は上がっているものの、そのぶん軽快さを犠牲にしてしまったんじゃないかと思われる曲が含まれていました。『JUNK LAND』は「デモテープのまま」という玉置さんですが(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、デモテープのままにしたからこそこの曲はこんなにもさわやかなんじゃないかと思えてきます。

さて実はこの曲、わたくし玉置ソロでトップ3に入る好きな曲なのです。上述のように軽快さが一番搾りのまま楽しめる曲であることに加え、青年期から壮年期にいたるわたくしの人生を描いてくれたんじゃないかってくらいシンクロ率が高く、そしてそれがおそらく玉置さんの人生と重なっているんじゃないかなどと、玉置さんからすればキモいことこの上ないことを感じさせてくれる曲なのです。玉置ファンでよかった……と、何十年も思わせてくれる曲なんですよ、そんな曲作ってくれるミュージシャンほかにいませんよ、少なくとも知りませんよ……きっと「田園」や「メロディー」、そして「MR.LONELY」「しあわせのランプ」でそのようにお感じになった方も多いかと推察されるのですが、わたくしにとってはこの「スイスイ」こそがそんなズバリ曲なのです。

アズテック・カメラがヴァンヘイレンの「JUMP」をアコギ弾き語りでカバーするという大事件が1984年にあったのですが、1997年当時のわたくし、まさにそんな気分、〇室プロデュースとか渋〇系とかナメてんのか!と相変わらずオリコンチャートとカラオケと有線に底知れぬ怒りを燃やしておりました。やれやれこんな曲がヒットするなんて世も末だぜとヤサグレていたのです。聴きたくなくても聴こえてくるんですよ当時の曲ってのは……暴力的に聴かせてきますので、うかつに店でウドンも食ってられないのです。ちなみにわたくしヴァン・ヘイレンけっこう好きなんでその所業に怒ってもいいんですが(笑)、アズテック・カメラさんの怒りというかメジャーチャートに対するシラケぶりもよくわかるのです。

さて一番は、多忙な男の独白です。多忙なのは仕事だったりプライベートだったりで用事がギチギチに詰まっているからなのです。「びっしりぎっしりつまって」「いっさいはがされたって言って」と「っ」を活かしたリズムで一気に歌い切ります。このリズム感!言葉のセンス!活舌!ホレボレしますね。わたくしたくさん練習しましたけども、なかなか同じノリは出ません。アコギで弾き語りしようとするとなおさらです。大好きな曲なのに人前で披露するに値する腕前にならないのです。それ以前にわたくし歌わないほうが人類のため(*)なんですが。

(*注)いかりや長介『だめだこりゃ』で、2022年10月にお亡くなりになられた仲本工事さんのことを、歌わないほうが人類のためだといかりやさんが書いていたのですが、それはもちろんいかりやさん一流のジョークで、ドリフターズのリードボーカルを一人選べといわれたら仲本さんだったのは、いかりやさんも認めるところだと思います。仲本さん、どうか安らかにお休みください。

そんなわけでして、「お人好し」と二番に書かれているこの人物、いろんな人から寄りかかられてアップアップしています。仕方ありません、世の中仕事はできる人やれる人に回ってくるものなのです。ろくに仕事をしないくせに自分は潤滑油だとか縁の下の力持ちだとか寝言を言っている人は一定数いるのですが、たのむから潤滑油も縁の下の力持ちも片手間でやってくれ、それで仕事をしている顔をしないでくれと言いたくなります。玉置さんはそんなイヤな感情をあまり持たない人らしく、それでも「大丈夫だよ」って笑ってるタイプの人であるようです。これは自称潤滑油や縁の下の力持ちに骨までしゃぶられること必至です。

いるだろう?そんなやつ?と問いかけ最後にそれは自分だといい、さらに意外なフリをするという、言いかたによっては回りくどい嫌味か!と思わなくもないんですが、玉置さんだと悪気が全然ないことが明らかなので許せちゃう、むしろいつもありがとうと感謝したくなるという清々しさがにじみ出ています。「いるだろう」に続けて「そんなやつ」「友達かい」「ひとりぐらい」「俺かい」と、畳みかけるこの歌、一発で精神の内奥にまで突き刺さり、ずっとずっと頭の中で反芻されます。そしてその一生懸命さと邪気のなさ、公共の福祉を絵にかいたような存在である玉置さんの奮闘ぶりがジワジワと全身に浸透してくるのです。気がつけばこの歌にゾッコン、「おれだーよ!」と口ずさむようになります。みんなを支えているのが自分なんだと叫ぶ快感も相まって、もうこの歌を聴かずには眠れなくなってゆきます(笑)。

そしてブレイクが入りあの娘のために裸になります。「スイー(スイー!)スイー(スイー!)およーいでいって〜」と「ええじゃないか」踊りの時代から日本人の心身に染みついたようなリズム、呼吸で掛け合いが起こります。そして人波に流され溺れそうになっているあの娘を助けるというヒロイックな行為をしている気分を盛り上げてくれます。そうだおれはあの娘のために裸一貫で、どんなに大波だろうが大風だろうが構わず飛び込んで、一目散に助けに行くんだ……実際には部署の残り全員を食わせているだけなんですが(笑)、そんな悲哀が吹き飛ぶほどのヒーローぶりです。

二番も「正真正銘ニッポン人」と天才的なリズムとワードセンス、活舌です。たぐいまれな「き」てんけいて「き」なんてシビれるほどにハマっています。ここにきて、玉置さんの歌詞はわたくしの中で完全に松井さん須藤さんと対等に並び立つ地位を占めました。これまでは松井さん須藤さんの世界に完全に酔いしれ、玉置さんの世界にはハマり切れない感覚があったのですが、この曲あたりをターニングポイントとして、玉置さんの世界に浸りたい!という感情が抑えきれなくなっていきます。いったんこの境地に達してはじめて、それまでなんとなく稚拙に思われていた玉置さん作詞の過去作にもその凄みを見いだすことができるようになったのです。覚えたいですもん!歌詞!この「スイスイ」は、「」「終わらない夏」のときのように歌詞をノートに何回も書いて覚えたい!そんな気持ちにさせてくれた最初の玉置さん作詞の曲なのです。

ところで、わたくしまごうことなき正真正銘ニッポン人なんですが(大和時代とかになるとわかりませんが)、北海道人ですのでちょっとドライなところがあるのかもしれません。北海道はアメリカみたいなもので、みんな先祖代々住んでいませんし、いろんな文化が混ざり合って暮らしていますから、ちょっと道外の人とは感覚が異なるところがあるのかもしれません。ですが、日本の義務教育を修了していますし、テレビも雑誌もみんな日本のもので育ってきていますから、根のマインドは完全に日本人です。それは玉置さんも同様でして、本州に来てからはちょっとずつの違和感を抱えながら暮らし続けることになるのです。あ、そうそう「平和な田舎者」ですよわたくし!(笑)風来坊ではないと思いますが、北海道人ですからここに骨を埋めるとかそういうウェットな気持ちはあんまり持っていませんので、どこか風まかせなところもあるでしょう。

さて今度は「誰かのため」に裸になります。誰なのかわからなくてもいいんです。世知辛い世の中でつらい気持ちになっている人を元気づけるためなら一肌脱いで、輪になって、パアーッとやりますよ!誰がつらくて誰が元気づけられているのかわかりませんけども、そしてカラ騒ぎにウンザリしている人がいるのかもわかりませんが、いいよいいよ、後から悪くなかったなあくらいに思ってくれれば!と鷹揚な気持ちで音頭をとるのです。

「かっこつけてた頃のあの頃のオレ」は、完全に自分のことをミュージシャンとしか思っていなかった痛い中高生時代のわたくしとかでなく(笑)、みんなが一番喜んでくれていたころの自分なのです。玉置さんですとそれこそワインレッド時代かもしれません。わたくしにも音楽関係ではありませんがそんな気分になる時代がそこそこありました。わたくしの場合、こんなこと続けていたら早死にするとわかりましたのでだいぶ前に思い切って転身したのですが、いまでもその頃の自分を取り戻すことで喜んでくれる人たちがいるのです。だから、いまだけは、ちょっとだけはあの頃のオレでいこう……と気分はやや重くなりつつも、それでも全盛期であったのは間違いないのですからちょっとだけうれしい(笑)気分で、自分を奮い立たせてあの頃の足取りで仕事場に向かうのです。玉置さんも「ワインレッドの心」とか「悲しみにさよなら」とかを歌うと喜んでくれるファンたちの前で、ちょっとだけ80年代の玉置さんに戻ってくれるのでしょう。

コードを変えて暇がない……暇がない……暇がない……とアウトロに入ります。そりゃ暇なんかありませんよ、あの頃のオレはいまの自分じゃないのに演じてるんですもん、人のために。そりゃ時間も労力も食われるってもんです。そんなことしないで傍観してりゃいいのに、助けちゃうんですね。お人好しのニッポン人、田舎者ですから。自分が食われていることも半ばわかっています。でも、ちょっと思い切ればできることをしないせいで人が苦しむのはイヤなんです。自分がちょっとムリをして苦しんだほうがマシなんです……。そんな心情を、玉置さんが似たような心境でこの曲を作り、歌っているんだと勝手に想像して重ねて、感動するのです。

人は大人になる際に、自分だけを中心としてみるような生き方をどこかで転換します。子どもが死ぬくらいなら自分が死んだほうがいいくらいに思えて初めて親として一人前であるのに似て、自分が一番活躍できることを喜んでいた時代を過ぎていつか、あの娘のため、誰かのためになるのなら敢えて痛いころの自分さえ取り戻してもいいと思えて初めて人は一人前なのかもしれません。自分だけのことを考えれば、利確して消耗を防げばいいんです。ですが、それなら始めから何もしなければいいと気がついてしまうんですね……それでは何のために生きているのかよくわからないです。人間は、生まれた原因はハッキリしていますが、生まれる理由や目的はありません。そして生きていく目的や理由は自分で見つけるものです。被害に遭わないこと、生命を維持することのために生きているのか?違うだろう?ならば、どんなに損な気がしたってそれ以外のことを全力でやるしかないだろう?そしてあの娘や誰かが助かるんなら、喜ぶんなら、おれの人生それで上等じゃないか!こうして自分をミュージシャンだとしか思っていなかった北海道生まれの少年は大人になります。書くとあっというまですが、実際にはこう思い切るまでに10年単位で時間をかけているのです。「スイスイ」はその過程に寄り添ってくれた名曲ですし、それを作ってくれた玉置さんは人生の師といってもいいのです。

JUNK LAND [ 玉置浩二 ]

価格:2,640円
(2023/1/15 12:15時点)
感想(1件)



Listen on Apple Music
posted by toba2016 at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | JUNK LAND

2023年01月14日

ラストショー


玉置浩二『JUNK LAND』六曲目「ラストショー」です。このアルバムで初めて出会うバラードですね。

なにやらカラカラカラと、洋食屋のドアについた鐘のような音が鳴り響きます。そしてピアノの単音リフ……曲を通して断続、表になったり裏になったりとリズムが曲とは無関係に鳴っている感じのするこの無機質なリフが、本当に効いています。そしてガットギターでメロディーと伴奏のコード弾きが入ってきます。右チャンネルは明らかにガットギターですね。左チャンネルもギターだと思うんですが、これはガットギターかどうか判じかねます。耳を澄ましてもうーむ、ほかの音と混ざってしまって音質がよくわかりません。まあ、わかることが目的ではありませんので問題ないでしょう、必要があればいろんなギターを弾いて一番しっくりするものを選べばいいだけのことです。

「スポットライトが〜」と玉置さんが歌い始めます。なにやら今夜がラストショーで、スポットライトに照らされ、踊り始めるのです。ここでもの凄い音のベースが入りますが、これは須藤さんが弾いたものだとクレジットされています。ゴーン!と歪み味付けの少ない、ベース本来の音ともいうべき音、わたくし好きですこの音。自分がデモを作るときでもこんな感じの音を目指して作り、ゴーンゴーンと鳴っているベースの音に自分で聴き入っておりました。うーん、これは踊るといってもズンドコズンドコ激しいやつでは全くなくて、歌いながらちょっと軽いステップを踏む程度でしょう。

そして曲は一気にサビ、徐々に徐々に、それでも控えめに鳴るストリングスを加え、怒涛の「て」攻勢が始まります。拍手がき「て」、笑っ「て」、いつまでたったっ「て」と、わたくしがよくダメパターンとして指摘する連用止めです(笑)。たいがい、よっぽど言葉にならない想いが表現されていなければ単に作詞が稚拙なだけだと判断するのですが……。「って」の「っ」を合わせた「って」が、この玉置リズムによってメチャクチャ生きているのがみなさん感じられることと思います。「たったって」なんて神業です。背筋がゾワゾワします。歌詞それだけをみたら一本調子の決して巧みではない歌詞にみえなくもありませんが、これを玉置さんが自分の演奏で、自分のリズムで、自分の声で歌うことによって、これは超絶切ないソングとして生きるのです。なんだこれ、泣けるぞ、おれがトシを取っただけか?いやそうじゃない、当時は若くて、ラストショーなんてまだまだ共感できる段階じゃなかったんだ、若くても泣かされるんだよこんちくしょう……卑怯です。「手」を振「って」……と玉置さんが囁いてガットギターを「ぺぺぺぺ」と鳴らし、シンバルをロングで響かせます。余韻もそこそこ、曲は二番に入ります。

素敵な人たちがこのステージで恋をした……ステージで恋なんかするわけないじゃん……とツッコむのは野暮というものです。玉置さんが歌うとほんとにそんなこともあったんじゃないかと思えてきます。ツアーメンバーとして玉置さんと安藤さんはほんとうにこのステージで恋をしたのかもしれませんし、似たようなことはあのバンドこのバンド、あのツアーこのツアーで起こってきたのかもしれません……で、恋をしたように切ない夜だから歌うラストショー、という、因果のぜんぜんわからない歌詞なんですが(笑)、それはわたしたちが因果でものを理解する癖がついているからであって、玉置さんのこういう感性こそが素直なのかもしれません。ステージ上で恋をする、ああ、そりゃ切ないよな、このラストショーも切ないよな、もしかしてこのステージで起こってきた出会いと別れがそういう気分を盛り上げているのかもな、というように、因果でもなんとか理解できるように思考をフルに回転させて補わないといけないわけですが、まあ、わかりますよね。「せつない」がステージ上の恋とラストショーをくっつける接着剤として機能している、というように図的にイメージすればいいだけなのです。

そしてめぐりあ「って」離れ「て」……と「て」攻勢のサビです。きもちストリングスも一番に比べて強めで、さらにここは二段重ねのサビになっていて、「がっかりしたまんまで」ともう一度サビを重ねます。これが、メロディーに泣かされているのか歌詞に泣かされているのかわかりませんが、大号泣モノの歌になっています。なんだよ、なんだよこれ……「なったって」「がっかり」「まんま」と撥音促音を駆使したリズムと歌詞の融合体が玉置さんの声、演奏、メロディーで歌われるのです。これで何も受信できなかったらもう玉置さんの音楽を聴かないほうがいいんじゃないかと思うくらい強烈な切なさパワーを発信しているのです。そして歌われるストーリーがまた……若いころに逢って別れてまた逢って、ダメなところはずっとあの頃と同じ、ガッカリしちゃった……何べんつきあっても好きになるけど、何べんもダメになっちゃう、だけど何べんも好きになっちゃう何でだかわからないけど、いまは抱きあえてうれしい、幸せ……というやるせない心の機微、重ねてきた月日、離れていた月日の重さがトリプルパンチで私たちを殴りつけます。ガツッ!ガツッ!ガツッ!っと。「僕に〜抱きつ〜い〜て〜」と叫び、「うれしいって」と囁く、な、なんという歌の力だ!わたくし、若造だったくせにすっかりラストショーのステージ上にいる壮年歌手のような気分に浸ってしまいました。

そしてまたガットギターで「ぺぺぺぺ〜」とささやかな合間で余韻をたのしみ、また玉置さんが「スポットライトが〜」と歌い始める短いフレーズを迎えます。スポットライトが消えて、ラストショーは終わり、だけど再びめぐり逢えた君を離さない〜って、それ、もう生身の存在じゃないだろ……音楽の精霊か何かなんじゃないかと思えるくらい具体的な光景を想像したら不可思議なんですけど、情景としてはよくわかるのです。明かりの消えたステージで、客電をつけて、お客さんがご退場なさるまで片付けは始められませんから、ステージはとりあえずそのままです。演者がステージを降りるときに機材につまづいたら危ないですからボーダーか何かを薄く点けてはおきますけども、とりあえずステージは終演時のままなのです。楽屋で「おつかれー」とか言って汗を拭いて……あれ、浩二がいないな?まだステージかな?呼んでこようか?よせよお邪魔虫だぜ、ああそうか、という物語が舞台裏で繰り広げられているわけです。その間、ステージでは、抱きあったふたりが……音数の少ないギターソロで急に盛り上がるアウトロをバックに「I Love You so much......」完璧だ!そんなことあるわけないのに完璧だ!(笑)

かように、現実にそれが起こりうるかどうかを考えたらダメになる情景の描かれた歌であるわけなんですが、図的イメージですとかリズムと言葉の組み合わせですとか玉置さんの肉声ですとか、いろいろなものを駆使して楽しまされてしまう美しくも切ない物語なのです。これ、このアルバムで初めて玉置さんの歌を聴きましたって人にはどんな風に感じられるんでしょうね……わたくしのようなヘビーリスナーはヘビーリスナーとしての聴き方しかできなかったわけですから、そういうフレッシュな視点は持ちようがありません。安全地帯を経て、玉置さんのソロを第一作から何年もかけて聴きこんで理解してきたからこそ、こういうふうに理解できるんだと正当化するんです。人間誰だって、自分が何年もかけて体験してきたことがまるごと無意味だったなどと信じるはずがないからです。だからなのです。もしわたしがこのとき20代の若者でなくて中学生くらいで、「田園」のヒットで衝撃を受けて以来このアルバムを楽しみにしていたような年頃だったら……この美しい物語とどのように向き合ったのだろうと想像したくなるのです。

JUNK LAND [ 玉置浩二 ]

価格:2,820円
(2023/1/9 14:49時点)
感想(1件)



Listen on Apple Music
posted by toba2016 at 14:39| Comment(6) | TrackBack(0) | JUNK LAND

2023年01月05日

JUNK LAND


玉置浩二『JUNK LAND』五曲目、「JUNK LAND」です。タイトルナンバーです。

これはとんでもない歌です。パープルの「Highway Star」なみにとんでもないです。なにがとんでもないってひたすら車で走っていてサイコーとか愛してるぜとか、とにかく歌詞にストーリー的な意味が希薄です。ひたすら、願いを込めて励ますのです。邦楽でこの境地に達している歌はそうはないです。

ピアノがポロロンとなり、ギターが細かいアルペジオ、ベースがブワーン、スネアが小さい音で時折響き、「どっちいく」「どっちいこう」と玉置さんがゴキゲンな様子で訊ねてきます。ブレイクがあり、繰り返しの短いフレーズを奏でるギターをバックに、玉置さんが譜割の細かいフレーズを一気に歌います。「ほら今日もポンコツ車のエンジン全開にして」から「負けるわーけなーいー」まで、本当に一気です。一気に語られた内容は、非常に前途多難な悪路を、状態の悪い車輛で突っ走る状況です。

ジャジャジャジャジャ!とブレイクが入り曲はBメロに入ります。アコギをジャッカジャカ鳴らし、玉置さんが早口でまくしたてます。突っ走った先には、いろんな人がいるのですが、その人たちのことを思って一気に歌います。誰かを心細く待ってる人、何かで悲しい思いをして泣いている人、困難を抱え困っている人……玉置さんはポンコツ車で彼らの前に全速力で乗りつけて、大丈夫だよって言います。同じくらい波乱万丈な人生を送ってグラグラしている我が身はさておき、いろいろな人たちに希望の光を届けたくって走り回るのです。途中からエレキギター、ピアノ、ベース、スネアが入り演奏はだんだん賑やかになります。それがJUNK LANDたる大都会東京の喧騒を思わせます。その喧騒の中にいるいろいろな人々は迷ったり笑ったり祈ったり遊んでいたり愛していたりと、まことに十人十色の様々な事情を抱えています。でも、誰もが「大丈夫だよ」って言ってほしい不安を抱えているのです。

曲は二番に入ります。ぼろ車で悪路をゆき、いろんな人を励ましに行くというコンセプトは全然変わりません。「僕のスピードじゃ何も変えることができない」とちょっと悲痛な告白もあります。世の大勢なんて変わるわけがありません。ですが玉置さんはポンコツ車をフルスピードで走らせ、自らもまた全力で走り回ってボロボロになり人々を励まして回るのです。

(抱きしめたい)とつぶやき、曲はサビに入ります。チャカチャカ……とパーカッションと極小音量のアコギ、合の手のようにピアノという非常にシンプルな編成の伴奏で、ガラクタだけど心を込めて……とのびやかに歌います。それとは対照的にコーラスは「君を、君を、抱きしめたい」と、何やら切迫した感じです。ストリングスが入り、緑の丘で暮らそう……と願いが語られます。都心部にはわざとらしい緑地しかないわけですから、そんな願いはかなうわけがありません。ですが、ガラクタの人工物に圧倒された都会も、それはひと時の現象にすぎません。街は数年も放置されれば機能は失われ容易には再生されません。原発事故で立ち入り禁止になった街があっというまに自然に侵食されていったさまを、現代のわたしたちは知っています。繁栄を誇る東京だって、いつそうなったっておかしくないのです。アスファルトを剝がせばそこには砂があり、護岸壁を剥がせば上流の恵みはいつか砂を土に変え、雨が降れば、陽が射せば、緑の大地はいずれ復活するのです。ですから、JUNK LANDはかりそめの姿にすぎません。

「おまえがナーガセーナか」
「いえ王よ、わたしがナーガセーナなのではありません」
「ではおまえの精神がナーガセーナなのか」
「いえ王よ、それは誤っています」
「ではおまえの手や足、頭や胴といったものの総体がナーガセーナなのか」
「いえ王よ、そうではありません」
(『ミリンダ王の問い』より)

ヨーロッパ人には理解の及ばない自然の姿、自然の力、それらを祖先は知っていたはずなのに忘れてしまった極東の都、東京の人々、浅はかな繁栄と虚しい享楽に生きる人々、うんざりだ、本当にもううんざりだ、だけど愛してる、心から愛してる、だから僕は走る、ガラクタのポンコツ車で、ひどい道を突っ走って、ガラクタの中に埋もれて暮らしている人たちの間を、大丈夫だよ、心配ないよって伝えたくて走るんだ。

1997年、あの当時、「コギャル」と呼ばれた女子高生たちにはたまごっちなるオモチャが大ブームでした。子どもたちはゲームボーイに夢中、若者はポケベルやPHSで通信しあい、エアマックスなるスニーカーを履き、カシオのG-SHOCKを巻き、ボーダーファッションなるダボダボの衣服に身を包み(てめえらスキーもボードも大して滑れねえだろ!)、茶髪のロン毛をワッサワッサさせて集団で歩き回るという(上からみたらナウシカのラストシーンだろこれ!)、ちょっとした地獄絵図だったのです。わたくし?わたくしちょっと彼らより年上ですから、そのようなブームは横目で見ていただけでした。ああ、全部ゴミだな……と。

何がゴミって、上にあげたものはほとんど子どものオモチャかそれに等しいものじゃないですか。何が流行るかはその時代によって違いますが、根本には確たるスタンダードがあってはじめてそこから外れたものが流行したりしなかったりするんです。せいぜい、「若いうちだけだぞ、さっさとそんなガラクタ卒業するんだぞ」「うるせえなあオヤジにこの良さが分かってたまるか」と言い返す程度のものです。ですが、彼らがオトナになってガラクタを卒業するかと思ったらそんなことありませんでした。なんとポケベルやPHS、たまごっちのかわりにスマートフォンをいじくり回し、相変わらず寝間着と大差ないルーズな服装で歩き回り、腕時計なんかスマホがあれば要らないなどというナメた態度でも文句を言われず生きられるように「ハラスメント」とか「老害」などと連呼して強引に世の中のスタンダードを変えようとすらしています。当時の若者を若者時代から眺めてきたちょっと年上のわたくし、ドン引きです。あのなそれ……まあ、いいや、一生オモチャいじって文句言われず生きていればOKという人生を選択しているんですから、とやかく言ってあげるほど親切じゃないです。

玉置さんが愛のメッセージを精一杯送ったガラクタだらけの街東京、JUNK LANDはいまでもガラクタだらけ、若いうちにガラクタをガラクタだとわからないまま大人になってしまった人たちが今日もガラクタをいじくりまわしガラクタに嬉々として埋もれて生きています。そんな東京を離れて軽井沢に移り住む玉置さんはそこで安全地帯を復活させる基礎を静かに固めてゆくのですが、その話はまたいずれ。

JUNK LAND [ 玉置浩二 ]

価格:2,739円
(2023/1/5 09:12時点)
感想(1件)



Listen on Apple Music
posted by toba2016 at 09:09| Comment(2) | TrackBack(0) | JUNK LAND