玉置浩二『JUNK LAND』五曲目、「JUNK LAND」です。タイトルナンバーです。
これはとんでもない歌です。パープルの「Highway Star」なみにとんでもないです。なにがとんでもないってひたすら車で走っていてサイコーとか愛してるぜとか、とにかく歌詞にストーリー的な意味が希薄です。ひたすら、願いを込めて励ますのです。邦楽でこの境地に達している歌はそうはないです。
ピアノがポロロンとなり、ギターが細かいアルペジオ、ベースがブワーン、スネアが小さい音で時折響き、「どっちいく」「どっちいこう」と玉置さんがゴキゲンな様子で訊ねてきます。ブレイクがあり、繰り返しの短いフレーズを奏でるギターをバックに、玉置さんが譜割の細かいフレーズを一気に歌います。「ほら今日もポンコツ車のエンジン全開にして」から「負けるわーけなーいー」まで、本当に一気です。一気に語られた内容は、非常に前途多難な悪路を、状態の悪い車輛で突っ走る状況です。
ジャジャジャジャジャ!とブレイクが入り曲はBメロに入ります。アコギをジャッカジャカ鳴らし、玉置さんが早口でまくしたてます。突っ走った先には、いろんな人がいるのですが、その人たちのことを思って一気に歌います。誰かを心細く待ってる人、何かで悲しい思いをして泣いている人、困難を抱え困っている人……玉置さんはポンコツ車で彼らの前に全速力で乗りつけて、大丈夫だよって言います。同じくらい波乱万丈な人生を送ってグラグラしている我が身はさておき、いろいろな人たちに希望の光を届けたくって走り回るのです。途中からエレキギター、ピアノ、ベース、スネアが入り演奏はだんだん賑やかになります。それがJUNK LANDたる大都会東京の喧騒を思わせます。その喧騒の中にいるいろいろな人々は迷ったり笑ったり祈ったり遊んでいたり愛していたりと、まことに十人十色の様々な事情を抱えています。でも、誰もが「大丈夫だよ」って言ってほしい不安を抱えているのです。
曲は二番に入ります。ぼろ車で悪路をゆき、いろんな人を励ましに行くというコンセプトは全然変わりません。「僕のスピードじゃ何も変えることができない」とちょっと悲痛な告白もあります。世の大勢なんて変わるわけがありません。ですが玉置さんはポンコツ車をフルスピードで走らせ、自らもまた全力で走り回ってボロボロになり人々を励まして回るのです。
(抱きしめたい)とつぶやき、曲はサビに入ります。チャカチャカ……とパーカッションと極小音量のアコギ、合の手のようにピアノという非常にシンプルな編成の伴奏で、ガラクタだけど心を込めて……とのびやかに歌います。それとは対照的にコーラスは「君を、君を、抱きしめたい」と、何やら切迫した感じです。ストリングスが入り、緑の丘で暮らそう……と願いが語られます。都心部にはわざとらしい緑地しかないわけですから、そんな願いはかなうわけがありません。ですが、ガラクタの人工物に圧倒された都会も、それはひと時の現象にすぎません。街は数年も放置されれば機能は失われ容易には再生されません。原発事故で立ち入り禁止になった街があっというまに自然に侵食されていったさまを、現代のわたしたちは知っています。繁栄を誇る東京だって、いつそうなったっておかしくないのです。アスファルトを剝がせばそこには砂があり、護岸壁を剥がせば上流の恵みはいつか砂を土に変え、雨が降れば、陽が射せば、緑の大地はいずれ復活するのです。ですから、JUNK LANDはかりそめの姿にすぎません。
「おまえがナーガセーナか」
「いえ王よ、わたしがナーガセーナなのではありません」
「ではおまえの精神がナーガセーナなのか」
「いえ王よ、それは誤っています」
「ではおまえの手や足、頭や胴といったものの総体がナーガセーナなのか」
「いえ王よ、そうではありません」
(『ミリンダ王の問い』より)
ヨーロッパ人には理解の及ばない自然の姿、自然の力、それらを祖先は知っていたはずなのに忘れてしまった極東の都、東京の人々、浅はかな繁栄と虚しい享楽に生きる人々、うんざりだ、本当にもううんざりだ、だけど愛してる、心から愛してる、だから僕は走る、ガラクタのポンコツ車で、ひどい道を突っ走って、ガラクタの中に埋もれて暮らしている人たちの間を、大丈夫だよ、心配ないよって伝えたくて走るんだ。
1997年、あの当時、「コギャル」と呼ばれた女子高生たちにはたまごっちなるオモチャが大ブームでした。子どもたちはゲームボーイに夢中、若者はポケベルやPHSで通信しあい、エアマックスなるスニーカーを履き、カシオのG-SHOCKを巻き、ボーダーファッションなるダボダボの衣服に身を包み(てめえらスキーもボードも大して滑れねえだろ!)、茶髪のロン毛をワッサワッサさせて集団で歩き回るという(上からみたらナウシカのラストシーンだろこれ!)、ちょっとした地獄絵図だったのです。わたくし?わたくしちょっと彼らより年上ですから、そのようなブームは横目で見ていただけでした。ああ、全部ゴミだな……と。
何がゴミって、上にあげたものはほとんど子どものオモチャかそれに等しいものじゃないですか。何が流行るかはその時代によって違いますが、根本には確たるスタンダードがあってはじめてそこから外れたものが流行したりしなかったりするんです。せいぜい、「若いうちだけだぞ、さっさとそんなガラクタ卒業するんだぞ」「うるせえなあオヤジにこの良さが分かってたまるか」と言い返す程度のものです。ですが、彼らがオトナになってガラクタを卒業するかと思ったらそんなことありませんでした。なんとポケベルやPHS、たまごっちのかわりにスマートフォンをいじくり回し、相変わらず寝間着と大差ないルーズな服装で歩き回り、腕時計なんかスマホがあれば要らないなどというナメた態度でも文句を言われず生きられるように「ハラスメント」とか「老害」などと連呼して強引に世の中のスタンダードを変えようとすらしています。当時の若者を若者時代から眺めてきたちょっと年上のわたくし、ドン引きです。あのなそれ……まあ、いいや、一生オモチャいじって文句言われず生きていればOKという人生を選択しているんですから、とやかく言ってあげるほど親切じゃないです。
玉置さんが愛のメッセージを精一杯送ったガラクタだらけの街東京、JUNK LANDはいまでもガラクタだらけ、若いうちにガラクタをガラクタだとわからないまま大人になってしまった人たちが今日もガラクタをいじくりまわしガラクタに嬉々として埋もれて生きています。そんな東京を離れて軽井沢に移り住む玉置さんはそこで安全地帯を復活させる基礎を静かに固めてゆくのですが、その話はまたいずれ。
価格:2,739円 |
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謙虚……言い得て妙ですね。変な言い方ですが、音楽の神みたいな、絶対的なものに対して謙虚なんじゃないかというような感覚があります。人生に悩んでる様子も、人を楽しませたい感動させたい、この悩みもすべて音楽に変えてすべて捧げ使い切っても構いません、といった敬虔な祈りにも思えます。
そうなんですよね……若いときは、新しいものをみんなと共有する体験も重要な位置を占めるんですよね。幸い、わたくし中高生のときメタルが全盛期でしたから、趣味の合う人たちとそのような体験ができましたが、現代だと難しいかもしれません……好きでないものを好きと言わなくちゃ気まずいことになるという事態もあるかと思います。でも、あれ?もう好きでないの?じゃあ、あの好き好きは本当は好きでなかったの?と拍子抜けすることはわたくしの頃もありました。Mr.Bigとか(笑)。ぜひよい音楽の旅をしてくださいね!
玉置浩二を知ってすぐにこの曲を聴いたと思うんですが、ドゥービー・ブラザーズが頭に浮かびました、Long Train runnin を聴き直した記憶があります。
今回のJUNK LAND、次のGRANDLOVEでもそうですが、ちょっと謙虚な歌詞が出てきて驚くことがあります。歌唱力があって、その歌唱力を凌ぐほどの作曲力もあり、楽器のプレイも上手い、作詞も僕個人的には大好きです。アーティストとして完璧だし独自の世界観も持ってるけど、それでも悩むことあるのかぁと... でもその謙虚な姿勢が、こういう曲たちを作り出してるのかーって思って、モチベーションが湧いてきます。
後半の話は、とても考えさせられました。僕はまだクソガキですが、最近聞かなくなったなーって曲があると、周りに「〇〇って曲もう流行ってないの?」って聞くんですが「古いわ」とか「もう誰も聴いてない」なんて返されます。あれ、みんな曲が良くて聞いてたんじゃないのって思ったりすることがあります。
新しい物を皆で共有するのが目的になってて、その物の本質に興味があるわけでも愛してるわけでもないのかーと。でも新しいものについていかないと周りに置いていかれるので、好きではないものを好きと言いつつ、ついていっています。
僕にはまだオトナになることがよく分かりませんが、少なくとも 本質を捉えるというか、自分の目や心で感じて選択することは大切にしたいなーと。
長文失礼しました。