玉置浩二『JUNK LAND』十二曲目、「MR.LONELY」です。先行シングルで、カップリングは「FIGHT OH」でした。ゴールドディスクではありますが、前シングル「田園」に比べると1/4〜1/5の出荷枚数です。売り上げはガクッと落ちましたが、わたくしこれは「田園」をしのぐ超名作だと思っております。なおフジテレビのドラマ『こんな恋の話』主題歌だったそうです。
さて曲はポーン!(ズッズッパ!ズッズッパ!)ポポーン!(ズッズッパ!ズッズッパ!)とギターのハーモニクスのような音にパーカッションをかぶせて始まります。玉置さんの「オーオオー」という高音の歌にアコギのアルペジオ、安藤さんのピアノとなにやら鍵盤系のシンセの合奏でイントロからAメロBメロまで突っ切ります。サビ前からエフェクトシンバルを合図に始まるドラムと、須藤さんのグギー!グギー!!と歪んだベースが入りますが、演奏は間奏でエレキギター、終盤にうすいストリングスが入るよりほかにはこれ以上楽器を増やすことなくいたってシンプルに、ただただ玉置さんのボーカルを聴かせてくれます。
さて歌詞ですが、これが涙モノです。焦らず驕らず、淡々とできることをやってゆく……去っていってしまった君のことを思い、君のために、ずっとここで同じように暮らしている、待っているという内容なのです。人には帰るところが必要なのだと愛をこめて全力で表現した『カリント工場の煙突の上に』から約四年、今度は玉置さん自身が誰かの「帰るところ」になろうと奮闘している様子が歌われているのです。次々曲の「しあわせのランプ」における寂しかったら帰ってきなさいというメッセージと相まって、反則級の切なさを演出しているのです。当然、「君」は帰ってくるか来ないかはわかりません。帰ってくるかもしれませんから、そのときに帰る場所がないと困るだろうと、一人で淡々と暮らす寂しい男、ミスター・ロンリーであるわけです。「こんな僕でもやれること」とは、そんな、「君」の帰る場所をつくることなのではないだろうか、とわたくしには思えるのです。
「君」が捨てて出てゆくような場所で、「何もない」と思われがちな場所なのでしょう。典型的にはさびれた田舎の市町村を去る若者のことを指していると考えるのがいちばんイメージに合います。そこはもう、基本的に無関心で特には何もしない住民が、地域を活性化させるぞ!と使命感に燃える人と公的補助金をねらう都会の業者が勝手にいろいろやって当たり前に無為に終わっている(補助金の大半は都会にスイーと流れる)のを横目で見ているというキッツい地獄絵図になっています。地域活性化というのはそういう公金まみれのイベントで派手にやった感を出しても基本は一時のことで、活性化なんてするわけないですからね……コツコツと、やれることをやるしかないというか、そもそも活性化なんてねらってできるものではありません。誰もがそれぞれの思惑でそれぞれのすることをコツコツとする、そういう人がたくさんいることで結果として「活性化」しているわけです。無関心派もそれが何となくわかっているからこそ淡々としているといってもいいでしょう。
そこで「君」の帰る場所を守りつづけようとするミスターロンリーは、周囲から何やってんだあいつ、この街がいまどんなことになっているのかわかってないのか?(活性化派)、何やってんだあいつ、あんなことしたって無駄だってわからないのか(無関心派)、まあ素人が何したって何にもなりませんよ(業者)と、フルボッコです。なんなんだ、おれはおれで勝手にやるんだからほっといてくれよ、と思いつつも悔しくて涙をこらえます。
「オオオオーオー!」と高音の掛け声から曲はサビへ、何にもない、でも野に咲く花はある、その花のようにいつでもささやかに力強く生きてゆく……それは悲しき決意表明です。「君が優しかったから」なんて、そんな思い出にすぎないものを理由に、帰ってくるかもしれない「君」の帰る場所を守るんだ、と歌います。その声は歌の内容の通り力強く、悲愴で、それでいてあたたかいのです。こんな複雑な感情を見事に表現する声、そしてその根底には底抜けの愛と善意が溢れている声、こんな声がかつてあったでしょうか。そしてこれほどまでに玉置さんの声が生きる曲をかつて玉置さんは作っていたでしょうか。これまでも名曲がキラ星のごとくズラッとたて続けに存在していました。そのどれもが玉置さんの声が最も生きる、最もその内実に迫る曲だ!という最高傑作ばかりだったのですが、今度ばかりはこの曲以上のものはないんじゃないかと思われるほどの徹底ぶり、肉薄ぶりです。こ、こりゃ最高傑作だろ……と毎回思わされるんですが、さすがにこれ以上はもう……という限界が見えた感すらあったのです。まあ、次々曲の「しあわせのランプ」で早くもその予想は裏切られるわけですが(笑)。まだまだ先があった!玉置さんあんたどこまでいくの!とこのときは恐怖すら感じたものです。
さて曲はイントロに戻りまして「オーオオ」、そして二番に入っていきます。「人の気持ちになって」心が痛むなら、それは共感なのです。わたしたちは共感の力によって生きているといっても過言でないくらい、共感の生き物です。共感するからこそ人を愛し、憎み、哀れみ、大きなエネルギーをもって事態を解決しようとします。これはきっと、わたしたちがホモエレクトゥスとかいうサルでウホウホやってきたころからそうだったのでしょう。だからこそわたしたちは幾度もあった絶滅の危機を集団で乗り切り、壮絶な淘汰と自然選択により現代人類へと進化を遂げてきたのです。「空気が読める・読めない」なんて、現代人類の間では無意味な差しかありません。わたしたちはみな空気を読むスーパーエリートであるからこそ、現代にまで生き延びているのですから。そんなわたしたちは、自分のことでない他人のことに胸を痛めることができます。それは人のサガなのです。極めて自然に、それが無駄だろうとなんだろうと、エネルギーを提供して事態を好転させようと試みるのでしょう。
君も僕も、ふたりとも野に咲く花のように仲良く力強くささやかに暮らしていた、そんな日々は穏やかで優しいものだったのでしょう。僕はもう、君がいなくなった後でも、あの頃の思い出だけで生きていける。いや違う、正確にはあの頃がまた戻ってきてほしいと思っている、その望みは薄いかもしれないけども、君がもしつらくなって帰りたいと思ったら帰る場所として、僕はあの頃と同じようにここにいるんだ……いやもういいじゃないですか、あなたも自分のしたいことをしなさいよ、と思わなくもないのですが、ミスターロンリーにとってはそこを守ることが自分のしたいことなのですから、させておくしかありません。そんなミスターロンリーの気持ちを思いやり、わたしたちも胸を痛めるのです。
曲は間奏、玉置さんの見事なソロ、須藤さんのグッキグキに歪んだベースが目立ちますが、玉置さんも負けじとブルージーで狂おしいスクリーミングを指先に込めてギターを奏でます。うーむ、ことによるとこれは安全地帯を超えたかもしれません。演奏技術とかでなくて、この一体感ある競演の凄まじさは、『太陽』のころの安全地帯にすら迫り、下手するとそれを超えているんじゃないかというくらいの見事な間奏です。
曲は三番、Bメロから始まりサビを二回、そしてイントロとほぼ同じ演奏のアウトロで幕を閉じます。逆風に吹かれても、どんな時でもと若干歌メロを変えて、曲は最後のサビに突入していきます。「遠く離れていたって」というのは、空間的な隔たりの大きさだけでなく、おそらく心理的な距離の大きさもあるのでしょう。先ほどは地域活性化の舞台となるような田舎町で喩えましたが、それは比喩でしかなく、たとえば考えることの違い、携わる仕事などの違いも当然ありうるわけです。ここでいきなりですが野球の話です。先日鬼籍に入った門田は、野村克也と袂を分かったあとに覚醒して大打者となっていきました。二人ともプロ野球界にいるわけですから近くにいるんですが、考え方は天と地ほども違う、といったようなことも当然この「遠く離れていた」には含まれうるでしょう。ふたりの断絶は決定的なものでしたが、ノムさんは、もしかしたら自分が監督をつとめる球団に門田がトレードで入ってきたら干したりせずに受け入れるんじゃないかと思うのです。「お前よう帰ってきたな」なんて言って。もちろん、わたくしが勝手に妄想しているだけですから、本当のことは二人にしかわからないんですけども。以上、唐突なプロ野球バナシでした!あ、いや、「ミスター」って長嶋じゃないですかふつう。ちょっと反骨精神を発揮して「ミスター・ロンリー」はノムさんみたいだなあ、なんて思うわけです。あのコツコツぶりが。
「君」が帰る気なんか全然なくて、自分的には「捨てた」と思っている故郷や古巣であっても、そこに「笑って」「元気でいる」ぼくがいることはもしかしたら「君」の支えになるかもしれない、と信じて生きてゆくミスター・ロンリーの生き方には、わたしたちも大いに共感して胸を痛めて、ことによれば泣くのではないでしょうか。結果としてわたしたちは全然ミスター・ロンリーのようには生きないかもしれません。ですが、その生き方に共感する、胸を痛める、そんな心を、太古の昔からわたしたちは共有しているのだとこの曲は信じさせてくれるのです。
価格:2,477円 |
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
そうですねえ、「ワインレッドの心」以降、一生懸命ウケる曲を作ってきた時代の苦い思い出があるから、もうそういうのはイヤだったんだと思います。歌謡曲イヤ、デジタルもイヤ、ああ、なんか自分が思い切り影響を受けているのが自覚できます。
軽井沢なんて近いじゃないですか。日本のどこに住んでいても仕事はもちろん音楽活動だってできるんですからいい時代です。OUTRAGEなんて名古屋からのぞみで東京に通ってるんですから。もうすぐこのブログも軽井沢時代を扱うようになるなあ、と感慨深いです。
ちょうど、今日の天皇誕生日に私は、以前神田の古本屋街で購入しました、ファンクラブ会報をひたすら寝そべって読んでいます。ジャンクランドのツアーの特集やら、昭和のいるこいるやら、ニセモノ、スペード、安全地帯HIなんかまで遡って読んでました。
玉置さんは昔から一環してお客には媚びずに、自分の感じるままに唄ってこられたように、当時からの発言や考え方を知る度に思います。
あっちこっちにボンボン話しが飛びますが(笑)、キチッと筋が通って聞こえ、色んな視点できっと物事を子供の頃から捉えてこられたのでしょう。きっと、それが愛を大事にし、曲や人生にも影響してると私は妄想します(笑)
ミスターロンリーですね。
この曲も、田園から1年たって再びドラマにも出演、主題歌というメインキャストのお膳立てがある中で、この後軽井沢に行ってしまうので、その一時なのか、しばらくなのか「わかれうた」のようにも私には感じていて、切なく温かくなります。