玉置浩二ソロアルバム第三弾『カリント工場の煙突の上に』です。1993年九月、わたしにとっては予想していなかった時期のアルバムリリースでした。何気なく店にて「た」のコーナーを見てたら、ありゃ?あるよ?って感じです。
そして手に取って驚きました。段ボール製のジャケットに、黒のゴシック体で男女のロマンス的な要素が少しも感じられない曲名がズラッと並んでいたからです。キティからソニーに変わっていたことなんてどうでもいいくらいの衝撃です(笑)。
ただ、予兆が全くなかったわけではないのです。「パレードがやってくる」「海と少年」「あのMusicから」等、子ども時代や故郷を歌ったと思われる望郷ソングは『安全地帯V』のころからありましたし、『All I Do』にも「このゆびとまれ」、『安全地帯VI 月に濡れたふたり』にも「夢のポケット」、『安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』にも「あの頃へ」と、望郷ソングの系譜は脈々と継がれてきていたからです。でも、ここでこの路線に大転換するとは思ってませんでした。せいぜいアルバムに二〜三曲でしょう、それがもう全振りです。しかも「土手」とか「工場」とか「西棟」「納屋」「畑」という土臭い言葉たちがズラリと!驚きますよそれは。
そのときはまだ、安全地帯が崩壊したとは思っておりませんでしたので、玉置さんがこのような音楽の志向をもって安全地帯の音楽を脱却しようとしていたなんて夢にも思いません。インターネットなんてものは存在すらほとんど知られていなかったこのころのことです、ファンクラブに入って会報を読むとか、雑誌を買いまくってどんな小さい記事でも逃さないとかそういう情報収集態度を持っていればある程度分かったんだと思いますけども、わたくしそうではありませんでした。その意味では先入観なく入手して、先入観なく聴いて、先入観なく驚いたわけです。現代ではかなり難しい、有難い経験で、幸せだったのです。
このときに玉置さんに起こったことは、『幸せになるために生まれてきたんだから』で知ったことが大半でした。精神的に病んでしまって旭川で静養していたこと、キティ時代からひとりでもくもくとギター弾いて歌い、自分で楽器を演奏して重ねていったこと、その後須藤さんと二人でイメージを語り合いながら歌詞を作っていったこと……志田歩さんはこのときの玉置さんの精神状態を『ジョンの魂』、制作過程を『マッカートニー』になぞらえて説明しています。いや、どっちもさみしいじゃないですか(笑)。
「東京という大都会のシステムにやられたのかな」
玉置さんの才能と能力、メンバーたちの信じられないくらいの技能と結束、こうしたものを当時の日本は渇望し、その生産性をもっとも高めることを求めるようにマーケットが反応しました。その商業的な生産性をもっとも高める環境はもちろん東京でした。音楽を作ること以外は基本何もしなくていいんです。なんなら、音楽さえ分業で、自分で作りだす箇所はごくわずかでもいいという環境です。玉置さんでいえば、究極的にはメロディーつくってハイってスタッフに渡せば後日オケと歌詞が出来上がっているから歌入れすればいいんです。実際にはアレンジにかなり大きな役割を果たしてらっしゃるんですけども、その気になれば弾き語りのデモを渡してあとは寝ててもいいんです。ですが、人だからいろいろしますよね、恋愛とか(笑)。ところが玉置さんは恋愛どころか睡眠もろくろく時間取れずに、次々にメロディーを作り、歌入れし、コンサートに出かけ回らないといけなくなりました。マーケットが明らかにそれを求めたからです。
それが売れるということなんですけど、わたしだったらたぶん途中で暴れると思います。あ、いや、音楽売れたことないですからホントはわからないんですが(笑)、わたしだったらそんなのゴメンです。音楽はみんなとああしたいこうしたいってワイワイ言いながらデモを重ねて作りたいですし、そうでなかったらすべての音符を自分で書いて自分ですべての音を録音したいです。それをやるとアルバム一枚作るのに年単位でかかりますし、コンサートなどできて年に数回です。リハだってみんなでスケジュールあわせていつならいける?って話したいですよ。それが私の知るバンドですし、自分で作る音楽だからです。ですが「売れる」、しかも「爆発的に売れる」ミュージシャンはそうでない世界に入らざるを得なくなるのです。玉置さんの苦悩もこのようなことに端を発していたらしく、すべてを自分でやりたい!という意向を最優先にして、須藤さんの歌詞、星さんのストリングスアレンジと金子飛鳥グループの演奏以外はほぼ自分で音を出していらっしゃいます。あ、お兄さんがドラム、お父さんお母さんがコーラスもされてますね。でもみんな「玉置さん」じゃないですか(笑)。このように、おおよそ東京のシステムとは縁遠い音楽の作り方だったわけです。
「奇跡的なアルバム」と玉置さんはおっしゃいます。ほんとうにそうです。これ、『あこがれ』から半年ちょっとしか経ってないんです。この変わりようと、その製作スピードだけでも奇跡的ですが、それを自分でほとんど作り上げたこと、そしてこれをそもそもリリースしていいと判断したソニーレコーズの存在(須藤さんが所属する会社)、何もかもが信じがたい奇跡です。
では、一曲ずつの短いご紹介を。ほとんどバラードで、ほとんどアコギですから、ここではそれらは書かないことにしたいと思います。
1.花咲く土手に
葬式でしのばれる北国での少年時代を歌っています。
2.カリント工場の煙突の上に
少年時代を過ごしたふるさとの思い出、その中にはとてもつらいことがあるのですが、それも含めてのふるさとを歌います。
3.ダンボールと蜜柑箱
わたしは祖父母の家を思いだしますが……きっとご実家のことなのでしょう。少年時代にはこんなメルヘン世界があったことを思い出させられます。
4.西棟午前六時半
「西棟」は最初は団地のことかと思っていましたが、のちにそうではないことがわかります。奥様とのデュエットになっています。
5.大きな”いちょう”の木の下に
コツコツ頑張るありさんを応援する歌なんですが、我が身を思って泣かされる歌です。
6.キラキラ ニコニコ
「元気ですか」「おはよう」と爽やかな歌詞なんですが、曲がとんでもない哀愁ソングで、ぜんぜんおはようじゃないよ!朝から泣かせるんじゃない!とツッコみたくなります。
7.家族
聴いているとわけが分からなくなるカオスな曲なんですが、家族に対する思いってこういうものかもしれないな、とオトナになってちょっと思わされる重い歌です。
8.納屋の空
このアルバムで、いちばん頭にとつぜんメロディーが降ってくる曲です(超個人的感想)、あまり言及されませんが、これほど魂のど真ん中に迫り、そして居続ける曲はそうはないと思います。
9.元気な町
爽やかポップスの皮をかぶった、鬼気迫る望郷ソングだと思います。中高生や若者時代でなくて、明確に小学生時代のワンシーンを思い出させる曲って他に知りません。
10.青い”なす”畑
若いときはわかりませんでした。青いなすって僕のことじゃんと。そして「花咲く土手」のリプライズと組み合わされ、わたしたちは生者と死者とが共に・連続的に暮らしている「ふるさと」というステージへと想いを馳せるという、それを忘れよう、見ないようにしようとしている東京という大都会のシステム・それを支える他地方という構図の現代日本そのものへの疑いを抱かせる種を心のうちに蒔く歌です。
このアルバムは、玉置さんが子どものころにお書きになった絵がたくさんブックレットに掲載されていて、まるで画集のようになっています(当時のものですから、いまお買いになっても同様かはちょっとわかりません)。その中に、こんなメッセージが載せられた絵があります。
「ぼくのだいじなおかあさん うんとながいきしてね」
2018年にお母さんはお亡くなりになっています。このアルバムでコーラスにクレジットのある玉置房子さんです。この人がいらっしゃらなければ、わたしたちは今日玉置さんの音楽を楽しむことができていたかどうかわからないということが、『幸せになるために生まれてきたんだから』を読むとよくわかります。ぜひ、このブックレットと『幸せになるために生まれてきたんだから』とをあわせてこのアルバムをお聴きになることをおススメしたいです。
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この『カリント工場の煙突の上に』はホントに凄かったですね……93年、カウントダウンTVやヘイヘイヘイを賑わすハデハデミュージックの洪水をよそに、一人思い切りダウナー系、安全地帯の誰もついてこられなかったあの境地をどん底でひとりコツコツと作り上げたその鬼気迫る音像、最初の頃はそれをちゃんと受け止めきれなかったのが悔しいです。ですが、それはもうわたしがそこまでだったとしか言いようがありません。それでもテレビに出てくる連中に辟易としていたわたしには、一筋の光明だったのは間違いありません。何年もかかって少しずつわかっていった、聴けるようになっていったのでした。ミュージシャン側の玉置さんにとっても必然の音像でしたが、リスナー側のわたくしにとってもやはり必然だったのだと思っています。
ラウドネスドラム、押忍。
ちょっと本格的に知り合いのプロドラムHさんに
教えを請いに行こうか?迷いましたが、
基本は一緒だと思いますので鏡をみながら日々
素振り、2つうち、30分姿勢が崩れず叩ける体力を作ってます。
カリント工場を玉置浩二が作ったことは、玉置さんにとっては必然だし安全地帯が休止し、氏の中に湧いた音楽のマグマが爆発!それを僕らは聴けたのは幸運です。
このアルバムは発売してから僕も暫く1年以上聴きまくりました。
これを世に出して音楽家としての裾を広げ、このアルバムから玉置浩二第二章が絶対はじまりました。ですから、色々なキラキラニコニコした(笑)ピュアな原石が詰まっていて、たまに今でも聴いて自分の立ち位置を確認をするようなアルバムです。
そうなんですよ、最初は素朴すぎて変な曲だと思わなくもなかったのです。たんだん玉置ワールドにからめとられて涙が出て来ます(笑)。それにしても音楽で病んで音楽で癒やすんだから、なんという音楽人間っぷりでしょうか。ホレボレするくらいです。ちょっと忙しくて土日に更新できませんでしたけど、すぐ書いていこうと思います。という思いで一年とか二年とか休んでしまった過去があるのはレッツ棚上げ!
なんで急にこういう曲になったのかっていったら玉置さん病んでたからその癒しのために?作った曲なんですね。安全地帯のTwitterが最近終了になりましたね。この時期みたいに急に引退とかじゃないことを祈ってます、、、知らない曲ばかりなので解説読むの楽しみです!!