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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2021年10月23日

花咲く土手に


玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』一曲目、「花咲く土手に」です。

歌詞カードにまず圧倒されます。「たまきこうじ」のクレジットがありますが、ほんとに玉置さん描いたんですかってくらいキレイに保存されていたようで、美しいクレヨン&水彩絵の具の、教室の絵です。わたくし、これ大人が子どものフリして描いたんじゃないかと思いました。何年生で描いたのかわかりませんが、ちょっとビックリです。そして、歌詞に使われることばの素朴さといったら!麦わら、赤とんぼ、土手、じいちゃん……これまでに安全地帯や玉置さんに抱いていたイメージが完全に吹っ飛び、一体何が始まったんだと驚いてしまいました。その一方で、わたくしこういう世界が結構好きですので、歓喜に踊る気持ちもうっすらないではなかったのです。思えばライブアルバム『ENDLESS』で歌われた「小さい秋みつけた」のときから、こういう時代のいずれ来ることを!わたくしひそかに!予見したいた!のです!もちろんウソです!

さて曲は、ガットギターのスライドから始まるソロ、普段びきのアルペジオ、大きめのベース、手で叩いたんじゃないかっていうドラム、そしてなにやらドラムにない打楽器……なんでしょうね、コツコツとギターを指先で叩いた音に似てます。たぶんボンゴですが、いい音がリズムに入っています。ドラムのほうはやけに控えめなバスドラ、スネア、そしてかなり直径の小さいであろうシンバルだけで、シンプルに徹しています。

クレジットをみても他の人が演奏したという記載は何もありませんので、おそらくは玉置さんがすべて演奏なさったのでしょう。そして『幸せになるために生まれてきたんだから』にあったように、あちこちリズムがあやしいです。自分だから合わせられるってだけで、これは複数人のミュージシャンではかなり合わせづらい曲です。その意味で、ザ・玉置一番搾りって感じの、マジで玉置さんの魂がそのまま音になったんじゃないのという凄みあるサウンドになっています。

歌はもう、寂し気で牧歌的な歌詞を、鬼気迫る声で歌い上げています。最初に歌とギターを録って、あとからベースもドラムも重ねていったそうですけど、この歌がないと逆に重ねられないでしょうね。自分がどういうノリで歌ったかを聴きながら脳内で再現しつつそれに合わせて演奏しないととても合わせられたものではありません。たぶんですが、ベース先でドラムが後でしょう。通常のやり方とまるで逆ですが、わたしだったらベースのほうが歌に合わせやすいですし、ベースがないとドラム入れられないように思います。

歌が始まりまして、ボンゴ(らしき音)とベース、ガットギターのアルペジオを伴奏に、玉置さんのしみじみとしたABメロが流れます。「麦わら」「赤とんぼ」「土手」と、かなり慣れ親しんだ場所であることが示唆されます。こういうワードでは誰もが心の中のふるさとを思い出すのでしょう。そして「野辺送りの長い列」と、今日はふるさとの葬式であるという強烈な寂しさをいやがうえにも私たちに引き起こさせます。力技ですが、うっかり正面からくらうと涙モノです。最初はまさか葬式の歌だなんて思ってませんから、わたくし直撃を食ってしまいました(笑)。「長い列」の「つうー」が寂しすぎて卑怯です。

ここでいつもの北海道人話なんですが、北海道では野辺送りなんて見たことがありません。子どものころですでにバスで火葬場でした。霊柩車すらほとんど見たことがありません。霊柩車あったのかな?なんか、スキーバスみたいなでかいバスで、スキーバスならスキー入れるところに棺を入れて、みんなそのバスに乗って行ってたような気がしますが……。わたしより玉置さんのほうが上の世代ですから、もうちょっと前はやってたのかな?それとも須藤さんが入れた言葉なんじゃないのかな?なんて思います。でも、この歌で「黒い服着た人たちのスキーバスがゆく」なんて歌ったら、とくに他地方の人にはなんだかわからない歌になりますから、その様子を「野辺送り」と言い換えたほうがよろしいかとは思います。

歌はサビに入ります。バシッとシンバルが入ってドラムが加わりますが、基本的にはアレンジの調子は変わりません。というか、これでフル構成です。とことん、シンプルです。

「花咲くふるさと」ですから、春なのでしょう。「春風の中を歩く」ですし。「星が落ち」たのは、「じいちゃん」が亡くなったということで、「真白き百合を抱いて」というのは……文字通りだと思うんですが、イメージなんでしょうね、百合は抱かないと思います。百合の花粉が喪服に付いたら大惨事ですんで(笑)。慌てず騒がずガムテープ、それでだめならもうクリーニングですね。位牌とか遺影とかをもって、棺を担いだ数人を中心に行列でウロウロしながら火葬場に行くのです。悲しき行列ですが、大切な儀式なのです。ウロウロするのは、魂が舞い戻ってこないようにするためにわざと道を複雑にするという意味があるそうです。もっと昔は土葬でしたから、いわゆる「魂魄」の「魄」が作動して(つまりゾンビ状態になって)戻ってこないようにする、という意味もあったことでしょう。ですから、親族にとってはゆっくりと名残を惜しみつつ、これから完全にお別れなんだという事実を噛みしめるために、その道のりを踏みしめるという意味があるのです。ここでのベース、効いてますね……みんなでゆっくりゆっくり、しかし着実にお別れに向かって進んでいるという情景をいやがうえにもわからせてくれます。ズーン、ズ・ズーン、ズーン、ズ・ズーンと進むのです。

曲は二番に入りまして、ひきつづき野辺送りの様子です。「むずかる幼子の手」を「姉さん」が引いている……これはまた徹底的なわびしさを感じさせます。たぶん末の孫というレベル、じいちゃん死んじゃったの?と訊く前の発達段階、つまり、わけがわからず参列し歩いているんです。親は棺担いだり遺影もったりと役割がありますから、上のほうの孫娘、つまり従姉なんだと思いますが、そうした「姉さん」が子どもをあやしながら連れてゆくという役目をおいます。そんな「姉さん」が弔意を示す「真珠」の胸飾り、それに映るロウソクと夕焼け、それがなんと悲しいことか。当時は余裕で明治生まれのじいちゃんばあちゃんがいましたから、親族が集まるとたいてい大人数になります。ですからこんな役割分担をしたうえでの儀式も行うことができたのでしょうけどもが、現代ではおおよそ難しいでしょう。だんだん、忘れられてゆく、失われてゆく光景がこの歌には描かれています。

曲はまたサビに入りまして、ここから野辺送りをちょっと離れ、東京から帰ってきた「ぼく」がこのふるさとのことを懐かしんでいたことが歌われます。「澄んだ空を」「思いだした」と叫び気味に歌う玉置さんの声がなんと切実に聴こえることか。トシをとると葬式しか集まりませんし、帰らないんですよ。コロナ騒ぎのせいでもありますけど、ほかにもいろいろありまして、わたくしもう何年も故郷に帰っていません。「ビルのすき間から見上げて」ふるさとを思いだすという気持ちはよくわかります。わたくしの場合ふるさともビルのすき間だらけですが(笑)。親族からはすこし薄情気味に思われていても、それでもふるさとに寄せる思いはあるのです。まして玉置さんはそりゃもう忙しい身でしょうから、ツアーの初期に旭川に寄るくらいしか帰省のチャンスはなかったものと思われます。そして、昭和末期・平成初期の安全地帯に不満を抱き、音楽的にも「ふるさと」である旭川を思う気持ちはとてつもなく大きく膨らんでいたものと思われるのです。

二回目のサビを終え曲は唐突に調子を変え、いわゆる「大サビ」に入ります。「冬の寒さ」を「みんな隠している」とはまたなんと意味深な……北海道ですからもちろん冬は寒いんですが(笑)、それでは「それぞれの」にはなりません。これは、各家庭や、個人の抱えた苦境のことを指すのでしょう。そりゃ葬式の時にというか、親族が集まったときにわざわざ「じつは生活が苦しくて……」と話すようになったらかなりヤバい段階に至っているということを意味しますから、そこまで寒くなってないとは思います。毎年冬は来るのですから、いつもの寒さ、誰もが抱える苦境のことなのでしょう。

曲は間奏、ガットギターでのソロに入ります。ごく短い間奏です。柔らかいガットギターの音なんですが、悲鳴のように聴こえます。葬式の時にやっと戻ったふるさと、じいちゃんとの別れがなければ戻らなかったふるさと、それでも忘れていない、ここがぼくの原点なんだ、愛しいふるさとなんだという、しみじみとしてるのに叫びたい気持ちの表現であるかのごとく、悲しい音色です。

曲はサビを二回繰り返して、正確には最後のサビは頭の二小節ばかり短縮して途中から、……正確には前のサビに二小節食い込んだというべきですかね、になっていますが、これも「覚えてるよ」というメッセージを前に出す効果抜群ですね。覚えてるんだ!と前のめりに言いたいとよくわかる、どうしてこんなこと思いつくんだろうと思わせる技法です。

このラスト二回のサビで、じいちゃんへの思い、ふるさとへの思いが、両方かけがえのないものであって、混ざり合い、ほとんど同一のものとして意識の奥にあったのだということに気づいたということが、聴き手にもよくよく伝わってきます。

「青い空」は日本全国どこでも青い空です。東京でさえ空は青いです。ですが、「ぼく」が覚えているのはふるさとの青い空で、ほかの空はちょっと違う青空なんでしょう。そりゃ気温とか湿度とか光化学スモッグとかで空の色合いは微妙に違うわけなんですが、決定的に違うのは見た回数とか年数なんだと思います。「つかの間の」といえるほど北海道の夏といえる期間は短いわけなんですが、それにしても見た回数年数はまだふるさとのほうが多いでしょう。それもいつか東京の空のほうが回数年数ともに上回り、ふるさとの青を上書きしてゆくのだと思われますが、それでもきっと覚えているんです。どんな青?と訊かれても答えられないけど、「こんな青」と指はさせるくらいに覚えているんです。葬式などで訪れたときに、そう、この青だよと思いだしたことに気がつく……ダメだ、気力がなくなってきました(笑)。たまには帰らないとなあ。

そして後奏、スローになったガットギターのアルペジオが低音のメロディーをまじえつつ、曲を閉じます。シンバル、ベース、そしてボンゴ(らしき音)、必要最低限の装飾で曲は静かに終わります。ホントに最後の瞬間に「キラキラキラ……」とウィンドチャイムらしき音が聴こえますけども、シンセを使ったとは記されていませんので、「パーカッション」の一部として玉置さんが指でなぞったのだと思います。なんというこだわり!私だったらまずウインドチャイムを探してくるのが億劫でシンセでいれるか、思いつかなかったことにしてしまいます(笑)。一人で黙々と、しかし妥協せずに自分のサウンドをこつこつと録っていったこのアルバムを象徴するような曲だといえるでしょう。

カリント工場の煙突の上に [ 玉置浩二 ]

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この記事へのコメント
狭間の時期ですからね。安全地帯ってなくなったのか、まだあったのか、遠くからはよくわからない状況でした。こんないい曲を突然聴いたら驚いたことでしょう。つらい時期でしょうによくもまあ次から次へと……

わたくしシリアスなこと書いたつもりでしたからどこか笑うところあったのかなと思って読み返してみると、なんか不謹慎なこと書いてますね……。コーネリアスさんの騒動があったというのに、90年代若者のノリのままだと危険かもしれません。
Posted by トバ at 2023年04月20日 22:23
今晩は。花咲く土手。

トバさんの解説がめちゃめちゃ面白く吹き出しました(笑)

この曲は、あこがれツアー武道館初日に、歌の1曲目にどかーんと一発!全くの新曲のかたちで披露され、一発でノックアウト。

こんな良い曲を書く人だとは、当然10年安全地帯をやられて翌年の活動でしたから、当たり前といっては当たり前なのでしょうが、何とも言えない香りが(百合が出てきます)して気持ちが良くなるんですよ。

あと、秘蔵音源があってこの時のライヴMCで玉置さんは「こういう高いところから歌うのに長い間悩んでいて、暫くこういう形がなくります」的な発言をしていたのが印象的でしたから、ちょっと精神的にはカリント工場の煙突を作っていた時も辛かったのでしょう。ただ、本番ギリギリまで安全地帯が出演をする話しもあったようですが、その話はなくなってパンフレットの名前に黒塗りがされていたページがあり、玉置さんはその事にもキチンと触れてくださり、そのことはこのアルバムあこがれともよく似ている、と。

Posted by よし at 2023年04月19日 21:15
90年代前半、当時サンプリングのできるシーケンサーを使っていて、あんまり面白いのでデモテープに入れまくっていたことがありました。All I DoのころだとDX7II-FDとかですかね、それでサンプリングした鐘の音をフロッピーでガンガン入れていたんじゃないかと思っていました。M-1とかD-50なんてビンボーヤングなわたくしにはとてもとても、知ることすらない世界の楽器でした。DATかー!ありましたね、家庭用コンポのちょっと高いモデルについてました。ポータブルあったらそりゃレコーディングに使いますね。わたくしVHSテープ使ったA-DATでレコーディングしてた世代ですが、そのころにはオーディオDATはもう過去のものとなっていました。あれ、いまでもちょっと憧れで、ちょっとほしいです。

ふたりとも機材マニアって感じじゃないんですよね、イメージが。一つか二つ目星をつけたものをためして、その時使えそうだったら買う、くらいかなってイメージです。実際には玉置さんは軽井沢での録音の様子を読むとこりゃ凄いってレベルでこだわってるのがわかりますから、イメージとは違うんだなあとは思ってます。
Posted by トバ at 2021年10月24日 15:49
当然本物のウィンドチャイムでしょうね
コルグM1やローランドD50で間に合わす事はしない
それが見つからなければ見つけるまで探すタイプ

All i Doの鐘の音は当時発売されたばかりのポータブルDATで(デジタルデンスケ)
自ら録音した音を使ってます職人風に思われないが拘り相当なもの
さださんも同様でギターマニアで更に機材中毒
二人とも世間的には職人と思われてないのが惜しい






Posted by タコ at 2021年10月24日 15:17
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