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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2022年07月02日

星になりたい


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』十曲目、「星になりたい」です。

玉置さんのガットギターがつまびかれ、エレピがメインテーマを柔らかく奏でる裏で、玉置ソロ史上最高と思われる美麗なストリングスが入ってきます。Hiroyuki Yamaguchi……N響コンサートマスターの山口さんでしょうかね?どうやって録音したんでしょう、いくら山口さんといえどひとりではこの音は出せませんので、クレジットされていないプレイヤーがたくさんいるか、根性で重ね録りしたか、あるいはBON JOVIとかVAN HALENみたいにチーム名として自分の名前を使っていたか……このクレジットはちょっと謎が残ります。

ともあれ、このガットギター+ストリングスという編成は『あこがれ』『カリント工場の煙突の上に』を思わせるものであって、この後も玉置さんソロの折々に泣かせるバラードを聴かせてくれるナイスコンビネーションです。

そしてこの曲は、安全地帯を復活させるきっかけとなった涙のエピソードある曲でもあるのです。玉置さんが安全地帯をやりたくなったときにいつも最初に電話がかかってくる田中さんのところに贈られてきたデモテープ、その中に入っていたこの曲を車の中で聴いた田中さんが、玉置さんソロのコンサートに参加することを決意したことが、のちに安全地帯を復活させる第一歩となったのです(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。もちろんこれは結果としてそうなったということで、玉置さんに安全地帯を復活させたいという明確な希望があったかどうかはわかりません。でもファンとしてはそうであってほしいと思わせるエピソードです。ギランがまだ喋っているのにギターを弾き始めるとか、ギランの奥さんが「ブラックモアにステージからバケツで水をかけられた」と苦情を言ったとかいう不仲エピソードがすでに芸風になっているようなバンドならともかく、たいていの場合バンドのファンというのは、バンドが末永く仲良く活動していてくれること、解散しても固い絆によってまた復活してくれることを願うものです。

さて、小節の頭にジャンとコード弾きするエレピのほかはガットギターのみをバックに玉置さんが語りかけるように歌います。「約束だったよね」と「約束してたよね」と。普通に聴けばちょっと仲がヤバくなった恋人同士が昔の話を思いだして絆を確かめあう歌です。ですが、田中さんの心をゆさぶってメンバーに入れてしまうんだからとんでもない威力をもっています。きっと、約束だったのでしょう。言葉はシンプル、だけども意味は莫大、これは長く苦楽を共にした者同士でなければ到底わからないものです。

そして少しずつ少しずつ、ストリングスの音が織り込まれて、Bメロ?サビ?に入ってゆきます。いつ「だっ」てどこ「だっ」てふたり「だっ」たよね……抱き「あっ」て抱き「あっ」てね「むっ」たよね……と、促音でリズムを取りつつその意味で泣かせにくるという高度なテクニックを駆使しています。もちろん歌詞ってみんなそうであるべきなんですが、物語を描くことに夢中になりすぎてこういう基本をスコッと無視している歌が当時の街には溢れすぎていましたし、今でも溢れています。「君の名前を呼びすぎ問題」です。「J-POPは工業製品」は実に言い得て妙です。そんな粗製乱造の量産ポップスの海にあって、職人による手作りの伝統工芸品のような輝きを放つ玉置さんの歌は、不景気不景気と大騒ぎしながらも現代に比べればまだまだ元気だったギラギラの時代の中で、次の「田園」の大ヒットまでの雌伏のときを過ごしていたのでした。

そして間奏、玉置さんがガットギターでソロを弾きます。このギターソロはぜひ音の強弱に注目してお聴きください!おそらく奏法とかあまり意識せずに指が動くまま、歌うように強弱緩急を表現したのでしょう。エレキギターよりも生々しく、精神の状態、その波動を表すもの凄いソロです。そして大きくストリングスが混ぜられてゆき、曲は最後の……いや、演奏時間でいえばまだ半ばですね。でもここでクライマックスに向かって一直線という感覚が強く感じられます。

僕は何ひとつ変われなかったけども、僕の周りが、世界が、何もかも変わってゆく、その背景・文脈の変化によって僕もまた違った意味をもつんだ、僕自身は何ひとつ変わってないんだけどね……

70年代の本格派ロックを演奏していた安全地帯は、80年代に路線変更、都会的なポップ・ロックで一世を風靡したものの我慢ならなくなってロック志向に回帰したところでバブルが崩壊し、世の中に思い切り翻弄されてしまいました。玉置さんも傷つき、倒れ、静養を経てやっと復活、音楽も激変したように私たちには思われました。たしかにCDとしてリリースされた音楽の音像はかなり変わっていましたし、この後も変わり続けているのです。ですが、田中さんにはわかったのでしょう。「浩二は変わっていないな」「約束してたよな」って。

ポール・ラングランが1965年に提唱した「生涯教育」(現代の生涯学習)には二つの意義がありました。ひとつは社会の変化に対応するために学ぶことです。そしてもう一つは、学ぶことによって本来の自分を発見し、磨いてゆくことだったのです。まるで岩の中に埋もれていた彫像を、一つひとつノミを入れて彫り出してゆくような、気の遠くなる作業です。玉置さんの中にあった彫像はその全体像を顕わしていませんでしたが、社会の変化と自分自身の音楽を作ってゆく過程によって、少しずつ少しずつ岩が削り取られ、その全貌が見えてきます。田中さんからすれば、まだ見たことないけどその彫像、玉置さんそのもの、はよく知っているのですから、変わっていない、これが浩二の音楽だ、とおわかりになったのだとわたくし愚考いたします。この時以降、もちろん現在この瞬間にだって玉置さんの彫塑作業、陶冶は続いているのですから、その過程を現代に生きるわたしたちはリアルタイムで観ることができる、もとい聴くことができるという僥倖に恵まれたといわなくてはなりません。

「君だけの星になるって」

その日はきっと来ないんです。来てしまったら、終わってしまうから。だから、「約束した」という事実だけが輝いて、わたしたちの将来に希望を与えます。わたしたちも、玉置さんや田中さんがくれた希望を胸に、自分たちを磨いて自分の人生を輝かせて、いつか誰か大事な人の星になるって約束して、永遠に来ない完成の日まで大事な人のために生きなくっちゃならないなと思わされる、そんな人生の喜びや哀しさまでをも感じさせてくれる曲なのです。

アウトロ、玉置さんの唸り、口笛に挟まれたこれまた美麗なストリングスのメロディーが流れる間に、若き日のわたくしは毛布をかぶってカップ焼きそばを食いながら、そんなことを考えたのでした。でも先立つモノがねえ……かねがねカネがねえ……とりあえずアルバイト情報誌でも読んでいよう……バイクのガソリンも何とかして入れないと面接にもいけないな……ガソリンスタンドってデシリットル単位でも売ってくれるかな?1994年末、きたるべき新年はもう少しマシな一年にしないと誰かの星になる前にお空の星になってしまうわ!
新たな決意を胸に人生を歩もうと強く思ったのでした。

さて、このアルバムも終わりました。感染症騒ぎが始まったころに更新を再開した弊ブログなのですが、まさかまだ騒ぎが終わっていないうちにこのアルバムまで終えるなんて予想もしておりませんでした。ある意味感無量です(ここまで来られたのはうれしいけど、世情はうれしくない)。この次はすこし間が開きまして翌々年96年の『CAFE JAPAN』になります。はやく皆様が不安なく音楽を楽しめる日が来ますように!

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2022年06月26日

LOVE SONG


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』九曲目、「LOVE SONG」です。先行シングルで、カップリングは「星になりたい」でした。

わたくしシングルって買わないことがけっこうあって(ビンボーでしたからアルバム出るまで我慢せざるを得ないことがしばしば)、この曲もこのアルバムで聴いたのが初聴でした。とはいえ、シングルだからさぞかしパンチある超絶哀愁バラードが来るに違いないと期待していたのです。そして、なんじゃこのアダルティーな感じ!ムード歌謡か!と驚きました。

曲はシングルですからってのも変ですが、コマーシャルです。一番売れそうです。ですが、売る気はなさそうです(笑)。というのは、お聴きになられた方はわかると思いますけども、当時一番のボリューム層であった若者向けではないのです。「DAYONE〜」とかいって若者にウケればミリオン連発の時代に玉置さんはそんなことをまったく考えず、ひたすら自分の中から出てくる音楽を形にしていたかのようです。これは若者が背伸びできる限界を軽々と超えていました。当時の若者がなんとか届くのは、この数年前に流行ったブラコン(ブラザーのほうではなく)くらいが限界でしょう。四小節ごとの大仰なキメ、艶やかなアルトサックス(Bob Zung)、悲しげに響くガットギターのアルペジオ、エレピの音……これは若者に経験のないレベルの哀愁と激情以外の何も感じられません。わたくし、この曲とDAYONEだったら、下手するとDAYONEのほうに近いメンタリティーだったんじゃないか……そんなの誇りに賭けてもイヤというか切腹しても認める気はないんですが(笑)、そのくらいこの曲は大人向けに感じられたのです。

「抱きしめたかった」という歌詞は簡単な感情を表しているように見えて、その実重かった……だってお子ちゃまはそこで止まりませんもん。そこで「何も言わずに」という心境になる相手もいません。「あー、あるある!せつないよねー」という感想が出てくるはずがなかったのです。正直、この曲の哀愁を直撃されるようになったのは、奇しくもというべきか自然の理としてそうだというべきか、このときの玉置さんの年齢(30代前半)に達したころでした。ぬおー!そうだそうだ!「両手いっぱいに抱えたガレキを川に流」す気分だ!とか、傍からは決して理解できない何かが通じてしまったのです。それ以来、この曲はわたくし的玉置ベストの常に一角を為すようになります。

エレピのアルペジオをバックにサックスソロのイントロ、ひたすら重いベースとエレキギター、鋭いドラム(THE SQUAREの長谷部さん)、これはムード歌謡などではありません。このズシーン!ズシーン!と堂に入った曲の構えはまるでヘビーメタル的ですがメタルではもちろんありません。メタルが若者のシリアスな怒りを込めた音楽だとするなら、この「LOVE SONG」はひたすらな大人の男の愛を込めた音楽だといえるでしょう。覚えておくんだ、ホンモノの男が女を愛するってのはこういうことなんだ……!とガツンと示してくる……やっぱりムード歌謡かも!(笑)。演奏を聴くとすべてにわたってロックの香りがしてきますので、どんな曲でも作れる玉置さんがムード歌謡的なものをつくって、それを精鋭のミュージシャンたちがピカイチの腕で支えロック風味に作り上げたモノといえばいくぶん正確かもしれません。

さて玉置さんのボーカルが始まり、ベースとエレピ、そして小さな音でガットギターが響く中、「カシュ!カシュ!」とパーカッションでリズムを取っています。二回目のAメロ(A’)でガットギターのアルペジオが目立ち始め、長田さんのクランチトーンが響き始め、曲は一気サビに入ります。

サビは「ほらあんなに」「まだどんなに」「いまこんなに」とリズムとメロディが完全に一体となった強力な音・声の塊を連続でぶつけてきます。これが記憶回路に直接叩き込むなみの威力をもって脳髄に迫ってくるのです。この異常なまでの威力をもってシングル曲として選ばれたといっても過言ではないでしょう。戦艦大和の主砲など撃ったら甲板にいる乗員が衝撃波で死んでしまうから全員室内に退避してから撃たなくてはならなかったから実は実戦であんまり撃てなかったという逸話を思いだすほどの破壊力です。「LOVE SONG」という歌詞はそれら一斉射撃のあとに放たれており、この破壊力抜群のサビの中にあってけっして主役とは言えない位置にいますが、いやいやどうして、主砲ではなく、対空砲としても使えた副砲なみのニクさです(笑)。

さて、曲は二番に入りまして、A’メロを一回だけ(オブリのガットギターが効く!)、そして曲はすぐにサビの繰り返し、間奏、サビ、アウトロへと向かっていきます。

「両手いっぱいに抱えたガレキ」とは、今ふたりを苦しめるもの、それなのに抱えていなくてはならないものすべてなのでしょう。ありていにいうと仕事とか家族とかなんだと思うんですが(笑)、さすがにそこまでは当時のわたくし想像が及んでおりませんで、オトナは大変なんだなーくらいに思っておりました。いやー、若いうちはいいんですよ、体力勝負だから体を動かしてりゃいいんです、少なくとも当時はそれでよかったんです。ですが、年齢を重ねますと、出るわ出るわ、いろんな体面とか体裁とかアリバイとかを揃えなくてはならないというまことに非生産的な仕事の山が!どの組織もクレーム恐怖症ですから仕方ないといや仕方ないんですが、もうちょっとなんとかならねえのこのガレキ!あんたらが腹切る覚悟あればぜんぶ要らないんだよこんなの!この腰抜け!と思うようなどうでもいい仕事が雪崩をうって迫ってきます。まさにガレキ、まさに自由になりたい、ぜんぶ川に流してしまおうか、まああいつらは腹切ることになるかもだけどそんなの知らんわ!って重荷がこのヤワな両肩にのしかかってくるのです。玉置さんが歌ってる「ガレキ」はもうちょっとロマンチックなやつのことだと思うんですけど、それはそれで非常にまずい修羅場が待ってますので、ここは比喩で説明したってことにさせていただきたいところです。ああおそろしい。

「夢」は小さく、それなのにかなわぬ遠いもの、「傷」も小さく、それなのに癒しきれない痛みを保ちつづけるもの、それらに比べてこの「愛」は大きく、どんなつらさからも寒さからも君を守るもの、この「LOVE SONG」は迷いなく君に贈る、いちばんやさしかった日々にいつだって君をすぐに戻すもの……といったように、関連あるんだかないんだか自分でも判然としない「小さい」に対する「大きい」、「つらい」に対する「やさしい」のように、行ったり来たりしながら愛を語るという仕掛けになっています。うーむ、この理路整然としていないのに愛だけは確信をもっていそうなところがリアルです。

さて間奏、これまでもサビを盛り上げてきたサックスですが(なんか、同じフレーズを全然吹いていない気がします、もしかしてぜんぶアドリブ一発で録ったんじゃないのかってくらいライブ感あります)、セオリーどおりというかなんというか、ほぼサビの歌メロと同じメロディーを情感たっぷりに吹きます。これが、アウトロのアドリブ感あるゴージャスなサックスソロと見事な対比を為していて、なんともいえない寂しさを感じさせます。あくまでわたくしの感覚なんですが、異様なくらいサックスの音がいいです。アルトサックスというのは人間の歌に近い表現力をもつ楽器だとわたくしは認識しておりますが、この両サックスソロは玉置さんの歌にぜんぜん負けていないくらいの超絶演奏であるように思えてなりません。サックス吹く人からすればえ?こんなの普通じゃん、ってくらいなのかもわかりませんけども……。

さてそんな超絶悲哀を演出する歌とサックスをたっぷり聴くことのできるこの曲なんですが、わたくしのクレーム予防仕事ごときではとうてい比喩にならぬほどのエレジー、ギリシャ語でいうところのエレゲイア、哀悼歌、挽歌、いやそれじゃ人が死んでるな(笑)、相聞っていうんですかね、このアルバムでいうと「SACRED LOVE」、のちの歌でいうと「出逢い」のような、愛しくてたまんないんだけど決して報われない愛を歌っているように思われます。「正義の味方」や「田園」のような、人生を歌った歌、応援歌的な歌が目立っていて、そう言及されるようになってきた玉置さんですけども、どうしてどうして、ラブソングというか恋愛系の歌も大進化して、このようなロマンチックで繊細なばかりでない歌を歌うようになっていたことを如実に示す傑作ラブソングであるといえるでしょう。

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2022年06月18日

愛してんじゃない


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』八曲目、「愛してんじゃない」です。

この曲を含むいくつかの曲にピアノに中西さんが参加されてます。安全地帯時代のミュージシャンはほとんど排してこのアルバムは作られているわけですが(星さんは除く)、中西さんは例外的な立ち位置にあるようです。

さて、この曲「愛してんじゃない」を何度も連呼しますね。その割に意味がよくわからないのです。愛しているわけじゃない(愛していない)、ほらやっぱり愛しているじゃない(愛している)、反語、疑問、いずれともいいがたいわけですから、文脈によって決まるわけですが、まわりの言葉をよく読んでも判別がつきません。後ろに「忘れる」がつく場合は「愛していない、だから忘れる」で、後ろに「会いたい」が続く場合は「愛している、だから会いたい」なんじゃないかなー、とは思いますが、そのいずれともつかぬ混乱し整理のつかない感情を吐き出しているというのが一番似つかわしいように思われます。

エレピと、なにやら笛のような……まあ、笛関連のクレジットはないのでシンセだと思いますが、サスペンス劇場の気まずい結末からエンディングロールに向かうときのようなイントロが始まります。まあ、ドロドロの失恋直後を描いた歌のようですから当然ですが。しかし、かつての「1/2 la moitie」とはかなり異なり、曲がポップでロックです。

ドッドドッドドッドドッド……と骨太なリズム、キレッキレのドラム、ボッキボッキのベース、歪んだギターはリズムを合わせつつ小節ごとに気の利いたフレーズを混ぜ、歌に裏メロを入れます。途中からエレピが高音に入り、ホーンセクション(おそらくシンセ)が合いの手を入れます。うーむ見事!歌謡ショーのようなアレンジなんですが、ロック魂満点のズシズシ感でかなりハードに聴こえます。

「もう……会〜わない〜」と玉置さんが思いつめた声で吐き出します。歌う、でなくて吐き出すといったほうがいいくらいの切実な歌声です。玉置さんはいつだって歌で語るのです。もう会わない、何も言わない、絶望的な決心をして街をどこまでも歩き回り、冬の夜の雨に濡れてゆきます。

もしかしてまだ「愛してんじゃない」?いやそれは忘れる、忘れるんだ。やっぱりまだ「愛してるんじゃない」いや、「愛してなんかいない、いないんだ」「愛してなんかいるものか」……でもまだ「愛しているんじゃない」?……「会いたい」んだ!

なんと壮絶な……愛しているんですね、どうにもこうにも。ドッドドッドドッドドッド……と歩みを進めつつ、思考がグルングルンと同じところを行ったりきたり。愛していない、愛している、愛していない、愛している……もう愛しているんだかいないんだかわかりません。でも最後に「会いたい」と叫ぶのですから、それだけは確かなのです。愛憎の念入り混じるとはまさにこんな感じの心境なのでしょう。おそらくは、ひと冬だけの短いお付き合いだったのでしょうけども(だから花火のようにポーンと打ちあがり、シュワワと落ちていったわけです)、深い深い傷跡を残すほどに愛していたのでしょう。

エコーを交えて愛してんじゃない……ア〜アア〜愛してんじゃない……と叫ぶように絞り出すように繰り返すアウトロ、演奏もここで最高潮に達します。ドッドドッド……ドードードードードードーと、歩み続けていた脚がよろめくようにリズムを変え、また歩み始めます。「1/2 la moitie」がシン!と張り詰めた静けさの中に狂気を秘めた失恋ソングだとすれば、「愛してんじゃない」はひたすらにラウドでアクティブな男の彷徨を描く失恋ソングです。『All I Do』時代のおすましさんはもういないのです。体全体から、心全体の波動を表現しつくすような歌詞とアレンジで、新しい時代の玉置浩二ここにあり、を示す新しい失恋ソングであるといえるでしょう。

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2022年06月12日

最高でしょ?


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』七曲目「最高でしょ?」です。

「さ〜いこ〜うで〜しょ〜」と多重コーラスの玉置さんボーカルに始まり、裏に鬼のギタートリル!クレジットをみますと玉置さん鈴木さんと……山岸潤史さん?全然存じ上げなかったのですが、YouTUBEでちょっと音を聴いただけでとんでもない人だとわかります。よくこんな人連れてきましたね……鈴木さんとのパート分けは全然わかりませんが……音が最高すぎます。しいていえば、一番AメロBメロの裏は鈴木さん、二番になって山岸さんがカッティングで絡んできているんじゃないかな……ぜんぜん自信ありませんが。ストラトキャスターのフロントピックアップでトーンを絞り、チューブスクリーマーを噛ませたフェンダーツインで鳴らせばこんな音になるんじゃないかな……とは思うんですが、自分でやったら絶対違うんです。というかいまやってみました(笑)。やっぱそもそものレベルが違いすぎです。そんなわけでスーパーいい音のギターを楽しむことができます。そして序盤をボムン……ボムムン……とムードたっぷりにリードし続けるベースは美久月千晴さんです。拓郎やみゆき、明菜ちゃん、このころだと柳ジョージさんや久松史奈さんのベースをお弾きになってた方ですね。玄人好きするベースというか……こんなムーディーなベース弾かれたらボーカル食われちゃいますんで、歌によほど自信がないと呼んじゃダメなベーシストです。

さて歌がいきなり始まってまして、ジャジーでムードたっぷりな演奏に玉置さんがSUNDAY〜と憂鬱な週の前半を歌います。ロシア民謡「一週間」はなんでも二日かけて行いますが(月曜日に蒸し風呂を焚いて火曜に入るとか)、玉置さんは日曜から火曜まで三日も悩んでいます。水曜に一念発起して痴情のもつれを解く決心をして仲直りするのです。そうしたら木曜日は最高でしょ!とルンルン気分になって、金曜夜から土曜はウキウキの逢瀬を思い切り楽しみ、そして週が明けまた日曜(いわゆる「サザエさん症候群」の日)、そして憂鬱な月曜がやってくる、だけど週末たっぷり愛し愛されたから月曜から頑張るさ!というストーリーです。

ものすごいのは、水曜のごめんなさいから始まる怒涛の展開、キーボードが入り、ホーンが入り、とみるみる気分が修復されてゆき、ギターの超ゴキゲンなカッティングが入り、ドラムがハイハット連打から16ビート全開のストローク、その間ずっとホアチョさんのパーカッションが血管の沸き立ちを描き出しと、あっというまに気だるいムーディージャズがビッグバンドによるソウル&ファンクの大合奏に変わってゆくこの曲全体の展開です。なんだこりゃ、こんなの初めて聴いたぞ!もちろん初聴のときなんてわけわからんうちに終わりますから(いま思えば恋愛もそうですねえ)、こんなふうに曲全体をことばで説明できるような冷静さがあるわけもなく、何だいまの!よくわかんないけど一気に盛り上がってササっと引いていったぞ!なんだったんだいまのは……と呆然とするだけでした。

「わがままばかりで本当にごめんなさい」って、玉置さんなら本当にいっちゃいそうですけども、わたしたちは日常生活でここまで簡潔な謝罪の言葉を口にすることがあるでしょうか。いろんな状況説明とか心情の変化とかそういう回りくどい枕を置いてから、だから、申し訳なかった!すまない!って切り札のようにゴテゴテと装飾をつけた謝罪の仕方をするのが通例でしょう。だって謝罪って気まずいじゃないですか(笑)。It's Hard to Say I'm Sorry(シカゴ)です。そんなHardさを克服するのに三日しか要しない玉置さんだからこそ、週単位で恋愛超盛り上がりロードに復活できるわけです。

THURSDAYからキュッキュッキュッキュッ!キュキュキュキュ!と気持ちよすぎるスーパートーンのカッティングが「最高でしょ?」「あーいされてーええ!」のリフレインを下支えして、この何ともいえない気分の高まり、うーむ、まるで恋人に逢うため繁華街に向かうタクシーがネオンの中に入ってきたあたりの気分といいますか、地下鉄駅のトイレで鏡に向かって小さなスプレーボトルの香水を振りかけてよし行くぞと階段を登る気分と言いますか、そういった気分の浮き立ち、ざわめきを搔き立てます。わたくしお金がなかったのでバイクで向かってしまい、ゴメン今日は飲めないわ、さ、乗んなよとかいってしばしば「真夜中すぎの恋」PVでヘルメットを投げ返されるお兄ちゃんみたいになってました(笑)。もちろん80年代じゃありませんでしたから恋人はピンボールなんかやってたわけではありませんでしたけども。90年代半ば、街にはカラオケボックス、ファッションビル、そしてドトールがたくさん出来てきていたのを思いだします。吉野家、立ち食いそば、ゲームセンター、カラオケ、ドトール、マック、たまに地下鉄入口、の永遠繰り返しみたいになっていました。斉藤、桑田、槇原、宮本、香田、たまに木田って感じです。こんなもののどこが面白かったのかよく覚えてませんが、LINEのなかった当時、若者たちはひたすら街で逢い、そして街で遊んで飲み喰い、そして遊び、愛の言葉を交わしたのです。だから街もそれに応えるような施設をひたすら繰り返しで用意していてくれたのでしょう。それにしても、いま思うとなんか安いところばかりだな(笑)。元祖デフレ世代ですから。バブル世代とはふところ事情が違っていたわけです。ですから、元祖バブル世代の玉置さんがこの時代にこういう邂逅をなさっているエリアとはおそらく全然違う場所なんですね、時代だけ一緒です。

さて、デフレエリアで好きともいわれず素直にもなれず、ただただ安いものを消費するわたしら(非モテ)をよそに、「好きなんだよっていわれたら素直に喜んでみせ」るピュアでエネルギッシュな玉置さんのいるバブルエリアでは、裸になったりキスしたりと「最高でしょ?」なワンシーンが起こっていたわけです。当時はこんな混沌とした時代だったといえます。

「ダイヤモンドの気分」という、硬度100のピカピカ、誰にも負ける気のしない最強・有能感で目も手も顔もみんな輝いて力がどんどん湧いてくる状態で、ゴージャスな車でみたバックミラーにはネオンの街、月の砂漠のように静かなオフィスエリアを抜け、海岸通りの街道へ。あたりは暗いですから夜の果てまでふたりきり(な気分)!こうなったらもう止まりません。「ダイヤモンドの気分〜」からはじまる長大なサビは、さらにここで展開を見せて、終わらないサビを続けます。「亜熱帯」「とまんない」「愛したい」「感じたい」「たまんない」と〜「い」を強引に連呼し「世界はパラダイス!」とブレイクしたかと思いきや、またまた「終わんない(ウィスパー)」「愛したい」「ホーリーナイ(ト)」「世界はパラダイス!」と一気に繰り返します。その間ずっとゴキゲンなカッティングと合いの手、パーカッションのアオリが続きます。テンション高すぎ!

息もつかせず間奏、「最高でしょ」「最高でしょ」とリフレイン、まだテンションを落とさず「マリオネットを〜」とBメロを挟み、気分が最高潮に達したことを示唆させます。そして一気にスローな「最高でしょ」にたどり着きます。ああ、こりゃ、気を失ったな(笑)。気がつくとすでにSUNDAY、でも気分は充実感でいっぱい!MONDAYからはまたお別れ、それぞれのウィークデイを過ごすことになりますが、もう一人じゃないから頑張れる、週末これだけ愛を確かめ合ったんだからという気持ちにもなれるってもんです。毎日こんなことやってたら死にますんで、そのくらいのペースでよろしいのではないでしょうか。

しかしまあ、ものすごいテンションで、全力で一気に六分近くを駆け抜ける大曲です。これは演奏する人にもかなりの緊張を強いる曲です。なにしろ単純な繰り返しがほとんどないのに長いのです。達人たちによるジャズのジャムセッションにも似た緊張感が全体を貫いています。この当時の玉置さんがたどり着いた境地をもっともよく表す曲といえるのではないでしょうか。

さて、以前コメント欄にも書いたことがあるのですが、この当時玉置さんはHEY! HEY! HEY!とミュージックフェアに立て続けに出演し、どっちがどっちだったか記憶は確かではありませんがこの「最高でしょ」を「すごくいい曲ができたんです」といって歌ってらっしゃいます。わたくし脳のアップデートが追いついていませんでしたので「えー、これがすごくいい曲?」と思ったのですが、いま聴くとたしかにとんでもない曲です。どうも『夢の都』あたりから、わたくし玉置さんに引っ張ってもらっていた感覚があります。よさのまだわからない曲を次々に出して、ほら早く追いついてこいとおっしゃってくれていたような……もちろんそんなわけあるかって話なんですけど、一回聴いてこれは!とすぐに思えたのは次の『CAFE JAPAN』からでした。そしてまんまとヒットしましたから、この『LOVE SONG BLUE』までは嚙み合わせの悪さというか、リスナーとのズレがこの時期には生じていたのだと思います。ですが、使い捨てのシングルと違ってアルバムってのは残るものですから、こういうふうにだいぶ後から再評価することができます。この曲はこのアルバムを象徴するものであって、参りました玉置さん、当時はぜんぜんわかりませんでした、引っ張ってくれてありがとうございます!と感謝したくなるくらい凄まじい曲だといえるでしょう。

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2022年06月05日

ROOTS


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』六曲目「ROOTS」です。

これはいうまでもなく、歌詞だけみるとわけのわからん歌です。それゆえに大傑作です。何が凄いって、リズムと歌の浸透力です。何言ってるのかわからないのに、覚えちゃうんですよ!これはのちの『JUNK LAND』で大成といえる境地にたどり着いたわけなんですけど、『JUNK LAND』にはメッセージ性が強く感じられるのにこの「ROOTS」にはなんのメッセージ性も感じられません。なんだかわかんないけど凄いな!としか言いようのないこのエネルギー!「休む間もなくものすごい勢いで走り続けているが、どこに向かっているのかは誰も分かっていない」とは志田歩さんが『月に濡れたふたり』時代の安全地帯を評したことばですが、この「ROOTS」の玉置さんは、バンドがではなく曲がまさにそんな感じです。エネルギーの無茶苦茶さが何を目指しているのかわからない!わたしたちはアリストテレス以来の目的論にハマりすぎて、もの・ことには、なにか目的がないと落ち着かない、説明をつけたくて仕方ないのかもしれません。このエネルギーは目的などない!あったとしてもそれは神(玉置さん)にしかわかりようがない!今後、今年いっぱい〜来年前半くらいはそういうレビューが増えていくことが予想されます。ですから、わたしたちからすれば、500馬力オーバーのスーパーフォーミュラ・ローラFN06くらいのとんでもない車が子どもの送り迎えをやってるような、釈然としないエネルギーを感じてゆくことになるのです。

カツカツと刻まれるリズム、フェードインしてくるキーボードとアコギ、ローファイ加工された玉置さんのカタカナ歌詞の歌……「キヲツケテ」とか、まったく気をつけてほしい気持ちの感じられない不穏な囁きです。なんだこの不均衡!といきなり度肝を抜かれます。「気をつけてくれぐれも」なんてセリフが歌になるという時点でもう驚きですが、こんな胸のざわめく、いかにも事故に遭いそうな音楽にカタカナ歌詞をつけてローファイで囁くなんてありえん!治安の思い切り悪い地区に借金回収に行った帰りかなんかなんじゃないかと思わされます。とても無事に帰れそうにない……。

ドラムのフィルイン、ベース、マラカスのようなパーカッション、そしてのちに湊さんの鋭いドラム、ベース(岡沢さん、なんといういい音!)鈴木さんのギターがドカンと入ってからもあまり事情は変わりません。「野バラや……きれいな花が咲いてた」いやぜんぜんきれいな花って感じじゃないですから!マカロニ刑事を刺す刃がその辺から飛び出してきそうですよ!(「母ちゃん、熱いなぁ……」)「浜辺で愛をかわした」「バナナが大好きだった」と歌詞はめ一杯平和で日常的なんですが、曲だけがとんでもないレベルで不穏です。どうしてくれよう、このアンバランスさ!そして「プロペラ回してブルブルブルブルブルブルブルブル!」のあたりでハタと気がつくのです。あっ!もう歌える!初めて聴いたのに!なぜ?なんだよこれ!全然いい歌だと思わないのに!と。このくらい浸透力が強いのです。

そう、何を隠そうわたくし全然いい歌だと思っておりませんでした。愛の物語を描く歌詞の世界も心をわしづかみにする美麗な旋律もありません。それしか期待してなかった……評価基準がなかったのです。いやもちろん、『太陽』や『カリント工場の煙突の上に』で別の評価軸を育てていたんですけども、それらはいわば従来の応用であって、全く別の評価軸が必要になるなんて、予想もしていなかったのです。ですが、この歌をここまで聞いた時点ですでに心身に叩き込まれていました。五寸釘を頭にガツンと!もうこうなったら玉置さんのノリの虜です。「パラララッパッパパー」です。ノリノリで楽しくて仕方ありません。

「もう傘も用意したのに なかなか雨が降ってこない」って、歌の力で強引に覚えさせられた感がありますが、ガッカリ感が強いですね。世の中には台風が来るとワクワクする人種というのがいるのですが(あちき)、せっかく用意したいろいろなグッズが役立つことなく台風が明後日の方向に進んでいったような感覚です。Singin in the Rain!雨に唄って踊って、最後に緞帳をめくってキャシーが出てくる瞬間を待ちに待って……でも降ってこない……。事情はいろいろでしょうけども、ここでは雨がなんだか楽しいものであるかのような扱いです。

ここで曲は一気にスローになり、「ここへおいで なかよく並んで」というなんだかよくわからない勧誘が歌われます。次いで、「パラララッパッパパー」「進め!」と最高にノリノリなんですが、何をやっているのかはわからない(笑)局面が描かれます。意味や目的なんてなくていい、そんな呪縛はいらない、君と僕、僕と君がずっとふたりで歩んでいけるのなら、それだけで十分だろ?足並み揃えて楽しいじゃんか、それ以上になにがあるっていうのさ!もはや冒頭の「キヲツケテ」は何だったのかさっぱりわかりません。「バナナが大好きだった」少年時代に、君は何をしてたの?なんて、なんで訊いたのかもわかりません。わからなくていいのです。わかろうとするということは、この世界のストーリーを求めるということなのですが、そんなストーリーははじめからなくて、ただ君と僕がいるだけなのです。

ここでブレイク、鈴木さんのやや深めな歪みのすばらしい音色が響き、一気に曲は最後の局面へと進みます。「君に乗りたくなったら」というややきわどい表現もなんのその、ひたすら楽し気なのに気だるそうに、それでいてノリノリというカオスな曲は安全地帯・玉置浩二にありがちな長いアウトロへとなだれ込んでいきます。このアウトロは絶品です。玉置さんのシャウト、楽器陣の鬼気迫る演奏といったら!『JUNK LAND』はほとんど外部ミュージシャンを使わないで作られた世界だったわけですが、この「ROOTS」は一流ミュージシャンたちが渾身の力をこめて作った信じがたい音の津波です。玉置さんがやりたかったことってこれなんじゃないか、それがこの「ROOTS」で実現されていたのを、のちに自分だけでやってみようと思って90年代後半の玉置ソロが作られていったんじゃないか、などと思うわけです。

ところで曲名のROOTSって何のことだろう?と不思議になります。草の根?いやいや自分の音楽ルーツ?それとも……手元のリーダーズ英和辞典にはこうあります。

 b.[〈a.〉]ルーツ的な、民族的な〈音楽など〉

音楽ルーツとして玉置さんが自分の中に求めたものが形をとったのがこの曲なんじゃないのか……そういう曲を作りたいという願いをこめて、あるいはそういう曲を作ることができた記念として、この題名を用いたんじゃないか、と思わされるのです。

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2022年05月29日

SACRED LOVE


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』五曲目、「SACRED LOVE」です。

いまさらなんですがWikipediaの『LOVE SONG BLUE』の項を読んで、参加ミュージシャンの情報が事細かリンクされていることに驚愕しました。遅い!湊さんが参加しているのを知って大喜び&ドヤ顔で書き散らしてしまってから気づいても遅すぎる!すでに後のカーニバル!なんてこった……そんなわけで、参加ミュージシャンの情報はぜひ上記リンクからWikipediaをご覧ください!

それでですね、そのWikipediaのページにはこの「SACRED LOVE」のことも少し書かれているのですが、なんでも、関テレのサスペンスドラマで使われたそうなのです。全然知らなかった!なんということだ……「情熱」が火曜サスペンスで使われていたとか、筑紫哲也のニュース番組で「メロディー」が流れていたとか、ちょぼちょぼとテレビで観たことはあったのですが、何せテレビ、地上波放送、たまたま見かけるか雑誌で事前に情報をキャッチして待つ以外にはなかったのです。不便だったというか贅沢だったというか……。

この曲には、もうふたつ情報があります。なんでも盲導犬が亡くなった飼い主を偲んでいる歌だと……個人のtwitterですのでリンクはなんとなく悪い気がしてしまいますが(無断リンク禁止世代、謎の文化)、簡単に検索できます。もうひとつは、今上陛下がご結婚なさったとき(まだ皇太子の時代)の特集番組で玉置さんがこの曲を歌ったというものです。なんか皇室がらみであったよなーと覚えていたんですが、あらためて検索して当時の状況がある程度わかりました。陛下の結婚ってよく覚えているのですが93年6月でしたよ。まだ『カリント工場の煙突の上に』が発売される前ですが、そのときにはすでにこの曲があったわけです。まあ、そりゃそうです、アルバムが発売寸前ですからね、もうミキシングマスタリングもほぼ終えていて、次作の作成にとりかかっている時期であるのはごく自然であると思われます。ですが、それにしてもこのアルバム作成期間中でかなり初期に作られた曲であるのは間違いなさそうです。

そんなわけで、『カリント工場の煙突の上に』からの連続性を感じさせるガットギターを主体としたバラードです。ですが、『カリント工場の煙突の上に』全体を支配していた内省とか望郷とかはほぼ感じられません。ですからどんなに遅くとも93年6月の時点では(「ひとりぼっちのエール」発売からわずか四か月!)すでに玉置さんは次のステップに向けて力強く歩みを始めていたのです。そんなの逆算して考えればわかるだろって思うかもわかりませんが、わかんないんですよ!当時は情報媒体少ないんで、たまたま情報に出会ったときにしか想像力が働かないんです。洋楽みたいにライナーノーツつければいいのに(MASA伊藤「泣くがいい!声を上げて泣くがいい!」)。

さて曲はエレピとガットギターのアルペジオでしめやかに始まります。玉置さんのボーカルが入ると間もなくごくごく小さい音でストリングスが入り、それがだんだん大きくなるにつれて曲が盛り上がります。このあたり、『あこがれ』や『カリント工場の煙突の上に』から受け継がれた手法ですね。ですが、当時にはほとんどなかった要素としてパーカッションがあります。間奏の終わりにティンパニ、そのあとスネアが入る箇所があるんですが、これはドラムセットをあやつるドラマーでなく、ホアチョさんと高田みどりさんで……まったく役割分担がわかりませんが、ひどく効果的です。また、Vc Solo……チェロですね、オーケストラのスコアでVcと書かれるようです。チェロ?どこに入っているんだろう?二番の裏にずっと全音符で入っている音……しかそれにあたるものがないんですが、これチェロの音?オーボエに聴こえるんですが……チェロも高い弦だとこういうふうに聴こえるんでしょうか、謎です。このように、『カリント工場の煙突の上に』のサウンドを踏襲しつつも以前とは異なるさまざまな要素が盛り込まれており(正確には一人でやっていたのを、いろいろな人を起用するようになった)、玉置さんの回復ぶりを感じられるように思います。

さて、歌ですが……切々と歌われます。当時歌詞カードを一読して、わたくしまったくこの曲に期待しておりませんでした。あまり詩情を感じなかったのです。安全地帯の頃や須藤さんの書いた『あこがれ』は、歌詞をみてまずウワーッと感動し、そのあとで玉置さんの歌を聴いてヌオーッと倒れるのが恒例でしたから、このアルバムには正直その時点であまり期待していなかったのです。やっぱ松井さん須藤さんに書いてもらったほうがいいよ、とか無礼千万なことを思っていたわけです。

で、本アルバムここまでの曲と同様、この曲も歌詞を読んだだけでは到底わからない、玉置さんの歌による玉置さんの詞のパワーをまともにくらいました。「いつも逢えるの」「ときどき逢えるの」「〜逢えないの」「〜逢いたいの」……、な、なんだ!この寂寥感は!ただごとじゃないぞ!泰山天狼拳かよ!

「暗い夜明け」って夜明けなのに暗い?ああ、そうか「凍えそうな真夏」だから、早朝の、まだ日が昇る前だ、それにしたって凍えそうってことはないだろ……でも玉置さんの「こーごーえそーうなー」は本気で凍えそうだぞ……なんだかよくわからないけど歌の力で強引に納得させられた感がハンパではありません。玉置さんのガットギターで弾かれるソロも、なんと淋しく、そして寒いことか。わたくしこのアルバムを買うために年末年始の食費をギリギリにおさえた話はすでに書きましたが、よく考えたら灯油代は計算に入っていませんで(笑)、毛布をかぶりながら聴きました。94年の冬はとにかく寒かったのです。そんな中バイクが盗難未遂に遭って剃りの入ったヤングボーイを懲らしめたら次の日にはオイルタンクに砂を入れられているなど、とにかく散々な冬だったのです。ですから、このアルバム、とりわけこの曲はあの冬の寒さの記憶と分かちがたく結びつき、今でもこの曲を聴くと少し寒気がするほどに強烈に心に食い込んできたボーカルと、それにドンピシャの歌詞、へたすると気合で遺伝子にまでねじ込まれているんじゃないかと思うくらいの強烈なことばとリズムの複合体でした。リズム、譜割が松井さんや須藤さんと異なりますんで、最初はなんだかのっぺりとして聴こえたんですよ。だからこそだったんでしょうね、「心にあるのは」「愛の日の永遠を」のように上下の激しいメロディーがより直接的に胸を打つんです。

さて、「僕」が盲導犬なのか玉置さん本人なのかはおいといても、この切々とした慕情は、家族かそれに近いくらい傍にいた人(など)に向けられるものであることは明らかです。そして、「いつも〜」からのだんだん遠くなる距離感の中での愛しぶりは、それこそ犬なんじゃないかってくらい素朴でこの上なく美しいものです。

真夏の夜明け前に、幸せだって歌っていた「君」と、愛は永遠なんだこんな日がずっと続くんだって、それこそ誓ったというくらいに強く信じた「僕」の愛は、まぎれもなくSACRED神聖にして不可侵なるものであるといえるでしょう。

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2022年05月21日

ふたりなら


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』四曲目、「ふたりなら」です。安全地帯時代の感覚に近いバラードで、昔からのリスナーであったわたしにはとても自然に響きました。とはいえ、新時代玉置さんの曲であることには違いないわけでして、当時のわたしには聴こえなかった新時代の要素がふんだんに盛り込まれているわけです。

クレジットをみますと……ギタリストが鈴木さん長田さん玉置さんの三人になっていますね。あんまり詳しくないんですが、チューブスクリームの丸い歪みが鈴木さん、ディストーション系の深めな歪みが長田さん、アコギが玉置さんってところでしょうか。みなさん素晴らしい音です。安全地帯時代のようなギターアンサンブルですが、音やフレージングが矢萩さん武沢さんとはもちろん違いますので、違った趣のアンサンブルを楽しむことができます。こんなふうにギタリストが変わるとサウンド違うんですよ、あ、いや、それはもちろんなにストでも同じなんですけど、わたしのようにすぐギターに耳が行ってしまう人にはわかりやすい変化だと思います。そしてドラムに山木秀夫さん、ベースに岡沢章さんですか……いずれも名の知れた、正確にはわたしのようなロック馬鹿でも目にしたことがあるような名の人ですね。どうやって集めたんでしょう、いまこんなバンド組めないですよ……とんでもない豪華仕様です。また、オペレーターに藤井丈司さんが参加されています。

遠くからポワポワとした高音シンセが聴こえてきてフェードイン、低音シンセ、ギターのハーモニクスが混じりそれらがやんだ一瞬に玉置さんが「アウア〜」とひと唸り、ドラム、ベース、ピアノが入ります。ピアノがストロークでリードをとります。ギターがギューン!と小さな音量なんですがめちゃくちゃ目立つ音質で音を伸ばし、ドラムがフィルイン、ふう、前奏だけでだいぶ聴いたって満足感があります、さすが豪華バンド(笑)。

シンプルなアコギ、ピアノをバックに玉置さんのボーカルが入ります。ふたりで暮らそう……なんと唐突でシンプルなことか!詞の技巧も何もあったもんじゃありません。それがひとこと目に言うことでしょうか。意表をついております。松井さんの「ふたりで踊ろう」はまだ踊るだけですが、これは暮らしてしまいます。つづけて「ふたりで歩こう」です。手順的にこっちが先な気もするんですが……ああ、人生を一緒に二人で歩いていくわけですね、そりゃ暮らしてからだわ!……とくだらない妄想しているうちに、ギターのリックが入り曲は展開していきます。このギター、初聴時から耳について離れません。玉置さんの歌の強さにどんぴしゃりで曲を盛り上げます。歌手のアルバムなんですから歌手の存在感を越えちゃいけないんですけど、完全に空気になるのもいけません。レコーディングだと30分だけ弾いてもらってあーキミもう帰っていいよです(レコーディングのスタジオはこのくらい殺伐としています)。どうしたらこんな絶妙に印象的なリックを弾けるんでしょう。ギタリストとして嫉妬するのもおかしなくらい、さすがのお二人です。逆をいうと、歌が玉置さんだからこそここまで存在感を出せるギターを弾けたわけでして、歌手の実力が高ければ高いほど呼ばれたミュージシャンも実力を発揮できるわけなのです。

歌は早々にサビに入りまして「ふたりなら」と玉置さんが高らかに歌います。ツヤとハリのある、素晴らしい声です。安全地帯時代と、「田園」以降のソロ充実期、そして安全地帯の復活した現代、どの時代でも玉置さんの歌は一目置かれる以上の評価を得てきたわけですが、日本一歌がうまいといわれるようになってきたのは現代になってようやくなのです。お叱りを承知でいうのであれば、わたくしこの時期こそが玉置さんの声が絶頂期にあったと思っています。それなのに安全地帯が失われていたのは運命の皮肉としか言いようがありません。田中さん、六土さん、矢萩さんが一人ずつツアーメンバーとして参加してくれて、しばらくして武沢さんがお戻りになる決心をなさるまでの十年弱で、玉置さんの声は少しずつ少しずつ、その高音部とツヤを失っていったように聴こえるのです。これは相対的なことですし、好みの問題でもありますからいいとか悪いとかじゃないんですけども、94−95年ころに武道館かあるいはスタジアム級のステージに安全地帯が立っていたら……と残念でなりません。安全地帯に限らず歴史ってそういうものなんですけどねえ。

ふたりなら愛があるってことは、ここでの「愛」はふたりでなければ成り立たないようなものであるわけです。ひとり悶々の愛は愛であって愛でない……そりゃ愛っていろいろなんでしょうけど、ここでの「愛」はふたりの暮らしを紡いでゆくものに限定されています。厳しいな成立条件!それを守るためにたたかう、生きる理由はそれだ、と玉置さんは最高のハリツヤで強く歌います。そして、演奏のほうなんですが、これが新時代玉置さんのバンドサウンドというべき、非常に生々しい音です。ドラムもベースもギターも、エフェクト処理の少なめな、それぞれのミュージシャンがもっている音色なのだろうと思われます。もちろん安全地帯のみなさんがエフェクターで原形を留めていないというわけではありません。これは単に安全地帯の音を作ろうとしていた安全地帯メンバーではない、という事実によるものと思われます。これは当時わたくしあまり気づいていませんでした。80年代が終わってまだ数年、耳のアップデートが追い付いていませんでしたが、時代はより生音に近いサウンドが中心になっていったのです。ですから、エフェクターによる極端な加工やデジタルレコーディングといった最新技術を駆使したやり方にストレスを溜めていた玉置さんにとっては、楽しいレコーディングであったものと思われます。

さて短い間奏を挟み、歌は二番に進みます。夕焼けに染まった緑の丘、そこにたたずむ赤い屋根の家、肌寒い季節にふたりがぬくもりをわけあって暮らす場所が歌われます。愛があるなあ、愛は目に見えるものでないのに、明確に目の前に情景が浮かびます。それが愛なんだと。のちの「明かりの灯るところへ」で松井さんが描いた愛の原形は、この曲にあるのだと思わされます。

こうした家は「迷ったならそこへ帰る」ことのできる場所として機能します。家ってそういうものだろと思わなくもないのですが、玉置さんにとってはそういう「家」が旭川の実家であったわけですから、そこを「ふたり」の場所として歌うというのは、大きな心境の変化、もしくは成長を意味します。玉置さん、すっかり復活したんだよかったよかったと思わずにはいられません。いろいろ生きる意味にも迷い、僕はもう死にたい気持ちなんですとか泣き言を言っていた静養時代を乗り越え、人生のいろいろを経て最後に残る「愛」だけで生きると、力強く宣言するのです。

曲はアウトロ……と思ったらこれは間奏ですね、歌詞カードの詞はもう終わっているんですが、最後にもう一度サビが歌われます。クレジットに記載のある小林正弘さんのトランペットと、清岡太郎さんのトロンボーン……おやまた浜田省吾さん関係の……おそるべし須藤コネクション!このお二人の音がギタリスト二人の音と絡み、さらに岡沢さんのベースがうなりを上げて曲を盛り上げます。玉置さんに遠慮がないんじゃないかと思うくらいなんですが(笑)、そこはさすがの一流ミュージシャン、きっちり最後のサビ、玉置さんの歌に照準を合わせて引いてゆきます。なんというメリハリの効いたアレンジ!玉置さんや星さんがどこまでミュージシャンに注文を出したかわかりませんが、一音一音指定したとは思えないくらいみなさんのびやかに演奏なさっているように聴こえます。安全地帯とは違ってみなさん玉置さんと寝食を共にしてきたわけではありませんから、新しいやり方を採らざるをえなかったものと思われますが、このアルバムはこの曲に限らずとても演奏が豪華です。この後、玉置さんはまた自分一人だけで音を重ねてゆく方向に進むわけですから、この豪華さは後から考えたらとても貴重なものだったといわなくてはならないでしょう。

最後のサビが終わり、今度こそアウトロにすすみます。ドラムがドコドコと轟音を上げ、ピアノとホーンが掛け合いをする長いアウトロです。それは一分半近く続き、フェードアウトしていきます。いやもっと聴きたいんですけど(笑)、いつまでもってわけにはいきませんね。豪華バンドの名残も惜しく、アルバムは次のアコギ弾き語り、どシンプルな「SACRED LOVE」へと向かいます。憎いなあ、このコントラスト。

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2022年05月14日

愛してるよ


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』三曲目、「愛してるよ」です。

ノリノリのロックンロール!ヘビーな音!リズミカルな歌詞!これはもう、ネオ玉置節炸裂の名曲と言っていいでしょう。

玉置さんの掛け声が入るや否やスネアがバンバン!続けてヘビーなギターリフが入ります。右と左で違うんですが……玉置さんと長田進さん……?あ、そうなんですね、これは知らなかった!佐野元春、浜田省吾、尾崎豊……いまでは系譜を継いでいる歌手もいない(しっかりしろよレコード会社!)「そっち系」の活動を支え続けた名ギタリストです。須藤さんが紹介したんじゃないんですかね。二人で弾いているのか一人で弾いて重ねているのかは判じかねますが、非常に重厚です。そしてキュワーン!と高音部の遊びが入る前後からベース、ホンキートンクなピアノが入ります。このピアノ、ホントにいいですね。曲全編にわたって、なんというかジャズやカントリーのかるーいタッチでやけに鋭く、ノリノリのテンションを維持してくれます。ライブではもちろん安藤さんが弾くんでしょうけども、CDでは小島良喜さんがお弾きになっています。とまあ、ちょっとオーバープロデュースなんじゃないのかというくらい音の詰まったアレンジになっているんですが、湊さんのハーフオープン気味なハイハット、スネア、バスドラの鋭角な響きがこの贅沢なバンドの音を完全に引き締めています。

All I Do』もたいがい贅沢なバンドだったわけですが、玉置さんはそういうバンドを好む人でなく、気心の知れたメンバーだけ、下手するとカキくん安藤さんだけとか、さらには一人だけでもレコーディングをやり遂げることを好む人です。ましてやこのときは前年に限りなく自分一人のハンドメイド作品に近い『カリント工場の煙突の上に』を出したばかりですから、このアルバムではかなり思い切ったんじゃないかと思います。玉置浩二、ここに復活!という印象を与える強烈なバンドです。

さて玉置さんのつぶやき(SHAKIN' HEAD?)や掛け声が織り交ぜられたイントロの勢いそのままに歌が始まります。いきなり「頭にくるならかかってきな」です。この後も「かかってこい」「そんなのむずかしくないから考えてみな」「おまえはいいかげんだ、あいつもいいかげんだ」「愛されないぞ」「迷惑になっているぞ」などなど……なんと!この歌は挑発で成り立っていたのです。初めて聴いたよ挑発ソング!いや、洋楽の世界では聴いたことがないわけでもないんですが、日本語でそれをやるとシリアスさが伝わらないというか、過度に皮肉になってしまうというか、とにかくハマらないのです。「人間なんてラララララ」みたいな趣旨のよくわからない歌になるか、フラックザッパの「Punky's Whips」みたいに特定の誰かを不当にけなしている感じになってしまうわけです。もちろんザッパの歌は日本語でないですが(笑)。

どこがBメロとかサビとかいうのもバカバカしいくらいの滑らかさと勢いでテンションを上げつつ、「あたりまえだろう」「ないないないない(×2)」と短いことばを切りながらバシバシとぶつけてきた玉置さんが、「いいかげんに〜」と突如ゆったりと長めのメッセージを語り始め、もとい歌い始めます。この、言葉えらびのセンス、緩急の付け方のセンスこそがサビの印象を強めています。意図的なんでしょうけども、これは決して理論めいた考えにもとづくものでなく、おそらくは曲のノリで半自動的に、つまり天才的に導かれるようにして生まれてきた緩急なのでしょう。そして「愛してるよ」という、安全地帯ではほとんど、それどころかこれまでのソロでもほぼ使われていなかったど真ん中ストレートを叫びます。安全地帯の「好きさ」のような若者の切実なる心身の叫びでなく、玉置さんは皮肉・挑発混じりにふっとこのような愛のメッセージを余裕たっぷりな態度で伝えてくるのです。これはたまらん!安全地帯時代が婦女子を失神させた「好きさ」であるのなら、玉置浩二時代は男女問わぬ青少年に愛と勇気を与える「愛してるよ」なのです。この「愛してるよ」を聴いた瞬間にやっと、わたくしはネオ玉置節のトリコとなりました。前作『カリント工場の煙突の上に』とはまるで別人ですから、適応にもかなりの時間と精神的労力を要したのです。こんなにアルバムごとに一枚一枚変わってちゃ無理もないんですが。

短い間奏を挟んで、演奏が一番と全く同じ調子で二番が始まります。ですが歌のほうは内容が変わります。一番が調子に乗っているおバカさんに「愛してるよ」であるのに対し、この二番では調子に乗っているがゆえにものごとがうまくいかないおバカさんに「愛されないぞ」なのです。「愛してないぞ」でなく「愛されないぞ」であることには大きな意味があります。「あなたは愛されるべきなのに、そして私は愛しているのに、そんなことしてちゃだめだぞ」という、非常に愛のあるセリフなのです。これは一番よりもさらにギヤをアップさせたハイパー愛してるよです。

そして曲は調子を変え、いわゆる大サビへ。ギラギラしたエレキギターやピアノ高音部がやみ、ベースのルート弾きが地を這い、スピード感を演出します。やや自信がないのですが、玉置さんによるアコギのストロークが入っていると思います。アレンジを思い切ってシンプルにすることによってかえってこの箇所を際立たせ、「愛してる」対象であるところのお調子者に対してフッと説得力のある本音を伝えているような印象ある箇所になっています。若いうちはみんなそうさ、だけどそのままだとだんだん生きづらくなるよ、きみは一枚皮を破らなくちゃいけない、君自身が若さゆえにまとっているプライドや自分に課しているルールのうち、バカバカしいものは捨ててしまえ。それでぐっと感じがよくなってきみは誰からも愛されるようになるよ……これもまたなんという愛あるメッセージ!わたくし若い人にこんなこと言えませんよ。言ったところで聞きやしないと思いますけど。だって私が若いときには聞きませんでしたもの。だからわたしにこんなことを言ってくる大人には、ためらわず老害認定したことでしょう(笑)。それでもいいんだ、それでもいわずにおれないんだ、だって愛してるからという「愛してるよ」がよほどの説得力をもつに至ったとき、はじめて耳を貸す気になるものなのですが、これは親でも難しいでしょうねえ。

そしてドーン!ドーン!と全音符の間をとって、ギターソロ的な間奏部に入ります。さすが長田さん!というアバンギャルドな先を予想させないソロです。それがピアノ高音部の連打と掛け合いになって、曲は最高に盛り上がりを見せます。これはさすがの矢萩さんと安藤さんもコンサートでノリを再現するのに苦労なさったことでしょう。矢萩さんは特に、あっち向いたりこっち向いたりのステージアクションを求められてましたから「おいおい浩二〜」と思いながら弾いていたことと思います(笑)。

歌は三番、Bメロから先になります。あんまり深刻になれずに楽天的に、いいかげんに暮らしつづけることから抜け出せない若者への最後のメッセージです。ああ、ズバリ当時のわたくしですね(笑)、わたくしの友人もたいがいいいかげんが似合っちゃうやつらばっかりでしたから、ドンズバな歌だったわけです。少年時代をずっと支えてくれた憧れの玉置さんが歌うのですから内心穏やかでない部分があるわけなんですけども、当時はまだ余裕こいてましたから、いいかげんでいいじゃん!なんて思うわけです。

いいかげん、いいかげん、〜んだろうそうだろう、この曲で何度も繰り返されてきたこのライムがここでも繰り返され、曲全体の印象をこれでもかと押し込み決定づけます。強い!本当に強い!ぜんぜんカッコよくないんです。ぜんぜんロマンチックでないんです。つまり、安全地帯時代から私の心をとらえて離さなかった要素がまったくないんです。それなのに耳から離れない。かくして、この曲によってわたくしの玉置浩二センサーは強制アップデートを終えることができたのです。正直、ここでのアップデートを経ていなければ、『CAFE JAPAN』と『JUNK LAND』に対応できたかどうか……人間歳をとると新しいものを受け付けにくくなっていくものなのですが、わたしの若き日々もそれほどもう長くないことを予感させる貴重なアップデートだったと今から振り返って思わされる、わたしにとってちょっと甘酸っぱい曲なのです。

曲はアウトロ、玉置さんが叫び、ベースがうなりを上げ、ピアノが鳴り響きます。そして豪勢にジャーン!と終わるわたくしの大好物なパターンです。いや、大好物になったというべきでしょうか、安全地帯みたいにかっこよくないけども問答無用の王道パターンで終わったぜ!わたくし、お察しのとおり終わり方にうるさいんですけども、こんなに正面から終わられると「あ、え?う、うん……」と納得してしまいます(笑)。このように、「バカバカしいプライドやルール」を吹き飛ばされることになったわけです。まだ三曲目だよ、この先どうするのってくらいノックアウトなわたくしなのでした。

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2022年05月08日

いい顔で


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』二曲目、「いい顔で」です。

トランペットが響き、すぐさまベース、ドラム、シンセが入ってすぐブレイク、玉置さんが「フウーン」と唸ってギターのカッティングが始まります。トランペット……これはサックスですかね、短いフレーズを織り交ぜてミディアムテンポの心地よい……けだるいに近いですね、そんなスピードでイントロが進みます。

編成はイントロのまま歌が始まります。〜て〜て〜て〜てレッスン1、〜て〜て〜て〜てレッスン2と、もうリズムなんだか歌なんだかわからないような同じ調子の歌です。「魔法の呪文」「魔法のランプ」と、メルヘンの世界をイメージした言葉が並びますが、これは一番だけで、二番以降はまったく現実に帰ります。メルヘン要素がまったくなくなり、「最後は自分と真っ向勝負さ」とちょっと突き放したような激励に変わっていきます。思うに、これは子ども時代から青年時代に変わってゆく精神世界を表現しているのでしょう。レッスン1は6−7歳くらいまでの幼少期、レッスン2は12歳くらいまでの小学生期、くらいですかね。

この「〜レッスン1」「〜レッスン2」ですが、けだるいリズムとスピードなのに、異様にノリがよいように感じられます。若いうちはとかくスピードとか複雑さとかに目がとまるものですが、遅さとか単調さとかにも心地よい刺激はあるんだと、玉置さん・田村さんの詞・玉置さんのボーカルによって気づかされた気分です。

歌はBメロ、伴奏に大きな変化はなく、コード進行の妙と「〜たら〜う」「〜ても〜う」の繰り返し、畳みかけで曲を盛り上げていきます。伴奏と歌が完全に一体化したものすごい表現です。いや歌って本来みんなそうなんですけど、歌メロがあって、それにステキな世界を描いた詞があって、それに伴奏をかぶせていく、いやこれも当たり前だな(笑)。えーと、そういうふうに順番にバラバラに作った曲でなくて、何もかもスタジオで全部いっぺんに作って、そこにリズムやコード進行から自然に湧いてきた言葉を当てはめたような、この歌・詞・伴奏が一体化した感覚というのは久しく感じていなかったものです。実際にはちゃんと分業で順番に作ったものを重ねていっているに決まっているんです。ですから、玉置さんの頭の中に浮かんだ最初のイメージがすでに詞や伴奏をかなりの部分まで示唆するものであって、それに余計な装飾やこだわりを付加することなく作っていったものなのではないかと思うのです。ドリフの「ニンニキニキニキ」なみに無意味だけどやたらノリのいい歌詞ってあるじゃないですか、そういう歌、幼少の頃に聴いた子どもの曲くらいにまで遡らなければこの感覚には似たものが見つけられません。専業プロの作詞家ならもっと頑張っちゃうんだと思うんです。でもこのノリは出せない。専業プロの編曲家もやっぱりもっと頑張っちゃうでしょう。でもこのノリは出せない。編曲は玉置さんと星さんでやってますけど、星さんも基本は玉置さんのイメージを尊重していくらか付け足した、いくらか整えた、くらいなんじゃないかなと思います。「やる気になったらやれそう」とか「病気になっても遊ぼう」とか、もうその場のノリで思いついたとしか思えない歌詞には、こういう製作現場でしか生まれない凄みがあります。

曲は一気にサビに行きます。タイトルの「いい顔で」の意味がここで明かされます。悲しくたって苦しくたって笑顔だ、それは誰かを支えてるんだ、だから誰にも愛されるんだ、なんという強いメッセージ!なんという飾らない素朴さ!これがあのTVで化粧してすましていた玉置浩二なのか!耳を疑うようなメッセージでした。でも、ずっと心に残りました。わたくしはぜんぜんいい顔でいられませんでしたけれども(笑)、折にふれて思いだしていました。「誰〜にも愛・され・る〜」という譜割とそれを実現する活舌、なによりそのメロディーの流麗さ、これが全て一体となって正面からぶちかまされるのです。不意打ちの初弾をくらったわたくし、安全地帯サウンドをまだ期待していたところでしたから、自分が致命傷を負ったのにも気づかず、まだ斜に構えていました(笑)。ですが、こうなったらもう何をしていてもこのサビが脳内再生されるようになってしまいます。完全に降伏でした。治療不可です、アイサレンダー(レインボー)。

そして歌は短い間奏に「ヘイヘイヘイ〜」と玉置さんがさらに勢いをつけて、すぐに二番に、いやレッスン3とレッスン4に入ります。

レッスン3とレッスン4は青年期ですね。それぞれ20歳くらいまでとそれ以降のように思われます。実力とは全く無関係なことに「ウチら最強」「オレら最強」的で誇りいっぱいの人たちがウザい勢力誇示にいそしむ時期でもあります(笑)。まあ、人間関係とか情報とか流行とか、そういったものの力を敏感に感じる時期なんでしょうね。ほんとうはそんなの気休めか、よくても補強程度のものにすぎず、「最後は自分と真っ向勝負」「損得なんて〜最後はどうでもいい」という厳然たる事実を突きつけられる時期でもあります。「最強」の人たちも一人二人と目を覚まして離脱していきますが、最後まで最強と信じているコアな人たちが奈落に堕ちてゆくのもよくある話で、およそ人間社会が始まってからというもの果てしなく繰り返されてきた若者たちの姿なのです。まあ、そのときにはもう若者でなくて単に痛いおじさんおばさんなんですけども。ちなみにわたくし、危なかったです(笑)。あやうく「ささやかな部屋」で痛々しいおじさんとして朽ちるところでした。ありがとう玉置さん!

「淋しくたって」「くやしくたって」笑顔でやろうと努力して、歳をとったせいかいくぶん涙もろくなったお年頃に(涙がもっと素直に)なったとき、ようやく生業を続けられる見込みが立つくらいの、ごくごくささやかな実力を身につけることができました。最初は大丈夫かこんなんで!と思いながらでも懸命に毎日を重ねていくと、いつの間にかまあ大丈夫だろう、くらいの状態にはなれるんですね。ここを通過するのが一番苦しんですけども。だからレッスン3もレッスン4も、ほんとうにつらい人生の修行です。

曲はここで展開を変えて、いわゆる大サビに入ります。「幸せになる」ことが「無理さ」「本当に全然無理さ」と絶望的な詞をノリノリのリズムで玉置さんは歌います。なんだよ人をがっかりさせるなよと初聴時(94年)には思いました。まあわたしもまだハタチとかですからそう思うのも無理はなかったのです。いま思うと、これはレッスン3とレッスン4を経ないとわからない気持ちだったのですね。まだわたくしレッスン3の初期段階、悪くするとレッスン2も赤点で落第していましたから、とうていわかりませんでした。そう、レッスン4あたりでは無理なんですよ、幸せになるなんて。毎日が必死過ぎて、とてもそんな気分になれないのです。だから自力ではいかんともしがたいので奇跡を待ちます。「僕の顔」も「君の顔」も明日を夢見て必死に「いい顔」で今日を凌いでゆきます。幸せになるためのパートナーはすぐ隣にいるのかもしれないのに、それさえも見えません。

そして曲は最後のサビに入ります。若者は必死な「いい顔」が、誰かを支えているなんて気がつかずに、消耗していきますが、幸せの扉はすぐ隣で開きそうになっているのかもしれません。だから玉置さんはスーパーキャッチーな歌で若者たちに教えるのです。ガンバレ、いい顔でいるんだ、もうすぐなんだ、苦しいからっていい顔を崩したら幸せは遠くなるだけだぞ……

ドイツの文芸に教養小説(Bildungsroman、イギリスだとApprentice novel徒弟小説ですね)と呼ばれるジャンルがあります。ヘルマン・ヘッセとかゲーテとかによって綴られた、若者が都会にきて身を為そうと奮闘しながら成長してゆく小説です。それらの作品を読むと、むき出しの資本主義が人々を苦しめていた18−19世紀というのがいかに若者にとって身を為すに厳しい時代であったかがわかります。それがあんまり苦しいので共産主義やユートピア社会主義というアイデアが生まれて、その気になった人たちがのちに統治することになった国も結構な数であったくらいなのです。その他多くの国は修正資本主義と呼ばれる社会保障機能を強化した資本主義に舵を切ったわけなのですが、それが正しかったのかどうかは結局誰にもわかりません。

曲は一分を越える長いアウトロを、玉置さんの唸りとサックスソロで飽きさせず聴かせ、フェードアウトしてゆきます。わたくしはオーディオの前に寝転んで、実家から持ってきたヘッセ『郷愁』の文庫本なんかを読みながら、このサックスソロを聴いていました。灰皿に積まれてゆく吸い殻、蛍光灯にたかる羽虫、ぬるくなってゆくソーダ水、100年以上前の若者がたどった運命と、いままさにこれから運命を重ねるかもしれない自分、そして一生懸命それを励まして目を覚ませ!と言ってくれている玉置さんの曲、バブル崩壊から最悪に向かって静かに悪化してゆく経済状況、規制緩和の名のもとにじわりと削られてゆく社会保障、若者が走り出す気になるに舞台装置は完璧でした。でも、いやーわかってなかったですねえ、答えはすぐそこにあったのに。斜に構えてカッコつけてないで、ろくに読めないくせに読めるつもりになっていた英語でも勉強してりゃよかったのです(笑)。時は無情に、若者たちの将来を真っ黒に塗りつぶしてゆきました。五里霧中、真っ暗なその中で、「いい顔で」のメッセージがどれだけ力を与えてくれたか、分かったものじゃなかったのです。

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2022年05月01日

正義の味方


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』一曲目、「正義の味方」です。味方と書いてヒーローと読ませます。

新生玉置さんの歌う世界第一曲、これでもかと「ガンバッテ」連呼、玉置さんの歌に限らずこれまでそんなストレートな応援歌は聴いたことがありませんでしたし、今もありません。これは頑張らざるをえません!「ガンバッテ」という言葉を連呼するという、ありそうでなかった鼓舞ソング、いきなりニッチなスポットに着弾させてきます。

余談ですが、玉置さんの「ガンバッテ」に遅れること五年、1999年にIce Cubeさんが”You Can Do It”という歌をリリースして、全米35位を記録していたようです。ほほう、アメリカ人も20世紀末にやっとこの手法に気づいたか、どれどれお手並み拝見とか思いながら聴いてみるとぜんぜん励ます歌でありませんでした(笑)。ジャケットを見た瞬間にお前励ます気ないだろとは思いましたが、案の定励ます歌では全くなく、やはりストレートに頑張れという歌はなかなかないらしいと思わされました。

さて曲はツインギターの刻みで始まり、玉置さんのシャウトとともににぎやかなホーン、ドラム、ベースが奏でられて軽快にそして重厚に始まります。クレジットにホーンはありませんので、これはシンセなのでしょう。湊さんの切れ味抜群ドラムにほれぼれしつつ、大きくミックスされたベース、これまでに安全地帯・玉置ソロになかったチューブスクリーマー系のギター、高音でスライドするピアノに耳を傾け、パワフルで新しい時代を感じます。

ブシュー!ブシュー!とコンプ感の強いシンバル音とスタン!スタン!と切り刻むようなドラム、ピアノとシンセが併存、ギターが二本でどっちも刻み系、ベースもルート音を基調にときおり高音部を連打というこのスタイルはまことにパワフルで、安全地帯にはなかったストレートさでゴリゴリと前進します。玉置さんどうかしちゃったんですか!と心配になるくらい、『カリント工場の煙突の上に』の深刻さは吹っ飛んでいます。さらに、『All I Do』のオシャレさもまったくありません。『あこがれ』?なにそれ?ってくらい実直で、素直で、ただ一点をみつめて笑顔でひたすら走るような玉置ニューワールドの登場を象徴する見事な一曲目です。

歌に入りまして、のっけから「太陽が笑っているよ」?な、なんという飾り気のないことばだ!驚愕です。玉置さんはもっと含蓄のある……恋愛に絡めないではおけない意味深なことばを色気のある声で歌う人なんですが……いや、これは何かの比喩なのか?隠喩か?……なぜあのとき僕は引き金を引いてしまったのかと問われてもそれはただ、太陽が暑かったからとしか答えられないのだ……的なアルベール・カミュのような不条理な肉体の衝動を恋愛に転用するのか?……なんと高度な!とか思っていたら、ほんとうにただ太陽が笑っているよ!だから元気出して!ガンバッテ!と歌っていたようです(笑)。いや、当時は本当に疑いました。そしてその疑いが空転したとわかり、オーディオの前でひっくり返らんばかりに驚きました。

90年代はストレートな、言っては悪いですが陳腐な歌詞とただ工夫の足りないだけのサウンドにおそまつな歌唱の歌が街にあふれていましたので、玉置さんもそっちの世界に行ってしまうのか?同じ土俵に上がるのか?と一瞬思いましたが、それもどうやら違っていました。ベタッとしておらず、サラッともしておらず、そんな化繊で作り出したようなわざとらしい「ナントカ感」とは全く次元の異なった、ホンモノの肌触りがそこにはあったのです。80年代における安全地帯のサウンドが他とは一線を画した80年代らしさであったのに対して、90年代にも玉置さんは90年代らしいのに90年代の他「アーティスト」とも一線を画す新しいサウンドを作り上げて私たちの前に帰って来てくれたわけです。その点、『あこがれ』と『カリント工場の煙突の上に』は80年代とか90年代とかを完全に超越してましたので(笑)、まさに「帰ってきた」感覚があったのです。

玉置さんの曲によくあるというか、もはやこれが玉置さんの真骨頂、短いAメロからなめらかに続くBメロ、「昔よくみた正義」が「愛を助けに」ゆくという、まことに混乱するメインテーマを歌います。正義ってのは悪をやっつけて弱い人を助けるものなのに、なにいきなり愛を助けに行ってるの?やはり玉置さん、一筋縄ではいきません(笑)。

サビに入りまして、ズシズシと響くリズム隊、シンセが大きくミックスされていて聴こえにくいギター、ピアノも合間にその存在感を感じさせます。最近はアナライザー使って位置と周波数ずらしでスキマつくってキックの音をトリガーにベースの音をコンプで引っ込めて……とかなんとか自称プロのエンジニアが煩わしくておちおち音源も発表してられないんですが、いいんだよ混ざっちゃって!分厚くていいんだよ!場合によるんだよ!90年代の機材でやってた俺にそんなこというな疲れるだろ、イコライザーなんてMTR付属の3バンドでいいんだよエキサイターだってラックしかなかったのにそんな重いものいちいち運んでられっか(笑)と強く思わされます。

「ガンバッテ……ガンバッテ……」とささやくような、それでいて力強い連呼、合間にシャウトのように伸びやかな「誰よりも……輝いて……」うーむ強い!なんだかわからないけど!その謎は二番以降でなんとなく解明されてゆきます。

サビから一気に二番に入ります。「世界中が闘っている」?それは正義の味方も大忙しです。よくよく読んでいくと、怪人とか戦闘員はどこにもいないことがわかります(笑)。どうも、「愛」こそが「正義」であって、「味方」はその「愛」がピンチに陥ったときに勇気を出してそれを修復しようとする、わたしたち自身のことのようです。

だから二回目のサビが終わった後、いわゆる「大サビ」的な箇所で「優しさと勇気」をみせてほしいと玉置さんは歌うのです。「正しい愛」、愛は正しくここにある、だからその正しさを守るんだ、勇気をもって優しさを示すんだ!とわたしたちを強く励ましてくれている……なんてこった、これは神への信仰にも似た見返りのない慈愛ではないか!そう、愛に見返りなどないのです。愛は利益があるから行うものではなく、それが正しいから行うのです。オーケー愛は正しいよな、それはわかった、だから、どうした?という無信仰者にはもちろん効きませんが(笑)、信じるもの、正しさのわかるものには「味方」が力をかしてくれるのです。まあ、励ますだけといや励ますだけですが、「ガンバッテ……ガンバッテ……」は、そんな敬虔な祈りなのです。

曲は最後のサビに入っていきます。そういや間奏なかったような気がします。一気に聴かせるパワーで聴き逃したかもしれませんが。そのかわりアウトロが長めに、鈴木さんの音と思しきスーパーいい音のギターソロが入ります。そうそう、ミックスってこうやるんだよ(笑)。「ガンバッテ……ガンバッテ……」の祈りも最高潮、そして突如演奏はキメとともに終わり、玉置さんの「ガンバッテ……」と最後の祈りが捧げられつつフェーダーが下がっていきます。うーむいきなり宗教的な境地まで高められてしまった!にぎやか時代の安全地帯サウンドでなく、凡百の90年代サウンドでなく、単純な応援歌でなく……と、玉置さんニューワールドの位置づけを考察しているうちに一曲目でなんだか崇高なものをキャッチしてしまいました。大丈夫か二曲目以降!

【追記】この記事が最新だったタイミングで鈴木さんがTC楽器にいらした(YouTUBEにリンク)とのこと。ちょっとタイムリーな話でビックリしました。

この曲はライブDVD/CD『最高でしょ』の一曲目でもあります。このライブ音源、いいですよ!田中さんに六土さん、安藤さんもキーボードで参加していて安心感安定感バッチリなのはもちろん、とりわけコーラスの奥土居美可さんが抜群にいいです。玉置さんがボーカルだからこれで済んでいるだけで、他のボーカリストだったらあっさり食われてしまうでしょう。どう聴いてもサポートやってないでステージの真ん中に立つべき人なんですが……控えめな人なんですかね、サディスティックミカバンドとかにしれっと入って歌っても歓迎されるんじゃないのってくらいなのに(笑)。

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