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玉置浩二『スペード』十一曲目「気分がいいんだ」です。
「AたってB気分だ〜」が基本の裏切られてばっかりのやるせない歌詞で、ノリが非常にいいのにせつなくなってきます。それをサビでひっくり返して、ものは考えようだからこれで気分がいいんだ、と宣言します。いやそれ気分良くないでしょ!コード進行も軽快ながらどこか陰鬱です。これは、ものは考えようだと開き直るしかなかった2000年代初期の辛気臭い日々を非常によく象徴してくれているようにわたくし思うのです。
すべてが思い通りに回った安全地帯絶頂期、すべてがひっくり返り何もかも思うようにならなかった90年代前半、驚異の復活を遂げた90年代中期、そしてすべてを自分の思うように回せる規模にまで活動のスケールを縮小した90年代末期、そして21世紀初期にこのような心境、ちょっとは思い通りじゃないけど省エネモードだからこれでいいんだと思う段階に至ったのだと思わずにいられません。
Simon & Garfunkelの、ベストアルバムに入っていないような曲を聴いている感覚に陥ってきます。もちろんクオリティが低いって意味でなくて、シングル向きでない、コマーシャルでないという感じです。なんていうんですかね、「At The Zoo」とか「Keep the Customer Satisfied」みたいなやつ。フォーク?カントリー?ビートルズにもよくありますよね、こういうノリの曲。アルバム曲がこういう曲である感じは、わたしが幼少の頃に親世代のレコードで聴いていた時代の洋楽にとても近いです。CD時代だったらとばしていたような曲ですが、レコードとかカセットだったため簡単にスキップできずついつい何百回と聴いているうちに気に入ってしまうという、あの謎のハマり感があるのです。現代だと買いもしない、いやもっというと、タダでYouTubeで聴くことすらしない……ようするに聴かれない曲たちです。アーティストの底力というのはしばしばこういう曲に現れているんですが。
曲は「アブン……トゥー……」という謎のささやきで始まります。なんでしょう?「お弁当」?そんなわけないので、例によって何の意味もないリズム先行のノリでしょう。軽快でありつつも閉塞感あるリフに乗せて「よっていって」テケテケ「ような気分だ」「やってたって」テケテケ「ような気分だ」「なってたって」テケテケ「ような気分だ」と、ことばでリズムをリードしていきます。そしてなんといってもベースのノリの良さが際立っています。玉置さんはベースが得意だとおっしゃってましたが、これは本当にベースを弾きながら歌ったんじゃないかってくらい言葉とベースがたがいに呼応しています。翼くんと岬くんのパス回しのように奇跡のような歌とベースのコンビネーションが分かれ、歌は一気にサビに入ります。ベースは「ドウーン」とのびやかに、歌は「楽しくやれるのがいい」と細かい譜割で刻んで、「そんな〜気持ちだ〜」からアコギのリフに導かれ、またパス回しの黄金コンビネーションに戻るのです。この緩急はごく普通の手法でありながら、ボーカルのとんでもない説得力と、それにぴったり合うベースワークにより、凡百の緩急ではないものに仕上がっています。どこにも泣かせるメロディーがないのに、この浸透力というか、記憶に食い込んでくる速さに驚かされます。それは歌詞によるところも大きいのでしょう。いよいよ作詞も板についてきた玉置さん、当時は歌詞ばっかり考えていたそうです。メロディーと同様、どこにもリリカルさや切なさがないのにもかかわらず強引に脳髄に食い込んでくるような言葉のセンス、秀逸というほかありません。
泣けるメロディーとリリカルで切ない歌詞によって天下を取ったこともある玉置さんが、それに匹敵する武器をいま確実に自分のものになさったのです。Status Quoがぜんぜん日本やアメリカで売れないのは、日本人アメリカ人とイギリス人とでは聴くところが違うからでしょう。同様にこの時期の玉置さんが売れなかったのは、玉置さんと日本人とに大きな食い違いがあったからであって、ディープな玉置マニアだけがこの快感を享受できたわけですが、そうした境地に達していた人は当然に当時の邦楽一般を楽しむことはほとんど不可能だったことと思われます。や、そういう方はStatus Quo聴きましょう、あんな邦楽なんかどうでもいいじゃないですか(笑)。ちなみに2001年は……「恋愛レボリューション21」の年だそうですよ!あったねーそんな歌!ちょうちょうちょう!いい感じ!
ぜんぜんちょうちょういい感じなどではなく、21世紀最初の年は閉塞感に満ちていました。ITバブルは崩壊するわ9.11は起こるわで景気はダダ下がり、失業率は過去最高ともいわれたひどい年でした。いま思えば「年越し派遣村」のあった2008年のほうがショックは大きかったですが、当時はそんなの予想できてませんでしたし。芸能界がテレビのなかだけで必死に空騒ぎしている感が大きかったです。そんな不埒な動きからは距離を置いて超然と音楽を作り続ける玉置さんの歌が逆にとてもリアルに感じられたものです。
曲は二番に入りまして、そうした空騒ぎの人々の不誠実さをチクリとやるような歌詞が光ります。本気だよ、頼りにしているよと近づいてくる、そんなカネしか見てない人たちは、カネにならないと思ったら波が引くようにサッといなくなります。それをよく知っている玉置さんはイイ気になってもどこかシラけているような、そんなハマり切れない警戒感をもつようになってしまっています。90年代から00年代のどこかに若者時代がかぶる人ならばその感覚をある程度共有しているんじゃないかと思います。余裕がなくてどこかギスギスした、他人行儀な、そして人がすぐいなくなるような不安定さ、あれに何年も身を置くとそりゃ警戒しますよ。信じ切っちゃいけないって。そして人は荒んでいきます。その一方で、たしかに「切り抜けられる時代」であることには少し希望が感じられます。ですがこれも、どうせ長い付き合いではないのだから身ぎれいにしておく意味が薄いくらいの悲しい意味なんじゃないかと思われてなりません。「好き勝手」でも「思い通りにならない」という二進も三進もいかない、ようするにカネがない(笑)夢のない時代であったのです。
ですから、「優しくいれる」「ジワーっと涙が溢れる」ことはまことに尊いのです。『スクール・ウォーズ』で川浜一のワル大木大介が、岡田奈々の握った大きいおにぎりをバスの中で食べたときのような気分とでもいいましょうか、誰も信じられない世の中でこれだけの無償の愛を与えられて、涙が出ないはずがありません。意気に感じないわけがありません。あのご時勢で「そんな気持ち」になれることは本当の幸福だったのです。
先生よォ、ラグビーやればわかるんだな?と不信感だらけなのに少しだけ人を信じてみる気持ちになり、無心にボールを追いかけた大木はすっかりその気になります。そしてイソップの死を乗りこえ、最も頼れるキャプテンへと成長していくのです。それこそジャンケンポンで不意を突いたり軽口叩いてやりなおしさせたりできるような、そんな不信感や警戒感などを感じなくてもよい気のおけない人間関係というものが育まれていく……それはまさに「気分がいいんだ」、それこそ人間の美しさってものでしょう。ああ、いつのまにかすっかり大木大介の話になってるような気がしなくもないんですが(笑)、もちろん玉置さんの話ですとも!
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この曲も玉置さんらしい、一度聴いたら忘れないメロディーとリズム。
年末には玉置浩二の世界という、40数年間の提供曲のほんの一握りがリリースされますね。玉置さんのメロディーの僕の中の代表格は、明菜ちゃんのサザンウインドと、斉藤由貴さんの白い炎です。白い炎は、若干サビがプルシアンブルーに近い気がずっとしていて、一曲作るとそれに付随して近いのが出来ちゃうのかも。年末が楽しみです。