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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2022年09月19日

メロディー


玉置浩二『CAFE JAPAN』十一曲目「メロディー」です。先行シングルで……このアルバムからはぜんぶ先行なんですけども(「STAR」「メロディー」「田園」の順)、アルバムより数か月前に発表されていました。筑紫哲也のニュース番組でエンディングに使われていたことはすでに何度か言及しましたが、この翌年キョンキョンと小林薫さんと共演した「メロディー」なるドラマにも挿入歌として使われたようです。なおカップリングは「愛を伝えて」でした。

この曲は、おそらくですが玉置ソロで「田園」の次に有名曲なんじゃないかなと思います。ちょうど玉置ソロが注目を集めていた時期ですし、それ以前の郷愁ソングの流れがちょうど大きな実を結ぶタイミングでしたし、昔からのリスナーが郷愁を感じるくらいの年齢に差し掛かっていましたし、それなのに社会は激変して地方のふるさとがギタギタにされていく時代でしたし……この曲が多くの人の涙を誘うにピタッとうまくハマった感じです。

とまあ、こんなふうにこの曲が有名である原因らしきものを説明することはできるわけですが、それらはしょせん外的な条件であって、それ以上に曲そのものが持つパワーが大きいのだと思うのです。

その日、わたくしはシンガーの後ろでギターを弾いていました。オーバードライブを踏み込み、この「メロディー」のソロを弾きあげ、そのあとフロントピックアップからハーフトーンに切り替えてジャガーンとサビの伴奏を入れていたのです。なるべく矢萩さんが弾いた通りに弾こうと正確さを心がけていたところでした。

ふと、歌が途切れ始めました。ん?と思ってシンガーをみると横を向き目をこすっていました。ゴミでも入ったのかと思いましたがそうではありません、みると聴衆がみんな涙涙……泣いているのです。「く、く、く……」とマイクが嗚咽を拾います。そうです、シンガーは泣けて歌えなくなっていたのでした。その日はシンガーが皆に別れを告げる日で、「メロディー」はステージの最後にセッティングされた曲でした。誰もが感極まってはいたのだと思います。これはえらい場に紛れ込んでしまった……せめてこのまま正確に弾き上げなければ!でも指にはそれ以上の力がこもります。ピックをもつ右手もすこしオーバーになっていきました。この場をもっとドラマチックに盛り上げたいという誘惑が手つきをおかしくしていきました。そうやってどんどんテンションが上がる中なんとか歌い切ったシンガー、たった五分弱の曲で背中から湯気を噴き出すわたくし、終演後はぐったりです。片づけを終え椅子に座って足をだらんと延ばし、この曲「メロディー」は、こんなに大きな力を持つ曲だったのか!と放心していました。玉置さんの曲を聴き込んで弾き込んで何十年も経ちなお知らなかったこの力、とうてい弾き切れるもんじゃない……と痛感し、もうこの曲を軽い気持ちで引き受けるのはよそう、やるなら数か月前から万全の準備をしようと決心したのでした。

閑話休題。かようにこの曲は多くの人たちを泣かせてきたこと間違いなしの超傑作郷愁全開バラードなのであります。そしてわたくしのような安全地帯バカにとっても、クレジットに矢萩さん六土さん田中さんの名を見つけて大号泣の安全地帯復活の兆しを感じた曲ナンバーワンの思い出ソングでもあるのです。このギターソロを聴いたとき、あれこれ矢萩さんじゃ?と思いました。それでクレジットを確認してギターだけでなくベースもドラムも安全地帯!と知ったときの興奮たるや!武沢さんがいないことにももちろん気がついてやや悲しくなりましたけども、事情を知るよしもなかったわたくし、近いうちの安全地帯復活を信じることができたのでした。

「あんなにも〜」と静かな暖かいボーカルに続きボロボロン……とアコギのアルペジオが始まります。始まったばかりなのにもう名バラード確定の雰囲気です。きみがいたこの町にあの歌がまだ聞こえている、大好きだったきみが歌う大好きな歌が。玉置さんワールドにありがちなのですが、この「きみ」は恋人的な存在のようにも描かれるし、友達的な存在にも描かれます。おそらくなのですが、玉置さんにとってはどっちも大切だし同じように仲良くするのでしょう。家庭と家庭の境目がいまよりも薄かった(と語られることの多い)昭和中期、大切な家族も、大切な友達も、そして大切な恋人も、みんなみんな「この町」にあって混然一体としており、そのなかでみんな同じように楽しませて愛する玉置さんならではの表現なのだとわたくしには思えるのです。ですから「あの歌」は友達の歌であり恋人の歌であり、そして家族の歌でもあるのでしょう。

短いBメロ、ベースが加わってさらにセンチメンタルな雰囲気の中歌われる遠い昔のこと、いつもやさしい、少しさみしい、それはふるさとである「この町」であり、ふるさとの人々のことなのでしょう。とすれば、やさしいのはともかくさみしいって何でしょうね?この歌から醸し出される何ともいえないさみしさは、これは誰もがふるさとを振り返って感じるさみしさのことだと考えてその内容を求めると見つけられないものなんじゃないかな、と思われます。つまり、わたしたちがそれぞれ抱くふるさとでの「さみしさ」をそれぞれに感じるような、共通の意味がないもの、「さみしい」という共通の言葉だけがそこにあり、それによって共感が生まれるんだけど実はみんな違うことを思い浮かべている……人間は全部が全部そうなんだといえばそうなんですけども。わたしが食べているチョコアイスの味わいは、相手にとってのバニラアイスの味わいであるとしても何の矛盾も生じない……このような中途半端な懐疑論にうっかり陥ると夜も眠れなくなりますので、若い人は特にネットワークゲームでもして仲間とメッセージを交わし合うなどして自己の存在と共感の成立とを信じ続けていられるよう精神を落ち着ける工夫をするなど、注意が必要です(笑)。

あくまでわたくしの場合ですけども、北海道ってみんなせいぜい四代前から住んでいますから先祖代々の土地ってものがないんですよ。だからか、わりとあっさり移住します。札幌のような大きい街は特に流動性が高く、かくいうわたくしも北海道におりません。地元に残っている友人はもう数人しか浮かばないし、その友人だって今でもいるのか……。うん、さみしい、さみしいです。べつに一堂に会したいわけでも何でもありませんけども、失われたという感覚が強くあります。埋めることはできないしその必要もとくにはないんですけども、玉置さんの歌は容赦なくほじくりだしてきますね、埋めようのない隙間を。このアルバム全体でしばしば想起させられてきたふるさと、家族、いま送っている日々の大変さ、それを生きていくんだという決意、いつかもっと素晴らしい未来が来るんだという希望、それらを一気に包み込む少年の頃の「この町」での「きみ」との日々の思い出を歌うこの曲をラストにアルバムは終わる……うーむ完璧だ!この曲単体しか知らない人はもったいないことをしています!この曲はアルバム全体を聴くことなしにその真価を味わうことはできません。これを余計なお世話だと思う人には全く無駄で野暮な話をしているわけですが。

さて歌はサビ、田中さんのドラムも加わり、怒涛のさみしさの中歌われる「あの頃」、なにもなかったあの頃、いやもちろん何かはあったんですよ、でも思えば何もなかった……やさしいとかさみしいとかの感触だけの思い出だけが残り、実際にあったモノやコトは「あった」と同時に終わっていて「なにもない」に変わってゆくのです。そんな思惟を巡らせるまでもなく伝え聞く昭和中期は「たいしたもの」はなかったのです。いま思えば物質的には貧しかったのですがそれは現代からみればそうであるだけで、貧しいなんて感覚はありませんでした。だから「楽しくやった」し希望に満ち溢れていました。べつに昭和後期や平成初期のような経済的繁栄を願っていたわけじゃないんです。このままの日々が続けばそれでいいと思っていました。「なにもなく」、つまり無事に平穏に、みんなと、きみと、この日々を続けて行けるものと思っていたのです。それが幸せってものなんですけども、人間ですから、今が幸せなんだという実感はありません。幸せというものはこれから来るものだと思っています。「泣きながら〜…(中略)…(実はいまがそうだからバリバリに直視しているんだけどこれから起こると思っている)幸せを(遠い目して実は目の前にあるものを)みつめてた」わけなのです。

思うところ色々あってさすがに長くなりましたが実はまだ歌は一番でした(笑)。ちょっと急ぎ足で「あの頃」の姿を追っていきたいと思います。

「この店」に寄せ書きなんてあったでしょうか。これはわたくしありませんでした。旅先で見かけることがあったくらいです。その店に足しげく通いすっかり常連になった仲間たちが町を離れることになり、記念に残した寄せ書き的なものでしょう。ラーメン屋に芸能人やスポーツ選手が書いたものが掲げられているのとは趣が違います。芸能的な意味でいうと無名の少年少女たちの寄せ書きです。もちろんその隅のほうに「たまきこうじ」とか「たけざわゆたか」とか書かれていたら無名でも何でもありませんが(笑)、書かれた当時は無名だったのです。そんな、思い出を凝縮して残したような寄せ書きがだんだんと隅に置かれてゆく……時の流れを感じずにはいられません。この仲間たちは部活とか……ありえますね。でも当時部活の帰りに集まって飲食するほどの小遣いをみんな持っていたわけではありません。わたくしもパスします(笑)。『タッチ』の南風みたいな店があってそこでスパゲティとか食ってると黒づくめの男がバイクに乗って紙袋抱えた看板娘を送ってきてみんなジェラシーなんて展開はまったく起こりませんでした。起こっていたのかもしれませんが知りません、パスしてたから(笑)。これはある程度お金が自由に使えるようになってからでしょうから、玉置さんでいうとバンドを始めて以降の若者時代なんじゃないかなと思います(「ピースマーク」は交通標識でいうと安全地帯じゃないですか!)ギターを取り出してみんなで歌って、泣いたり笑ったりしたんだと思います。なぜ泣いたのかは他からはうかがい知れませんが……これは若い人には驚きだと思いますが、ギターを取り出して歌うというのは案外起こっていたのです。ギターや歌本を置いてある店もありました。ステージのある店すらあったのです。そういう店もだんだんカラオケマシンを入れるようになってギタリストの出番はなくなっていったのですが、私が若者だった平成初期頃にはまだ街のそこここにそういう店が残っていたものです。

「あの頃」はカラオケマシンも店になくて、それだって「楽しくやっ」たのです。というかカラオケマシンないほうがいいじゃないですか。自分がギタリストで楽しいからそう思うのはもちろん私の勝手で、ギタリストが来るか来ないかわからない店の人からすればそりゃカラオケマシン入れますよ(笑)。こうして「大切なもの」は失われていったのです。

エレキギターが高らかに鳴り、間奏に入ります。Gのペンタトニックで……と書いてちょっと違和感あったので弾いてみたら半音低くてF♯でした。相変わらずテキトー!おかしいなGで弾いた記憶があったんだけど……たぶんほかの楽器が半音下げ面倒だからGにしたとかそんな事情でしょう。そんなわけで矢萩さんの得意技ペンタトニックの泣きギター(F♯)が炸裂し、曲は最後のサビ(二回)に突入します。

あの頃は何もなくて……と描かれる世界は同じなのですが、矢萩さんのギターが加わってアオリをビシビシ入れてきますから泣きの効果がひときわ高い箇所です。そして歌詞に一か所だけ変化があります。「遠い空流されても」ですね。何が流されるのか……

そして最後のサビ(二回目)です。「きみのこと忘れないよ」……忘れないのは「メロディー」が心に残っているからでしょう。「きみ」が歌った「あの歌」の「メロディー」、その記憶が残っているから、あるいは、「きみ」や「みんな」と過ごした日々の軌跡を旋律、つまり「メロディー」に喩えたのではないかと思うのです。日常があってライフイベントがあって「きみ」や「みんな」と盛り上がったり沈んだりした日々の軌跡「メロディー」、それに「きみ」が歌った実際に存在した「あの歌」の旋律「メロディー」が重なって、セピア色に変色しつつも鮮やかに思い出せるあの歌、あの日々が一体となって僕の心の中でいつでも鮮やかに再生される……「泣かないで」、震えないで、止まらないで、泣くのはメロディーのほうなのか、再生装置であるぼくの「心」のほうなのか……美しい日々にもある日大ショックが起こって(それこそ移住をともなう進学就職レベル)きみの歌もぼくの思い出も震えて、遠くの街にあって空に流れて(折にふれて思いだして)、そしてまた再生するんです。

こう書いてみると、昭和とか平成とかに限らず、誰の胸にもあるやさしさやさみしさを歌っていますね。だから、若い人でも高齢の方でも、それぞれの年代に応じていくつかの歌詞の謎を残しつつも、自分の身に起こったこととして胸に迫ってくる歌なのではないでしょうか。だからこそ売れたし、多くの人が知る名曲となりえたのでしょう。わたしのようなマニアがアルバムの頭から聴け!とか言いまくるかもわかりませんが(笑)、冒頭に書きましたように曲単体でももの凄いパワーがあることをわたくし痛感しておりますもので、曲単体の楽しみ方があってもいいのかもしれませんね(超上から目線)。

さて、このアルバムも終わりました……おおお、今年のうちに『JUNK LAND』に入れるという話をどこかで書いたものですから、達成できそうでちょっとホッとしております。ですが次は安全地帯のライブ盤『ENDLESS』をご紹介しようと思います。収録曲はすでに扱っていますのでアルバム紹介と、曲紹介はせいぜい「小さい秋みつけた」だけですが。では、またお目にかかります!

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2022年09月10日

あの時代に…


玉置浩二『CAFE JAPAN』十曲目、「あの時代に…」です。

このアルバムは多くの人がおそらく感じたことでしょうが、華やかで賑やかで、それでいて悲しいのです。その悲しさを担うのが「田園」に滲み出る苦労であったり「フラッグ」が醸し出す希望の切実さだったりする一方で、どストレートにこの「あの時代に…」や次曲「メロディー」が描く郷愁だったりもするのです。

スネアの音が小さくバシッ……バシッ……と遠くから聴こえてきて、次々と音が重ねられていきます。アコギのアルペジオ、ピアノ、シンバル、ベースとストリングス、そしてエレキギター……玉置さんの「……ン……ア〜……」とともに音がどんどん近くなってゆき、バシン!と一点音を揃え、歌が始まります。

伴奏の主力はピアノで、それを彩るようにギターが重ねられています。アコギの弦を鳴らす「ヴィ!ヴィ!ヴィーン!」というもはやパーカッションとして使っているんじゃないかという出音が効いています。ドラムは細かく、そして小さく入れられていて、リズムの主力はドラムではありません。リズムも旋律も伴奏も、歌とすべての楽器が一体となってともに進められてゆくような感覚です。ふつうのバンドサウンドのようにみんなドラムに合わせようぜという感じではありません。歌が先にあって、それにすべての楽器が合わせてゆくような作り方をしているようです。これは『カリント工場の煙突の上に』で玉置さんが試みた手法ですが、おそらくこの曲でも同じように作っていたんだと思われます。安藤さん以外はすべて自分が演奏するからこそできることであって、逆にいうと安藤さんにはこの域に入ることができたのだということです、これは相当シンクロしています。

詞は切々と、昔と今の思いを描きます。昔は夢いっぱいだったのに今の現実はどうだい、すっかり毎日に疲れ切ってしまってさ……と現在を嘆く歌にも聴こえなくもないのですが、全体のイメージはそんな悲愴じゃないんですよね。不思議な詞です。今からできることもいっぱいあるじゃないか、愛だってなくなったわけじゃない、それを越える想いだってまだあるんだ、泣いている君はきっとまだまだ夢があって情熱があって、だから泣くんだ、だから僕もそれを越える想いでもっとやさしくなれるんだ……ぜんぜんまとまっていない思考の流れがそのままに書かれたようなことばなんですが、だからこそリアルにわたしたちの胸を打ちます。いまあるものを、いまいてくれる人を、いまできることで大切にするんだ、という心がけを感じずにはいられません。その心がけはわたくしぜんぜん持っておりませんもので(笑)、ことさら尊く感じられます。そういうふうに生きないとなあ、と。

歌はBメロに入りまして、教えてほしい、きかせてほしい君の思いを、たぶん僕たちは同じことをずっとくりかえしてきたし、これからもくりかえすだろう。何度だって同じ話をするだろう、そして何度だって同じように笑ったり泣いたりするだろう。そして何度だって同じように心を通わせあい、確かめあうんだろう。それが一緒に生きるということだから。志村けんが「ワンパターンになれるということは素晴らしい」と生前に語っていたのを読んだ記憶があるのですが、それはお笑いに限らず、共同生活にも言えるのではないかと思うのです。心地よいパターンが何度も繰り返される、それが熟成され完成に近づいた安心というものだろう。わたしたちは年齢を重ね経験を積み、性格や行動があまり激変しなくなります。感情も安定し、あまり違った反応をしなくなっていきます。それを確かめ合えるのが人生を長くともにしてゆく伴侶だったり仲間だったりするのでしょう。「ずっと同じこと」をくりかえすふたり、というのはこのような過程を経て形成されてゆく現象なのです。

若いとピンときませんよね。それってロボットになってゆくってことじゃないの?と思うでしょう。うーん、ちょっと違うんですよね。挙動が安定しないロボットから挙動が安定したロボットに変わってゆくこと……やっぱロボットじゃん(笑)。いやまあ、成長するというか老化するというか、大人として年月を重ねるということは予想のつかないことや不安定なことを少しずつ排除してゆく過程なのです。それは若さゆえのダイナミックな変化を失ってゆくことでもあるのですが、経験してみると別にさみしくもないですし、それでいいんだと思わされます。だってそんなに変化してたら疲れるじゃん!中学校とか高校とかなんて三年間で生活環境が激変してたんですから、今となってはとてもとても、ついていけません。え?もう次のところ行くの?ってくらいです。自分の子どもがそういう激しい変化をしている間は、自分はどっしりと子どもの目からはほとんど変わらずにそこにいて支える側なんだと思わずにいられません。

でも、細かい変化はしてるんですよ、ロボットじゃないですから(笑)。だから、「涙がこぼれてくるんだ」なんです。とかなんとか話はもうサビに入ってますけども。「ふたりは」でジャイーン!と一瞬転調したかと思わせるほどのダイナミックなコード進行で曲は一気にサビに入ります。涙がこぼれてくるのはもちろん悲しいことがあった場合もそうなんですが、時間的にも空間的にも遠くなったふるさとの、まだまだ変化が激しかったころの、安定していなかった自分の記憶がどうにも泣けてくる、ということが起こる、ような気がします(笑)。やや、すみません!けして茶化しているわけじゃないんですが、なにせ自分がそういう瞬間を迎える前にこの曲に出会ってしまったもので(1996年はまだわたくしバリバリのヤング!)、この曲にそういう感情の動きを教えてもらったからそう感じるんじゃないかという疑惑が抜けきらないのです。こればかりはどうしようもありません。若いときにこの曲に出会ってしまったがゆえに、そういう思いを抱えて生きざるをえなくなっているのです。もちろん、きっと将来、こんな気持ちだったことを思いだして泣けてくることもあるんだろうなとは思いました。そしてまんまと泣きそうになることもあります。それ以上がわからないのがほんの少し残念ではあります。

「特別じゃない夢」と、いまとなっては言えます。当時は自分が特別だと信じて疑ってなかったですから、自分の夢は特別に決まってたんです。でもいま思えば、まあふつうにある夢、ありがちな夢だよな、なんですね。ミュージシャンになりたいというのも何百万もの若者が毎年思うことですし、累計だと数千万人いるでしょう。玉置さんもその一人だったわけですが、たんに天才すぎてそう見えないだけで夢自体は「特別じゃない」ものだったのです。人によってその夢は身に合わぬものだったり合うものだったりしたでしょうし、叶ったり叶わなかったりもしたことでしょう。そして「特別」なものだと思っていたものが、「特別じゃない」ものだとわかっていく過程をみな生きているのです。

「とくべつ〜じゃない〜ゆめをみてた〜」と高音から低音へなめらかに旋律を描くボーカル、ダーン、ダーン、ダーン、ダーンとコードを変えながら刻まれるリズム、ここに「あれは特別だったんだ!でもいまは特別じゃないとわかってしまったんだ」という、人生を一気に振り返り抜ける一抹の寂しさ、そして安心感を叩き込んでくる玉置さんの凄まじい表現力が凝縮されています。そして「あの時代に……」とタイトルを歌い上げてサビは終わります。気分はすっかりふるさとへ……あの時代、わたくしですと昭和末期から平成初期の北海道が強烈に思いだされるのです。

曲は間奏、Aメロと同じメロディーを……なんでしょうねこの音色?安藤さんがキーボードで出したんだと思うんですけど、オルガンっぽい、なんだかわからない、なんともいえない郷愁を誘う音色です。二番のサビの裏にも聴こえますね。エレキギターが絡んで粘っこく漂います。

歌は二番、春は渚の風、冬は枯葉の歌、これは北海道ではありません(笑)。渚はともかく雪に埋もれて冬に枯葉などありませんから。そんなことを生活感覚で知っている人は北海道人と豪雪地帯に住む人だけでしょうから、ここは本州の人にもわかる言葉で郷愁を表現したものと思われます。もちろん都会でも、大人になっても、渚には風が吹きますし冬は枯葉がカサカサいってるんですが、そんなものにあまり心動かされなくなっているのがオトナです。もちろん中高生の頃だって心動かされないフリしてましたけども(笑)、いまよりはずっと季節の情緒ってものを受信していたのは確かなのです。

倒れても、つまり失敗しても気にせずに好き勝手やってましたし、できたのです。当時は当時なりの制約を感じていて大人はわかってくれない的なことを思ってた気もしないではないのですが、いやいやいや何をおっしゃるうさぎさん、大人はさまざまな制約を課されていますし自分でも自分に課していますので、好き勝手などできたものではありません。少年時代は自由だったのです。これも大人になってからわかることで、「笑い転げた青春」が完璧に消え去ってからその意味を知るのです。ですから若い人は、笑い転げられるうちに笑い転げておくべきなのです。

さてBメロ、今度は「ずっとちがうこと」です。ですからこれはAメロに引き続き青春時代のことでしょう。同じことを繰り返していても感受性豊かでいろいろに感じることのできた時代です。だから、刺激に満ち溢れています。あれやりたいこれやりたいと、いろいろなことに興味が向きます。じっとなんかしていません。だから愛着を感じたり飽きたりする暇なんかないんですが、それでも、ふたりは別れが辛くなるほどに一緒にいてしまったのでしょう。これも尊いことです。友情、愛情、いろんな呼び方をしますが、なぜか人は一緒に行動する人を絞っていきます。当時はフィーリングが合うとか居心地がいいとか、そんな風にしか思いませんでしたが……きっと変わりゆくものごとのなかで、変わらない「その人」の何かを受信してしまったのでしょう。

歌は最後のサビ、サヨナラの日に、涙があふれて、手を振ります。花に埋もれていたふるさとで、南へと向かう列車に乗ったり空港へ行くバスに乗ったりします。少年は特別だった夢を叶えに旅立ち、そしてその夢は特別じゃない夢だったと気づいてゆく長い長い過程を経てゆきます。そう、特別じゃなかったんです、僕の夢も、僕の人生も……だからこそ「あの時代」は記憶の中で輝き続けています。もうすっかりその特別感を思いだすことは難しくなっていて、「特別だったんだ」と形容するしかほかに表現方法がわからないくらい、あの特別感は遠いものになっています。でも、それでいいんでしょう。わたしがいまだに特別感をバリバリ感じていて、「いつまで夢を見てるのいいかげん現実を見て」と子どもたちに言われるようになったら子どもたちがかわいそうです。特別感のバトンはとっくに若い人に渡したし、いまはそれが子どもたちに回ってこなくてはならないものなんですから……。でもたまに、子どもたちの見ていないところで、花に埋もれていたふるさとを思いだしてギターをつま弾くことくらいは許してもらってもいいと思います(笑)。もちろん思いだせはしないんですが、ふっと記憶をかすめる何かが蘇りそうになるのを感じて、そこでギターを置きます。そうして少しだけ気持ちを震わせて遊んでいるんです。

曲はアウトロ、ふたたびオルガン似の浮遊音、そしてオルゴールの音色に主旋律は引き継がれ、ギターのハーモニクスと一緒に曲は終わります。

このアルバムを最初に聴き終えたとき、この曲をもう一度聴きたくて仕方なくなりました。飛行機だったからか、カセットに録音したものだったからかは忘れましたが、この曲だけを聴き直すようなことはしませんでした。この感動は、アルバムの最初から物語が続いていたからこそあったのだと思ったからです。シングルとして輝く曲ではなく、アルバムのクライマックスだからこそ、このとんでもない感動があったのだとわたくし直感したのでした。だからいまでもこの曲だけ単体で聴くようなことはあまりしませんが、この曲は玉置ソロで三本の指に入る好きな曲なのです。

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2022年09月03日

愛を伝えて


玉置浩二『CAFE JAPAN』九曲目「愛を伝えて」です。シングル「メロディー」のカップリングでした。NHKの「バラエティーざっくばらん」1995年五月のテーマソングだったそうです。ということは、アルバムが出る一年以上前からこの曲はすでに聴かれていたことになります。うーむ全然知りませんでした。

さて曲は何やら鈴の音で始まります……あっ!Cat Bellsってこれか?猫鈴!じゃあ、"CAFE"&"JAPAN"って猫の名前なんじゃないのか?即席チームとかどこかの記事で書きましたけど、即席も即席、下手すると猫のチームです。これはまいった!玉置さん猫好きですから、チャチ、フラッグみたいな猫がたくさんいて、このときはCAFEとJAPANがいたのかもしれません。メロディーももともと猫の名前だという話があるくらいですし、ありそうな話です。

猫鈴に続けてストリングスがフェードイン、シンバルが鳴り響き、すぐにアコギのアルペジオ、ボーカルが入ります。ほぼギターのみの伴奏でAメロを一回、そして繰り返しのAメロにベースとストリングスを重ねます。さらにシンバルのシュワアアアアン!という音……これは『カリント工場の煙突の上に』でもしばしば聴くことができますね。同じシンバルじゃないでしょうか。玉置さんはシンバルにもかなりこだわりがあるようですから、選び抜いたものを愛用なさっているんでしょう。わたくしなどスタジオにあったシンバルを全部叩いてみて(たいがい数枚しかありません)、ああこれでいいやってくらい適当に音を録ります。玉置さんは音色へのこだわりがまるでレベル違い、いちボーカリストを完全に超えた領域まで自分の音を作りこんでいることがわかります。

壮麗なストリングスをバックに玉置さんがサビを切々と歌います。この箇所、ポクポクポク……と何かリズム楽器が鳴っている……パーカッションだろうか?と思うんですけど、よくよく聞いたらこれは玉置さんのアコギによるアルペジオであることがわかります。いままでもこうしたことは何度かあったのですがわたしが確信したのはこの箇所です。アコギのアルペジオがリズム楽器のような役割を果たしていたのでした。むう!こんな手法は思いもよらなかった!もしかしてアルペジオと一緒に同じタイミングで音色のよく似た打楽器を鳴らしているのかもしれませんが、わざわざそんなことをする意味がよくわかりませんので、さしあたり名前を付けておいて、いずれ他の曲でも検証をする際のために書きやすくしておきたいと思います。「パーカッシブ・アルペジオ!」どうだ!(プロレスの必殺技を命名するアナウンサーの気分)。そのパーカッシブ・アルペジオとベースによるリズムキープ、壮麗でスローなストリングスをバックに、「おやすみ」「おはよう」という日常の会話にあるようなことばが歌われていきます。「花のように」「風のように」……これは!「Honeybee」の記事でわたくしが書いて完全にハズした妄想の世界じゃないですか。蜂さんと花が邪念なくただただ自然に自分の役割を果たすという尊い世界!というか玉置さん!ほんとはこの曲がHoneybeeだったんでしょ!蜂と花の夜と朝を歌う尊い歌だったんでしょ!ところが途中で「Yes!Honebee!」とか歌いだしちゃって、いつのまにか入れ替わったんでしょ!いやこれ、もちろん何のソースもなくわたくしが思い込んでいるだけなんですけど、わりと自信ありますよ!真相は玉置さんとごくごく限られた人しか知らないから好きなこと言ってます(笑)。たんに当時この歌を聴いてその歌詞の世界に感銘をうけたわたくし、朝になったら風のように自然に会う……蜂と花のようだなあ……なんて妄想をしていて、その前曲がたまたま「Honeybee」だったから、むう!これは曲名を取られてしまったに違いない!なんて思っただけのような気がします。でもまあ、この「愛を伝えて」が一年以上前から存在していたんですから、この曲のモチーフが蜂と花なのは当たっていたとして、それをもとにあとから蜂の歌を作ったということなのかもしれません。もちろんそうでないのかもしれませんねえ。さてストリングスが途切れシャアアアアアン……とシンバルが鳴り、アコギのアルペジオのみでゆっくりと玉置さんが「君だけを愛してる」と歌います。Cat Bellsもチリチリと……蜂とか花とかでなく猫のことだったのかもしれない……(笑)。

アルペジオがひときわ目立ち……ああいい音だ……と思っているうちにストリングスとベースが再開、歌は最後のパート、Aメロに入ります。ストリングスとベース、パーカッシブアルペジオ、ときおり「ガタン!」と響く低音のパーカッション、フル構成で歌の最終局面を盛り上げます。最後の「愛を伝えて」あたりからCat Bellsも聴こえてきます。Cat Bellsが大きめに響き続けるなか、玉置さんのソロが入ります。ポロロポロロと、これまたいい音です……ガットギターを指で強めにはじきながら一音一音丁寧に弾いたのでしょう、ストリングスにベース、キラキラキラ……とこの曲で何度も用いられてきた(のにいままで言及していなかった)ウインドチャイムにも似たシンセの音……そしてシャアアアアンというシンバルが遠くで響きCat Bellsだけを残して曲は終わってゆきます。

この当時はまだ『カリント工場の煙突の上に』における玉置さんの詞の世界をあまり理解していませんでしたので、実はこの「愛を伝えて」の歌詞がはじめてわたくしがハマりこんだ玉置さんの歌詞になります。それこそ松井さんの「La-La-La」とか「」のように、何度も書いてでも覚えようとしたのは、玉置さんの歌詞では初めてです。書くだけでなく、コピーして歌おうとしていました、歌ヘタなのに(笑)。もちろん酷い弾き語りで悦に入っていたんですけども、いまでもガットギターを抱えるとこの曲をポロポロと自動書記的に弾いてしまうことがあります。それだけ、当時のわたくしに染みたのでした。人はなぜわざわざ争ってまで仕事をするのか?人はなぜ駆け引きしてまで異性を求めるのか?そこまでして何が得られるというのか?それで得られたとしてそれがなんだというのか?……こうした今となっては青臭い青年の悩みに苦しめられていたのだと思います。青臭いなどと上から目線で書いておきながら、実はいまだに答えはわからないんですが。わからないままにしておくことにガマンできるようになっただけです。そういう、子どもなんだか大人なんだかよくわからない精神状態と、玉置さんの猫への思いと(笑)、世の中の行き詰まり感が絶妙にマッチングすることによってこの曲にハマりこんだのだと思います。玉置さんは相変わらず猫がお好きでしょうし、悲しいことに世の中も26年前と同じように行き詰っていますから、この曲はいまでも同じ輝きを放っているものとわたくし確信しております。あとは青年期の悩みだけ!(笑)

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2022年08月31日

Honeybee


玉置浩二『CAFE JAPAN』八曲目「Honeybee」です。

LOVE SONG BLUE』『CAFE JAPAN』『JUNK LAND』の復活三部作(わたしが勝手にそう呼んでいるだけです。「ベルリン三部作」みたいなファンならみんな分かるような用語ではないのでお気をつけください)にはこういうきわどい、暗示的にか明示的にか性行為を表現した楽曲が散見されます。特にこの曲は明示的で、コメントに困っていけません(笑)。『LOVE SONG BLUE』だと「ダイヤモンドの気分」とか言ってもうちょっとオブラートに包んでいましたよね玉置さん!

さて曲はアコギと思しき澄んだ音がポロンポロンと右左から聴こえてきて、一瞬バラードなんじゃないのかと思わされます。ああ、題名がハニービーだから、花から花へ飛び、花粉を与えたり蜜をもらったりというそういう働き者の蜂さんの話なのかもしれない、そうだ、わたしたちは蜂のように生きるべきなのだ、蜜をもらう蜂は花に許可をもらったり申し訳ないという気持ちになどなったりしない、かわりに花粉を運んであげるのだから感謝せよとか恩着せがましい気持ちにもならない、交渉もしない……本来社会で働くとはそういうことなのだ、あるがままに自然に、各自の役割を果たし、それが何のためかとか死んだらパーとかそういう共同体主義とか個人主義とは無縁なものなのだ……ただあるがままに自然で尊い、ただひたすらに尊い、そういうものなのだ……「大きな"いちょう"の木の下に」「フラッグ」とは違った方面で働き蜂であるのに蜂のように自然に生きられないわたしたちの悲哀を攻めてきたか……さすが玉置さん……などと勝手に感心していたら、「イーアーパーストミニッ!イーアーパーストミニッ!」などと意味不明な悩ましい声で玉置さんが囁きだしたかと思えばズットン!ズットン!と艶めかしいリズムが打たれはじめ、おや何か様子が違うぞ?と困惑している間に「Yes! Honeybee!」の掛け声とともにアコギのカッティングに不穏なシンセが流れ始めます。「満月」だからためす?窓全開でとばす?な、何を?こ、これは、ぜんぜん違う歌でした(笑)。

蜂はふつう夜には活動しませんから、もう本当にノリで「Honeybee」って決めたんだと思います。なんとなく性行為を暗示させるよな、いろいろな点で!という感覚の問題でしょう。「ロケット」が男性器のイメージをもつとか「蜜」が分泌液のイメージをもつとか、いろんな意味でいちいち細かい解説を入れるのがためらわれる歌といえるでしょう。そういうものとしてこの文章もお読みいただけると幸いです。い、いや、わたくしここまでわかりやすいと逆に書けなくなるんです。松井さんの比喩はもうちょっと遠かったですから書く隙間があったような気がしたんですが、玉置さんと須藤さんはモロにその隙間をドカンと埋めてきました。

さてロケットがGOしまして曲は急展開、これまで元声ひとつとオクターブ上の声しか入っていなかったボーカルが、普通のハモリ音程になります。これが急に切迫した感じを演出していけません。ああ、始まったか……(笑)。途中でバカげた乱舞とかしてますけど、それもすべて基本行為中です。「別れた女のフリして」は正直意味がよくわかんないですけども、玉置さんほどの遍歴を重ねた情熱家ならばわたくしなどの想像が及ばないいろんな思いが去来するものと思われます、行為中に。

さて曲は間奏、ソロのない間奏で、アコギのカッティングがよく聴こえます。パラパラパラ〜と広がる安藤さんのキーボードもよく聴こえます。この曲はお二人だけで演奏しているのですが、ここからの三曲はほぼこのお二人だけなのです(「愛を伝えて」だけCat Bellsに違うクレジットが入っていますが)。よほど相性がいいと見えます。こんなに玉置さんが一人のミュージシャンと一対一で曲を作り上げたのはBAnaNAさん時代以来ではないでしょうか。こんな感じのキーボード入れたいなあって玉置さんが思うところを安藤さんが勝手に受信して的確に入れることができるくらいでなければ、こういう関係は築きにくいでしょう。「さっちゃんは音楽を作れる仲間だと思った。そういうやつが欲しかった」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)とまで玉置さんに評価されている安藤さんの存在は、この復活三部作の中でどんどんと大きくなってゆくのでした。

二番に入りまして、もちろん話は全然進んでおらず同じような濡れ場が描かれるんですが(笑)、これは二晩のことを歌っているのでなくて、同じ一晩のことを違う角度から描いたってところでしょう。一番ではまだ描写が客観的でしたが、この二番はもはや副詞だけというか、何やってるんだかさっぱりわかりません、「イライラ」はまだわかるとしても、「ブラブラ」「ブルブル」「グルグル」はもはやなんだかわからないし、あまり想像したくもないです(笑)。さほどに強烈かつ直接的でピンポイントすぎて、完全に脳内だけで起こっていることを身体が行っていることから切り離して表現したんじゃないかってくらい、傍からはわかりにくいものです。長嶋監督がバッティング指導するとき「ピャッときてバッと打つ」とか言ってほとんどの選手にはさっぱり伝わらなかったのと同じく(松井選手だけわかった)、天才の感覚的な表現というのは往々にして凡人にはわからないものなのでしょう。榎本喜八選手も現役時代にバッティングのアドバイスを求められ「体が生きて間が合えば必ずヒットになる」などといっていたせいか、あれほどの大打者でありながらコーチや監督を一度も経験せずに亡くなったのでした。玉置さんの天才ぶりは、長嶋榎本レベルか、あるいはそれ以上なのだと思い知らされる歌だといえるでしょう。

そしてサビのあと「Yes, Honeybee」のフレーズを二回繰り返します。「どうしたんだい 元気出して 一緒にいこう」?元気ないんですかね?夜じゅう頑張りすぎたのか、あるいはもう夜は明けていて別の誰かに言っているのか……いやいや!そんなふしだらなことは!(笑)

これも、時系列で考えるべきでなく、相手は同じ、シチュエーションが違っているのに一曲の中で重なる、時間や空間をすっ飛ばした(一人の相手への)強烈な愛情を表現しているものと思われます。あるいは、愛欲とか蜜蜂の労働とかそういう文脈の次元すらも吹っ飛ばして、玉置さんが多くの人たちに「元気出せよ!一緒に楽しもうぜ!」というメッセージなのかもしれません。わたしたちは文脈の中に生きていてあまりそこから離脱しませんので、ちょっと意識を飛ばさないと「そうだ!クヨクヨしてないで楽しまないと!」とは思えないわけですが(あんたいま行為中じゃん!)。

さて曲はいったんブレイクしまして玉置さんのシャウト、そしてギターソロに入ります。一分弱の長いソロです。あまり音程を大きく動かさずチョーキングを多用したエモーショナルなソロです。以前にも書きましたが、ギタリストだとここまで思い切ったソロはなかなか……あちこちのポジションを使って華麗に弾こうなんて思っちゃいますから、これは逆に難しいといえます。そしてアルペジオ、一瞬復活したドラムとベース、またアルペジオに玉置さんの囁き……これは次作『JUNK LAND』にもしばしばみられるのですが、こういう余韻というか、感情の流れ・動きをストレートに奔放に表現した箇所といえるでしょう。

この曲、玉置さんには大きな手ごたえがあったのでしょう。おそらくはお気に入りナンバーとして『安全地帯XIII JUNK』にも安全地帯で再録されています。

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2022年08月19日

フラッグ


玉置浩二『CAFE JAPAN』七曲目「フラッグ」です。

JUNK LAND』に「我が愛しのフラッグ」という曲がありまして、なんで旗なんか愛してるんだよと不思議に思ったものですが、例によって『幸せになるために生まれてきたんだから』によりますとフラッグとは玉置さんの愛猫の名前なんだそうです。へえー、じゃあ『CAFE JAPAN』の「フラッグ」も猫なのかなと一瞬思いましたが、作詞は須藤さんですし、太陽の光にきらめいたりしていますんでふつうに旗なんででしょう。

ガシャン!ガシャン!ザワザワ……と、工作機械の音、うごめく人々の気配、これは工場でしょう。いまの世の中ではどこに行ったのか、あまり聞かなくなった工場の音です。たんにわたしが住んでいたのが工場地帯だっただけなのか、産業構造が変化してそういう工場が減っただけなのかちょっと判じかねますが、ともあれ懐かしい子ども時代に一気に戻されるようなあの頃の音です。

アコギの音がなりはじめます。右から左から中央から……あまり聴いたことないですがカントリーミュージックの臭い、バンジョーの響きにも似たギターオーケストレーションです。玉置さんがスキャットを始め、パーカッションがズシンズシンとプレス機を思わせる重い音でリズムを取ります。

ベース、ドラムと同時に歌が始まります。どちらも玉置さんが演奏していますが、エレキギターによるアルペジオが……鈴木さんがクレジットされていまして、おそらくこのアルペジオが鈴木さんなんだと思います。相変わらず柔らかくてスーパーナイスなトーンを……。前作『LOVE SONG BLUE』ではほとんどメインギタリストでしたが、この『CAFE JAPAN』では「フラッグ」一曲のみの参加になっています。この曲にはどうしても鈴木さんの音が欲しくて急遽頼んだんじゃないんでしょうか。

ドラム缶に腰かけて飲み干すのは、ペットボトルの水じゃありません。当時そんなものありません。あるとしたらビンなんですが……水なんてそもそもその時代に売っていたかな?おそらくはビンでなくてヤカンです。ヤカンの水を穴をふさいでフタに注いで飲むんです。もちろん共用ですが、感染症など誰も気にしません、というか現代人とは免疫が違いますし、みんな似たような行動範囲で似たような生活してましたんで、もっている菌なりウイルスなりもかなり共通していたのでしょう、そもそも念頭にも浮かばないのです。ある意味開放的ではあるんですが、もちろん同じ場所で同じことの繰り返しの日々、気づいてしまえば閉塞感がハンパでないです。だから袋小路な気分ですし、ダイスを投げてみたくもなります。投げたってなんにも変わらないんですが……投げるのです。6が出たら何か運命が開けるかも?などと思いながら。そんな悲しさと工場の煙が目にしみて涙が流れ出します。排ガスに関する規制が強くなったのか、産業構造が変化したのか、現代は空気がきれいです。タバコの煙すら閉め出そうと躍起になる現代人などは、昭和の工場地帯の臭いは目にしみるどころか鼻が曲がってひっくり返るに違いありません。

そんな臭いの中、おそらく鈴木さんのスーパーナイスなカッティングが響き、曲はBメロというかサビに展開してゆきます。おかしくなりそう、悲しくなりそうと、閉塞感極まった町を捨ててもよいと叫びます。汗とアブラは、その地域に深く根ざし内部に入り込んだ人でなければ触れることものないものなのですが、見えてしまうんですねえ、ふるさとだから。でも、きっと捨てないんです。見えなくなるとさみしくなりそうだから。ふるさとの地べたにはいつくばって、ガソリンの臭いを嗅ぎながら、工作機械の排熱をでかい扇風機でかき回した風を浴びながら、暮らしていくんです。

さてドンドン!とフロアタムが響き歌は二番、「組合」「サイレン」と相変わらず重めのワードが歌われます。19世紀、労使関係は暴発寸前、ある国は共産主義に移行、多くの国は修正資本主義に舵を切ります。その過程で生まれた組合とは、結局は妥協の産物にすぎません。はじめから「喧嘩もしない」状態であればいいんです。その喧嘩が労使間のものか、それともたんなる痴話喧嘩なのかはわかりませんが、いずれにしろ穏やかではありません。経営者が最大限に労働者の生活を尊重し配慮していれば、争いごとの半分はこの世からなくなるといっても過言ではないでしょう。サン=シモン派やロバート・オウエンのいう理想的・空想的な社会がそこにはできる……かもしれません。でもまあ、そんな世の中は文字通り空想にすぎないのでしょう。ロバート・オウエンの街ニューラナアックはいい感じに運営されていたと伝えられていますが、当時は繊維関係がメチャクチャな成長産業であったことを考えれば、まあそういうことも一時的にならあるかもねってくらいです。作業場のトラブルで爪は剥げるし(何かの比喩かも……「能ある鷹は爪を隠す」みたいに能力とか強さを表すものであれば、粋がっていたけども日々に疲れてそんな気すらなくなってしまった、くらいの意味かもしれません)、終業を告げるサイレン後にシャワーを浴びなければならないほどドロンコ、恋人と待ち合わせするカフェまではいつくばってゆくほど体は疲労困憊、さんざんです。ちなみに三交代制とかは当時あんまり聞いたことがありませんでしたので、普通に17時に機械はストップでしょう。みんな定時に帰れます。恋人と夕食もとれます。もしかして現代のほうが辛いんじゃないのかってくらいユートピアな感じがしますが……それは現代がキツすぎるだけで、当時はそれが「ああ今日も大変だったな……」と繰り返しの毎日に疲れた労働者の日々だったのです。

さて歌はふたたびサビ、はるばるきた、ここまできた……はるばるいくよ、そこまでいくよ……これは町を離れて新天地に来たとかそういう意味ではないように思われます。繰り返しの毎日にあっても、一歩一歩進んでいると信じている青年が、ここまではるばるやってきた、きっと自由な日々にたどり着けるんだ……とそうした明日への希望を歌っているように感じられるのです。どんな夢、希望があるのか、自分は何を守っているのか判然とはしないけれども、昭和という時代は明日は今日よりもっとよくなると、信じられた時代でもあったのです。自分の声でハモリをいれた玉置さんのボーカル、切々と、それでいて悲愴感が感じられないように聴こえるのはこうした未来への希望(その象徴がフラッグ)がにじみ出ているからではないでしょうか。玉置さんのボーカルにも須藤さんの歌詞にも、辛い労働の日々のなかにも信じて生きて行ける希望、というストーリーを、わたくしはっきり感じてしまうのです。疲れているのかもしれません(笑)。

曲は玉置さんの情熱たっぷりなギターソロに入ります。うーむ見事!あらかじめ考えておいたソロではないでしょう。おそらくはアドリブに近いです。指先の力を振り絞った大きめのチョーキング、目いっぱい伸ばしたビブラート、魂のリフレイン、これは前もって作ろうとするともうちょっと細かくいろいろやろうとしてしまいます。ギタリストの性なのです。ですから、アドリブのほうが案外いい感じになることはままあります。

曲は一番と二番のサビを一回ずつ繰り返して最後は「自由のフラッグYEAH…(ah!)…YEAH…(ah!)…YEAH…(ah!)(ah!)…」とテンションアップして終わります。楽器の音が終わる瞬間にうすーくストリングスらしき音が入っていたことがわかり、あ、クレジットされていた安藤さんの演奏はこれか、とやっと腑に落ちました。そしてまた工場の喧騒……また繰り返しの毎日へと、いつか自由になれるんだと希望を求めて帰ってゆきます。

思うに、繰り返しの毎日は人間にとって不自由を感じるものなのだと思います。なにも束縛されているわけじゃないのに、自由になりたいと思ってしまうのです。いつ起きるか寝るか、起きている何をするのか、何を食うか食わないか、何もかもがほんとうは自由なのに、生活の糧を得るために繰り返しのスケジュールを採用してしまったそのときから不自由を感じるようになってしまいます。どこにでも行けるのにどこにも行けない、いつまで寝ててもいいのに起きなくちゃならなくて、いつまで起きててもいいのに寝なくちゃならなくてと……ああしまった、急に自分がとてつもなく不自由なんじゃないかと思えてきて胸が苦しくなりました(笑)。

自由を求めて歌われた団塊世代のフォークは、自由のほかに不戦とかなんだかイデオロギー臭さがつきまとっていて下の世代からすると正直食傷気味なんですけども、玉置さんのこの曲は力強くも美しいメロディーに、イデオロギーのかわりに汗やアブラ、誰かがよこしまな気持ちで支配しているとかそういう悪玉を設定して恨むような気持ちは露ほどもなく純粋な気持ちで自由とかフラッグとかへの憧れを歌う気持ち、こうしたものが心を何ともいえずさわやかにしてくれます。

カントリーミュージックって、ほんとの昔はこんな感じだったんじゃないですかねえ……カントリー大全集的なやつをちょっと聴いたくらいしか知らないですが。わたしが中高生の頃はもうメアリー・チェイピン・カーペンターとかがいてAORと区別がつきにくくなっていましたし、いまなんて……テイラー・スイフト?ふつうのポップスと何が違うのかわたくしにはもうわかりません。そんなわけで、この曲がお好きな方は60-70年代くらいのカントリーをお聴きになるとより幸せになれるかもしれません。ともあれ、この曲は玉置さん流のカントリーなんだとわたくしは思っております。

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2022年08月13日

SPECIAL


玉置浩二『CAFE JAPAN』六曲目「SPECIAL」です。

玉置さんがパーカッション、アコギ、エレキを演奏しているほかは藤井さんの打ち込みとキーボードになっています。それにしてもこのアルバムでの藤井さんはかつての川島さんなみの活躍ですね。

というわけで、多くの音は打ち込みということになります。玉置さんのお弾きになったギターの音もあんまり聴こえてきません。それにしても……このストリングスの音はさすがにわかります。抑揚がだいぶん少ないというか不自然な感じがします。玉置さんや藤井さんがそんなこと気づかないわけありませんから、わざとでしょう。何らかの狙いがあって人工的な感覚をあえて出しているのだと思います。ドラムやベースは正直よくわかりません。ドラムの音がちょっと単調かな?くらいです。これだって玉置さんの歌があんまり強いので最初に気がつくようなものでなく、クレジット見てああそうだったんだと後だしジャンケン的にそう解釈するだけのことです。

さて、なにやらハープをかき鳴らしたような音がなったかと思えば、ドラムス、ベースの音、パーカッション、ベルの音が絡み、ダッダッダー!ダ!ダッダダー!ダッダッダー!ダ!ダッダダー!というこの曲メインのリズムが奏でられます。この曲のメインはこのリズムなんだと思います。歌は当たり前にいいし、平面的なストリングスもいいです(これが金子飛鳥グループのリアルな演奏だったら、はっきりとはわかりませんがおそらく合わないと思います)。ですが、この曲でもっとも強く印象に残るのはこのリズムでしょう。ねえ須藤さん、このリズムで曲作ろうよ歌詞書いて書いて、というが早いか、玉置さんがギターに合わせて即興の歌詞で歌い始めて、須藤さんが慌ててメモ用紙を取り出す、そして何度か歌っているうちに「スペシャル」「きっと」「もっと」という言葉が決まってくる……「きっとスペシャル」は浩二が作った歌詞だからといってクレジットは共作にすることにして、それに合わせて「射的場」とか「メリーゴーランド」という雰囲気を須藤さんが示し、玉置さんがそれを組み込んだ仮歌を作り、AメロBメロが固まったところでカセットに録音(当時はMDか?)、須藤さんがそれを持ち帰ってウンウン唸って次の日にできあがった歌詞を玉置さんに見せたら玉置さんは喜んでギターで弾き始める、そして「須藤さん、これだよ!」と二カッと笑う……こんな光景を想像していまいます。うわあ、いいなあいいなあ!それこそ作曲だよ!バンドだよチームだよ!松井さんはこういう仕事の仕方はせずに、カセットだけ受け取って自室にこもって出来上がったものを見せてくるタイプだそうですけど、須藤さんはもう曲が生まれる第一歩目のところから一緒にいて一緒に作っているわけです。それこそどこをどっちが作っているんだかわからなくなるくらいに、融合しています。

当時のわたくし、ドラマーとよく部屋で曲作りをしていたものです。まずはわたくしギターをシャリシャリとアンプを通さず弾いていまして、ドラマーはその横で「信長の野望」です(笑)。姉小路とかそういうきわめて天下統一の難しい大名を選んでいますので悪戦苦闘しています。しばらくたってわたくし「こんなリフどうかな?じゃあこんなのは?」ドラマーはその間鉛筆を片手に五線譜にリズム譜をさらさらとメモしています。「よーし、じゃあドラム作るから待ってて」とドラムマシンをピコピコ打ち込むドラマーをよそにこんどはわたしが「ストリートファイター2」とかやっています。サガットは強いので何回か敗れたりベガに全然勝てなかったりしてイライラしています。そんなことしているうちに「できたよー」「おーし」と交代、今度はわたくしMTRにドラムを録音して、ギターを重ねていきます。アンプは使いません、アパートだから。MTRにメタルゾーン直差ししてヘッドホンです。ドラマーは姉小路再開していますが何しろとなりの斎藤が強いので北陸から攻めていき、そのスキに斎藤から攻められています。デモにはベースも入れないといけないんですが、何しろゲームの状況によってベースはドラマーが弾いたり私が弾いたりになります。二人ともあまりベースのことは考えていませんでした。ドラムとギターが決まればその間を縫うようにフレーズを作るしかないのは当然なので、私が弾いてもドラマーが弾いても同じなのです。ちなみにベースも直差しです。そうして歌のないデモが出来上がります……不思議だ、やってることは玉置さん須藤さんと同じなのになぜこんなに違うんだ。きっとわたしたちはお互いの待ち時間にそれぞれ勝手なことをやってるからでしょう。玉置須藤コンビのような一体となった曲作りとは非常に遠いわけなのです。

以上の玉置須藤コネクションはわたくしの妄想なのですが、『幸せになるために生まれてきたんだから』によりますと「24時間体制」で一緒に風呂入りながら曲作りしていたようですし、『カリント工場の煙突の上に』をふたりが一緒に作る様子を読むにつけても、当たらずといえども遠からずだろうと推測できます。

さて話は曲に戻りまして、「Ah!」と威勢のいい玉置さんのシャウト、「Oh〜」と朗々とした唸り、にぎやかなアレンジでメインリズムが響き続けます。これは曲のイメージである遊園地を演出する効果があります、というかあるように聴こえてきます、後だしジャンケンで!(笑)。後だしなんですが、歌の強さですべての要因が互いに融和してゆくのです。

さて、歌に入りまして、ベースがボンボンボンボンと小気味のよい下降を繰り返すなか、玉置さんが遊園地の施設で遊ぶ様子を歌います。楽しく、そして懐かしい感じです。Bメロ、「コインポケットにジャラジャラ」なんてお祭りの夜を思いだしますねえ。ひたすらセピア色な気分です。「夢」でいっぱいで、でもそれは一日で終わってしまう「夢」だとわかっているわけですからこそ、愉しもうとするのです。

サビは「スペシャル」の連呼、ときめく、はじける、「ハレ」の日です。ずっとは続かないけどもずっと続いてほしい、でもずっと続いていたらスペシャルっていわないので、これはスペシャルなことなんだと連呼する、そんな矛盾をはらんだ気持ちを……意図的にか非意図的にか、この曲は表現しているようです。この時点ではわたくしそう思っておりました。

二番では輪投げしたりサンドバッグを殴ったりしています。楽しそうですねえ。ちょっとわたくしの記憶内では、遊園地にはそういうものはなかった気がするのですが(あまり行ったことないですけど)……さきほど申しましたように、そういうものはお祭りにある気がします。この歌、遊園地と祭りが混じってませんかね?そんな場所があるわけが……歌は「スペシャル」連呼のサビを何事もなかったかのように通過し(わたしが疑問に思っているだけで実際には何事も起こっていない)、大サビに入ります。

「人生は遊びさ」……これは遊園地や祭りの歌などではなかった!逆にいうと遊園地でも祭りでもないのだから、それらが混ざっていても別に問題がなかったのです。つまり、比喩だったのでしょう。射的場や観覧車、ピンボール、パントマイム……「のように」特別なイベント、スペシャルなイベントがそこにある「ように」生きていこうぜ、いつでもそんな浮き立つような、どこでもそんな楽しい気分でいようぜ、一度きりだし、しかも一通りしかないのがこの人生だもの、と玉置さんは歌うのです。なんという勇気のわきでる歌でしょうか。SMAPが「世界に一つだけの花」で「オンリーワン」と共感を買いまくったのは2002⁻2003のことです。いやいや玉置さんがもっと前に……なんていうだけ野暮というものでしょう。なにせむりに特別でなくていい、もともと特別なんだからと肩の力を抜きまくった詞を歌うSMAP(作詞作曲は槇原敬之)と、がんばらないとスペシャルじゃないぜ!いつでもがんばってスペシャル!もっと楽しまないと!と非常に積極的な玉置さんの歌とではその心構えが違い過ぎるのです。

なんということでしょうか。遊園地の楽しい歌だと思っていたら、これはほんの数年前にどん底を経験した玉置さんが、その精神を奮い立たせ、人生を楽しもう!と高らかに歌い上げる歌だったのです。そのために、遊園地とも祭りともつかぬ「ときめく」「はじける」ハレの装置を数多く次々に歌うのでした……。

「スペーシャール……」と最後に歌声を伸ばし、アウトロも終わらずにフェードアウト、きっといつまでもスペシャルなんだろうと暗示するのにはこの上ない終わり方です。玉置さんはその通り、この後も紆余曲折ありつつもスペシャルな人生を送って26年後の現在に至っています。その活躍ぶりはみなさんもご存知の通りです。

そういや今夜は玉置さんのシンフォニックコンサートが放送される日です。これはうちのテレビでも観られますので録画決定(チャンネル決定権はない)!うーむ楽しみ(明日の早朝が)!。

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2022年08月11日

STAR


玉置浩二『CAFE JAPAN』五曲目、「STAR」です。先行シングルで一番初めに出たシングルです。カップリングは前アルバム「正義の味方」でした。かわいらしいイラスト(バジャ一家?東京電力コマーシャルだったようですが詳細が全然わかりません)のジャケットで、曲調もアコギのアルペジオ主体の可愛らしい曲になっています。

アルバムより一年以上前に出ていまして、テレビでも何回か流れたのを聴いてはいました。あら玉置さんの声だ、きれいな曲だねえ、と思っていました。ですが、それだけでした。わたしがそれまで「玉置さんらしい」と思っていた音楽の要素から外れていましたので、何か事情があったのだろう、くらいに思っていたのです。だって!玉置さんが!「ベイベー」とか歌うなんて思ってなかったんですもん!(笑)まさかのちにアルバムに収録されるとは……しかも、アルバムにはスパッとおさまる「らしい曲」になっているとは……わからんもんです。95年はアルバムのリリースはありませんでしたが、前作『LOVE SONG BLUE』から今作『CAFE JAPAN』へと進化するために必要な期間だったのでしょう。その、いわばサナギの状態にあってポロッと漏れ出てきたこの「STAR」に面くらったというのが事の次第だったのだと思います。

ポロロロ〜とガットギターがアルペジオで響き、ほどなく玉置さんが「ベイビー」と歌い始めます。このギター、低音がずいぶん効いてますし、途中でパートが二つに分かれますから、二本か、もしかしたら三本重ねているのでしょう。星がきらめくようにハーモニクスの音がキラーンキラーンと……その間もストロークやアルペジオは聴こえてきますし、かなり試し試し重ね方を工夫したのだと思います。ボーカルは……これまた二回か三回重ねて録音しているように聴こえますが、玉置さんのことですから油断はなりません。一回か二回か、ちょっと判別つけかねる箇所もいくつかあります。ひとりクイーンやってるんじゃないかってくらい重厚なので、薄いところ厚いところの感覚が狂ってきます。

一番のサビ以降、ポコポコとパーカッションが聴こえます。かなり控えめなので、ギターとボーカルの重厚さに埋もれていますし、それくらいの味付けでいいとお思いになったのでしょう。

そして間奏ではポロロポロロロ〜と流麗なエレキギターによるソロが入ります。「矢萩が弾いても俺が弾いても同じだから」と豪語する玉置さん、さすがの腕前です。トーンづくり、フィンガリング、ピッキング、フレージング、どこをとっても本職ギタリストと遜色ないソロです。カキくんと同じかどうかはともかく。

で、この曲、すべてが玉置さんの演奏によるものなのです。安藤さんも藤井さんも入っていません。『カリント工場の煙突の上に』以来の完全にオール玉置です。『カリント工場』もパーフェクトにオール玉置って曲はあったかなかったか……?ともあれ、ここまで徹底的にほかの人の音を入れないというのは珍しいことだったのです。しかもシングルですし。

前作『LOVE SONG BLUE』はかなりゴージャスにミュージシャンを起用したアルバムであることはすでにご紹介しました。わたくし思いますに、これは、玉置さん一回イヤになっちゃったんじゃないかと思うのです。安全地帯時代にもサポートメンバーが十人を数えるくらい豪勢だったのを、ほぼ削って極力五人だけでレコーディングに臨んだ『夢の都』のように、そしてその五人すら削ってほとんど一人で作り上げた『カリント工場』のように、原点回帰といいますか、玉置さんは息詰まるといったんすべてをリセットして、最小構成(へたすると自分一人)でリスタートする癖があるのではないかと思うのです。この癖はのちに『ニセモノ』を全部ひとりで録りなおしたという事件や、『雨のち晴れ』後に安全地帯を休止させたことにも表れているように思われます。

精神的支柱として須藤さんと二人三脚、音楽的支柱として安藤さんと二人三脚と、玉置さんを支える超強力サポーターたるお二人がいたからこそできたのでしょう。この二人さえいれば、ほかはいざとなればぜんぶ俺がやればいいんだ、悩まなくていいんだ自由でいいんだと、バンドボーカルなりソロ歌手なりが背負いがちな束縛をいっさい捨てることができた、そんな喜びがこの曲、そしてアルバム『CAFE JAPAN』にはみなぎっているかのようです。おい浩二「べイべー」とか言って、そんなキャラじゃないだろ大丈夫かお前、なんていう人はいません、自由なのです。だから「ベイベー」なのです。

そして自由に歌う玉置さん、これは安藤さんとの間に芽生えた愛を歌っているのか、いやたぶんそうなんだと思いますけども、それにしても空とか星とかいうことがデカいんですけど!(笑)。超ラブラブのときには、世界中がぜんぶ自分たちを祝福しているような気分になるのもわからないでもないんですが、もしこのラブラブ説が正しいのであれば、あからさますぎです。作詞には須藤さんも参加しているわけなんですが、あまり制約はかかっていないようです(笑)。当時のわたくし、まだまだ薬師丸さんとラブラブだとばかり思っておりましたから、まさかそんな心境になっていようだなど思いもよりません。な、なんだこの歌詞、仙人にでもなったか?穏やかすぎんぞ!と驚いたものです。いや、実は安藤さんうんぬんは全く関係なく、ほんとうに仙人的な心境になっていたのかもわかりませんが。

「この星と暮らそう」「この星で暮らそう」のスケールには、のちの「プレゼント」を思わせる大地と空の広さがグワーッと胸に迫ります。「愛はどこからきたんだ」、不思議ですね。それはもう星が自転公転するのと同じくらい自然なことなのでしょう。大地がどこまでも続き、緑が芽生え生き物たちがうごめき、空はすべてをおおい宇宙と境を接している……そのメカニズムのうちに、わたしたちの愛もあるのでしょう。ですから、どこから来たんだと問われたら星から来たんだというしかありません。そして、星の一部たるわたしたちにも「聞こえる」はずなのです。「作用する」とか「機能する」ってことなんでしょうけど、それを聴覚で表すセンスには驚きです。すげえ自然な感じ!

この理屈が正しいのであれば、生きとし生けるもの皆すべて、べたすると非生物にすら愛は聞こえるはずです。ですから、「いつの日か争うこともなく」すべては丸く収まってもよさそうなものなのです。ですが、それは世界が結局調和的にできているはずだという幻想にすぎないことを私たちは知っています。だって争いまくってるじゃないですか私たち。へたすると隣人でさえ知ったことかで切り捨てます。な、なぜ!ほんとうはみんな争わずラブ&ピースで暮らしたいと思っているんじゃないのー?

たぶん、そうなんです。私たちは争わずに済むならそれに越したことはないとそれなりに思っているのです。だって皆兄弟だから(星的なスケールでいうと)。でもですねー、そういうラブ&ピースな気持ちってのは、たぶん濃淡がかなりあるんだと思います。昆虫とか貝類とかはほとんど感じてなさそうですよね。人間だってけっこう人による、心境によるんじゃないでしょうか。オランウータンはメチャクチャ感じていそうですけども。この濃淡があるから、きっと私たちは一致団結などせずにそれぞれのテンションでラブ&ピースを星から受信しているのでしょう。

きっと、だからこそ、私たちは運命の人ともいえるような、似た波長の人とめぐり逢うことがあるんじゃないかなー、なんて思うわけです。で、そんな人とラブラブになったらすっげえ鷹揚な気持ちになって、世界のすべてが許せる!世界のすべてが自分たちを祝福している!ような気にもなれるんじゃないかな、なんて思うわけです。それはふつうには舞い上がっているというんですけども。

と、まあ、ラブラブ説をどっちかというと推したいわたくしなのですが、まあ例によっていつもの妄想ですから、今作から参加していない星さんを思って書いた曲なんですとかあとから判明してしまいとんだ赤っ恥といういつものパターンが見えて仕方ありません。

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2022年08月06日

ヘイ!ヘイ!


玉置浩二『CAFE JAPAN』四曲目「ヘイ!ヘイ!」です。

「ヘヘイのヘイ!」と威勢のいい掛け声と、ギターやベース、ドラムの試し弾きのような音、セッションの準備ができたことを意味する「オーケイ」に応じる「オーケイ」(全員玉置さん)、ひとりバンドなのにずいぶん臨場感あります、クレジットにはキーボードに安藤さん、コーラスにThe Asiansがあるほかは全員玉置さんなのです(The Asiansが何者なのかは不明です。おそらくは即席のグループでしょう)。

「ジャーン!ジャッ!ジャーン!」と重めのリズムで、しかし軽快に、ストラトキャスターのスプリング音が聴こえるくらいにおそらくは腕の力で強く弦を叩いたギターが二本絡み、ロックの王道……AC/DCかと思うくらい王道のバンドサウンドで曲は進んでいきます。いや、あんなに重くないですね。これまた玉置さんが弾いたベースのせいか、足取りが軽やかです。玉置さんはベースが得意なんだそうですが、決して王道のベースではありません。ベースという楽器を、曲のボトムを支えるとかバスドラに合わせるとかそういう定石をほとんど気にしない自由な発想で弾いたとしか思えません。もちろんドラムも上手なんですが、これも前曲「田園」や前々曲「CAFE JAPAN」と同じく、ドラマーの定石うんぬんはほとんど気にせず、玉置さんという全身楽器みたいな人の肉体そのものから発信されるリズムを自由な発想で叩いたように聴こえます。そんなにシンバル叩かないっす!スネア連打そんなにためないっす!これはまさにオール玉置バンドでなければ再現が難しい演奏だといえるでしょう。

さて歌が始まり「いらんでしょ」「いいでしょ」のように語尾が「〜しょう」でなく「しょ」なのは、実は北海道弁なのです。かつてハウス食品が出していた「北のラーメン屋さんうまいっしょ」が島殿下(小野寺昭:太陽にほえろ)と雪子さん(篠ひろ子:キツイ奴ら)のCMで「うまいっしょ」とニコニコお客さんに話しかけていたのを覚えている方は、確実に40代後半以上でしょう。他地方の人にもまるで問題なく通じる言葉ですからあまり北海道弁って感じはしないかもしれませんが、道産子にはすぐわかります。ドイツ人が外国で同朋と思しき人とのすれ違いざまに「カルトッフェル(ジャガイモ)」とつぶやいて相手が振り返るかどうかを確かめるのにも似た、すぐに分かる合言葉のようなものです。北海道人にはすぐわかります。この曲は、傷つき倒れた玉置さんが自らを癒した旭川が舞台なのです(全部このパターン)。

誰かひさしぶりの友達とサシで呑みます。「あの娘とはどうなった?」なんて話に及びます。

曲はダンダカダンダン!と唐突にサビに入り、ヘイヘイ〜ヘイヘイ〜とコーラス入りで豪勢に歌います。基本、あの娘とはうまくいってないんです。そんな悲しさを嘆きながらも笑い飛ばす、そんな切ないヘイヘイです。なんもわかってない……ちゃんと愛してない……そんな不満をいわれてどうしようもないんだ……なんとありがちな……でも、どうしようもないのです。人間の注意力には限界ってものがありますから、「あの娘」も底なしに愛されたいのであれば人選を誤ったとしかいいようがないのです。

ドンドン!とフロアタムが響き、玉置さんのミドルの効いたギターソロが……暑い夜に近々のビールを飲んだ時の「くうううー」にも似たトーンで奏でられます。これに合の手を入れるベースが「トゥルル!」などとベーシストが思いつくとは思えないフレーズを入れてきます。

歌は二番、わかりあうっていいでしょ、でも何にも問題は解決してないんだけどね、結局は自分でなんとかしないといけないよ、と突き放すような話に聞こえるかもしれません。でもいいんです。解決なんかするわけありません。これは非指示的カウンセリング(ロジャース)なのです。あ、いや、吞んでるんですけど(笑)。当店カフェ・ジャパンは束の間の癒しをこのような形でご提供しております、解決はどうぞご自分で、というスタイルなのです。というか、カフェとか呑み屋ってそういう場所ですよね、昔から。「よろこんでー」とか声だけ喜んでるバイトさんが忙しく歩き回っているようなデフレチェーン居酒屋ばかりになった現代の若い人は理解しにくいかもしれません。それじゃおれたちの悲しみは癒せねえね(笑)。あるんですよ、立ち入ってこないけど気心知れてるんだ今夜はVERY GOODって距離感が。優先順位がおかしいって殴られたよ参っちゃうよなあ、ああそりゃ災難でしたねえ大根煮えてますけど喰います?いいねこの大根……すげえしみてる……くう〜酒ちょーだい酒!いいんですよたまには殴らせてあげればいいじゃないですか、ほら熱くなってますよ、みたいな!わかるかな〜わっかんねえだろうなあ〜(千とせ)。

玉置さんがダンダカダンダカものすごいタムワークとシンバル連打で雨のち雨のち晴れという、なんだか大変な境遇を歌います。ですが、最後に晴れている、「いいことある」のでこれでいいんだという気分になれます。夢のち夢のち……覚醒?いや、雨の間は寝て夢を見て、晴れた明日にはいいことがあると信じよう!という意味でしょう。辛くたってそれはいずれ時が解決する、時は心を癒し、状況を動かし、全く違った地平へとわたしたちを誘う……これは、安全地帯の時代によくみられた、恋人たちがもうこのまま時間よとまれ、季節よあの人を連れ去らないでくれと願っていた境地とはまったく違っています。正確には「ひとりぼっちのエール」ですでに須藤さんが示していた境地でもあるのですが、この歌も須藤さんが作詞に玉置さんとの共作という形で参加されていて、今度は玉置さんがそのバトンを受け継いでいるような恰好になっているのはとてもドラマチックです。

曲は最後のサビ、なんもなくなってない、ぜんぶわかってない、また殴られてしまいそうですが(笑)、でもいいんです。明日は晴れるから、今夜はロックンロールな夢を見ればいいんです。そしてベリーグッド!ベリグーベリグー!と掛け合って曲は終わります。なんとも、明日への根拠のない希望が湧いてくる歌じゃありませんか。

時は96年秋、わたしは悩んでいました。なんもわかってないって殴られて悩んでいたわけではなく(笑)、将来のことです。音楽を続けるのか?しかもメタルでいいのか?インペリテリの「Future is Black」みたいにお先真っ暗だぞ?メタリカの「Blackened」みたいに真っ暗で終了だぞ?でもいきなり玉置さんみたいな音楽できるわけないしなあ……それともいまからでも髪を切って背広着て企業を巡るか?それまでありとあらゆる企業勤めの機会をスルーし続けてきたわたくし、いまさらそんなことをするのもウルトラヘビーな気分でした。何しろ、氷河期真っただ中、いいニュースなど一つも聞かない時代です。派遣法も改正され、いよいよ若者使い捨ての気配が濃厚になってきていたのです。街はいつも灰色、「いちご白書をもう一度」のような未来が明るい時代では全然ありませんでした。そんななか危機感なく秋から動き始めるやつなんか相手にされるハズがありません。ですがいずれは何とかしなければならないのは明白です。ようするにわたくし、時代のせいにして甘ったれていたのでした。まあーなんとかなるっしょ!飛行機を降りたわたくし、「どーにかしなきゃな、ひとりで」と足取りも軽やかに札幌行きの電車に乗り込んだのでした。たぶん、なんも、ぜんぶわかってません(笑)、

いまふとエディット画面の表示を見て気づいたのですが、これで200の記事を書いたことになるようです(最初の「このブログの説明」を除く)。おお!100は何だったのかな?調べるとどうも「Holiday」のようです。うーむだいぶ前の気がするな……。ともあれ、節目です。気持ちを新たにしなければなりません。前の節目は気づきませんでしたが。このまま300まで行ったとすると……このペースだとあと二年くらいですかね、はっきりとはわかりませんがおそらく『安全地帯IX』か『安全地帯X 雨のち晴れ』のどこかだと思います。まだ20年遅れだよ!どんだけ曲あるんだすげえーなあー(笑)。ともあれさしあたり300目指して頑張りたいと思います。

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2022年07月30日

田園


玉置浩二『CAFE JAPAN』三曲目、「田園」です。先行シングルで、玉置さんソロだけでなく安全地帯までも含めても最大のヒット曲です。あの「ワインレッドの心」すら凌ぐとは……いやまったくそんなことが起こるとは思っておらず、当時とても驚きました。オリコン最高二位だったそうで、一位ではなかった?じゃあ何が一位なのよ?調べてみると、どうもスピッツさんの「渚」のようです。知らんな……。でもスピッツさんは何枚かあったはず……と思ってラックを見てみますと、ああ、これか、『インディゴ地平線』の四曲目ですね。ありゃいい声だな、こんな曲初めて聴いたよ(笑)。いつだったか「チェリー」歌いたいからギター弾いてっていわれて買っただけなんで、ほかの曲は一回も聴いた記憶がありません。そんなわけで、当時人気全盛だったスピッツさんに週間売り上げで一歩及ばなかったようです(累計売上では「田園」がやや上まわります)。

さて曲はタムの細かい連打とシンセのリード、玉置さんのハミングで始まります。「ダッタカダッタカダッタカダッタカ……」アイアンメイデンか!というくらい攻めたリズムですが、玉置さんの声で雰囲気はむしろ柔らかく、それでいてひとを駆り立てるような不思議な感覚に襲われます。このソフトな急き立て感がこの時代にマッチしたのかもしれません。アコギのアルペシオが聴こえてきたかと思うと曲は急に「ダンダン!」とドラム、ギター、ベースが一気に入り「イッサーオーオーオオオー」「ウンバーアーアアアーアアアー」という謎の歌が高音コーラスとともに始まります。これがまた、魂の叫びとでもいうべきものすごい歌です。これで魅入られないほうが難しいでしょう。耳をわしづかみにされます。かつて「ワインレッドの心」でご婦人の心をとらえて離さなかったあの声が、今度は平成不況の中でもがく人々みんなの背中を押し、そして背中から入り込んだ手が冷え込んだハートを直接温めるような声となって帰って来てくれたのでした。

ベースがグイングイン!とうなり、歌が始まります。それにしてもこのベース、例によってクレジットがないんですが、ほんとに打ち込みなのか……当時まだMIDIを使っていたわたしなどが知らないやり方があったのかもしれません。「石コロけとばし……」と、いきなりリズムのとりづらい譜割!これがまた、ムリヤリことばを当てはめたのではなく、この後すべてが同じ譜割ですので、意図的であることがわかります。玉置さんの伝えたいメッセージは言葉でもあるけども、リズムでもあったのです。詞中「僕」「君」「あいつ」「あの娘」はいろいろなことをしています。この群像劇とでもいうべき描写はドラマ「コーチ」の面々がそれぞれバラバラに行っていたことを表現したようにも聴こえますが、これは玉置さんが「一番グチャグチャになっていたときのことをまとめた」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)わけですから、もちろん「コーチ」の登場人物たちなどであるはずがありません。これは、多少ムリヤリな想像ではありますが、ぜんぶ玉置さん自身なのだと思います。あるいは、玉置さん、メンバー、スタッフをふくむチーム安全地帯みんなのことを、それぞれ明確なモデルがあったりなかったりはするでしょうけども、この四人の所作にまとめたものではないか、と思います。なにしろ「いちばんグチャグチャ」だったのは安全地帯の崩壊時とその後であるのは傍からみて明らかだからです。基本、困ってますよね。夕陽に泣いたりほおづえついたり……これは自分のこともチームのことも何もかもうまくいっていません。うまくいっていないことそのものを描くのではなく、早口でうまくいっていないときの人々の様子を速い譜割で一気に描くことで、背景にある超ダークでスーパーデンジャラスな状況はソフトに示唆することにとどめています。そうすることによって、玉置さんや安全地帯のことだけでなくて、広く誰にでも起こりうる辛いことと、それに困ってしまう私たちのことを思わせ、多くの人が共感できる曲になっているのでしょう。

かつて安全地帯が崩壊する中で、松井さんは多くのことばを玉置さんやメンバーに贈り続け、ときに励まし、鼓舞し、ときに慰め、癒していました。その思いは当時実らず、安全地帯は崩壊し、玉置さんは壊れてしまったのです。ですが、玉置さんは須藤さんと出逢い、金子さんと再会し、安藤さんと出逢い、少しずつ輝きを取り戻していきます。その中で放たれた「生きていくんだ それでいいんだ」というこの曲は、「五郎ちゃん、俺やっとわかったよ!」という玉置さんから松井さんへの、五年ごしくらいのアンサーソングであるように私には思えるのです。

スネアが重く高速で連打されベースがブインブイン高鳴り、歌はBメロ、ますます早口でおれにはなにもできない……という無念な内容が歌われます。できないことをやろうとしていた日々、できないことだから当然できません。できないことを嘆くのではなく、「やれることだけ」で頑張ればいい……これは多くの人が中学校とか高校で気づく処世法というか、ある意味開き直りなんですけど、玉置さんは天才であったがゆえにこのときまで気がつかなかったのかもしれません。少なくとも、音楽の世界ではぜんぜん限界なんて見えなかったに違いなかったことでしょう。だからこそデビュー前後には自殺を考えるほど思い詰めてしまい、安全地帯の崩壊時にはとんでもなく大きなジレンマを感じていたわけなのです。もっとできるはずなのに!実際できるんだと思います。残念なことに、そのとき日本社会はその「できること」を支えるだけの余裕をなくしていました。安全地帯はどんどん進化してゆき、『太陽』という大傑作を作り上げましたが、最悪のタイミングでリリースされたそれは、結果として安全地帯をどん底に叩き落してしまいます。バブルの崩壊も国際情勢の不安定さもあったのですが、なにより当時の人々は(わたくし含め)その進化についていけなかったのです。挫折は大きく、玉置さんは再起不能かと思える暗闇に落ちてゆきました。

きらびやかなシンセがサビをなぞります。「生きてゆくんだ それでいいんだ」……ビルに飲み込まれているのに街にははじかれている……どうしろっていうんだよ!いいんです、愛があれば!さしのべられた手があって、それを固く握っていればいいんです。街は実体のないもの、「いる」のは、僕、みんなであって街ではありません。僕たちはハイデガーのいうin-der-Welt-Sein世界内存在、すなわち「ここ」にあって「ここ」を自らと不可分のものとしてそれを了解しつつ「ある」存在、それが「いる」ということなのだ、だから僕もみんなも「いる」んだ、君はどこにでも行けるけど「ここ」からはどこにも行けず「ここ」に「いる」のだ……すみません、何言っているのかわからなくなりました(久しぶりに使ったな、このネタ)。

そういやこの頃は『エヴァンゲリオン』の影響か、ちょっとした哲学ブームでした。キルケゴールとかショーペンハウアー、ニーチェとか、その手の、いま思えばたんなる不安神経症なんじゃないのって感じの暗い哲学にたまーにスポットが当たることがあるのですが、このときは大不況の勢いを駆ってか、とくに大きいブームだったように思われます。親世代がかつて喫茶店で一杯のコーヒーで何時間もアルベール・カミュとかサルトルを知った顔して語っていたのと同じ調子で、わたしたち世代はファミレスで呑み放題のドリンクバーを駆使して生兵法のキルケゴールやショーペンハウアーを語っていたのでした。進歩ねえなあ。だってカッコつけてるだけで基本興味ないし(笑)。「DAYONE〜」とか言ってる若者たち(いまでいう陽キャ)が席巻している街の片隅にそういう陰キャもいたというだけの話なんですが、それでも「田園」のヒットがあった時代の証人として、ここに当時の若者の姿を書き残しておこうと思います。

バスドラを連打し、軽快に曲は進みます。このドラム、異様にノリがいいんですけども玉置さんが叩いているんですよね……凄いな、これはわたくし叩けません。この勢いを維持することができません。ギターもベースも歌も自分でそのノリを出せるからこその、まさに力技です。聴き惚れるというか、肩や足が動きますね、このノリを共有したい!全編にわたってこの勢いのまま突っ走り切っているのです。ライブだとどうしても他の人に演奏してもらわないといけませんから、CD以上の一体感を出すことはできないでしょう。安全地帯ならあるいは……くらいで、ノリの一体感という意味では基本的にCDがベスト音源ということになります。

さて歌は二番、「僕」「君」「あいつ」「あの娘」がまたまたもがいています。平成不況の中苦しむ人々が目に見えるようです。実はそれがミュージカルファーマーズと安全地帯の皆さんのことだったとしても、そのように聴こえますし、それでいいのです。誰もがもっていた苦しみ、悲しみ、戸惑い、そういったものを想起させて、わたしたちはショーペンハウアーのいう共苦Mitleidenの境地に至る……ああいかんいかん、素人のダラしゃべりはいい加減にせねば(笑)。

Bメロ、玉置さんは苦しい胸中をまたまた早口で一気に表現します。何も奪わない、誰も傷つけないというのは何もしないということかもしれない、わたしたちは結局奪い合いをしているのにすぎないのかもしれない、そんなことしているうちに結局幸せも逃してしまって、何をしているんだ……と悩むかもしれない、でも、それはいわゆる現代病であって、急がずにいられない、あせらずにいられない私たちが被害妄想に陥っているだけなんじゃないのか?急がなくていいんだあせらなくていいんだ、だって僕も君も、みんなここにいるんだから。愛は消えはしない、だから人を傷つけるとか奪い合うとかはもうよして、自分のできることをこつこつと頑張っていこうよ……これは泣けます。あの時代を生きた人だから泣けるのかもしれません。ですが、これは令和の現代でも通じる、生きることの美しさなのではないでしょうか……なにせ早口で叩き込まれますから、あとからわかるんですけども……。

曲は最後のサビ、生きていくだけでいいんだ、生きているだけで他人を傷つけているなんてウソだ、他人を蹴落としているなんてウソだ、大波が来ても大風が来ても、よく目を見開いて周りを見るんだ、ほら僕も君もみんなもいるだろう?愛を信じていいんだよ!僕たちは身近な愛で結ばれ、そして身近な愛のために生きるんだ、ほかに何ができるというのさ……何でもできる気になっていたがために陥った闇から復活した玉置さんは、とうとうこの真理にたどり着き、力強く歌います。そして一番のサビを繰り返し、イントロとほぼ同じアウトロを奏で、そして唐突に終わります。……これはヒットせざるをえません。約四半世紀も前の曲をこうして振り返り、当時の世相を思いだし、玉置浩二という歌手がこの時代にいたことの奇蹟を噛みしめる、そんな曲です。

須藤さんが一般論として「ほとんど不可能」という復活劇を成し遂げた玉置さんも、この曲に関して「まさにやりたかったこと、歌いかたったこと」が大ヒットして「うれしかった、うれしかった」と語っています(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。いやいや!あの時代にいてくれてありがとうございます、あの時代にこの曲を送り出してくれてありがとうございます、あなたがいることは、希望そのものなのです、願わくば、この希望がいつでも神の祝福とともにありますように……という感謝と祈りを捧げたくなるほどの見事な曲です。

ショーペンハウアーと同時代にヘーゲルという哲学者がいます。ヘーゲルは、簡単にいえば歴史のロマンチストです。ショーペンハウアーが「駄法螺」(西尾幹二訳)と呼ぶそのヘーゲルはどこまでも歴史の必然性を信じて、いつか最高のハッピーエンドが来ると説くのです。当然、90年代のダークでシリアスぶりたい不安神経症気味の若者に人気があったわけがないのですが(笑)、玉置さんの見事な復活劇を目撃したわたしは、ちょ、ちょっとだけヘーゲルの本を読んであげてもいいんだからね!べ、別に興味があるわけじゃないんだからね!という気分になります(笑)。

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2022年07月24日

CAFE JAPAN


玉置浩二『CAFE JAPAN』二曲目、「CAFE JAPAN」です。シングル曲ではありませんが、タイトルナンバーですね。

クレジットをみてみますと打ち込みが藤井さん、キーボードが安藤さんのほかはパーカッション、ドラム、アコギにエレキは玉置さん……カズ―?カズ―という楽器を玉置さんが演奏しています。音を聴く限り、最後のサビあたりでアオリに入っている「ビイイ〜」という笛の音がそれでしょう。また、ベースのクレジットがないですね……書き忘れでなければ打ち込みなんでしょうけど、なんか打ち込みって感じのしないベースです(打ち込みと生楽器の区別がつかないポンコツ耳)。

ベースがポーン……ギターがポロンポロン……その裏でシャシャシャシャ……とハイハットをハーフオープンで細かくたたくような音、エフェクトシンバルがカシャン!と響き、「ドゥンドゥーン……ドゥン」玉置さんのスキャットが始まります。「ヘイヘーイ」と声を重ねて、その二声が絡まりながらひとつのメロディーを紡いでいきます。バスドラがドスドスとはじまり期待感を徐々に高めたところで、スネアが「パアン!」と鳴り、エイトビートのドラミングとブンブン唸るベースが始まってボーカルも「パラパ−ラパーラパッパー」と無意味な声リフ、曲はいきなり最高潮に達します。なんだこりゃ、1950年代のアメリカか!なんという懐かしい感じと楽しげな雰囲気!玉置さんからこのような世界が提供されるとは、ほんの数年前のわたくしは予想すらしていませんでした。もちろん安全地帯時代からこのような曲がなかったわけでありませんでしたし、あのぶっ飛んだ『All I Do』、そして前作『LOVE SONG BLUE』を知っていますからまったく準備ができていなかったわけではありませんが、それにしても一皮むけたようなぶっ飛びぶりに少なからず驚きました。これが「碧い瞳のエリス」とか「Friend」とかのイメージしかなかった人が聴いたらそれこそオーディオの前でひっくり返るレベルの変貌ぶりでしょう。

楽器隊の音はズシズシと重く、それでいて華やかで、不思議な疾走感があります。テクニカルでは全然ありません。無骨です。安全地帯感は完全に払拭されています。玉置さんがメインボーカルもコーラスも掛け声もみんな、これライブでどうやってやるのってくらいモロに玉置さんの声でアオリのコーラスを入れます。自分の声で自分の声を盛り上げあうという多重録音の機能を活かしたやりたい放題です。ディズニーランドでいえばミッキーもドナルドもプルートも全部自分が入っているという無茶苦茶ぶりです。すみませんディズニーランド行ったことないのでよく知りませんけど(笑)。

さて歌詞のある歌が始まります。ジャーン!と全音符で伸ばした伴奏に、「〜しょう?」と、歌詞は確かにあるのですが……いまひとつ意味が分かりません……夢のつづきを話すことで闇を明るくする?ささやかな暮らしと未来をつなぐ?頑張って考えてみますと、面白いこともない日常に、ぱあっと光がさすような明るい夢の話、将来のビジョンを語るような前向きな会合、パーティーを開こう、という趣向なのでしょう。

スネアの連打が響き、ベースがブンブンいって有無を言わせぬ展開で曲が進みます。「なじみの顔ぶれ」と「ひいきのみなさん」って同じような意味なんじゃないかと思いますが……そんなことを考える暇もなく「星でも見ましょう」!って声も気分も高揚させてきます。ああそりゃ楽しいじゃん!

「お茶でもいれましょうか」ってカフェなら当たり前……ってここで気づくのです。こ、ここはカフェではない!これは傷ついた者たちが集い心を癒す場所……それを玉置さんと須藤さんがカフェになぞらえたのだ……!だからわざわざ「お茶でもいれましょうか」なのでしょう。

『幸せになるために生まれてきたんだから』にはアルバム『CAFE JAPAN』のコンセプトを玉置さんが語った箇所があります。こんな貴重な話を!志田さんあなた最高!歌詞カードに掲載されたいろいろな格好の人(ぜんぶ玉置さん)はカフェ・ジャパンのオーナーだったりマネージャーだったりお客だったりするんです。くわしくは本を読んでほしいのでここからはわたくしの推測が主になりますが……このカフェ・ジャパンとは人生に迷って苦しんで倒れた玉置さん本人がたどり着いた場所、つまり旭川なんですが、そこで玉置さんは一日中空を見て、旧友と語らって、傷ついた心を回復させてゆきます。そしてこわれた心のまま、欠けた心のまま作られていった大傑作が『カリント工場の煙突の上に』なわけですが、玉置さんはそのときのことを振り返ってこの曲「CAFE JAPAN」、このアルバム『CAFE JAPAN』をお作りになったのだと思います。事実、「田園」はいちばんグチャグチャになっていたときのことをそのまま歌にしたもの、と玉置さんはおっしゃっていますので、この推測はほぼ間違っていないでしょう。ですからカフェ・ジャパンとは玉置さんにとっては旭川の、家族・仲間との集う場のことを指すのでしょう。仮面をとって虹色の空を眺める男(玉置さん)は、新しい人生に踏み出す勇気を得てカフェ・ジャパンを後にします。そして作られたアルバムが『LOVE SONG BLUE』、そしてこの『CAFE JAPAN』、そして次作の『JUNK LAND』なのだ、というのがわたくしの現時点での考えです。ですから、この三枚のアルバムは、安全地帯で無理をしたことの音楽的な「落とし前」なのであり、わたしたちはその復活劇を音楽を通して垣間見て、魅せられてきたのだろう……と。む、むう、な、泣けるじゃないですか!(勝手に妄想して勝手に泣く芸風)

曲はドラムだけを残してブレイク、ギターともベースともつかぬナチュラルハーモニクスのフレーズを入れてすぐさま二番に入ります。

大きな(いちょうの)樹の下で君と出逢っていたなら……きっと東京で活動していたおれの運命も少しは違っていたのかもしれない……「つつましい言葉」やあせない「想い出」を共有しているんだから、いろんな意思決定のタイミングや方向が少しずつ変わっていて、運命はもしかして大きく違っていたのかもしれない……

なんだか玉置さんの辿ってきた足跡を悔やむとも肯定するともとれる歌詞なんですが、「いいんだい」「いいんだい」と全体の調子としては肯定に傾いてゆきます。それはそうです、事実そうなったのですから。

ちなみにこのBメロですが、わたくし初聴時から頭にこびりついて離れませんでした。なんというか、リズムと、言葉選びと描かれる世界、歌唱がすべてドンピシャで、新生玉置浩二節の完成系ともいえる見事な出来です。これはほかにどんな歌手がカバーしてもこの魅力は出せないでしょう。事実この時期の玉置さんの歌を誰もカバーしてません。みなさん自分の力量ってものを自覚しているのでしょう。これは玉置さん本人にしか歌えない!と聴いた瞬間にわかります。しかも演奏もほとんど玉置さんですから、もう一体感がハンパじゃありません。ノリノリです。

そして曲は間奏というか、不思議なアナウンスの箇所に入ります。ベースがポワーンと全音符、控えめな音量ながら手数の多いドラム、キラキラキラ……とシンセ、玉置さんの高音コーラスをバックに、玉置さんが「カフェジャパン……カフェジャパン……駆け込み乗車は危険ですけどご遠慮なさらずにどうぞ、ここはカフェジャパン」と、どこかから怒られそうなアナウンスを入れます。カフェジャパンは駅であって、ここで降りて傷を癒す人もいれば、癒し終わって「ご乗車」する人もいるのでしょう、中には「駆け込み乗車」するような人もいますが、この電車は傷の癒えた人を送り出すのがその使命ですから、駆け込み乗車させてでも送り出したい、そんなのこっちが対応してやるから心配せず飛び込んで来い!というフトコロの深さを感じさせます。

そしてドラムとボーカルだけでサビが歌われます。「恋して泣く」「しあわせ」がわからなくて悩む、「お金」が心配になる、「平和」の役に立てるか悩む……と、玉置さん自身が安全地帯時代に散々悩まされたヘビーな課題たちがここで提示されます。

そしてカズ―が響き、フル構成の演奏に合わせて最後のサビが始まります。恋がなんだ、お金がなんだ、いろいろあるだろうけども、それは置いといて、汗、涙、ともだち、笑い、そうした目の前にあるたしかなもののために音楽をやればいい、カフェがお茶を提供するように自然に、音楽を生めばいい、そうして愛されていればいいんだい……これは悟りです。菩提樹の下で仏陀が悟りを得て感じた法悦の心境に似た、音楽をしていく喜び、生きていく喜びを、玉置さんは知ったのでしょう。平和とかお金とか、そういう方面の課題を解決するという方面に真実はない……苦しい苦しい旅の末に、玉置さんはその心境に至ったのではないかとわたくし愚考いたします。

ボーカルだけの「いつでもそばにミュージック〜イエイ」で曲は唐突に終わり、次曲「田園」が間髪入れずにスタートします。これは、わたしたちに教えを説く気がないのかもしれません(笑)。釈迦の場合は悟りのあと水辺でスジャータが乳粥を布施して、梵天が釈迦に教えを説くように諭します、そんな穏やかな時間があったのだろうと思われますけども、玉置さんはそんな様子は全然見せません。これは先が読めません。ぜひ注視してまいりたいと思います。

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